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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
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六十五話 再訪

 ゴトゴトとあいも変わらず荷馬車に揺られるエルナ。


 周囲は積まれた木箱がそびえ、とても居心地のよさそうなものには見えない。


 数日が経っただろうか。


 流石に徒歩とは比べるまでもなく、早いペースで進む一行は商人の目的地に到着するのだった。


 見覚えのある高い城壁に囲まれた国。


 農商国家と呼ばれる大国の一つ。


 計らずともエルナにとっての目的地である国であった。


「……」

「どうかされました? ああ、あの壁が凄い、とかですか? 他の国にはあまりないですからね」

「え、ええ……少し圧倒されてしまいました」

「そこまでですか? まあ感じ方は人それぞれなんでしょうね」


 エルナが見とれている間に、城壁はどんどんと近づいてゆき遂には門番達の前まで差し掛かるのだった。


 大きな門は開け放たれており、活気のある町並みが姿を覗かせる。


 そしてその両脇に一名ずつ番を勤める兵士がいた。


 エルナの心臓が高鳴る。


 それもそのはず見覚えのある顔なのだ。あの日あの時、己をいとも容易く下した門番。


 なんとも嫌で思いがけない再会である。


「こちら証明書です」


 そんな複雑な気持ちなど露知らず、商人は手に収まるぐらいの四角い紙を門番に見せつけた。


 恐らく身分証の様なものなのだろう。


 ほんの数秒ほど確認した門番はそれを返すとお疲れ様です、の一言と共に身を引いた。


(大丈夫、落ち着け。既に連絡はしてあるんだ)


 高鳴る鼓動を抑え、何事もなさそうに取り繕う。


 この国の話として、であれば自分は前科者に変わりはないのだ。


 どうしたってこの一瞬は緊張してしまう。


 馬車が動き出し、門番の姿が徐々に後方へと流れていく。


 あと少しで荷馬車に張られた幌でその姿が隠れるといった瞬間だった。


 思わずチラリと見たエルナと門番の視線が合い、


「っ!?」


 門番が目を見開かせて、声にならない驚愕の叫びを上げるのだった。


 すぐさま顔を伏せるエルナだが、当然今更な話である。


 馬車を止められてしまうのだろうか? やはりまずかっただろうか?


 バグンバグンと鳴る心音を聞きながら、そんな事ばかりが頭の中をぐるぐると渦巻く。


 だが、エルナの心配も杞憂か呼び止められる事もなかった。


 そっと後方を確認すると、目があった門番がもう一人の門番になにか興奮気味に語る姿だけである。


 それも剣呑な様子もなく、こちらを追いかけて来る事もない。


(し、心臓に悪すぎる……)


 本来ならばこんな事をするべきではない、というのは分かっていた。だが、体に力が入らないエルナは商品の入った木箱に体を預けきる。


(とりあえず……なんとかなったな)


