表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
74/185

六十八話 鍛錬

 農商国家魔王城。


 その作りは不思議なもので、他の国には全く見られないものである。


 城そのものは城壁に囲まれているが、兵士達に関連する施設の多くはその敷地外にあるのだ。


 兵舎や訓練場、馬場などもそこに集約されている。


 全ての国が城とセットであらゆる施設が内包されているわけではないが、完全に分離されているところはない。


 そんな城外の訓練場では今日も剣を打ち合う音が鳴り響く。


 いくつかある試合場。その中でも石造りによる三段の客席まである場所には、普段よりいっそうの人だかりができている。


 全て観客は兵士達であり、行われている手合わせの行く末を見守っていた。


「つあああ!」


 ビリビリと肌に響きそうな気合と共にエルナが剣を振り下ろす。


 それを長いブロンドの髪をなびかせる女性が、金属を激しく打ちつける音を鳴らして受け止めた。


 相手は農商国家において騎士の称号を持つアニカ・ゲフォルゲである。


 アニカはエルナの剣を弾くと切りかかるも、エルナは退いて間合いを空けた。


 仕切り直し。


 二人は数度、深く息をして呼吸を整える。


 エルナは剣と盾、アニカは双剣にて構えており、互いに隙はなくじりじりと接近していく。


 次はアニカが先に打って出る。


 二本の剣を巧みに操って切りかかる。その太刀筋は変幻自在のようで、周りで見ている兵士達でさえ読めはしない。


 だが、こと対人戦においてはこの一年ほどで恐ろしいまでに上達したエルナ。


 アニカほどの者と打ち合う経験こそなかったが、蓄積された技量でもって的確に攻撃を捌き一瞬の隙に攻めへと転じた。


 もっともそれこそアニカが潜めた罠である。


 エルナの突きをひらりとかわしたアニカが、双剣によって同時に左右の切り上げで襲い掛かった。


 即座に反応して、剣を引き戻しながら受けの構えを取るエルナ。直撃を防げたが重い一撃に大きく後ろへとバランスを崩す。


 勝負が決まる。


 兵士達が息を飲むよりも早く、エルナが地を蹴り体を後方へと投げ出した。


「なっ……」


 思いもせぬ行動にアニカが驚くも、すぐさまエルナへと剣をかかげて踏み込む。


 追い詰められる中、背中から着地していくエルナは勢いのまま後転する。


 そして起き上がりざまに飛びすさると共に、天をも裂くような勢いで剣を振り上げた。


 追撃をしようとしたアニカが迫る刃を前に地面を踏み締めて減速し、その太刀を受け止める。


 耳を塞ぎたくなるような音が響き、三本の剣は空を指した。


 一人は勢いを挫かれ体勢を崩した状態であり、一人は片膝をつくほど腰を低くした状態である。


 再度仕切り直しか。殆どの兵士達はそう考えただろう。


 アニカとて一旦離れるべきだと、前に出している足に力を込める。


 だが、エルナだけは違った。


 低い体勢から体を撃ちだすように、地を蹴り放ってアニカへと迫った。


 大きく体を捻り、肩ごと振り上げた剣先を後方に向ける。


 そしてその対極にあるものが、目を見開くアニカへと遠心力を乗せて食らいかかるのだった。



「あーー! 悔しい!」


 地面に大の字になっているアニカが恥らう様子もなく叫ぶ。


 エルナのシールドバッシュが直撃したアニカは、吹き飛ばされてこうして空を見上げているのだ。


 見事にやられたものである。


「二勝五敗ですよ……悔しいのはこっちですって」


 苦笑いをするエルナが倒れたままのアニカに手を差し出した。


 ほぼルール無用の手合わせで一勝はほぼマグレ。この二勝目にしても決め手は半ば捨て身の一撃だ。


 純粋な剣の実力で言えば一勝もしていない。


「それでも負けは負けだよ」


 エルナに引き起こされながらアニカは笑顔で大きな溜息をついた。


 無敗とまではいかずとも、今の彼女と拮抗できる人物はあまりいないのだ。


 だからこそ戦い方はどうであれ、真っ向から戦い負ける事が悔しく、また楽しくもある様子である。


