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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
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六十七話 遅い朝

 日常の風景。


 朝を過ぎ、太陽はぐんぐんと天高く昇っていく。


 ある者は午前の仕事の中休みをし。


 ある者は昼まで変わらず職務に従事し。


 ある者は城外の訓練場で鍛錬に励み。


 ある者は夜勤を明けて深い眠りにつき。


 そんな農商国家城内の普段と変わらぬ日常の中。


 珍しくもそんな時間に眠りから覚める者がいた。



 爆発したような髪を揺らしてゆっくりと体を起こす。


 窓枠に切り取られた光が床に鋭く刺さる。


 柔らかい朝の日差しは随分と昔であるのを物語っていた。


 血色の良いエルナの顔にすっと青白さが帯びる。


(か、完全に寝過ごした)


 実のところ城内でするべきことがある訳ではない。


 こんな部屋に滞在するのだ。なにかしら仕事をしなくては気が落ち着かないもの。


 しかしカインにしてはみれば、大切な客人であり一国の問題では納まらない存在でもあるのだ。


 そんな相手を働かせるなど、という訳でやるべき事もなく、特別起床時間も定められていないエルナ。


 だがこれだけの待遇の中、規律のない生活までするなど堕落もいいところ。


 というか単純に自分が恥ずかしい。


 すべき事がなかろうと、規則正しく模範的な生活を送らねば、と己を戒めた昨晩。


 その結果がこれであった。


「……めちゃくちゃ快適すぎるだろ、このベッド」


 自分の人生の中でこんな寝具を使う日が来るとは。


 文字通り夢にも思ってなかった。


 しかし思いもしなかったそれは、少しでも横になるとそれはもう素晴らしい夢見心地を味わわせてくれる。


 そしてすぐ誘われるように夢の世界へと落ちていくのだ。


 深い深い心からの安眠。


 そしてそこから水面へと浮かび上がるかのような起床。


 かつてこれほど多幸感のある寝覚めがあっただろうか。


 それ故にちょっとした絶望も味わったが。


「とりあえずカインさんのところに行くか……」


 正直どうしたらいいのか分からない。


 それは行動の指針とかではなく、なにからなにまであるゆる事に対してである。


 昨晩は色々と話をするべき事もあるが疲れもあるだろう、として細かい話は翌日に回して休む事になったのだ。


 その為に城内さえろくに把握していない。


 それなりに大きな城であるが知っているのは四つの部屋のみ。


 エルナの居るこの本来魔王専用の部屋と、今はカインが使っているクレインの自室兼執務室。そして最寄のトイレと浴場。これだけである。


 今にして思えば、食事くらいここで取ればよかったとエルナは後悔する。食堂などがあるらしいが、それさえ知らないのだ。


 これからどれだけここで過ごすか分からない為、手持ちの携帯食料を先に消費しようという判断の結果である。


 スティック状の携帯食料。ナッツや干した果物類を混ぜた小麦粉などで焼いた、とても固く重たいクッキーのようなもの。


 ある時よりメインの携帯食料となったそれを、嬉々として頬張った昨晩の自分の姿を振り返る。


(……仕方のない選択だった。うん、下手に放置して食べられなくなっても勿体ないしな)


 胸中で自己擁護をしながら城内を進む。


 見慣れない姿の人物というのもあって注目されやすく、またエルナについてなんらかの通達があったのだろう。


 すれ違う度に兵士や侍女達が足を止め姿勢を正し礼をする。


 それを困惑ぎみに苦笑するエルナが軽くお辞儀で返して先を急ぐ。


(こんな待遇、魔物の王を討った直後でもなかったな)



「お早うございます」

「お、お早うございます」


 部屋に入ったエルナにカインはにこやかに挨拶をする。


 寝坊に関して特に思うところもない様子だが、エルナには逆に心苦しくもあった。


 特にカインは挨拶をしながらも仕事を進めている。


 今は大量の書類を片付けているようで、内容の確認が終わるとサインや数行の文章を記しては片方の山から片方の山へと書類を流していく。


 その動きの滑らかさ、なにかのカラクリではないかと思うほどであった。


「食事はどうされますか? こちらに運ばせましょうか?」

「あ、えっと……お願いします」


 一瞬、それは申し訳ないと思いはしたものの、ならば食堂に出向いて食べるのか? こんな時間に?