 なんだかんだで一番の懸念はここだったのだ。


 もしちゃんと伝達されておらず、自分が犯罪者だと言う認識がもたれていたら、最悪この場で剣を交える事になっていただろう。


 特にあのいい加減な男の事だ。十分にありえる。


「さて、私はこのまま商売に向かいますがどうしますか?」

「そうしましたら私はこれで。ここまで本当にありがとうございました」

「いえいえこちらこそ楽しい旅が送れましたよ。貴女の旅の無事を祈ってます」

「ええ、私も商売の成功を祈ってます」

「はは、女神に祝福されたのであれば大成功間違いなしでしょうな」



 カラカラと笑う商人と別れ、一人大きな城に向かうエルナ。


 壁の内側は城下町が広がっており、中心地やや奥の方に大きな城が構えている。


 そして城と城下町の間には草原が広がっているという、なんとも不思議な造りをしているのだった。


 思えばこの草原の道を歩くのは初めての事だ。


 『行き』は奴隷として馬車に乗せられ、『帰り』は捕虜兼南の大陸の案内人として場所に乗り。


 こうして歩きゆっくりと辺りを見る事ができると、この国の穏やかさを一層実感すると共に、良さも分かると言うものだった。


「悔しいが普通にいい国だよなぁ」


 あの当時は認めたくなくて、どうしても疑問視して素直に受け止められなかったのを思い出す。


 懐かしく苦々しく、今を築く大切な記憶と過去である。


 それと同時にふとある事を思い出してしまった。


「……あの門、開けっ放しだったぞ」


 ここまで来たら見る事などできないと分かっていても、振り返って入ってきたであろう城壁の方を向く。


 あの夜は閉まっていたはずだが、今日は通過後閉める素振りもなかった。


 流石に夜は閉門しているという事か。


 そういえばあの時に門番がいたのは随分と小さい門の前だった。


 夜間時に馬車などを通す為、最低限の大きさで作られていたと考えられる。


 ならば。


「……昼間に来ていれば普通に入れたんじゃ?」


 チェックはされるとは言え日中は開門したまま。


 旅人を装えばなにかしらの手続きは必要としても、捕まったり追い返されたりはするまい。


 そもそも町中を一人で歩いている間、疑いの眼差しを向けられる事はなかったのだ。


 エルナ自身、特徴的な外見を持たない限り魔族と人間の見分けがつかないように、魔族である彼らも同様なのだろう。


 つまりはあの時のエルナの判断は全てが全て悪手であったわけだ。


 二年越しに自分のうかつさを知り、思わず頭を抱えてうずくまる。


「馬鹿だ……本物の馬鹿がここにいる……」


 なんとも呆れた話である。


 だが果たしてそちらの選択は正しかっただろうか。


 もしかしたら肉薄する事に成功したかもしれないが、それならそれでクレインからの反撃で命を落としていたかもしれない。


 それを思えば失敗ではあったが間違いなく成功であったと言える。


 自分の思慮の浅さで助かった。なんの慰めにもならない事実であるが。


「……あいつなら終わりよければ全てよしとか言うんだろうな」


 なにも間違っていないし、結果だけを見れば本当に良好である。


 だが思い返す度に頭を抱えるほどの羞恥に身を悶え、自棄を起こしたくなるほどの愚かしさに絶望を味わうのだ。


 とてもじゃないがよし、などと思えない。


「あれぐらい能天気なら……いやだからといってああはなりたくないよな」


 ある意味マイペースで常に我が道を行くクレイン。


 ある種の尊敬はしても憧れはしない。


「とりあえず今は忘れよう……これはこれでエンドレスでネガティブに嵌りそうだし」


 沈みかけた気持ちを奮い立たせると、改めて正面を見据えて先を急ぐ。


 どうであれようやく一先ずの目的が達成されようとしているのだ。


 優先させるべきはこちらである。


 なにより早く休みたい。


 草原での雑魚寝に窮屈な馬車で揺られた数日。どれほど長旅を経験しようと、慣れこそすれど疲れない、なんて夢のまた夢。


 城に行ったところで迎賓されるような立場ではないのだ。特別な待遇など端から期待などしていない。


 軽く挨拶だけでも済ませれば今日のところは宿をとって休もう。今は安宿のベッドすらも恋しく思う。


 積もる話など明日からでも十分だ。なんなら城に行くのすら明日でもいいぐらい。


 実際にどうするか、と考えると、仮にも相手はこの国の王だ。流石にそれはどうなんだ、と自重して、到着そうそう顔を出すわけであるが。


 ようやく城の前までやってくると、ここでも立派な城壁を見上げる事となる。


 流石にこれは壁が多すぎでは? 無駄遣いではないだろうか? とエルナは思わずにいられない。


 そして門の前には同じく門番が二名、その職務にあたっていた。


 エルナのような来客は珍しいのか、不思議そうにこちらを窺っている。


「私はエルナ・フェッセルという者ですが……」


 そこで言葉が途切れる。


 それもそのはず。


(ですが……なんなんだ?)


 上手い言い回しが思いつかない。


 魔王に会わせて欲しい? 普通に考えたらなんだこいつは、と一蹴される発言だろう。


 ならばその人物との関係を説いた上ならどうだろうか?


 友人、とは違う。知人は当て嵌まる。が、そもそもにして、全く周知されていない人物がやってきてそう言ったところで、はいそうですか、と通されるものか?


 嫌な汗がエルナをじっとりと濡らしていく中、門番達は少しの驚きを見せると、困惑気味に微笑んで道を開けた。


「話はカイン様よりお聞きしております。案内の者を呼びますので今しばらくお待ち下さい」


 思いがけない言葉にエルナは目を瞬かせた。


 それなりの計らいをされているのだろうか。有り難いがそれはそれで気が引ける。


(カイン……確か側近だったっけ)


 クレインの言葉を思い出す。


 なにやら小言が五月蝿くて敵わなさそうな口ぶりだった記憶がある。


 推察するまでもなく常識人なのだろう。


 魔王クレイン・エンダーの直属の部下である側近。


 相当な苦労をしていそうだ。いや、しているはずだ。出会う前からその苦労を偲んでもいいぐらい断定できる。


(まあアレコレ指示だすタイプには見えないし、政としてのトップはその人なんだろうな)


 そもそも南の大陸への長期滞在を果たしたのだ。本当の意味で指揮を執る人物ならまずありえない。


 だとしたらあの男は普段、城でなにをしているんだろうか?


