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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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閑話 妹

「ずるい!」


 一つの叫びが部屋の中で木霊するかのように響く。


 四つの視線は一箇所に集中するも、声の主は特に気にする様子もなく、自分を見つめる一人に指を指した。


「悔しい!」

「なんなんだお前は」


 ここ水の都市のいつもの協議の部屋で、指された人物こと荒ぶる魔王クレイン・エンダーが呆れた様子でそう呟いた。


 尚も憎々しそうに睨むは深緑の魔王ミシャ・ブライトシャフト。


 しかしクレインからしてみれば突然の批難だ。そもそもクレインが悪い、という話でもない。


 事の発端は協議が終わり、解散の雰囲気の中で水の魔王がクレインに対し、ちょっとした相談事をしたのに始まる。


 それに気づいた深緑の魔王も、水の魔王が困ってるのならばと、


「なになに? お姉さんも協力してあげよう」


 と手を差し伸べてみれば、


「あ、いえ。荒ぶる魔王にご協力して頂くので大丈夫です」


 と振り払われたわけだ。


 実にしょうもない。


 それをクレインにぶつけているのだから、更に性質も悪いときたものである。


「大体! なんなんだ、はこっちの台詞だ! なんでよ! あたしの可愛い妹を取りやがって何様だお前ー!」

「ミシャこそ……」


 クレインに詰め寄る深緑の魔王に、水の魔王の横槍が向けられるも動きが止まった。


 しばし全員の沈黙。


 コホン、と水の魔王が咳払いを一つすると、改まった様子で口を開く。


「深緑の魔王こそなにを言っているんですか。貴女と血縁関係はありませんよ」


 憮然たる態度。先ほどの言葉など、はてなんの事やら、と言わんばかりである。


「いや、別に言い直さなくても誰一人気分を害していないからな?」


 律儀な水の魔王に火の魔王が苦笑をしながら、そうフォローをする。


 だが水の魔王は、はて? といった様子で小首を傾げた。彼女にしては珍しくとぼけるつもりのようだ。


 しかしそんな事などどうでもいいらしく、深緑の魔王はさめざめと泣く仕草で机に手をついた。


「うう、妹が反抗期……辛い。昔はお姉ちゃんって言ってくれたのに」

「お姉ちゃん、とお呼びした覚えもありません」


 間髪いれずに否定する水の魔王。


 そんな、と絶望の声が聞こえそうな表情で、深緑の魔王がおののいた。


「水の魔王と深緑の魔王は旧知の仲なのか?」


 一番の新参であるクレインが二人の様子に浮かんだ疑問を投げかけた。


 公私をきっぱりと分ける水の魔王。その中でも、どことなく深緑の魔王とは親密な雰囲気があったのだ。


 実際の様子はどうであれ、それはクレインにとってそう感じたイメージに過ぎない。だがこうしたやり取りをみれば、ただのなんとなく、というわけではないのだろう。


「そうですね。私も深緑の魔王も、魔王に就く前に知り合ったので」

「水の都市と樹海の国で……? 想像できないな」


 片や大国。片や大陸の隅っこの小さな国。


 それも水の魔王リリア・スフェスターは王女で、深緑の魔王ミシャ・ブライトシャフトは……なんだったのだろうか? という程に立場さえ開きがある。


 今にして魔王同士という付き合いのある関係だが、魔王となる以前ともなると、接点など歳の近さと同性というぐらいだ。


「ふっふっふっ。聞きたい? あたし達の馴れ初めを聞きたい?」

「語るほどの内容ですか?」

「当然!」

「少なくとも馴れ初めではないだろうが、是非聞かせてほしい」


 クレインの素直な反応に、深緑の魔王はぱちくりと数度瞬きをすると、上機嫌な様子になる。


「よっし。今夜は帰さないぞ!」

「帰って下さい」


 水の魔王の言葉が届いているのか否か。


 すっかり気合の入った深緑の魔王は椅子に座りだした。どうやらそれなりの長話となるのだろう。


 クレインも倣って椅子を引くと、同じように着席しようとする火の魔王と山の魔王の姿が目に映る。


「……」

「いや、俺も知らないし」

「聞かせて貰えるのなら一度に聞いたほうが手間もない」


 便乗したな? というクレインの視線に、二人がひょうひょうとそう答えるのであった。


 そんな中、渋い顔をした水の魔王が、深く息を吐くと同じように席に着く。


 不思議そうな四人の視線が集まる中、水の魔王は諦めた様子で口を開いた。


「ない事を吹聴されても困りますので」

「え、信用低すぎない?」

