六十六話 不在
「なん……なんだそれ」
怒りを抑え込んだ声で呻くエルナ。
あれから二年。たった二年だ。
いやエルナにとってはそうでも、もしかしたらクレインにとっては魔王を辞める時期であったのかもしれない。
という擁護もできるのでは、と一瞬だけ憤る気持ちを抑えようとする。
だが困った顔で首を横に振るカインを見るにその可能性はなさそうだ。
「私も懇切丁寧に説明を頂きたい所存ですよ」
しかも突然の事だったらしい。
国のトップがだ。ありえる話だろうか。
(いや、あいつならやりかねないよな……)
自分が捕まり、オークション送りになって、クレインに落札されたのちの南の大陸旅行。
少しは日数があったとは言え、何ヶ月も王が抜ける為の準備とあらば、とてもではないが時間が足りていたとは思えない。
そもそもそんなもの、どれだけ期間があっても足りる事はないだろう。
政治の中核をカインが担っているからこそできたのだと容易に想像がつく。
それとて相当な無茶振りもいいところだが。
「突然蒸発したという事ですか?」
「一応書置きならありました。もう俺にやれる事はないから辞任する、と」
「ええぇぇ……」
思わずエルナが呻き声を上げた。
南の大陸と、人間との共存を目指しているのではなかったのか。
だが北の大陸の国々がまとまった様子もない。
だというのに既にやれる事がないとはこれ如何に。
「……南の大陸に対する考えによって派閥があるのはご存知ですよね?」
怒ればいいのか呆れればいいのか。どんな感情を露にすべきか悩むエルナに、カインが尋ねかける。
首を縦に振って答えるとカインが話を続けた。
「しばらく前に征服派の最大勢力と位置づけられる国の魔王様と……その、慰安旅行に行かれまして」
「……比喩ですか?」
「文字通りに受け取って下さい。それでしばらくしましたら、この書置きを残して城を飛び立ってしまいまして。あ、これも文字通りです」
「ふ、フリーダム過ぎる」
南の大陸じゃあるまいし、一触即発という事もないのだろう。
だが敵対する派閥にどう提案したら共に旅行をするのか。
そして城から飛び立って消息不明の国長。
不文律ならばまだしも、成文律であると言っても差し支えない常識さえ打ち抜く行動である。
これで今までよく国の体裁を保ってこれたものだ。
それもこれも間違いなくカインのお陰なのだろう。
と、改めて彼の苦労を偲ぶと同時に、その当事者の事を想うエルナ。
(あいつ、マジで長としてなにもしていないんじゃないか……?)
あの旅の中で色々と尊敬する事もあったはず。
だが、今はそれが霞がかかったように思い出せそうにない。
名誉返上、汚名挽回。なんとも酷いものだ。
ただでさえエルナの眼前に存在した汚名をも押しのけられた名誉であったのに。
「なんなんだよ……あいつは」
「ええ、ええ。私も心からそう思います。やはりもう一度、地獄を見て頂かなくては」
「……比喩ですか?」
「文字通りです」
少なくとも一度、配下の者によって地獄送りにされたらしい。しかも私刑の臭いのする言い方だ。
よくそんな調子で今までトップの座に就けていたものだと逆に感心するほどだ。
しかし改めて考えると下の者にそう処されるのはどういう事だろう。
例えば力関係とか権限とか、そもそもそれって不敬罪とかあれちょっと待って前提自体がおかしい気がする。
といったところでエルナは思考を放棄して、直面している問題に向き直った。
「えっと、そうしたら……あれ? これからどうしよう……」
「城内にエルナ様用の部屋を用意していますので、見つかるまで寛いで下さい」
「じょ、城内? あー、個室の仮眠室的な、ですね」
「え? いえいえ、そんな失礼な事は拷問を受けようともできませんよ。魔王様用の自室が空いていますので、そちらに用意させております」
自国での扱いに百を掛けても到底届かない待遇にエルナは顔を引きつらせた。
そんな恐れ多い、と言葉を口にしようとするも、言われた内容に首を傾げる。
「んんん? えっと、あいつ……ク、クレインの荷物を放り出したって意味ですか?」
「あー……おかしな話ですがここがあの方の部屋兼執務室です。なので本来の魔王である方が使用する部屋が空いているんですよ」
「こ、ここが……? あ、いや、待って下さい。そもそも私にそんな……」
「使って下さい」
はっと思い出したように断ろうとするエルナ。
だがカインが有無を言わさぬ様子で言葉を被せてきた。
明らかに立場と要求がおかしいあたり、この家臣もまた並ならぬ存在なのだろう。
そんな事を考えながら、エルナは恐る恐るといった様子で口を開く。
「なにか理由があるのでしょうか……?」
「……あの方はもうこの部屋でいい、と移動する気がありません。かといって魔王様用の部屋を転用など恐れ多くてできません。ですがエルナ様でしたらその立場上、お使い頂いても問題ないと考えました。いえ問題ありません。あるわけがない。なので使って下さいお願いします」
割と原因はクレインにあった。
やっぱりあいつ、討伐された方がいいんじゃないか?
と胸の内で思うエルナ。
きっと彼も思っている。
けれどそれを口にしたらきっと大きな後押しとなり、取り返しのつかない事になる予感がエルナにはあった。
(苦労と不満、抱えていそうだもんなぁ)
自分より幼く見えるが側近という立場に就くカインを見て、口にしかけた言葉を飲み込む。
なんにせよずっと空き室となっている部屋が不憫である。あるいはこれまで国を率いた歴代の魔王達に合わせる顔がない。といったところか。
そして現れたエルナ。ようやっと使用しても問題がない、と暴論にしか聞こえないゴリ押しができる人物だ。
(いやーどうなんだ?)