「それにしても……いくら訓練用の鎧だからって、よくあそこで転がろうとしたものだね」


 終盤は驚かされ続けたアニカ。一番はそこであった。


 エルナ自身が持つ鎧に比べたらだいぶ軽い鎧。だがそこは金属でできた代物だ。


 横に転がるならまだしも、後転など下手をしたら起き上がるのに失敗するやもしれない。


 それを練習しているのならまだしも、咄嗟の判断でやったのなら随分と大胆な賭けだ。


「まあ……必要に迫られれば、みたいな感じですかね」


 そうこの一年の経験。本当の戦場で命をかけてきた戦いの連続だった。


 訓練ならばまだしも、本物の実戦であればアニカと並ぶ数であり、城の兵士など足元にも及ばないだろう。


 見栄などかなぐり捨てて、生きる為の戦闘技術はこうしてエルナの力となっているのだ。


「私も世間知らずだなぁ。まだまだ学ぶべき事は尽きないよ」


 もう一試合、といった様子でアニカは拾った剣を鞘に収めず、試合場中央へと向かうも丁度その時、城の方から鐘の音が響く。


 昼を知らせるもので、ギャラリーの兵士達は残念そうにしたり、昼食の時間に顔を綻ばせたりと三者三様の様子を見せる。


「もうこんな時間だったか……エルナ、昼は一緒にどうだろうか?」

「ご一緒させてもらいます」


 アニカのお誘いに笑顔で答えると、連れ立って訓練場を後にするのだった。



 最初こそエルナに対しては特別な料理を、と取り計らいがあったもの。


 それもエルナの要望で、今では普通に周りと同じく食堂で食事を取るようになっている。


 できるだけ生活の場をこうして合わせる事で、城の者との交流を持とうとした結果、アニカと共に過ごす事が多くなっていった。


 元々は運がよければどこかで会える、程度であったのだが今や談笑するようになり、剣の稽古をするようになり。


 気づけば、周囲の人々が二人を見る光景も日常となりつつあった。


「ここでの生活はだいぶ慣れてきたかい?」

「お陰様で寛がせて貰ってますよ。こちらとしては体が鈍って仕方がないですが」

「贅沢な悩みだなぁ。交代する?」

「いやいや、あたしには勤まりませんって」


 城内で働く女性自体は珍しくないし、女性の兵士もいないわけではない。


 だが、アニカは剣の腕も含めたその立場から、彼女達と仕事をするのは稀な事である。


 そうした経緯もあるからか、アニカはエルナを非常に気にかけており、時間を空けてはこうして一緒にいるのだ。


 もっともアニカとてそう暇ではなく、会えるにしても稽古か食事かどちらかだけが常である。


「それにしても今日は珍しいですね」

「少し時間が取れたからね。慌しく昼食を取る必要もないんだ」

「……気遣っていただきありがとうございます」

「いやいや、そうしたいだけで利己的なものだよ。私の周りは男だらけだからね、エルナがいてくれて嬉しいんだ」


 事実そのとおりでこうして時間を作ってまで会ってくれているのだ。


 その事にエルナは気づいていないわけもなく、親しい者がいない身としては日々感謝してもし足りないものである。


「あたしも嬉しいんです。姉ができたみたいで」

「そうか……時々、押し付けがましくないか、迷惑に思われていないだろうか、と不安になる時もあったが、そう思ってもらえているのなら安心だ。これからも頼って欲しい」


 アニカからしても、妹ができたような気持ちもあるのだろう。


 それが真であるのか、なんならもっと甘えてくれてもいいんだぞ、とまで言い出した。


 とは言え、流石に忙しい身のアニカにあまり世話になるのも申し訳ない。


「それでしたら大した事ではないんですが……城の書物庫みたいなところの本って借りていってしまっていいものなんですか?」

「あー……私はあまり利用しないからなぁ」


 高い給金の地位であり、物欲も少ないアニカにとって必要な物ならば大抵買ってしまうもの。


 しかもそれが本であり多少の急ぎである場合、人に頼んで書物庫から持ってきてもらうのだ。いくら必要とは言え、それを探す為の時間を作る労力を考えたら、素直に人に頼ろうと考えている。