「既に記憶違いが確認できている以上、見過ごせません」


 先のお姉ちゃん発言だろうか。


 男三人が自業自得だ、と心の中でそう呟く。


 そんな評価を受けてるなど露知らずの深緑の魔王。


 水の魔王の言動に不服そうながらも、思い出話が始まるのであった。



「はあ? なんだって?!」


 木造のなんとも味のある屋敷の中から叫ぶような声があがる。


 樹海の国の都市部、と言っていいのか本気で悩むその場所。


 一部の……ほんの全体の過半数を占める一部の者達からは、『族長の家』と呼ばれる木造の魔王城での事だ。


「だからその内にはお前を魔王にするからな」

「違う違う! 聞きたいのはそこじゃなくてなんでって話!」


 それなりにガタイのいい男が若い女性にまくし立てられていた。


 樹海の国の現魔王である深緑の魔王と、その娘であるミシャ・ブライトシャフトである。


「どうせ誰もやりたがらないしな。少なくとも俺の仕事を見てきたお前のほうが引継ぎが楽だ」

「自分が楽したいから?! いや待って、その内ってどのくらい? 父さんなら当分は現役じゃん!」

「数年」

「なんで?!」

「そりゃあお前……面倒だし」

「クソ親父!」


 あまりの言動に、口汚くもなるミシャである。


 しかしこの程度の罵倒ならば、むしろもっと言ってやってもいいぐらいの扱いなのは間違いない。


「まあ落ち着け。今のは九割本気だ」

(次の狩りの時、毒矢をしこたま持って行ってやろうかな)

「水の都市は知っているだろう?」

「どんだけ馬鹿にしてんのさ」


 剣の国と水の都市。この大陸の最大勢力である。


 むしろ知らなかったとしたら、どこぞの穴倉で暮らしていたか、地下に幽閉されて育てられたかぐらいなものだ。


「次の魔王となる人物はお前とも歳は近いし、当然同性だ」

「そりゃあ女王制だしね。ていうか歳近かったんだ。それは知らなかったな」

「向こうも王位を継承するのはだいぶあとだろう。だが誰だってふとした時には死ぬ。俺が明日、死ぬ未来があってもそれは別に不思議ではないわけだ」

「いや、父さんにしても水の魔王様にしても、不死じゃないとはいえそう簡単に死ぬ事はないでしょ」

「そんなわけで、もしもの時にサポートできるよう、早くからお前に魔王を担ってもらおうと思っているわけだ」

「……」


 思いの外、全うな理由である。先の話がただのジョークだと思えるぐらいには。


 しかし、一切の疑問がないわけではない。


 水の都市の魔王。樹海の国の魔王。なんでそこまで気を配らなくてはならないのだろうか?


「なんか借りでもあるの?」

「察しがいいな。その通りだ。向こうは別に貸しとは思っていないだろうが、こちらとしては報いたいと思っているんだ」

「このど田舎な国でどんな貸しを作ったのやら……」

「周辺の道の整備や物流に関して色々と尽力頂いたんだ。まあお前が生まれるずっと前の事だけどな。それ以来、樹海の国の魔王としては水の都市に恩を返したいんだが、中々機会に恵まれなかったものでな」


 心意気は立派だが、立場であり国の力であり、樹海の国の助けが必要となる水の都市のイメージなどまるで湧かないものである。


 唯一、この国特有のとある生体の貸し出しというのもあるが、水の都市に対して既にロハで行われているのに等しい状況だ。


「というか……水の都市の手が入っての現状がこれなのか……」


 国内において外から来た者が遭難する事は珍しくはない。


 更にはあまり美味しい市場でもなく、やって来る商人は物好き扱いをされる。


 そんな他所から大勢が来る事のない今ですら、てこ入れされていたのだと言う。


「なんにせよそういうわけだ。まあ、お前に継がせるより先に水の魔王様のご息女、リリア・スフェスター様と顔合わせをさせるがな」

「うわ……じゃあそれがあったら逃げる準備しなきゃ」



「というのが始まりなわけよ」

「まだ出会ってすらいないのに一区切りするなよ……」

「……しかし、深緑の魔王も若いとは思っていたがそんな経緯があったのか」


 火の魔王の苦言を尻目に、山の魔王がそう呟いた。


 よほどニュースになるような出来事でもない限り、魔王交代の詳細というのは他国に伝わり難いのが現状だ。


 ただでさえ内々の話。今回の深緑の魔王にいたっては、あまりおおっぴらにするものでもない以上、知られてなくても不思議ではない。


「……そんな事情があったのは私も知りませんでした。すみません……」

「あーいいのいいの。今となってはむしろ感謝したいぐらいだし。それに別の人が魔王になったらあたし達は出て行かなくちゃならないし、うちの父親はやる気ないしで仕方がない部分もあったからさ」

