六十九話 農商国家
『……この様な魔王ゴート・ヴァダーベンによる統治であったが、その期間は短いものであった。最短と言っても差し支えないだろう』
『本人の強さもあって、長く続く暗黒の時代の始まりだと殆どの者が思っていただけに、正に青天の霹靂といった事態と言える』
『事実、誰一人と想像もしておらず、突如現れた正体不明の青年一人の力で彼の王は討たれた』
『それによりもたらされた平和の訪れは新たな地獄の幕開けともなる。魔王ゴート・ヴァダーベンによりつけられた傷跡。それは我が国が一丸となり血反吐を吐くほど尽力をしても数年では到底癒せないものであったからだ』
『だが、その時間で大幅な回復に成功した』
『幸か不幸か、次代の魔王は常識がなくその行動は破天荒。ともすれば、魔王ゴート・ヴァダーベンと同様に自分の考えを押し通し、様々な政策に介入しては掻き乱す』
『結果が全て、という言葉の根絶を掲げる必要性も感じたがそれは後述とする』
『改めてここに魔王交代について記していく』
『先述の通り、誰もが予想だにしていない事態が発生した』
『クレイン・エンダーと言う、その時点では一切が不明の人物が城を襲撃したのだ』
「……」
見知った人物の暴走っぷりに、そして自身に覚えがある上にそれが失態だったエルナが一度、本を閉じて静かに目を瞑る。
恥であったり妙な共感であったり様々な、それこそ正も負もごちゃまぜの感情が渦巻くのだった。
(それにしても……この書き方、よほど余裕がなかったんだろうなぁ)
このクレインの前代であった魔王ゴート・ヴァダーベン。彼が討たれた話を記したのが、その当時から数年と経っている様子。
これまで読んだ内容は基本、リアルタイムによるものだっただけに、騒動以降がどれほど地獄じみた日々であったのかが容易に想像できる。
(彼、可哀相過ぎるだろ)
その後も読み進めていくと、その常識のない破天荒な行動の詳細が綴られていた。
もはやそれは安易に同情する、などとは口にできないのではと思える内容である。
中には唐突に呪詛のような、怨嗟の言葉が連ねられていたりもした。我慢の一部が限界を超えて遂に零してしまった、といったところか。
などと思ってみれば、とうとう懲罰を課した話を目にしてしまう。衛生的にも精神的にも害虫とされるモノの巣窟に放り込んだらしい内容に、その時のカイン・エアーヴンの怒りの度合いが伝わってくる。
むしろなにをしたらそんな仕打ちを王にするような事態になるのか。
しかし全ての事柄が悪かったわけではない。既に書かれている通り、本来ならば先代によって疲弊した国の回復に、長い年月を要するはずだったところを驚くべき速度で立ち直っていったのだ。
それも確かに周囲の迷惑を顧みない行動であったには違いないが、結果として見れば多くの人々に幸福をもたらしたと言える。本当に結果論で語っていけない内容であるが。
そしてもう一つの大きな点。クレイン・エンダーに魔王という立場として、周囲に築くべき壁を築かなかった事だ。
それはそれで問題ではあったが、エルナが見る限りその当時の農商国家には必要であったように思える。酷い過程の中、結果に辿り着けた一つの要因である、と。
(まあ……山菜を取ってきたり野菜を作ったり、料理を振る舞ったり災害時の炊き出しを率先したり。他国に食材を仕入れに行ったり、無断で採取したりとかいくらなんでもどうかとは思うけども)
特に無断採取って相当まずいのでは?
南だったら戦争も不思議でない話に背筋が寒くなる。そもそも、初め読んだ時に言葉の意味が違うのだろうか、と真剣に悩んだほどだ。
だが間違っていない事に気づくまでそう長くはかからなかった。なにせ中庭が畑になっているのだから、記載の内容を疑う理由がない。
「あいつ、あたしが知っている部分のほうがまだまともだったなんて」
まさかあれでまだセーブされていたとは。驚くべき事実である。
一通り、クレインの代の内容を読み終わったエルナは本を戻す。
ふと、その手が本棚の上の方へと伸びていった。
まだ日が浅い中、北の大陸における国々について知っているのは、二国の大国がありそれが別の派閥であるという事。
なんともバランスのいい話でもあるが、だからこそ今に至る状況になったとも言える。
水の都市と剣の国。
イメージからしても反し、呼び方も都市と国。
そもそもなんで国なのに都市なのか。
そんな疑問もあるがこの話を聞かせてくれたアニカの口調は軽く、別に深い意味もなくそういうものなのだろう。
とここまで来るとやはり気になるのはこの国の名前、農商国家。
もしや初めの一冊ならばそれも知れるのでは? と一番左上にある本を手にする。
大きな事件や出来事があれば、その期間に対しのて記述は長くなる。一概に本の数だけで、どれだけの時間の流れがあったかを予測するのは難しい。
だがエルナにとって、人間という種族にとっては気が遠くなるような果てしない時間を経て、一冊目の時代に辿り着く事は考えるまでもない話である。