あまりにも謎な理論に再び首を捻る。
だがここまで言われるのであれば、むしろ断るほうが拗れるのではないだろうか。
しばし悩みはしたものの、エルナはこの申し出を受け入れると、カインがほっとした顔で喜んだ。
「ところで発見できそうなものなのですか?」
「……正直なところ、無理だろうと考えています」
捜索について問われたカインは苦い顔をして現状の説明をし始める。
各国の主要なところ。
特にこれまでにクレインが訪れた、及びその可能性が高い場所を捜査している。
が、未だに手がかり一つ見つからず。
性格上、変装などをしてまで逃亡しているとは考えにくく、足取りすら不明なままだというのだ。
「これ絶対に見つからないんじゃ」
「ええ。ですので居場所が分かるとは思います」
「……うん?」
カインの返答に再びエルナが首を傾げる。
なにか真逆の事を言われた気がするが、聞き間違いではなさそうだ。
「一箇所だけ心当たりがあります。手がかりが一切得られないようでしたら、恐らくそこにいるのでしょう」
「そこには人を送らないのですか?」
「送れない事情がありまして。ですので、進展もなくこちらの調整がつきましたら、私のほうから捕縛に向かうつもりでした」
「捕縛……」
仮にも王。仮にも主君。
恐らく王と側近でこのような関係性が築けている者は過去にいないだろう。
当然ながらエルナにとっても初めての光景である。
が、既にその対応にだいぶ慣れてきて、まあそうだよな、と心の中でスルーした。
「それ、同行してもいいでしょうか?」
「勿論です。きっと魔王様も喜ぶ事でしょう。私も嬉しい限りです。捕縛する隙が生じるでしょうから」
あ、嬉しいポイントそこなんだ。
一瞬、なんだかんだで忠臣だ、と思いかけたエルナへの奇襲に、胸中でツッコミをいれずにはいられなかった。
「こちらエルナ様のお部屋となっています」
「ぅぇ……」
通された部屋に入ったエルナが、本日何度目かも分からない呻き声を上げる。
それもそのはずだ。
豪華絢爛とは正にこの事。と言わんばかりの部屋だ。
立場柄、魔王討伐の旅の時からお偉いさんや貴族と会う事は少なくなかった。
それも城であったり屋敷であったり、相応の装飾が施された場所である。
だが彼ら個人の、その趣味全開となる部屋まで通される事はない。もっとも呼ばれたところでそんな場所に赴く気もないが。
それ故に外向きの豪華さなら見慣れたエルナも、驚かざるを得ない光景であった。
(家具一つで自分の部屋の家具が全部揃えられるんじゃないか? もう何年もまともに過ごしていないけど)
長年過ごした自室を思い出す。
国の軍からも厚い信頼のあった祖父に父。
上流階級ではないまでも、不自由のない生活をしていたもので、一通りの家具は揃っていた。
実用性を重んじるエルナは凝った物こそないものの、家具の大きさなどから少しばかし高い家具が中心となっている。
が、それよりも遥かに高価な物が揃えられている空間で、これからしばらくお世話になるのだというのだ。
用意させた、とは清掃などの最終チェックを行ったといったところか。
『一般人』向けに一切の手が加わっていない様子に思える。
「お、落ち着かなさそう。それにしても先代魔王は随分と……」
「いえ、使われていたのは先先代です。それでも王として威厳の為にも、と無理やり相応の品々を揃えさせたという話ですけどね」
少なくとも三代に渡って高級志向がないという事か。
随分と倹約家が揃ったものである。
一名は間違いなくただの無頓着だが。
「……あの、部屋についてはありがとうございます。ですがその、せめて装飾の為だけの物は避難させて頂けると助かるのですが」
特に高級そうな壺とか。
エルナにとっておよそ縁がなく、あっても困るし取り扱いも困る代物。
絶対に割りそうだ。
むしろ割る。
その確信がエルナにはあった。
「おや、そうでしたか? 魔王様より英雄として扱われる人物であるとお聞きしていたので、こうした物にも慣れていらっしゃるかと思ったのですが」
「……いえ、名ばかりなものですよ」
魔王を討った英雄として称えられた。
ただのクレインの隠れ蓑に過ぎないが。
戦場で多くの仲間を救ってきた。
その分、多くの命を奪い、そしてただの駒としても扱われた。
結局、何者にもなれずなにもできなかった。
世界を変えるなど夢のまた夢であった。
そうして逃げて、ここまで来てしまった。
「……」
沈んだ表情で押し黙ってしまったエルナにカインがそっと近づく。
その手を優しく取り励ましの言葉を送った。
「私にはエルナ様がなにを思っていらっしゃるのかは分かりません。南の大陸の事情にしてもです。ですがどうか顔を上げて下さい。あの人が堂々としているのを思えば、殆どの人はその人生を恥じる必要などないのです」
「……」
果たしてエルナの胸に届いたのか。
少しばかし嫌な思い出が蘇ったのか、苦悶の表情を作ったエルナは溜息を一つ吐いて笑顔を見せ、
「そうですね。とりあえずはうじうじ考えない事にして……」
「再会の挨拶は拳でいこうと思います」
「是非にお願いします」