「うん? ちょっと待て。それってつまり、樹海の国のあの城……? に住んでいるのか」

「わざとらしく疑問符つけんな。あそこは魔王を務めている人の家族含めての居住と公務室に分かれているからね」


 恐らく世界一小さい魔王城。更にそこが居住スペースでもあるというのだ。


 水の都市から派生した、半ば地方都市のような潮風の国でさえもっと大きい上に、居住スペースはないというのに。


 ただその辺りは樹海の国の成り立ちも深く関わる。元々生活が成り立っている中で国と認められたのだ。


 つまりはそれほど国外の影響を必要としていないわけで。それ故に公務の量も桁違いに少ないのだ。


 国となった以上、それはそれで如何なものかと思われるが、大陸の端という立地も合わさり、特別な問題がないのが現状である。


「親子二代で魔王なのに貸家か……」


 どこか哀れみをこめた視線でクレインがそう言葉を漏らした。


 そこで眉をひそめる魔王が数名。それもそのはず。


 代表として火の魔王がそれを指摘する。


「いや、荒ぶる魔王は貸家どころか貸し部屋だろ」


 そう、公務室兼寝室が唯一の自室の男であるのだ。


 警備などの関係上、城で生活する為の設備があり、部屋さえあれば暮らせてしまう。そして部屋しかないのが荒ぶる魔王である。


 それも公務室を兼ねている為、完全にプライベートな部屋ではないときたものだ。


「そういえば荒ぶる魔王は家すら持っていないのか」

「なんか忘れられているけど俺は流れ者だからな?」


 旅人でふらっと立ち寄り、さっと襲撃。死闘の末に何故か魔王になったのだ。


 しかし魔王となってしばらく経つ今、家を買うぐらいできそうなものである。


「定住するおつもりはないのですか?」

「んー魔王辞めた時にでもどうするか考えるかな」

「行き当たりばったりな人生過ぎる」

「……でなければ先代に挑んだりしない」

「……」


 クレインのなんとも言えない言葉に全員が押し黙った。


 ある意味でワイルドカードである。誰一人、絶対に戦うような状況を作りたくない、と思っていた相手に単騎で挑んだのだ。


 もはや崇高すべき馬鹿である。


「……とりあえず深緑の魔王、続きを頼むわ」


 あまりに楽しくない話題に興が冷めかけたのか、火の魔王がそう促した。


 深緑の魔王も同じ気持ちであったのか、咳払いを一つをして続きを話し始める。



「会わせるとは言われたけど、あれから一ヶ月経ってないんだけど」

「善は急げというだろう」

「娘に押し付けて逃げるのは独善の間違いでしょ」


 あれからしばらくして、ミシャ・ブライトシャフトと父である深緑の魔王は水の都市に来ていたのだ。


 国を出た事がないミシャは初めての国外旅行と銘打って連れ出され、わくわくしながら来てみればこれである。


 とは言え、水の都市の城下の美しさたるや。例え騙されたと言えど、来れてよかったと思わせるほどのものである。


(とは言ってもこのあと、お姫様と会うんだもんなぁ)


 自分とは全く異なる世界に生きている人物。


 そもそも会ったところでなにを話せばいいのか。というか話が合う話題があるのか。


 早くも逃げ出したい気持ちのミシャである。


「この度は遠くからお越し頂き……」

「いやいや、普段からお世話に……」


 しかし大人二人が対応する中、自分はしおらしく佇んでいるしかなく。


 逃げ道など特にあるはずもなく。


 半ば現実逃避に水の魔王を見つめるのであった。


(それにしても水の魔王様って綺麗だなぁ。代々美男美女って話を聞いた事はあったけども)


 気品がありつつ、柔らかい笑みを浮かべた顔はあどけなさもあり。


 可愛らしさのある美人である。


 こんな人に微笑まれたら老若男女問わず、心を奪われてしまうだろう。


 自分の父親が内心鼻の下を伸ばしているのでは、とさえミシャが思うほどである。


「ご息女もご聡明そうで」

「いやいやいや。とんだじゃじゃ馬お転婆の跳ねっ返りですよ」

(あとで絞める)