 という己の心の声が聞こえ、好意に甘える事にした。


「それにしても随分とお疲れのようでしたね。到着も予定よりもかかっていましたし、道中でトラブルでもありましたか?」

「え? 予定?」

「ええ、あの報せを受けた時に、おおよその到着日を逆算していましたので。彼……あの鳥の魔物もこちらに戻ってからは飛び立つ様子もなかったので、道も把握しているものとして考えていたのですが。しばらく天候も良かったですし、もしや海のほうは荒れていたのですか?」


 カインの言葉にエルナは目を瞬かせる。


 一体なんの話だろうか?


 そんな言葉が書いてありそうな顔に、カインは苦笑をする。


「もしや……道はご存知でなかったのですか。いえ、手紙を届けたら迎えに来て欲しい旨を口頭で伝えるだけでも、彼は理解して行動してくれるのですよ。魔王様よりお聞きになっていませんでしたか」

「あっ」


 そこまで詳しい話ではなかったが、考えてみればその程度難なくこなせるであろう事は分かっていたはずだ。


 なにせ南の大陸を旅している間、この城まで手紙を運ぶと再びクレインの元に戻って来ていたのだ。


 北の大陸に到着したエルナを探し出し、農商国家まで道案内するなど造作もない事だろう。


 つまりはあの苦労という名の迷子も、無駄に背負っただけの話である。


「……」


 そのまま崩れ落ちそうになるのをかろうじて踏ん張る。


 しかし体だけはどうにかなったものの、意識が急速に遠のいていくのは防げず。


 その表情から魂が抜けていく様子が分かるほどであった。


 事情を察し、反応に困っていたカイン。


 そこへまるでこんな事もあろうかと、と言わんばかりに助け舟がやってきた。


 扉をノックする音に二人の視線はそちらに向けられる。


「お食事のほう、お持ち致しました」


 一人の侍女が深々とお辞儀をして入ってきた。


 エルナは驚いた顔でカインと侍女を見比べる中、テキパキと隅に置かれていた机に準備されていく。


「あ、あの……こちらで食べていいんですか?」


 カインの言うこちら、というのが自分の部屋だと思っていたのだ。


 よもやこの部屋で遅い朝食を取るとは。


 エルナが、おずおずとそう質問するとカインが不思議そうな顔をする。


「はい。話の続きもありますし、エルナ様には食べながらでも聞いていただこうと思っていましたので。なにか不都合がありましたか?」

「いや、その……臭い、とか?」

「あー……魔王様からしてそうでしたので、もう慣れてしまってそういう感覚がありませんでしたね……」


 まるで自身も異常者になってしまった、と言わんばかりに落胆する様子のカイン。


 事情はどうあれ、一先ずここで食事を取る事に遠慮は必要ないらしい。


「それでは私は失礼致します」

「片付けの時にまた連絡します」


 いつの間にか準備も終わっていたようで、一礼と共に侍女が部屋を出て行った。


 気づけば食事の準備も終わっていたようだ。


 隅にあった机は部屋の中央近くまで移動させてある。カインから見て右手に、横に向けた状態で設置されていた。


 対面する配置であったらさぞ食べづらかっただろう、とエルナは侍女の気遣いに心からの感謝を送る。


 だが、机の上の料理を見たエルナは目を丸くさせた。


「うん……?」


 斜め輪切りにされた楕円形のパン。それに目玉焼きと厚切りのベーコン。トマトや葉物たっぷりのサラダにコーンスープ。


 豪華な料理を期待していなかったと言えば嘘だが、格式高くてもそれはそれで困るエルナにとっては有り難いものである。


 だが、それとは別に王城の食事として出されるものとしては、色々と驚かざるを得なかった。


「申し訳ありません。まさか魔王様が音信不通になるとは思ってもいなかったので……。恐らく、南の大陸でも一般的なメニューであるだろう、と考えて用意しました」

「い、いえいえ、十分過ぎるぐらいです。いただきます」


 そう言いスープに口をつけようとするエルナを、カインが少し不安そうに窺っている。


 エルナに対する準備、特に食事における味の問題などは全くできていなかった。


 その為に農商国家での一般的な味付けで調理されている。


 果たして口に合ってくれるだろうか、と見守れる中、思わずエルナが笑みを零した。


「どうされたのですか?」


 不満そうではない様子に一先ず安心したカインが、その思いがけない反応を訊ねる。


 笑顔を崩すことのないエルナが、カインのほうに向き直ると顔を横に振った。


「いえ、とっても美味しいです。それに……」


 異国の味であるが初めてではない味。


 慣れ親しんだ懐かしい味に、エルナは再び口をつける。


 あの旅を思い出させるそれに、笑顔が絶える事はなかった。

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