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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
三章 眠る者
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六十二話 戦場

 吹き抜けていく風は強すぎず心地よいものであった。


 揺れる草原に囁く木々の葉。


 常ならばどれほど穏やかな光景だろうか。


 しかしこの時ばかりはそうでなかった。


 風に流れて漂う香りはむせ返る様な異臭であり。


 剣戟と怒号が交じり合う世界。


 寸分違わぬ等身大の戦場であった。


 草原には無数の人々が力尽きており、立ち続ける者達は休む間もなく得物を奮い続けている。


 敵も味方も入り混じり、泥沼の混戦の体となった現状。


 その一角で一際果てた者が多い箇所がある。遠くから見れば絨毯のようにも見えるほどの数。


 骸に取り囲まれる中で剣を構えた一人と片膝を突いた一人がいる。その場での戦いに決着がついた様子であった。


「……感謝は、している。結果はどうであれ、あの戦いに終止符を打ってくれたのだ」


 片膝を突いた者。


 声からしてそれなりに年をとった男は装飾の多い鎧を着ており、一目で位の高い人物であるのが分かる。


 だがその鎧も今では血で染まっており、尚もその面積は広がり続けていた。


 息も絶え絶えに語る言葉には力強さがない。もはやそう猶予がない様子である。


「今、こうなってしまったのを、恨むつもりもない。だが、私が背負う役目もある。だから、君が病む事はない。遠慮なく振るうといい……私も、最後の抗いをっ!」


 男が残った力を振り絞り対峙する者に飛び掛る。


 しかし不意打ちでもない状況下。


 捨て身の男が振り下ろす剣は打ち払われ、返す太刀が男の首を捉えた。


 悲鳴らしいものもなく、男は飛び掛かった勢いのまま地面へと崩れ落ちていく。


 それを目撃したのかはたまた偶然か。これを皮切りにしたかのように一方の軍が急速に退いていった。



 対峙していた者が。その軍が勝利したのだ。


 だが骸に囲まれる者は喜びなど一切なくただ空を仰ぐ。


 どうしてこうなってしまったのだろうか。


 そう自問せずにはいられない。


 魔王倒した勇者。


 エルナ・フェッセルは血で血を洗う戦場にいるのだった。



(魔王は死んだ……)