 ミシャは頬を引きつらせながら密かに呪詛の念を送る。


 本気で毒矢の用意をしておくべきか。


 そんな事を考えていると、開け放たれた扉から、チラチラと衣服の端が見え隠れしているのに気づく。


 そんなミシャの視線に、水の魔王も自分の背後の様子を察したのか、苦笑をしながら振り返った。


「ほらリリア。こちらにいらっしゃい」


 その言葉におずおずと、青色のローブのようなドレスを着た女の子が姿を現した。


 一見すれば魔女の様な服装だが、細やかな刺繍が施されたそれは落ち着いた印象を与えるものだ。


 それも着ている女の子は雪のように肌が白い。


 まるで、などと付け加えるまでもなく、人形のような美しさである。


「リリア・スフェスターです」


 緊張した様子だが、母親より前に出てそうはっきりと告げるところは、王族としてなにかしらの気持ちを既に抱いているように見えた。


 幼く可愛らしく、だがどこかに芯が通っている。そんなイメージを植えつけられる。


 幼いリリアに応えるべく、ミシャは目の前に行くとしゃがみ込んで目線を合わせた。


「あたしはミシャ・ブライシャフト。よろしくね、リリアちゃん」


 にっこりと微笑むと、リリアの顔も綻び、


「はい、ミシャお姉さん」


 そう満面の笑みで微笑むのだった。



「……そうしてあたしは、世界一可愛い天使と出会った……」


 そう余韻を残して、ミシャの演説のような思い出話に幕が閉じてしまった。


 そこで終わりか? と火の魔王が僅かに眉をしかめるも、あとはまあ想像するに難しくないか、とどこか納得した様子。


「で、深緑の魔王」

「もー他人行儀っ」

「私が一度でもお姉ちゃんとお呼びしましたか?」

「……なかったけどこれはつまり、ミシャお姉さんってまた呼んでくれるって事?!」

「どうしてそうポジティブ思考になるのですか……」


 目を輝かせる深緑の魔王に水の魔王が溜息を吐き出す。


 ここまで露骨に呆れた様子の水の魔王もレアなもので、付き合いが長いからこそのやり取りだ。


「深緑の魔王は分かったが、荒ぶる魔王は一体なにがあったんだ?」

「え? 何故そこで俺に話が振られるんだ」


 火の魔王の疑問に、クレインが顔をしかめる。


「いや実際のところ、荒ぶる魔王とも仲がいいだろ。少なくとも、俺も山の魔王もあんな風に頼まれる事はないぞ」

「なんだ、自覚がなかったのか?」


 山の魔王の視線が不思議がるクレインから水の魔王に移る。


 今度は自分が問われているのだろう、と水の魔王が少しばかり考える素振りを見せた。


「そうですね……。荒ぶる魔王は人との距離感が独特でしたので」

「言い方に凄いフォローを感じる」

「悪かったな」

「私としては、その……兄のように慕っているのだと思います」


 その言葉に三人がおお、と驚きともどよめきともつかない反応を示す。


「なんだその反応は」

「いやだって……」


 不服そうなクレインに深緑の魔王が言葉を濁した。


 やはりというべきか、水の魔王からの好感が予想以上だったようである。


 しかしそれとて火の魔王や山の魔王も同じ事。


 遂には上から下へと視線を往復させ、「これのどこにそんな評価がされるというのか」といった様子で鑑定するかのよう。


 もっとも三人から見ても、水の魔王のような思いにはいたるはずもなく、同じ視線を目指すのを早々と諦めてしまった。


「それで、荒ぶる魔王はどうなんだよ?」

「まあ、付き合い方に差はないとは言えないよな。なんだかんだで水の都市に寄ったら顔を出すようにしているし」

「無言で来て無言で立ち去るのほんと止めてほしい」


 かなり本気の苦情を深緑の魔王が零す。むしろちゃんとそういう事ができたのか、と内心驚いていた。


「だから俺としても、妹のような感じなのかな」

「妹……まさかの合致だ」

「しかし兄のほうは、妹の爪の垢を毎日煎じて飲む必要がありそうなのは如何なものか」

「くそ、返す言葉もない」


 自覚はあったのか。


 皮肉られたクレインの様子に、三人の心が一つになった。


 しかもそれはつまり、これまでの所業は全部分かっていてやっていたわけだ。先の無断での来訪、勝手に領土内の植物の採取。普通に市場でお買い物。挙げていけばきりがないそれら全て。


 今後はそれなりに報復をしても許されるのでは? と三人は心と視線でそう協議が執り行われ、今ここに荒ぶる魔王を糾弾する会が生まれたのであった。


 そんな事など知る由もない水の魔王は、ふとなにかを思い出した様子で、


「そういえば……何故だか分かりませんが一時の間、一部で荒ぶる魔王を兄上様などの呼び方をされていましたね」

「それ、あたしも見かけたな。というか誰がリリアの兄なのか、みたいな議題が流行ったんだよね」

「待って下さい。それ、私は知りませんよ?!」

「不思議には思っていたがそういう理由だったか」


 ある意味、当事者である初耳の二人。


 そして当事者ではない初耳の二人は首を傾げた。


「そもそも議題がおかしい」

「俺も思ったが言うだけ野暮だろうから忘れる事にする。しっかし、お互いが兄妹のように思っているのはいいとして、荒ぶる魔王はなにがあったらちゃんと顔を出すようになったんだ?」

