六十三話 もう一度
「もしもまた、海を渡りこちらに来る必要があった時の為にこれを渡しておく」
「……ペンダント、か? 随分と洒落た贈り物だな」
北の大陸において一国の長である魔王という存在。
そのうちの一人、クレイン・エンダーは南の大陸の去り際に、プレゼントをエルナに手渡した。
ささやかながら、と言いたいところだがその品物を見ればどうだ。
美しい細工が施された台座に、光を受けて輝く赤い宝石からなるそれを安物など言えようか。少なくともこうして簡単にポンと手渡すようなものではない。
それこそ愛を囁き、もったいぶって渡しても尚余るほどの代物に思える。
人によっては恋慕の想いを告げられているのでは、と勘ぐっても不思議でない贈り物。
だがエルナは冷静だった。
分かっているのだ。この男がそんな常識の枠など畳んで焚き木としてくべてしまっている事を。
この行為は実用性のみで成立しているのだと。
「海で見た連中……ああいうのは触れてはいけない相手を覚えるものだ。今回のケースで言えば、俺の魔力を感じたら海深く潜り決して近寄ろうとはしないだろう」
「……もうどうしてそういう事に覚えがあるのかは気にしないでおくよ。うん? 待て、じゃあこれは宝石ではなく魔石であり、お前の魔力が混ざっているのか? そんな事ができるのか?!」
魔石という物には種類がある。
一つは正に魔力の結晶体であるもの。基本的に天然の産物である。
もう一つは魔法を封じ込めた魔道具であるもの。これは製造品である。
後者であれば封じられた魔法を使えば、一度きりで消滅してしまう。
だが、今回の使用状況を考えれば、魔力を放出するもの。それも一度きりではないと考えられる。
ならば前者だがクレインの魔力を帯びているのだとしたら、それを人為的に作り出したという事だ。
「というよりも……いや、その通りだ」
「訂正前の内容がめちゃくちゃ気になるんだが……とりあえず、所持していて害はないんだな?」
「それは実験済みだ」
「……そうか」
エルナが大きな息を吐きながら胸を撫で下ろす。
聞く限りエルナの常識を超えている魔石つきのペンダント。手元にあるだけで悪影響があるのでは、と心配するのも仕方がない話だ。
しかしその安全面に関してはクレインが胸を張って答えるのだから、基本的には問題がないのだろう。
毒キノコの件があるから全幅の信頼、とまでは言えないが。
と、そこまで思考したエルナが眉をひそめる。
実験済み?
「おい、実験ってなんだ」
「い、いや、人間の体にはどうか分からなかったからこの旅の途中試していた、というか」
「はあああ!? どうやってだ?! まさか寝ている間になにかしたのか!!」
「待て待て待て誤解だ! 疚しい事はしていない! さっき言った話の通りだ! 時折この魔石の魔力を開放していただけで特に体調不良とかなかっただろ?!」
「……」
体調不良はなかった。
だがクレインの言動で気を揉み精神的な不調は数知れず。それがこの魔石の影響によるものでは一切ない、と如何にして言えようか。
生物において魔力は体内を巡るもの。近くで不自然な量の魔力を発し、それを浴び続けたら心身ともに不調が出ても特別不思議ではない。
が、確証もない。
「あの、エルナさん? え? 本当になにかあったのか?」
「……問題なかったとしておく。で、これは普通の魔石みたく使えばいいのか?」
「あー南の大陸の魔石がどういう風に使うかは分からないからな。これは念じる感じで使うんだが……そうそう、そんな感じ」
クレインが言い終わる前に実践したエルナだが、試運転は無事に成功した様子。
魔石の中心部には仄かな光が揺らめいていて、小さな火のようにも見えそれがまた一層に美しさを際立たせる。
「船旅中ずっとは無理だろうが、一時間ないし数時間おきにでも使っていれば問題ないだろう」
「あの二匹以外だっているだろう。そいつらは大丈夫なのか?」
「襲ってこそ来なかったが俺のデモンストレーションはそれなりに伝わっている、と思いたい」
「おい……」
「待て、その怒りは理不尽だ。単身ボロ舟で渡った奴が今更そこに文句を言うな。道具があるだけましだろ」
「ぐ、それもそうなんだよな」
あの日あの時、捨て身で命をかけて大海原へと旅立った。
思えば随分と遠くに来たものである。今や、再訪に備える話をしているのだ。
それもその相手がかつて倒すべき相手として、殺意を向けた魔王である。
こんな未来を予想した事があっただろうか。
だがエルナが見た淡い夢は、実現こそ遠くにあるものの色濃く決して絵空事ではなくなったのだ。
「それとこいつを」
道具の方はそれで終わりとばかりに、クレインは次の話に移ると腕を突き出す。
エルナがその様子を不思議そうに眺める事、10秒ほどが過ぎた頃だろうか。
一体なんなのか、と訊ねようと口を開きかけた瞬間、その腕に全身黒い羽で覆われた鳥が華麗に止まるのだった。
「あれ……そいつってもしかして」
「ああ、あの時の魔物だ。そういえば明るいところで見せた事はなかったな」
エルナに向けて腕を突き出すも、そこに乗る鳥は動じる様子はない。
むしろ言葉を理解しているかのようで、その顔をエルナに向けてじっとしている。
「近くで見る分には三つ目なのが分かるが、少しでも離れたら本当にカラスだな。それにしても随分と大人しいんだな」
「非常に賢い奴でこっちの言葉が分かる……というより覚えるからな。まあ、こいつらの声帯では言葉を返すのは無理だという事らしいが」
続くクレインの説明を他所に、エルナは恐る恐る手を伸ばすもやはり動かないカラスのような魔物。
遂にはその頭部に手が届き、ゆっくり撫ぜるとエルナは恍惚の表情をする。
「はあああ……ほんっと大人しいし可愛いなぁ」
「話聞いてるか?」
「聞いてる聞いてる」
尚も優しく撫でたり嘴をかくエルナに、クレインは咳払いを一つして続けた。
「呼べばエルナのところにも来るはずだから、足に手紙でもつけて放してくれ。迎えに行けるかは分からないが、連絡なしでは対応もできないからな」
「……。え?! あたしが飼っていいのか?!」
「基本的に近いところで勝手に生活するから、世話する必要はないな」
「む、それはそれでなんか残念だな」
だが呼べば来るのならおやつを与えたり、という事もできるのだろうか?