 王というには似合わなさ過ぎるクレインの姿が、この城内ではあまりにもイメージし辛い。


「エルナ様、案内の者が着きました」

「あ、はい」


 急な呼びかけに思考が一気に現実へと引き戻される。


 思わず返事をしたが、直後に丸く見開いた目を再び瞬かせた。


(……様?)



「あの……つかぬ事を伺いますが、ここでは私の事はどのように伝わっているのでしょうか?」


 一人の兵士の後をエルナは恐る恐るといった様子でついていく。


 城内を歩くと見回りや仕事で動き回る兵士や侍女などが、足を止めてまでエルナに注目するのだ。


 不審に思われるのも困るが、これはこれで居心地が悪い。


「クレイン様のご親友とお聞きしています。故あって賓客としてもてなす事ができないので、せめて丁重にお迎えするように、と伝達されています」

「親友、ね……」


 王という立場の者であるのだ。接し方を考えれば、その辺りがもっとも変に拗れない表現という事か。


 賓客、というのもあまりエルナを目立たせない為に、といったところだと考えられる。


 流石に北の大陸において、どこの国にも属していない小娘にそんな対応をしたら、他国とて関心を集める事になるのは想像するまでもない。


 優遇、と呼ぶほどではないが、この辺りが対応としては限界なのだろう。


 エルナにとってはそれだけでも十分過ぎるが。


「ところで魔……ク、クレインはここではどうしているのでしょうか」


 さっきから気になるもう一点。普段のクレインの様子であった。


 とても想像できないが果たしてどうなのか。


 だが、その問いに対して兵士は


「……」


 困惑した顔をするだけでなにかを語る事もない。


 あまり王らしい姿がないが故の反応だろうか?


 と思いかけたが、エルナの背筋がすっと寒くなる感覚に襲われる。


 こちらを振り向いている兵士の顔は変わらず困惑した表情をしているのだ。

 苦笑の欠片もない。


「なにか、あったのですか?」

「……側近であるカイン様よりご説明致しますので、詳しくはそちらでお聞きして下さい」


 自分の口からは語れない。


 部外者であってもただ事ではないのを察するには十分過ぎる。


 そういう意思を示されたエルナは、その視界が急速に色褪せるような錯覚に囚われるのだった。



 南の大陸にいた頃どうだっただろうか。


 いつも振り回されてばかりいた気がする。


 変に深読みしては、小川のように浅かったり。


 何気ない言葉、演じるが為の言葉に傷つけられ。


 控え目に言っても憤慨して殴りかかっても文句は言われない。


 それでもそれらを飲み込んだ。


 別れの時には心から笑顔で見送れた。


 エルナが大人の振る舞いをしたから。というわけだけではない。


 彼自身の心を少しずつ理解し、そしてそれが間違っていないと知ったから。


 心を許してもいいと思える相手だから、その結末を迎えられたのだ。


 そんな存在であり、こうして会いに来た。


 理由は色々とあるがここまでやって来た。


 それがどうだろうか。


 通された先に彼はいないのだ。



 それほど大きくない部屋。


 本棚が並び仕事で使うような机やイス、様々な調度品が揃えられている。


 部屋の脇には大きめのベッドがあった。何故なのかはよく分からないが確かにあるのだ。


 そして中にいるのはただ一人。


 エルナよりも背が小さく小柄で金髪の男。いや見た目からすれば少年と言っても差し支えない。


 パリッとした服を着て、背筋が伸びた気品のある佇まい。


 端整な顔立ちをしていて控え目に言っても美少年と言える。


 やんごとなき国の王子だと言われたら、信じてしまいそうな人物だった。


「エルナ・フェッセル様ですね。私はカイン・エアーヴンと申します。魔王クレイン・エンダーの側近を務めている者です」

「初めまして、ではないですよね?」

「はい。自己紹介はしていませんでしたが、あの時あの方の後ろに控えていた者です」


 奴隷としてこの城に連れられて、クレインと顔を合わせた時。


 なんとも妙なファーストコンタクトであるが確かに初見ではない。


「あいつは……魔王はまさか、不幸があったのか?」

「いいえ」


 首を横に振られた事で、胸を撫で下ろそうとするエルナ。


 だが、カインの悲しげな言葉に、吐き出しかけた安堵の息を飲み込んだ。


「魔王様は……辞任なさいました」



 いつも振り回されていた。


 エルナの気持ちや考えなどお構いなしに、色んな事を自分のペースで進むが故に。


 変に深読みしたり信用したりしては、逆の言動を取られて傷つけられた。


 それでも最後には飲み込んだ。


 だからいいだろう。


 もういい加減、全てを吐き出し本気で怒りに身を任せても。



 確かにただ事ではない話に、エルナの瞳が冷気を放つほどに冷めていく。


 カインもその様子に、氷を思わせるような微笑を作り小さく頷く。


 言葉の要らない協定が今、結ばれたのだった。

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