「んー……きっかけとしては多分、俺が茶々を入れたあたりかなぁ」


 クレインの言葉に三人が顔をしかめた。


 何故そんな言葉が出てくるのか。


「ここまで一応はほのぼのとした話しだったのに、一気に不穏なワードが出てきたな……」

「確かにあの時はハラハラしましたね」


 更に不安を後押しする水の魔王。


 彼女自身がそう言っているのに、どうしたら良好な関係となれたのだろうか。


 聞くのが怖くなったものの興味は引かれる。


「……なにをしでかしたんだ?」

「確かにそう言われるだけの事をしたな」

「色々と思い出してきましたが、今考えても中々常軌を逸した事でしたね」

「笑って言う事?!」


 ふふ、と楽しげに微笑む水の魔王。不一致な言動に、一体何事があったのかと三人が固唾を飲み込み、クレインへと視線を送った。


 詳細を話せ。


 そんな訴えに、クレインは仕方なさそうに語り部の役を受け継ぐのだった。


「確か……貪る魔王を討ってからまだ二年とかそのぐらいだったか」



(さて、今日はどんな魚が揚がっているのやら)


 クレインが水の都市の往来を上機嫌な様子で歩いていた。


 近頃は店員とも顔馴染みとなり、その日の目玉の魚の調理法を聞いて実践する楽しみまであるのだ。


 カインが知ったらどうなる事やら。恐れを知らない行動である。


「どうなるんだろうなぁ……」

「こんな事、初めてだもんな」

「この国がこの程度で揺らいだりはしない。不安そうにしていないで、普通に生活していればいいんだ」

「だけどもなぁ……」

「いざって時の為に考えておくぐらいはしたほうがいいだろ。農商国家とか、最近は暮らしやすいって話だぞ」

「あそこの魔王様、すっごい怖いらしいけど大丈夫なのか……?」


 集まっている人々の横を通り過ぎる中、不安を募らせた言葉が耳に入り、思わずクレインの足が止まった。


 水の都市にしては珍しい光景だ。


 無論、一切問題のないとまでは言わないが、移住さえも検討するような話などそうそう聞かない。むしろ初めてである。


 それも城下町でだ。ここから出て行く者など移住先に目的がある、という事情が殆ど。


(よっぽどの問題が起こっているのか? まずい時に来たな。とっとと買い物を済ませて帰るべきか)


 雑踏を抜けると大きな橋が見えてくる。


 水の都市でも非常に歴史的価値の高い場所。幾度も修繕が行われ、今日でも変わらぬ姿を残していた。


 観光名所の一つでもあり、非常に多くの人々が集まるのだが、なにやら一段と人ごみが激しい。


(なんかイベントでも催しているんだろうか?)


 やたらと集中する人だかりを覗き込むと、人々の壁の層は途中までで、橋の手すりあたりを中心にぽっかり空いているようだ。


 ここまで来ると一体なにがあるのか気になってきたクレイン。


 人を掻き分けて行くと、側近や兵士といった従者を連れた人物がいらっしゃった。


「……」

「リリア様、あまり風に当たられてはお体に障りますよ」

「別に私は病弱ではありません。ですが……そうですね、いつまでもここにいても迷惑でしょうし、一度城に戻りましょう」


 水の魔王リリア・スフェスターがその言葉と共に踵を返すと、その一団は整然とそのあとに続く。


 彼女達を取り囲む壁は、まるで神話の海が割れるかのようにザッと分かれて、道を作るのであった。普段から訓練しているかのような乱れのない動きである。


(……こんな目立つ行動、あまりイメージと合わないな)


 先の人々の会話を思い出す。きっとここに居たのはそれが理由なのだろう。


 しばし悩みはするも見てしまった以上、知らん振りと言うのも気分が悪い。


(なにをしても怒られそうだなぁ)


 激昂するカインを想像しながら、クレインは水の魔王の一団のあとをついて行く。


 言葉どおり城へと戻っていく中、道行く人が不審げに最後尾のクレインを見つめる。


 途中、目の前の兵士もクレインの存在に気づき、一瞬戸惑う様子を見せる。気を取り直して何者だ、と掴みかかるより先に、クレインが力強く頷くとなにかを納得したようで、文句の一つ言われる事もなかった。


 兵士ならば城でクレインを荒ぶる魔王として見かける事もあるのだ。もしかしたら彼は気づいたのかもしれない。


 だがそれならそれで、自分の真後ろに他国の魔王がいるなど、息をするのもおぼつかなくなりそうだ。非常に迷惑な話でもある。


 やがて城へ到着し、クレインは堂々と門番に軽い敬礼をしてみせた。


 それまで訝しげに見つめていた、ここまで来たらとっ捕まえるか、という心の声が聞こえそうな彼らも、相手が誰なのか分かったらしく、慌てて綺麗な敬礼で返す。


(勢いでついて来たが、これ激昂で済むのかな)