既にエルナの頭の中には、この魔物とのスキンシップの事で占められていた。
「とりあえずはこんなところか。こちらを頼りにするような事態にならないほうがいいのは違いないが、必要とあれば協力を惜しむつもりもない。その時は遠慮せずに頼るんだぞ」
「結果的に凄い助けられたとは言え、お前のお陰でストレスも酷かったしなぁ……。いざとなったら帳尻が合わない、と傲慢かまして寄りかかるよ。砕けた調子のお前も気持ち悪いし」
「流石にそれは傷つくな……」
「今までの印象が悪い。二重の意味で」
「く、自業自得……」
クレインが苦虫を噛み潰した顔で唸るも、それ以上の言葉はなかった。
言い返したいものの、自らが原因だけに反撃材料がないのだろう。
「ま……全てが全て悪い旅じゃなかったよ」
「……エルナ」
「一つと一羽、確かに預かるよ」
およそ初めての事だろう。
クレインに対して、クレインに向けて。
エルナは満面の笑顔で、その眼を見つめた。
「必ず行くよ。何時になるかは分からないが、返すべき礼があるのは事実だからな」
「ああ、待っているよ。何時まででも。そして如何なる時だろうと心から歓迎する」
「よし。この手紙、確かに託したぞ」
海岸には一人と一羽がいた。
エルナと件の魔物である。
あれからは時折この魔物を呼んでは猫可愛がりをしたもので、今やエルナに懐いている素振りすらも見せるようになった。
そうして二年の時を経て、ようやく本来の役割を果たす時が来たのである。
「それにしてもお前は鳴かないしほんと変わった奴だよなぁ」
手紙をくくり付け終わるとエルナがさっと右腕を突き出す。
すると即座に魔物が飛ぶと我が物顔でそこへ止まるのだった。そこが己の専用の場所であると言わんばかりである。
エルナはエルナで慣れた手つきで干し肉を差し出すと、食べる様子を嬉しそうに眺めるのであった。
この戦乱の一年、もしも憩いの時間はと聞かれたら迷う事無くこの瞬間を挙げるのだろう。
「そら、行け。あいつのところで落ち合おう」
食べ終わった魔物を促すと、エルナの腕からぱっと大海原へ向かって飛び立っていった。
聞けばあの旅の間も北の大陸にいる者とこうして連絡を取り合っていたそうな。
これだけ海の傍から行くのなら、今までもっとも短い長距離飛行となるはず。
(とは言え、ここからあの大陸まで休まず飛ぶのか……正直信じられない話だな)
もしかしたらあの魔物は途中、羽を休められる島などを知っているのかもしれない。
だが、餌の都合なりなんなり、陸地とは訳が違うのだ。凄い事には変わりはしない。
「人……ではないが他人の事を感心してばかりいられないな」
一人ぼっちとなった寂しい海岸線をゆくエルナ。
やがて小さな村が見えてくる。
漁や耕作などの自給自足で成り立たせているような辺境の村だ。商人とて物好きでなければ来る事もない場所である。
魔王こと魔物の王討伐後の目まぐるしい変化の中、エルナが人知れず船の購入とその管理を依頼したのがこの村なのだ。
これだけ田舎ならばエルナの名前は知っていても顔を知らないのも珍しくない。
後々問題となろうともすぐには見つかりはしないだろう。隠しておくにはうってつけの場所と言える。
(こんな現状など望んでもいなかったが、予想以上に効果的な布石になったな)
恐らくエルナの蒸発は国の上層の者達を揺るがす事になるだろう。
血眼になって探す事も考えられる。
何時かは足がつくにせよ、ここならば当分先というものだ。
もっともその時まで探す余力が果たしてあるのだろうか。
まずないだろう。
そもそもここは銅の国の北側。細かい管理こそ受けていないが盾の国の領土である。この情勢ではそうそう捜索の手は行き届きはしない。
伊達に勇者のグループとして魔王討伐有力候補ではないのだ。保険の掛け方も心得ているというもの。
「食料も十分に買い込んである。小さいが前回に比べればまともな船だ。天候もしばらくは安定する、らしい……」
ぶつぶつと一つ一つ確認をしていく。
前回より環境が整っているとは言え、これからしばらくは助けなど望めない旅となる。
間違いなどあってはたまらない。
「うん。問題ないはずだ」
海上から吹きつける風に髪を揺らしながらエルナは大海原を見渡した。
あの日とは異なる環境で。
あの日とは異なる思いで。
あの日とは別の枷を抱え。
今ここに立っている。
あの日と同じく、多くのものを置いて。
あの日と同じく、誰にも阻めぬ決意で。
あの日と同じく、仲間がいない単身で。
彼女は新たな旅を始めるのだった。