 あれから早くも二年が経とうとしている。


 国々で被害の差はあれど、一切の無傷というところはなく、人々は復興に向けて動きを活発にしていった。


 ここまでならなんて事のない話である。


 だが、復興もまだまだ途中であるという中、大きな争いが始まってしまったのだ。


 魔物被害などによって放置されていた国境沿いの土地。それを奪おうと武力衝突が起こったのだ。


 軍隊という規模での火事場泥棒である。


 そんなどさくさに紛れての領地拡大。見下げ果てたものであるが、これが現実であり既に一年にも及ぶ争いが続いている。


 幸か不幸か、これが各国各地で発生しているものだから、戦力が分散されて戦場ではある程度の拮抗状態が保たれていた。


 それ故に蹂躙されるような事もないが、戦況の膠着が続き小さな衝突と緩やかな消耗もまたなくなる事もない。


 それこそ不幸な話であるように思える。しかしその領土を渡そうと、敵となった相手がそこで止まるはずもなく。


 ならば戦う方がどれほどましだろうか。


 およそ、魔王がいた時の方が平和であったかもしれない時代へと突入していた。


「よくぞやってくれた勇者エルナ・フェッセルよ!」


 実際に魔王を倒したのはクレイン・エンダーではあるものの、人間にとってそれを果たしたのはエルナという事になっている。


 それもそのはず。北の大陸の魔族の国々を、そこを治める魔王達の話を広めるわけにはいかない。


 とは言え、本当に討った者なのかと疑われる事もあるだろうし、それこそが最大の懸念と言ってもよかった。


 が、エルナ自身も思いがけない事だが杞憂で終わるのだった。


 クレインと共に南の大陸に戻ってから魔王こと魔物の王を討つまでの間、彼女なりに剣の稽古を重ねてきたのだ。


 魔物との戦いとて、ただクレインが戦っているのを眺めていたわけではない。彼女自身を剣を抜いて戦うことの方がよほど多い。


 時にはどうにか隙はないものか、とクレインと手合わせもした事がある。


 人類など遥か彼方に置き忘れた強さのクレイン。


 彼のそばで旅を続けていたエルナも気づけば随分と強くなったもので。


 対人戦において比類なき、などとは程遠いものの、軍勢を率いる役割についていても不思議でないほどにまで成長していたのだ。


 無論、それがそのまま魔物討伐や魔王討伐に当てはめられるものでもないが、彼女の功績とされているそれを特別疑う余地もなく。


 こうして当然であるように、正式に勇者の座についていた。


「次は北西の戦線に赴いてもらいたい!」


 膝を突き頭を垂れているエルナの目が見開かれる。


 北西。そこは銅の国の領土があるのだ。


 今回の騒動においても炭鉱と掘り出した物を加工する町さえあればいい、と領土拡大など毛頭にない国。


 そんな国境へと向かうと言うのはつまりそういう事である。


 勇者と言う立場もあり、これまで各地の防衛線を押し上げる役目を与えられていたエルナに、奪う側になれという申し渡しだ。


(この国が奪取に参加していない、なんて甘い事は考えていなかったが……遂にあたしにも、か)


 握り締める拳に一層の力が加わる。


 この戦いでどれだけの血が流れたのだろうか。


 なにが得られたのだろうか。


 一部の上流階級の者が私服を肥やし、利権欲しさに奪うよう働きかけ。


 国としてもそれが利益になると乗っかって。


 人道や倫理などはない。これもまた人の世の常であるかもしれない。


 だがそれでも、醜悪でおぞましいものだと言わざるを得ないのだった。



(まだまだだが……そのうち魔物よりも人を斬った数の方が上回りそうだな)


 生気を失いつつある視線が虚空を泳ぐ。


 王の間を出て通された狭い一室。明日には略奪に向けて出発するにあたり、一晩の休息の為の部屋というわけだ。


 あんまりにもぞんざいな扱いに、今更憤慨するでもないエルナは力なくベッドで仰向けになっていた。


(レオンやルーテの言うとおりだ。逃げ出すべきだった。今じゃあたしはただの戦争の駒だ。勇者、と付けて呼んでいればいいだけの……お手軽なもんだ)


 一年前、争いが始まった当初は手厚く扱われたが今やこの様である。


 英雄とされつつも良いようにに扱える駒。なんとも所有者に喜ばれそうなものか。


(勇者……勇者? 勇者としてなにができた? なにもできなかった。ただ人を殺してきた。防衛と称して人を……ただそれだけだ)


 だがそれも終わったのだ。


 防衛ではない。襲う為の戦いを求められた。


 何一つ変える事もできず。


 このまま戦う事にどれほどの意味があるのだろうか?


 どこに大義があるというのだろうか?


「……疲れたな」


 あれから二年。一度として弱音など吐く事のなかったエルナが、自然とその言葉を口にした。


 特にこの一年は戦いに明け暮れた日々に心が休まる瞬間がない。


 色々と気をすり減らしたクレイン・エンダーとの旅でさえ、それがあったというのにだ。


 こうして振り返ってみると、あれはあれで楽しい旅であったように思える。


 野営時にちゃんとした料理が食べられた。あの時の感動と幸福感はそうそうない。


 笑いあって、というのは稀なものだが談笑する事も多かった。


 特にクレインは似たものはあっても全てが初めての事しかない。時にはクレインがどう反応するかを楽しみにする事さえもあった。


 なにかにつけて気を揉んだりもしたものだが、エルナにとって大切な思い出でもあった。


 酷く苦労もした記憶は、喉元を過ぎた火を涼しく感じているだけであったとしても、全てが悪かったのではない。


「癪だが……お前の言うとおりだな」


 あの日言われた未来を思い出す。


 それでもきっと自分の力で変えていける。


 甘い事だがそれを本気で思い、そしてこの南の大陸に残ったのだ。


 だが今では心が折れかけている有様。


 二人の親友を振り切って自分の信じた道を進み苦しんで。


 かつてと同じ道だ。


 なに一つ変わらず成長もしていない。


 状況だけ見ればあの時よりも酷いほどだ。


「北の大陸か……」


 当時とは別の思いを胸にその場所を思う。


 逡巡すらも必要ない。


 苦しみばかりで意味もなく。


 己の矜持や信念さえも介在しない戦いを続ける意志など、もうエルナには残っていないのだった。


 外を見れば月もなく。


 暗闇に飲み込まれたかのような世界が広がっている。


 忍び城を飛び出すまでそう時間は必要としなかったのだった。

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