 だいぶ水の都市の兵士達をかき回している気がしてきたのだ。


 無論、それは気のせいではなく、ただの事実であるが。


 これをカインが知ろうものなら烈火の如く、なんて言い方は生ぬるい。それこそ天変地異をも引き起こしかねないだろう。


「はぁぁぁぁ……」


 民衆の目もなくなると水の魔王が大きな溜息を吐き出す。


「リリア様、どうかお気を病まないよう……」

「ええ、ありがとうございます。ですが、一体どうしたらよいものか」

「こんな事、過去にありませんでしたからね」


 護衛の任務も終わったのか、兵士達が一同敬礼をすると散り散りになっていく。


 残ったのは水の魔王とその側近。そして少し離れた位置のクレインとなった。


「お母様がいらっしゃったら……いえ、今のは失言でした」

「いえ、そのような事はありませんよ」


 実の母とは言え、亡き者にすがりたい意思に、水の魔王が側近に向いて頭を下げる。


 今その役目を継いだのは自分であり変わりなどいない。そんな自分がこのような弱音を吐いた事を、失言であると悔いる様子。


 彼女が魔王としていかに愛されているか。その屹立とした立ち振る舞いを、当たり前のようにするのも一つの理由なのだ。


 そしてその行動が故に、後方にいる人物を視界に入れてしまった。


「よもやこの程度で、幻覚を見るほど疲れるとは。まだまだ私も未熟者ですね」

「は……? え?!」


 水の魔王の言葉に側近の男が振り返ると、目を剥いて驚嘆をした。極々自然の反応である。


「城下町の人々も不安がっていたが一体なにがあったんだ?」

「幻聴までもですか……そして貴方は幻でも他者を案じてくれるのですね」

「リリア様、落ち着いてください! 本物の荒ぶる魔王様です!」

「……」


 側近が軽く肩を揺すると、水の魔王がぱちくりと数度瞬きをし、虚ろと思ったクレインを凝視する。


 そのまま数秒経った頃、幽霊でも見たかのような表情で呟いた。


「……本物、ですか?」


 未だに信じられないようだ。



「なるほどなぁ……」


 説明を受けたクレインが難しそうな顔をする。


 この水の情景が広がる城下町。それ故に無数の橋が作られているわけだが、それについて衝突が起きているのだ。


 景観の保全を目的とする派閥と災害対策など橋の強化を行いたい派閥。この二者が熾烈、かは分からないが争っているようだ。


「老朽化による補修や、利用者の増加、災害対策の補強を行う工事が進められているのですが、少々強引なところもあったらしく大きな反発がありまして。今まではそれでもお互いの妥協点で落ち着くのですが、今回は大きく拗れてしまい……」

「あーそりゃまた……。ていうか行政関係とか水の魔王が握っているんじゃないんだな」


 クレインの軽い口調に、側近の男の頬がピクリと動く。


 ただ静かに主の側で付き従う彼だが、その眼は無礼があらば即叩き切る、と言わんばかり。


 クレイン自身、魔王に就任した当初に自ら振りまいた悪評もあり、心証はすこぶる悪そうだ。


「過大評価のし過ぎですよ。専門に担当する者がちゃんといます。というよりも、それが普通ですからね?」

「そりゃそうか……」


 全て一人でやる魔王などどこを探してもいないだろう。むしろそれができるとしたら、それはもはや狂人の類である。


 逆に全てを丸投げしているクレインには、馴染みのない話であった。


「で、その問題は解決しそうなのか?」

「……今のところは全く」


 むしろいい流れになっているのならば、人々が不安がる事もない。


 ならばあの様子からして、聞くまでもない話である。だが、水の魔王の口から聞く事には意味があったのだ。


 彼女にとっても悩みの種で解決の目処が立たない、と。


「特に問題になってるのは、その派閥のトップ同士なんだよな?」

「ええ、今回二人とも引き下がらない状態なんです」

「……今、その二人って呼び出せたりするか?」


 急遽、クレイン発案の話し合いの場が設けられる事となった。


 なにか考えがあるのだろう、と水の魔王も無造作に出すクレインの指示を的確に振り分けて速やかな準備が進められていく。


 そして呼ばれてやってきた二人の男が目を白黒とさせるのであった。


「あれは荒ぶる魔王様? な、何故他国の魔王様がいるのだ……」

「そんなもの、私が聞きたいぐらいですよ」


 それもなにせ評判が悪い魔王とくれば、戦々恐々とするもので。


 絶賛、喧嘩中の二人も不安からか距離がだいぶ近い。


「呼び立てて悪かった。で、早速だがお互い腹を割って話し合おうか」

「まるで隠し事があるかのような言い様ですな」

「失礼ながら言わせて貰いますが、我々にそのようなものなど断じてありえぬ話です」

「あー言い方が悪かったな。しがらみ、プライド、立場……そういったものや建前を全て捨てて本音で話せと言っているんだ」


 言葉にどこか重みを持たせ、圧力のある態度でクレインが言い放つ。


 しかし多くの部下を束ねる二人とて、この程度で怖気づくはずもない。


「このような場をご用意頂きました事、感謝致します。しかしながらこれは水の都市の、我々の問題であります。他国の魔王様に割って入って頂きたくはありませんし、それは内政干渉ではありませんかね?」