 要するに書物庫を自分で利用するほどの暇はない、という事である。如何にエルナと過ごす時間を作るのに奔走しているかが窺えた。


「確か表紙かどこかに記しがあるものは申請が必要だったと聞いたな。あとの本は持ち出し自由だったはずだよ」

「なるほど……ちょっと調べてみます」

「なにか気になる本でもあったかい?」

「これだけ暇ですからね。なにか読んでみようかなと。あ、気になるというか……なんで農業に関係する書物があったりするんですか?」


 城の書物庫に収めるべき本だろうか。


 確かに実用書として価値もあるが、場違いもいいところだろう。しかも充実しているときたものだ。


 なんとも謎であるが、随分と明快な理由が告げられる。


「元々数冊あったが、クレイン様がかなり増やしたからなぁ」

「ああ……」


 既に中庭が畑になった経緯も聞いていた事もあり、すんなりと納得してしまった。


 かつての旅で色々と残念な片鱗を見てきていたが、本当に城内でも残念な事をしているとは。


 よくそれで魔王としてその座にいられるものだ、と呆れるの通り越して感心までしてしまう。


「さて……午後からは仕事仕事だ」

「もしなにかありましたら手伝いますので。むしろ手伝える事はありませんか?」

「じゃあ変わって」

「無理です」

「ダメかー」


 食器を返却口に返すと、アニカはカラカラと笑いながらエルナと別れた。


 一日中フリーなエルナ。このまま訓練場でまた剣を振るうのもいい。


 が、アニカとの手合わせも長くしたのだ。


 打ち合えるスペースが少ないわけではないが、随分と占領していたのを考えると、午後も利用するのは気が引ける。話も聞いた事だし大人しく書物庫を漁ろうものか。


 そこまで思考が行き着くとエルナはアニカとは逆の方向へと進みだす。


 数度通りがかりに軽く覗き見た程度の書物庫。利用方法もよく分からず、誰に聞けばいいかも曖昧で。


 だが、今日からはようやく使えそうだ。


(カインさんも忙しそうっていうか、あの人はそれこそ常時そうか)


 最初こそあれこれと頼ってはいたが、些細な事で煩わせるのもしのびない。


 なにせあの魔王から色々と苦労を押し付けられているのだ。


 そこへ自分まで寄りかかるなど、恐れ多い話である。


(急を要さないから確認してなかったていうのもあるけども……もう少し城の誰かと付き合いをもって、気軽に聞ける環境ぐらい持っておかないとか?)


 いつまで続くとも知れないこの生活だ。知り合いを作っておいて損はないだろう。しかし現状では今後もここで暮らす予定もないのに、付き合いを広げるのもどうなのだろうか。


 そのような事をあれこれと考えていると、程なくして目的地に到着する。


 大きな鉄の扉が備えられた部屋。


 一見物々しい様子だが扉は軽く簡単に開くのだ。所詮は書物庫、よほど重要なものなど収められてはいないのだから当然と言えば当然である。


 無造作に近くにあった本棚から、数冊の本を取り出した。


 農商国家にまつわる本で、過去の国や魔王について記されているものだ。


 パラパラとめくって見ると、どうやら著者はその当時の側近らしい。一冊の途中で魔王や側近が変わっても、続けて記す形式をとっているようだ。一代を一代を丁重に分けて扱うつもりがないのか、ただ単に側近によるただの記録のようなものだからかは分からない。


 カインも書いているのだろうか。いや、そんな暇はないはず。ならば口頭などで伝え、それを元に書かせているのだろうか?


 ふと湧いた好奇心から最新のものを探していく。


 一冊の終わりのタイミング次第ではあるかもしれない、と心躍らせる反面、ふとありえなるのだろうかと疑念が浮かぶ。


 実際の年齢は知らないがカインは随分と若く見える。とは言え人間ではないのだから、見た目と実年齢の相違もあるだろう。


 だがしかし、果たしてそこまで長く書けるほど、職務についているのか?


 そうして手にした本の終わりのほう見ると、魔王の名がクレイン・エンダーであり、著者はカイン・エアーヴンと記されていた。


 この本に今の時代が含まれていたか、とページ左上に書かれた著者名が変わるところまでパラパラとめくっていく。


 すぐに10ページ20ページとめくられていくも続くカインの名前。ようやく切り替わるところで内容を確認してみれば先代魔王の時代であった。


 慌ててその日付と、最後のページの日付を確認すると二十年の開きがある。


 しかもエルナ自身の事や、クレインが南に渡る内容がない。この本の最後にしても二年前ではないという事だ。


「……」


 ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込む。


 北の大陸について、そこで暮らす人々を含めて知らない事が多すぎる。


 暮らしぶり自体は自分達人間とそう変わらないのは分かっているが、生態的な部分があまりにも未知であるのだ。


 眼前の驚愕の事実にエルナは戦慄して、全身が粟立つ感覚に震え上がる。


 カインが自分よりも年上であり、四十歳ぐらいを予想してもなんらおかしくない事に。


 果たして自分はどう受け止めるべきか。飲み込むべきか。


 しばしの間、本を手にしたエルナは一人呆然と佇むのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