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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
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七十一話 古巣

「お、おおう……」


 クレインが搾り出すように声を出す。


 眼前には懐かしき我が家。


 遠くから見ればちょっとしたただの岩山であるが、一箇所だけ穴が開いている。そちら側から見れば、内部の洞窟が窺える為に口開けて中に誘うかのような佇まいをしているのだ。


 辺りはすっかり暮れており、簡易松明の明かりに照らされたその姿はより一層不気味さを増している。


 といってもクレインの様子はそれが原因でない。むしろこの姿など見慣れたもの。


 島を出てからの年月、風雨に晒され続けていた口は確かに大きくなった。


 だがそれ以上にクレインの身体の成長のほうが著しいものである。かつては九死に一生を得た場所。突然の窮地に無我夢中でここに身を投げ入れて凌いだが、今にして思えばこれほど小さい穴だったのか、とぞっとする。


 よくあの時、ミスせず飛び込めたものだ。


 自身の身体が小さかった故の話であるが、そう自分を感心してしまう。


(とにかく入ってみるか……)


 身を屈めて岩山に食べられてみると、中は決して快適ではないものの、今でもそれなりの広さを感じる。流石にきつくてそれほど身動きが取れない、といった事はないようだ。


 作った道具など無事に残っているものもあれば、破損しているものも多くある。散らかるそれらをかき分けて、まだ使えそうな松明置き場としていた台を引っ張り出した。


 ようやく両手が空くと、改めて中を見渡す。


 壊れていようと健在していようと、一目見れば様々な思い出が掘り返される品々ばかりである。


 ふと壁にかけてあった毛皮に近づいた。


 最初も最初、探索が広範囲になっていく中で、初めて毛皮らしい毛皮を得たのがこれで、大型の熊のような生き物との死闘は今でも昨日の事のように思い出せる。島を出る時には服にしたりしたが、全ては持っていけずにこうして残していったのだ。クレインにはとても思い出深いものである。


 しかし手に取ってみれば無残なもので、酷く虫にやられているのだった。


 むしろ放置していた時間を考えたらよく形が残っていた、と感動さえ覚えてもいいものである。


(まあ、そうなるよな)


 過去に虫にやられた悔しさも経験しているクレイン。一瞬だけショックを受けたものの、すぐに思い改めて奥へと進みだす。


 かつては壁が建てられ封じられていた部屋。大量の書物を残している『元凶』の存在を色濃く残す場所。


 あの当時は読み取れなかったものも、今なら分かるのかもしれない。


 果たしてそれが善きほうへ転じるか否か。


 始まりからして、あまりプラスには繋がらなさそうな雰囲気ばかりである。


(……わざわざ帰ってきて本を調べないとは思わないだろうな。だがクレアは止めなかった。それが良い結果となるからか、俺が背負わされているもの、試練といったもので避けて通れないからか)


 藪をつついて蛇を出すのだろう。


 だがそれが分かっていたとしても、クレインには止まる事などできなかった。


 ゆっくりと扉を開けると懐かしい香りがする。


 ふと、思いがけず高揚感が湧き上がった。


 思えば初めてここに入った時も似たような状況だ。ようやく壁を壊し、だが日が暮れていて奥もろくに見えない中、それでも朝まで待ちきれずに中に入り……結局探索を断念した。明かりが乏しくあまりにも効率が悪すぎたのだ。


 今はどうだろうか。


 松明を洞窟内にかけており、少し頼りないながらも部屋の中を照らしている。改めて見ればそこは本の山、山。そして山。棚にもぎっしりと詰まっておりその棚の上にも積みあがっている。


 そういえばこの中から必死になって使えそうな本を探したんだったか。


 そんな事をクレインは思い出すと同時にある気持ちが突き抜けていく。


 残った道具などをかき集め、いざという時の為に、と部屋へ仕舞っていたものを引っ張り出す。かつて少年時代の住処で大人へと成長したクレインは、洞窟内に粗末ながらも寝床を用意するとゴロリとそこへ横になるのだった。


(面倒臭すぎる……)


 改めて知るその物量の前にして、心が微かな音を立てて亀裂が走った。


 一先ず、作業環境として良い時間帯に手をつけよう。


 そう判断すると、潔く諦めて旅の疲れにまどろむのであった。



 翌日、陰鬱な気持ちも吹き飛ばすかのような快晴に、清々しい気持ちで朝を迎えたクレイン。


 随分昔の事だし、などと思って帰ってきたものの、少しの時間を過ごすだけであれやこれやと思い出すものであった。不安のあった食料調達も、今の時期に取れる果実などをさっと集めて、懐かしいメニューで朝食を取る。


(意外とあれな味もあったな。当時はこれすら贅沢に思えて、美味い美味いと言っていたのが懐かしくもなる)


 豪遊するほうではなかったとはいえ、城にある食材はそれなりのもの。更には慣れた侍女が料理をし、そしてクレイン自身の腕も随分と上達したのだ。少なからず舌が肥えてしまったわけである。


 少々味気なかったものの、食事を済ませ活力を取り戻すと早速作業に取り掛かった。


 狭い部屋の中で一冊一冊確認するのは骨が折れると、ごそっと外に持ち出して確認し、不要なものは戻してまた新たに持ってくるを繰り返す。


 時にはスケッチであったり、なにかしらの記述がされていたりと内容は様々であった。だが曲者はこのなにかしら、の本である。


「子供の頃は難しくて分からなかっただけ……と思ったが」


 手にした本を閉じると、思わず振り上げて地面を睨みつけた。


 叩き付けたい。そんな一心であったが僅かな理性がそれを止める。


「くそ……なんだよこの文字、読めるわけがないだろ」


 一文字も読めなかった。見た事がない文字が羅列しているのだ。


 一体いつの時代のものだというのか。それでいて、生きるために必要な知識に関しては読める文字で書かれているのだから不思議なものである。


(もしかしてこれらは写本なのか……? 写した当時は古い文字ではあったが読めはした、とか? ならいっそ全部書き直してくれよ)