「そうだなぁ。なら断ってくれてもいいぞ? 断る言葉が口から出せるのなら、な」


 そうおどけながら言われた言葉に、二人はしかめた顔を見合わせる。


 どんな意味だろうか、とはかりかねているとクレインの前に二人の少女が連れて来られた。


「お、お父さん?」

「呼ばれてきたのですがこれは一体……?」


 事情の分からぬ少女達を前に、二人の男の顔からは血の気がスッと落ちるように引いた。


「お二人はどうぞこちらへ」


 クレインに促されて椅子へと座る少女達。


 一人は未だクエスチョンマークを頭に浮かべているが、もう片方はクレインの顔を見て真っ青になる。


「あ、荒ぶる、魔王様?」

「え、この人が……え、なんでここに?」


 慄く二人の後ろに回って、クレインが大袈裟に両手を広げる。


 とてもさわやかな笑みで、決して有無を言わさない様子で、


「さあ、お話し合いを始めようじゃないか」


 膨れ上がる魔力を周囲に迸らせる。


 よほど魔力に鈍感でなければ確実に知覚できる膨大な力の流れ。


 皆まで言わずに分かる明確な脅しであった。


 二人の少女はただ震えて恐怖に耐え、二人の男は憎しみの視線を投げる事はおろか大人しく従って席に着く。


 ここから先しばらくはクレインが手を出すまでもなく進むだろう。一仕事終えたかのように、息をつくと側に立つ水の魔王の姿が視界に入る。


「荒ぶる魔王……」


 事前に説明こそ受けていたものの、明らかに不安の色を見せていた。


 例え演技だとしても、魔王を二人討った者が発した殺気である。


 平静でいられるほうが普通ではない。


 だがここでネタばらし、とはいかないのだ。むしろまだスタート地点。故に、クレインは立てた人差し指を口元に当てるジェスチャーをする。


 決して理性の欠いた、荒れ狂う激情で示せる行動ではないそれに、水の魔王は心を押し殺して、今はクレインに託した。



 この話し合いが始まってどれだけ時間が経っただろうか。


 初めは落ち着いて話していた二人も、今や怒号や罵声が飛び交う始末である。


 命じられての行動であったが、やはり溜め込むものもあったのか。周囲など憚る様子もなく、ただただ感情のぶつけ合いが続いている。


 そんな中、クレインは二人の少女の横で並ぶように座って様々な書物を漁っていた。


「あの、荒ぶる魔王様はなにを……?」


 当初の気迫などどこへやら。お忍びの格好からしても、ただの凡夫と成り下がったクレインへと当たり前の質問が投げかけられる。


「この国の法律とかのお勉強、かな」


 顔も上げず、ページをめくりながら返された答えに少女は困惑する。この状況でそれを意味するものとはなんなのか。まるで予想などつきはしない。


「……一体なにを企んでいるのですか?」

「いや、別に企むって程の事は……あ、ここさ、よく分からないんだけど少し説明してもらっていいか?」


 そう言いながら横の水の魔王へと教えを請う。


 自由気まま。それでいて恐らくこの状況を生み出した張本人。そして様々な恐ろしい噂が流れる人物。


 正しくカオス。いい加減に食材をぶち込んだ鍋でもここまで混沌とはしないだろう。


 クレインの真横に座る少女は、もはや隣の存在は人ではないのでは、とすら疑い始めた。


「それにしても、あちらの二人は荒ぶる魔王様がのんびりとされていらっしゃる事に、微塵も気づいていないようですね」

「それだけ必死なんだろう……が、立場もあるんだ。腹に抱えて溜め込んでるものもあるさ。強制ではあるがガス抜きにもなる」

「……」


 説明を受けて更に読み進めるクレインは、顔も上げずに側近の男に言葉を返す。


 そんな中、水の魔王はただただことの成り行きを見守るばかり。今は彼女も落ち着いたのか、先ほどまでの不安そうな様子はもうどこにも見られず、周囲の状況を観察しているかのようだ。