それだけの歴史のあるはずの本だが、随分と綺麗なものでそれなりのヨレや傷などは見受けられるが、古書というほどではなかった。
(まあ、流石にこうやって誰でも閲覧できるんだ。写しに決まっているよな)
原本にそれほどの価値があるという訳でもないだろうし、記録を残す為の一冊がどこかしらに保管ぐらいはされているのだろう。それとて何代目かは計り知れない。
エルナは同じく何代目かも分からない一冊目をペラリとめくる。
『農商国家の誕生』
『この辺り一帯は巨大な河川もなく、また巨大な山もなく。加えて資源豊富の鉱山とてなく、そこそこの山と平野ばかりの特徴のない土地である』
『建国以前、もっとも近い国は火の国である。だが剣の国からの猛攻を受けた歴史もあってか、領土拡大に関しては消極的で、この地を含んだ大陸南東の土地は手付かずのままであった』
『小さな村や町があり長閑なものである。だがそんな独立状態を続けるには厳しい点も多い』
『そこで立ち上がったのがクラウン・フェンリアランという者であった』
『彼は周囲の人々をまとめ、築いた大きな町にて農商国家の建国を宣言したのだ』
『特に特徴のない土地。だからこそ民を飢え苦しませないようにと酪農に力を入れ、火の国にある巨大火山を南から迂回する商人達への道を切り開く』
『酪農を充実させて飢える事はなく、商いの力を借りて豊かにあろうとする国、農商国家』
『加速的な成長はないものの、じっくりと地盤を固めていき、その名に恥じぬ大国へとなっていった』
『しかし元はただの町。後から城を作り、壁を作りと終わってみればなんとも不思議な出で立ちをしているのだろうか。だが、それもまた農商国家だからこそと言える』
「そんな理由だったのか……」
正門から見て壁、城下町、平原、城。と、妙な作りであるのはこれが原因か。
しかも城下町以外の方角に関しては壁まで延々と草原が続いている。もしかしたらそこに別の町や施設を作る計画もあったのやもしれない。
知りたかった情報も得て、エルナは気まぐれ程度の気持ちでペラペラとページを進めていく。
『慈しむ魔王クラウン・フェンリアランは一代で立派な国を築き上げた稀代の魔王として、多くの人々から注目を浴びる事になった。だが善き国を生み出した功績ばかりではなく、彼本人が人を惹きつける魅力を持っていたのだ』
『だがそれ故に滅ぶ事となった』
『相応の年になった彼に新たな注目が集まる。后に誰を迎えるのかについてだ』
『その話題は国内外問わず多くの者が期待し色めき立つほどで、中には水の都市や剣の国の王族の者さえ、我こそはと企んでいたぐらいである』
『だが、誰一人予想もしない結果が待っていた』
『彼が選んだ人物は南の大陸の種族。身分もないような人間の少女であった』
『その後は恐ろしいものであった。人の醜さとはここまでできるものなのか。農商国家建国以前の戦乱の世とて、国を大きくするという野望があったのだ。だがこれはただの怨恨のみだ』
『力ある者達が恨み妬み嫉妬し止まる事も知らず。遂には慈しむ魔王の后は暗殺された』
『慈しむ魔王クラウン・フェンリアランは全力でもって犯人を探すも特定は叶わず』
『あまりにも多すぎたのだ。大陸中に疑わしい者が溢れかえり、どれほど協力者がいた事か』
『怒りと憎しみ、そして己の無力さに発狂し、史上最悪の日が幕を開ける』
『三日三晩、無差別に攻撃をして回ったのだ。人をではない。国をだ。その力たるやただ一人で戦乱の世をも超えるほどのもので、世界は血と荒地で塗り替えられていった』
『やがてその暴走も止まるも己の犯した事に絶望し、彼の眷属とも言える種族と共に姿を消したのだ』
『それ以降、彼らを見た者もおらず、農商国家の魔王は慈しむ魔王の名を使う事はなく、特別な理由を除き荒ぶる魔王を名乗る事となる』
「……」
痛ましい歴史にエルナの表情が沈む。
そこから先は復興などに関する話のようであったが、それ以上は読む気がおきないのかすっと本を戻した。
少し休むか、と一息つくとその表情は怪訝そうなものに変わっている。
「妙だよな……」
改めて農商国家について記した本の棚を見つめる。
読んでいる最中は内容が内容で、気に留めていなかった事に思考を巡らし始めた。
(書いている感じからして、初代魔王の暴走が収まって以降に書き出した感じだとは思う。何時頃かは先を読まないと分からないが……。それにしたって内容が中途半端だ。これだけ大騒ぎしてどう落ち着きを取り戻したのかもない。あっさり書きすぎだ)
無論、当事者が傍で監修して書かれた本ではない。
だが少なくとも気を取り戻したのならば、誰かしらとなんらかの接触があったはず。
それについて聞きだせずに去っていったとして、その当事者が著者でなかったとして、その辺りを触れられてすらいないのは不自然である。
なにより書き方からして、エルナには伝承らしささえ感じ取れるのだ。
(もしかしてこれ、意図的にそう書いているのか?)
