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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
一章 出会う者
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六話 上陸

 大海原に潜む怪物との遭遇から二日。その一件を除けば順調に進み、四日目の昼にして南の大陸の姿が見えてきた。東のほうから丘、平原と広がっており、人の営みの痕跡が見当たらない静かな土地である。


「これが南の大陸か……」


 海上から見る景色を熟知している訳ではない兵士達は、北の大陸に戻ってきただけなのでは、と半信半疑な様子でその光景を眺めている。彼らにとっても、別の大陸に渡るというのは、永い時間なされる事のなかった出来事であるのだ。


「船を留めるとしたらどの辺りがいいだろうか?」

「もっと東かな。入り組んだところがあって、丘も多くそうは人も来ない。まあ、魔物が出る前はちょっとした観光スポットだったけども」


 そんな中、船を停泊する場所についてクレインはエルナに相談しているのだが、快く答えるもエルナの視線には随分と非難の色が含まれていた。


「なるほど、了解した」


 だが、クレインはと言えば特に気にする様子もなく、停泊に向けてテキパキと指示を出したり、準備を始めるばかり。立場を考えず、よく働く姿勢には心を打たれるものがあるものの、エルナにとってはあまり面白い事ではなかった。


(理由はどうあれ、多少の認識の違いがあっても魔王である以上、元凶である事には変わらない。なのに、その事への自覚がないのか?)


 暫定ではあるものの、エルナは『魔王代理を派遣』という考えを主軸にしている。であるならば、魔王代理が行った事であって、クレインには罪の意識がないというのだろうか。あるいはこの程度で罪の意識などを感じないからこそ魔王なのか。


 しかし、魔王城の町並、そしてそこで生きる者達の様子を見ると、受け入れがたい事ではあるが良心の存在を感じられて後者は考えにくい。それとも侵略行為であると明確に理解しているだけなのか。


 エルナは出会ってからこのクレイン・エンダーという男と、大半の時間を行動を共にしているのだが、その言動は一筋でない部分が多く、どうにもその考えや本質について判断しかねているのだ。


「あ、それは我々で行いますので、どうか休んでいて下さい」


 頭を悩ませながらも、いそいそと手伝おうとするエルナを兵士達が止める。彼女にとってはこれも分からない事で、兵士達の対応がどうにも客扱いなのだ。確かに魔王の奴隷という立場であるが、それでこの扱いというのも違和感を感じているのだ。


「とは言っても、それだと本当にやる事がないのだけど」

「いえ、ですので休んで頂ければと……」


 まだ何かをしていたほうが気が楽なエルナに、兵士達は少し困った表情をしてみせる。準備してあった薬が効いてきたのか、前日には既に船酔いで苦しんでいた者達も介抱を必要としないところまで回復しており、僅かばかりではあるが働き始めている。


 船の仕事もなし、介抱の役目もなしでいよいよ暇になり、甲板から大きな決意と覚悟をもって出てきた大陸を眺める。帰ってきた、といえば聞こえはいいが、目的が達成できないどころか、とんでもない土産を持ってきてしまったのだ。今まではどこか実感がなかったが、こうして大陸が近づくにつれ、頭が重たくなる気分だった。


(誰とも会いたくないなぁ……)


 戻ってきたらいの一番に、共に旅した二人に会おう。などと考えていたのが懐かしい。今では久しく会っていない家族の顔も、この体たらくで思い出していいのだろうかと躊躇う始末。大陸を出る時はそれなりの自信と、勇者としての名前だけなら多少なりとも知名度があったものの、随分と凋落したものだ。


(憂鬱だなぁ……)


 手すりの上で組んだ腕に、顔を乗せて大きな溜息を吐き出した。沈むばかりの気持ちも何処吹く風と、船は着々と陸に近づいていく。



 船に備え付けられたボートは一隻だけでそれも小型。乗組員を下ろすだけでも往復する必要があり、先に下りてしまったエルナは全てが片付くまでの間、また暇を持て余す事となり、再び悶々と苦悩する羽目となった。


 一方でクレインは最後まで船に残り、兵士と共に最後の物資をボートに積み込んでいるところである。


「聞いているとは思うが、そちらは手筈どおり上手くやってくれ」

「護衛の方はどうしますか?」

「……いるように思うのか?」

「はは、ですよね」


 ふざけているな、と言わんばかりの視線の前でも、兵士は朗らかな様子を見せている。もしもこの場をエルナが目撃していようものなら、またしても意味が分からない、とばかりに悩んでいた事だろう。


「船もお前達もタダではない。少しでも不都合があればすぐさま撤退しろ」

「よろしいのですか?」

「お前達は飽くまでも保険だ。無理をさせるつもりはない」


 最後の物資も陸へと上げると兵士達一同はやれやれと言わんばかりに一息つく。それを眺めていたクレインは、頃合を見計らって兵士達を集めた。


「これより別行動を開始する。事前に伝えていたとおり自由に行動して構わん。だがまあ、くれぐれも羽目を外し過ぎず、適度に自重するように」


 口角を歪めた笑みで語るクレインと、それに呼応するように兵士達もまた下卑た笑みを浮かべる。その様子に、エルナは僅かにも失望を感じずにはいられなかった。


(ここまで来て……なんて馬鹿な事を考えて……)


 認めたくはないものの、彼女の心のどこかでクレインという男そのものは、そう悪い存在ではないのではないか、と思ってしまっていたのだ。もしかしたら、和解する術さえもあるのかもしれない。そんな期待が一切なかったと言えなかった。だが、それも今や見事に砕け散り、欠片一つと残っていない。


(それに止める事もできず)


