閑話 束の間の談笑
日の光が途切れ、すっかり辺りは夜の帳に覆われている。
月のない空には煌煌と星星が一際輝きを放つも、地表にとってはか細い明かり。足元が不安定な場所ならば、ただ歩くだけでもおぼつかなくなるだろう。
照らす明かりが心許ない地上は闇に飲まれたように見えるだろうか。
だが人々の営みがある場所ならば大地を彩る星星ともなろう。
ここ農商国家もまたその星の一つである。
城内から漏れる光。周囲が見えるように焚かれたかがり火。
そうした明かりは空からも大地からも、遠い場所から城を見つけられるものだ。
もっとも周囲を壁で覆っている以上、低地から視認する事などできやしないのが農商国家の魔王城であるのだが。
日は沈みきるも城内はまだまだ活気が尽きる様子もなく。
どこもかしこも明かりが絶える事もない。
南の大陸も同じようなものだが、北の大陸において屋内で使われる一般的な照明は魔法を応用したものであった。
魔法を封じた魔石に僅かな魔力を流す事で発動させ、それにより発光する魔石を明かりにするというものである。そして設置する場所によっては、これにガラス製の器などを被せる事で光の強さや拡散のさせ方を変えて対応するのだ。
南の大陸ではこの被せ物のようなものを使っているのは魔法先進国である風の国ぐらいなもの。他の国では城でさえ魔石の種類によって場所を分けているのが現状である。
ガラス職人の数や腕、あるいはそれらを魔法でこなそうとする術者の実力というのもあるが、風の国だからこそのオシャレ、という認識が強い。
事実エルナにとってもこれらの効果というのは初めて知るほどであった。
それも今では慣れきって、照らされる通路は見知った技術。そんな中をエルナが歩いていると、美しく輝く長い髪に、一目にお偉いさんと分かる鎧をまとった目立つ後姿が視界に入る。
「アニカさん、これから夕食ですか?」
追いかけて声をかけると驚いた顔のアニカが振り向いた。
エルナの姿を確認するや否や、大きく揺れた長いブロンドの髪が落ち着くよりも早く、花が咲くような笑顔を見せる。
「エルナもかい?」
「ええ。それにしてもこんな時間に食堂にいるなんて珍しいですね」
「急遽いくつかの仕事がなくなったからね」
ニヤリと素晴らしい笑顔で笑うアニカ。よほど嬉しいのだろう。
なにせその要因さえも彼女にとって喜ばしいものであるのだ。なんなら祝杯をあげてもいいほどだろう。
エルナも聞いている話、クレインの所在の特定だ。
「理由があるとは言え、午前は剣の稽古に昼食も一緒、おまけに夕食までなんて珍しい事もあるものですね。明日は槍が降らなければいいんですが……」
「私もそう思うが明日は快晴らしいし、無駄な心配をするくらいなら楽しもうと……」
言葉が途切れ、なにかを視線で追っていく。
どうしたのかとエルナがアニカの目線を辿ると、一人の侍女が配膳台を押していた。
見るからに高そうな木製の台は箱状になっており底には車輪が設けられている。箱は引き戸になっており、閉めている限り塵の一つと入りはしない構造だ。
こうして食堂がある中、食事が配膳されるというのは珍しくはない。
執務に追われ、その部屋で取る者も多いのだ。中にはある程度の役職にもなると、執務室を自室や己のテリトリーとして、職務以外の生活の場にもしてしまう者もいるほどだ。
こうして目の前で配膳されている訳だが使われている台自体は珍しいものである。
大概は二段、三段の棚のような配膳台が使われる。しかし侍女が転がしているのはもっと格式張ったもの、つまりはそれ相応の立場の人物に向けたものであるのが分かる。
アニカはさっと侍女に近づき、二言三言話すとその配膳台を引き受けてエルナのところに戻ってきた。
思いがけない行動に出られたエルナは、呆気にとられながらアニカの言葉を待つ。
その様子に気づき、言葉足らずどころか無言の奇行をした、とアニカは苦笑いをしながら弁明を始める。
「カイン殿の食事のようだ。早ければ明日出立なのだろうし、食事をご一緒さえてもらおうかと思ったのだが、エルナはどうする?」
「それでしたらあたしもついていきますよ」
「悪いな。エルナからしてみれば、これから当分の間は行動を共にするんだ。なにも今から一緒にならなくても、という話だったな」
「それで困るぐらいならそもそも同行できませんって」
妙な気遣いではあったが、エルナが笑顔で答えるとアニカは顔を赤らめて恥ずかしげに笑ってみせた。
周囲からの信頼は厚く、実力もある彼女だがそれでもただの一人の女性である事には変わらない。失敗もするし、恥も上塗りすれば赤面もする。
そんな可愛らしい一面にエルナが微笑む。
「……本当にアニカさんが姉だったらよかったのに」
「う、ぐ……それ以上は言うな。そして誰にも話すな。あーくそ、エルナといるとどうも調子を崩してしまう」