 この手の本は文字が読めない分、絵などから調べるしかない。お世辞にも解読とは言えず、そんな状態の中で重要性があるのかないのかまで判断しなくてはならないというのだ。


 クレインにとっては得意とする作業ではなく、改めて投げ出したい気持ちが一気に高まる。


 一冊、一冊と確認していき、持ってきた山が終わればそれを戻し、新たに持ち出したものをまた確認し。


 幾度も往復し、やがて日が暮れまた翌日。


 大半は結局意味が分からなかったり、恐らく大して重要でないものばかり。


 だが遂になにかしら、の本の中でも一際力が入っている一群を掘り当てる。


 写しに細かくメモらしきものが書かれていた。まるでそれを研究しているかのような印象である。だがその内容さえも古代のものと思しき文字の為にクレインには読む事はできなかった。


(しかし……一体なんだ?)


 こうして手がかりらしきものを見つけられたものの、その内容はまるで理解できないものばかりであった。


 例えば輪の上下に風景が描かれている絵。上のほうには草原らしき場所にところどころ木々が生えている。そして下には暗い空と地面、それと無数のよく分からないものが書き込まれている。


(地表と……もしかして地底、か? この輪はなにを意味しているんだ? 地表から地底へのサイクル? いや一周しているから……駄目だ、意味が分からん)


 例えば大人と子供が描かれた絵。大人から子供へと矢印のようなものが伸び、周囲には大量の文章が書き込まれている。


(……普通に考えれば、子供になにかを伝えたり、あるいは遺伝的だったり、大人から子供へなんらかの作用をもたらす内容だとは思うが、そういう簡単な話じゃないんだろうな)


 例えば天秤の絵。片方には羽、もう片方には臓物らしきものが乗っている。


(流石の俺でもこれは裁きに関わるものだとは分かる。この臓器は心臓といったところか。火の国かどっかの神話で聞いた事があるな。だがなにを成そうとしていたんだ。世間的に裁く事ができない、許せない人物がいたのか? あるいは……神にでもなろうとしたのか?)


 例えば大量の魔法陣。似たもの、だいぶ違うもの。様々な形のものが書き連ねられ、当然のようにメモらしき文章も多く見られる。


(研究段階なんだろうが……流石にこれはなあ。島の魔法陣に似ている気もするが実際はどうだか。まあ、その為の研究がこれなんだろうが、俺には判断のしようがないな)


 それらの本をまとめると、クレインは日暮れには程遠い空に大きく翼を広げた。


 果たして答えてくれるのか。いや、『まだ』教えてはくれないのだろう。


 だがそれでもなにかヒントでもくれるのでは、という期待を胸に、クレアの元へと飛び立つのだった。



「……ふんふん、なるほど」


 例の如く腕は翼に足は鳥類のクレア。ハルピュイアという種族だと自称する彼女はその足で器用に本のページをめくる。


 事情を話し、読めるのならば内容を、あるいは読み方だけでも教えて欲しいというクレインの要請に、クレアは快く引き受けた。


 まさか快諾されるとは思っていなかったクレインが驚く中、クレアは中身の確認を進めていく。そして一冊目が終わると、大きく息を吸い込み


「分かるかぁっ!」


 はん、と鼻で笑うのだった。


「……」

「いやいやいや、そんな『こいつ絞めてスモークチキンにしてやろうか』みたいな目されたって、いつの時代の本だ! て話だし!」

「そんな猟奇的な事、考えてねえよ!」

「えー本当? だって絶対蔑みは混じっていたじゃん」

「いや疑っていただけだ」


 クレインが再び半眼でクレアを見つめだす。


 快諾までしておいてここで嘯くか、と。


「……ん、んー? 疑うってなにをかなー?」

「……」

「ちょ、ちょっと坊や、本当に怖いんだけども?」

「……」

「く、なんでこんなスレてしまったんだ……」


 よよよよ、と潮らしく翼で顔を隠すクレア。


 やはり答える気はないか、とクレインは大きな溜息を吐くと本を片し始めた。


「俺だっていつまでも子供じゃないんだ。俺に関わる内容がそう生易しいものでないのも気づいている。クレアが大半の事情を知っているだろう事も。そんなわざとらしい真似するぐらいなら、初めから教えられないって言ってくれ」

「……怒ってる?」


 淡々と語るクレインに、珍しくも怯える色が見えるクレア。不機嫌そうに聞こえたのだろう。


「子ども扱いのような茶化し方に少し呆れただけだ。クレアがよほどの事情を抱えているのも分かっているんだ。今は答えられないなら俺はそれで構わない。だから変なごまかしはしなくていいってだけだ」

「……ごめんね」

「謝らないでくれ。というより、貴女にそんな謝られ方されたらこっちが辛い」

「じゃあ……ありがとうね」

「……」


 ただ一言。だがとても重く、暖かい一言だった。


 彼女は演じている。多少の本音はあっても、本心を明かした事はない。


 今この一言を除けば。


 ほんの僅かな吐露であったが、クレインにとってはそれだけで十分であった。


「俺のほうこそ、ありがとう。言葉にしてもし足りないよ」


 それを優しく受け止める。たった、ただそれだけの事だった。


 常に信頼し心を開き続けてきた少年は青年となり、だがあの頃と変わらぬように。


 背負っているものをなに一つと降ろしてはいないが、クレアにとってはそれだけで十分であった。

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