 俯きがちに目を伏せて歯を食いしばる。己の愚かさと無力さに心を掻き乱されている中、そろそろとクレインが近づいてくる。


「ところで、エルナよ。ある程度の路銀は持っているのだろうか?」


 良くも悪くも目が覚める。今ここで出てくるのはそんな言葉なのか? 一瞬、頭の中が煮え立ち、剣に手をかけかけたエルナだが、お陰で気持ちの切り替えが行われた。


 滅ぼすべき敵として再認識し、全てはその為だけにこの殺意を覆い隠して行動をしよう。ならばこそ、クレインからの信頼すらも勝ち取るべく、良好な関係をも築いてやろう。新たな覚悟と決意が彼女の中に満ちていく。


「お前は持っていないのかよ」

「こちらの貨幣を持っているわけがないだろう。馬鹿なのか?」


 気持ち新たに、平静を装っての第一歩となる発言は、至極最もな言葉で切り返される。クレインの指摘で如何に頓珍漢な発言だったかを気づかされ、エルナは顔を真っ赤に染め上げた。だがここで挫けるわけには、と話をずらして抗議の声を上げる。


「大体、ちゃんと金を払うつもりなのかお前」

「何を当たり前な事を……町を巡ると言ったであろう。潰して回ると誰かから聞いたのか?」


 更に墓穴。早くも挫けそうなエルナ。


 魔王という存在が敵地でまともに金銭のやり取りを行うのか、と疑うのも当然ではあるし、直前にはさも略奪を行うような様子を見せたのだ。だが、相手は魔王ではあるがクレインという男であり、今までを振り返ってどんな者かを考えると、先の件があるとはいえ少々迂闊な発言だったと言わざるを得ない。


 手で顔を覆い、しゃがみ込みたい気分のエルナは正直に懐事情を語りだす。


「……一応、二人で贅沢をしなければ一ヶ月もつかもたないか」

「そうか。まあ何とでもなるだろう」

(なるんだ)


 クレインの言葉を信じるならば、この旅に関しては略奪などは行わないのだろう。であれば、どのように路銀を稼ぐつもりなのだろうか。まさか大道芸でもする訳じゃあるまい。エルナのいぶかしむ視線に、クレインは何やら物を取り出して見せてきた。


「大層な物ではないにしろ、多少は薬草を調合する知識があるし、最悪は我々の硬貨を潰して金属として売ってしまう手もある。そのような顔をしなくとも、その気になれば路銀程度困りはせんよ」


 その手には袋と硬貨が乗せられていた。特に袋にいたっては船の中で薬が入っていたのを見ている。どうやら北の大陸では、少量の薬の持ち運びをするのにはこの袋を使うものなのだろう。


「やっぱり見た事もない硬貨なんだな。価値とかどうなっているんだ?」

「硬貨は三種類、銅と銀と金。1カッパー、1シルバー、1ゴールドと呼んでいる。500カッパーで1シルバー。10シルバーで1ゴールドだ」

「え、何それ……使い辛くないのか? 馬鹿なのか?」


 随分とカッパー硬貨で嵩張りそうな話である。エルナの歯に衣着せぬ率直な物の言いに、耳が痛いと言わんばかりにクレインは顔を逸らした。


「ああ、とても不便に思っている。カッパー硬貨はこの通り中心に穴が開いていて、紐を通す事で何とか利便性を保とうとしているが、正直言ってカッパーとシルバーの間の硬貨が欲しい……」


 しかし上手く調整が効かんのだ、と苦悩の声を漏らす。彼女にとってはあまり見る事のできない為政者の苦労を垣間見る。


「そちらはどうなのだ?」

「こっちは銅、青銅、銀、金。銅貨50枚で青銅貨1枚。青銅貨100枚で白銀貨1枚、白銀貨100枚で金貨1枚だな」


 エルナも何枚か硬貨を出して、クレインの前に差し出す。クレインは白銀貨と金貨を手にしながら、不思議そうに眺めだす。


「随分と銀と金の差があるのだな」

「こっちからしてれみば、そっちの価値の近さのが不思議なんだけど。こっちは金って言ったら、貴族とかが多く使ってるからなぁ。だから価値が高いのか、それとも単に量が少ないのか、て事なのかなぁ」


 ようやく普段の調子を取り戻せた、とエルナは深く息を吐いた。ショックであったのは間違いないが、一度捕らえられて尚、こうしていられるのだ。それを考えたらよほど絶望する事などない。エルナはゆっくりと刻みつけるように胸中でそう呟く。


「で、進路はどうするつもりなんだ?」

「そもそも地理が分からないからな。ここから各地を回るルートはあるのだろうか?」

「東から順に、銅の国、風の国、盾の国、石の国、泉の国、塀の国」


 エルナが指を折りながら国の名前を挙げていき、クレインは無言で相槌を打ちながら聞いている。人間の少女と魔王という事を考えれば、何とも妙な光景だろうか。


「ここは盾の国で、一旦東へ銅、風と回ったら石、泉、塀って進むのが一番かなぁ」

「ではそれで」

「丸投げかよ……」

「こちらは疎いのだから仕方がなかろう」


 胸を張るクレインにエルナは複雑な気持ちになる。これが兵士達の前で語った者と同じだと言うのだから困惑もする。だが、もう彼女は悩みはしなかった。例えどんな姿を見せられようと、再度打ち立てた決意には何も響かなかった。


(仮に今まで倒してきたのが魔王代理だったとしても、目の前にいる魔王を倒しても、根本の解決にはならなかったとしても……過去最大の痛みを与える事ができる)


 エルナは拳を強く握り締め、横目にその存在を見据える。幾度となく決意と覚悟を抱いてきたが、今までとは異なりそこに昂ぶりはなく、ただ静かな胸の鼓動と呼吸が続いている。それはきっと、決して揺るがない意志なのだろう。


 こうして、魔王と勇者の町巡りの旅が始まるのだった。

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