姉の様な存在が近くに居て少なからず浮ついていたエルナだが、それはアニカも同じのようだ。
彼女自身、こんな隙を見せるとは思ってもいなかったのだろう。
「それにしてもよくカインさんの食事だと分かりましたね」
「この配膳に使う台、カイン殿専用なんだよ」
「え、そうなんですか?」
意外な話にエルナが目を丸くした。
確かに気品のある立ち振る舞いをする彼であるが、こうして自分を特別なものとする行動はあまりにも似つかわしくない。
だが、現状がそうであるならば、自分の認識が間違っているのか。とエルナが眉間に皺を寄せて唸りだす。
「ああ、いや。望んで、という話じゃないんだ」
「……と言いますと?」
「クレイン様こそ見た目に拘らないもので、カイン殿も日頃口酸っぱく苦言していてな」
「あー……」
威厳のなさについては既にエルナが体験したとおりである。おまけに本のほうでも長々と書かれていた。
納得以外の言葉が出ない。
「それでまあ、昔に比べればだいぶ改善されてはきたんだが」
「あれで改善……」
「うん、言いたい事は分かる。話を戻すと、それじゃあ側近であるお前もそれらしい待遇に身を置くべきでは? という、暴論交じりの反撃を始めたんだ」
「それがこの専用台っていうのも小さいですね」
上品さとシックな雰囲気が漂うそれは高価な品に間違いないだろう。だが金銀宝石、そうした豪華さは一切存在しない代物だ。
それとも側近という立場だから、一歩退いた高級品という事か。
「三代前の魔王様が使われていたものだそうだけどな。宝飾こそないが、この木材だけでもの凄い価値のあるものらしい。なんでもそういう分かりにくい価値を好む方だったそうだ」
「……もうどこからツッコミを入れたらいいのやら。あの、この国に就く魔王って問題児過ぎませんか? 先代も相当やばかったって話ですよね?」
当代は勿論の事。先代は暴君。二代前はカインの口ぶりからすれば倹約であったという。そしてまさかの三代前は変な浪費家か。
なんだこの国。
直近の数代とは言え、その言葉がエルナの口から漏れそうになる内容だ。
「まあ……魔王になる方法からして、だしね」
「討ち取ったら次代の魔王でしたっけ」
「今の時代にはあまりにもそぐわないのは重々承知だし、その結果が先代のゴート様だった……が、だからこそ今はクレイン様、というのもあって一概に否定し辛いのが現状なんだよ」
「……一応、支持はされているんですね」
「多少なりとも迷惑を被っても長い目で見ればプラスなのが殆どで、ただ割を食うのはカイン殿と悪巧みしている奴らだけだからね」
「カインさんが可哀相過ぎる……」
「……」
これまでも、そしてこれからも絶賛可哀相なカイン・エアーヴンは、眼前の光景を目を丸くして眺めていた。
普段よりも随分と早い時間であるが、いつもどおりに侍女に夕食を頼んだはず。なのだが、それらを持ってきて用意をしているのは他ならぬアニカとエルナであるのだ。
「えーと……あの、これは?」
状況が飲み込めないカインはなんと訊ねるべきか、と第一声も迷っているようだ。
そんな中、エルナはちゃんと説明するべきなのか、とチラチラとカインとアニカを見比べるも、アニカは気にする様子もなく食事の用意を進めていく。
だがそれとて僅かな時間で、手際よく料理が並べなられていき、あっという間に終わってしまった。
それぞれメニューの違う全三人分の料理。カインの机に、予備という名のクレインの机、そして隅にあった台の上。
机も椅子も二人分しか部屋になく、台はベッドに近くに移されている。この部屋は本来の主の自室でもある事を考えると、中々大胆な配置である。
「一人寂しく食事をされるカイン殿に、美女と美少女がご一緒しようと思い至った次第です」
仰々しく一礼をしながらアニカが説明をした。本当にその役割が果たせているかは謎だが。
当のカインはと言えば、特に気を悪くした様子はないものの、少しばかしじっとりとした視線を投げかけている。
「私の事を心配してくださるのでしたら、魔王様が粗相をなさった時に鉄拳制裁の一つでもして頂いたほうが嬉しいのですけどね」
「さらっと凄い事言っている!?」
「申し訳ありませんがお慕いしていますので私にはちょっと……。お気持ちは分かりますが」
「慕っていて尚、分かっちゃうんだ!?」
「慕っているからこそ、諸々の事情を知っているからね」
その上で自分にはできないが、そうあっても已む無しだという。
ふと魔王という立場にありながら懲罰を与えたという本の内容を思い出す。あれ以降、本になっていない部分はどうかは分からないが、そうした出来事は二十年に一度である。
この会話を聞く限り、それすらもかなりぬるい処置であったのだろう、とエルナは軽い寒気を覚えた。それだけの問題をしでかしたというクレインに対してだ。間違いなく頭がおかしい。