あるいは混乱の最中に書かれたか、全てが終わり落ち着いた数年、数十年後という未来で書いて記憶が曖昧か。仮にそうであっても、依然としておかしな点は残る。
(なにか触れちゃいけないものっぽいな)
意図的であれば隠された真実とはなにか。気にならないと言えば嘘である。
だが往々にしてそういったものを解き放って良かった試しなどそうはない。
それも遥か昔の事なのだ。今更な話であり、関係者の血筋が残っていたとしても、それこそ無関係であるのだ。
この出来事で得をした者などいないのではないか? だとしたら、より酷い痛みを隠しているのではないだろうか?
(……よくよく考えれば、魔王の后暗殺は他国の有力者達が関与していたんだろうし、彼の暴走による被害に対する国としての償いもあったのだろう。当然、詳細を残せないような内容も。そんな古傷だとしたら、暴き立てても不幸でしかないな)
そもそもエルナがこうして、そこまで感づいているのだ。仮に隠匿された過去だとしても、とっくに誰かが気づきどう取り扱うかなど答えは出されていると考えるべきだ。
いや、その答えの結果がその本の内容であるのかも知れない。はたまたとっくに真実を暴き、各々の国で飲み込んだのかも知れない。
端から下手に触れる必要などないのだ。
「そりゃそうだ……昨日今日の出来事な訳がないし、あたしだけが気づいた、なんてないだろ」
一瞬でもとんでもない発見をしたのでは、などと思い上がった己を恥ずかしく思う。
深い溜息をつくと、待ち出し自由な本を数冊見繕い、それを手に書物庫を後にする。
(それにしても、北の事はまだまだ詳しくないとは言え、平和そうに見えていたからなぁ。あいつの前の時代にしても遥か過去の事にしても……どこでもそういうのはあるもんなんだな)
『そういうの』が現在進行形の自分の故郷、もとい南の大陸。勝手に無縁だと思い込んでいた北の大陸とて、少しのズレで起こらないとは言えないのだ。
そもそも何故そのように誤解したかと言えば、大方クレイン・エンダーの所為だろう。確かに力を振るう場面を多々見てきたとは言え、一般的な戦争の要因を気にする性質ではないからだ。
そんな彼が王をしている。よほど安穏とした世界なのではないか、とさえ思っていたほど。実際のところは近代で大きな争いをもっとも行った人物である。
彼の芯となる部分に触れる出来事があれば開戦待ったなし、という事なのだろう。全体的に緩い分、そこだけは一切の妥協がない。
当時の心情はどうあれ、先代を討ったり他国を滅ぼす勢いで他の魔王を討ったりしたのは、つまりそういう事か、とエルナは納得するのだった。
一般的に見ればこの手のタイプはその事柄に関して、確実に周りが見えなくなり危なげなもの。だが相手はクレイン。心配するだけ無駄なほど力を有している存在である。
(ま、そういうところは好きだし、羨ましくもあるけどな)
一つとして貫けなかった自分が情けなくなる。
自分がクレインのようであったならば、どんな未来へと導けていたのだろうか。
そんな考えが何時までも彼女の頭にこびり付いて離れなかった。
午前の手合わせもあってか一気に疲労感が募る。
今日はもうゆっくりこれらの本でも読もうか、と部屋に向かうエルナの背中を呼び止める声が届いた。
「よかった……こちらでしたか」
息を切らして追いかけてきたカインは、エルナの前まで来ると膝に手をついて大きく肩を上下させた。
なにやら急用の様子。
自分に一体なんの用事が、などと暢気だったエルナだがふと本来の目的を思い出すと僅かにその先の言葉に期待が込み上げる。
「ようやく、魔王様の所在が分かりました……いえ、恐らくの、ですが」
「……つまり見つからなかったんですね」
「はい、ですので今は早急に用意を進めているとことです。勿論……」
「行きます」
カインの言葉に被せる様にエルナが答えた。
それに頷くカインは柔らかい笑みを浮かべてみせる。
はて? と、エルナが眉をひそめた。奇妙な違和感と言うべきか、なんとも引っかかる反応であった。
そんなエルナの表情から、自分の様子を問われたのだろうと気がついたカインの顔が今度は苦笑に変わる。だがそこにはあまり困った様子がなく、嬉しさや楽しさが混じっているようだ。
「いえ、すみません。私個人としましては嬉しく思ってしまったので」
「……はあ」
一瞬、上司であるクレインをしょっ引ける事かと思ったが、それはそれでおかしな話。結局意味が分からず要領の得ない答えに、エルナは一人首を傾げるもカイン出発の準備に取り掛かると言うが早く去っていってしまった。
残されたエルナは分からずじまいの中、一先ず抱えた本を戻しに首をひねったまま踵を返す。
先ほどまでのエルナがどんな笑顔をしていたのか。
そしてカインがどう思ったが故の反応だったか。
それにエルナが気づくのは随分と先の事になりそうだった。