「真面目な話をしますと、数日の内には出られるのでしょうから、機会があるのだしと思いまして」
「お互い食事の時間が合う事がないですからね。良くも悪くも魔王様の大よその所在がつかめた結果と言いますか」
お互い今回の件でやるべき仕事のいくつかが消し飛んだ、というより今するものではなくなってしまったのだ。
でなければこうして、共に食事を取る機会などよほどの事でもない限り訪れたりはしない。
「というかアニカさん……本当にそこでいいんですか?」
それじゃあ頂きましょうか、とアニカは遠慮なくベッドに腰掛ける様子に、流石のエルナも内心落ち着かないものがある。
普通に考えれば不敬もいいところ。クレイン本人の前ならまだしも、側近であるカインの前というのは、エルナにとってはハラハラするものだ。
「人前でなければいいですよ。流石に体裁に響く場面でそうした行動を取られたら困りますが」
「今更このぐらいで怒られはしないし、なにより椅子が足りないんだ。不可抗力不可抗力」
「あ、そんなものなのか」
扱いが軽いというより雑である。
だからこそ、クレインの横暴に人々が付き合い、結果としてより良い環境を築けたわけだが。果たしてこれはこれでいいのだろうか、と人事ながら不安になる。
いや間違いなくダメだろう。
じゃあどうしたらいいのだろうか、と考えたところでエルナは思考を放棄した。
あのクレインの本質的に、その辺りの改善は絶望的に感じたからだ。ならばそんな不毛な内容に労力を費やすより、目の前の食事を楽しもうと切り替えて食事に口をつける。
異国の慣れ親しんだ味に舌鼓を打ちながら、時折交わされるカインとアニカの話に耳を立てる。
と言っても半分は仕事の話で軽い引継ぎなどであった。二人の真面目さは中々のワーカーホリックに仕立て上げているようだ。
(あの魔王にしてこの部下だからこそ、ギリギリのバランスで成り立っているんじゃ……)
そんな事を聞きながら食事を続けていると、仕事の話も尽き始めたのか職務上の近況の話になってくる。仕事一辺ならば口を挟みづらいものだが、これならばとエルナが意を決して訊ねた。
「お聞きしたかったんですが、お二人は何歳になるんですか?」
昼間、本を読んで切に思った事。年齢である。
「私が今年で55になります。魔王様は……60ぐらいでしょうか?」
「ご……!?」
「私は73だな」
「な……!?」
カイン達の答えに驚き、食事も忘れて動きが止まってしまうエルナ。
ある程度は身構えていたとはいえ、彼女にとってはかなりの衝撃的な内容である。
「やはり人間の方には驚かれるのですね」
「え、ええ……そうかぁ、カインさんでさえダブルスコア超えか……」
今回の来訪でさえ、出会った当初は少年という印象であった。これが驚かずしてなんだというのだ。
クレインにいたっては完全にトリプルスコアである。もっとも、あちらは存在からしてアレで、エルナからしてみればもはやそうは驚かない対象だから、内心別にどうでもいい、と思うまである。
「因みにエルナはいくつになるんだい?」
「……20です」
「……若い」
「……若い」
「今はまだ単純に年齢でそう言われるんでしょうけども、これ遠くない内に年の割りに凄い老けてるになる流れだ……」
種族による差の悲しい現実が見えた。
カイン達からしてみれば人間ほどの短命、という種族も稀というか会った事がないのだ。寿命差があるのに慣れているとはいえ流石に驚くほどである。
「カインさん的にはあと二百年ぐらいは生きるものなんですか?」
「……エルナちゃん、それはなにを基準に考えたか聞いてもいい?」
「え? カインさんの見た目から人間の年齢と比較してそのぐらいかなー、と」
「エルナさん、人間は何歳ぐらいまで生きて私は何歳ぐらいに見えたのですか?」
(あ、なんかやらかしたっぽい)
面白そうな様子のアニカに、目が笑っていない笑顔のカイン。
なんとか挽回しようと全神経を脳に集中させて話を構築するも、既に危険域に足を踏み入れているのであろう状態。とてもではないが穏便に抜け出す筋道など見つかる事もなく、覚悟を決めろという判断に行き着いた。
「……15歳ぐらいで70歳半ばぐらい、です」
かなり盛った数字である。カインに対する見立ても平均的な寿命も。
こうした反応されるという事は恐らく若くみ過ぎたのだろう。
「少なくとも、見た目的には年下なのですね……そうですよね、そうなんですよね……」
「……」
落胆するカインと笑いを堪えるアニカ。そして非常に居辛いエルナと三者三様である。
しかもエルナはその胸に贖罪の思いを秘めていた。
(ごめんなさい、もっと下だと思ってました)
とても口が裂けても言えない内容である。
その後も談笑が続く中、気まずい思いを残しつつ夜は更けていくのだった。