 やがて、言うべき事か体力か。それらが尽きてきたのか、二人の言葉の勢いは衰え荒い吐息の音が目立つようになった。


「お。ようやく落ち着いてきたようだな」

「! ま、まだまだ!」

「え、ええ、そうです!」

「まーまー。一旦休憩といこうか」


 そう言って二人の間にいくつもの資料や本をバサバサと積み上げていく。


「これは……我が国の法律書?」

「こっちは過去の災害などをまとめた物ですか?」

「気になったところに印しをつけてあるから、あとで読み返してみてくれ」

「……」

「……」


 二人の表情がどこか困惑したものになる。


 クレインにとってこんなところでそんな反応など予想外。しばしその理由を模索し……顔を引きつらせて水の魔王や側近がいるほうへと顔を向けた。


「え、これ写し、だよな?」

「今回の為に用意されたものではないので、複写ではありますが備品です」


 淡々と責める語気で側近の男が喋る。


 完全にクレインが独断で先行してしまったようだ。


 手を合わせて謝罪の意思を示すと、水の魔王は苦笑で返す。彼女も、そして側近の男も言い出せずにいたのは事実である。


「あーえっと。まあなんだ、俺は自分の国の事を下に丸投げしているから大した事は言えないが……お前達はなにを守っているんだ?」

「それは当然、適切な法をしきこの国を守り続け……」

「聞き捨てなりませんね。貴方のやり方では伝統ある町並みを壊しかねない!」


 二人が立ち上がり、第二ラウンドが始まりそうな空気が漂う。


 そこをクレインが手を軽く上げて、まあまあと着席を促す。


「例えば町の中央、地図だとこの橋だな。改修・補強工事って事だが、今の法律を捻じ曲げて景観重視にしちまえ」

「はぁ!?」

「おお、流石は荒ぶる魔王様! ご聡明な判断です!」

「災害対策については既に高い水準になっているだろ? 最低限の補強だけで十分じゃないか?」


 事も無げに言われた言葉に、災害対策側の男が激昂して立ち上がる。


「な、なにを勝手な……。確かに水準は高いですがね、何度も想定を超える災害は起こっているんです。常に十分であったも足りないと認識すべき! 町や民をなんだと思っているのです!」

「じゃあ聞くがこの災害マニュアルにせよ、今の法律にせよ。この地点の橋にそれを徹底しなくちゃいけない状況下で町はどうなっている? とっくに全域で避難が完了していないとまずいんじゃないか?」

「そ、それは……」

「勿論、その時の限界まで高めておいたほうがいいのは事実だ。それ自体は否定しないが、その為にかけるものに見合うほど効果を発揮してくれはしないだろう」


 環境保全側の男がご満悦な様子で頷く中、言い返せない災害対策側の男が唸るような声を小さく上げる。


 だがクレインの視線が今度はそのニコニコ顔に向けられた。


「で、逆にこっちの工事に関してはある程度、景観を切り捨てたほうがいいんじゃないか?」


 完全に冷や水をぶっかけられたようで、笑顔で一瞬で張り付いたかのように止まり、瞬きさえも忘れていそうなほどである。


 大して一方的に言いわれていた災害対策側の男は、活力を取り戻してきたのかゆっくりと余裕の表情で顔を上げた。


「そ、それは何故、でしょうか?」

「水の流れで言えば早い内に直撃を受ける場所だ。それにここってやってきた商人達が通るルートだろ? 馬車も多いだろうしギッチギチに頑丈にしたほうが安心だ」

「いっその事、既存の橋の形を辞めるというのも一つの選択肢ですなぁ」


 打って変わって上機嫌となった男の言葉に、クレインは少しばかし考える素振りを見せたあとに、いや、と否定をした。


「俺もそうだがここの景観は本当に心が洗われる。だからこそ多少見劣りしようとも、橋であってくれたほうが彼らも喜ぶんじゃないかと俺は思う」

「……」


 災害対策側の男が口を閉ざすのを見て、環境保全側の男の口角が上がっていく。


 その様子に、クレインは深い溜息を吐き出した。


「二人とも本当にこの国を愛し、大切にしているのは分かっている。ただその方向性が違うからこうしてぶつかり合ってもいる。お互いが第一にしているものの重要性も分かるし、決して否定などできないものだ。そこで最初の問いに戻ろうか。お前達はなにを守りたいんだ?」

「それは……」

「……」


 改めて聞かれた質問に、二人の男は言葉を詰まらせた。


 少なくとも先ほどのように、ただただ己の主張をしようとはしない。


「景観維持にせよ補強にせよ、それらは今を生きる民に、そしてその先の未来の子供達へと続いている。立場もあるだろうが、自分達の側の主張一辺倒では決して目的地には辿り着けないだろ」


 返す言葉もないのか、クレインが言葉を切ると部屋がしん、と静かになった。


 二人はどこか項垂れた様子で、それを見守る少女が二人。そして水の魔王とその側近の二人は事の成り行きを静観している。


「お互い本音を聞いたあとだ。改めて今後について詳しく詰めていけばいいさ。努々忘れなきゃ、また道を踏み外しそうになる事もないだろうし。なにせ娘達にばっちり見られていたんだ。いい戒めにもなっただろ?」

「……」

「……」


 二人が酷く渋い顔をした。


 忘れていた、という事などはない。ただ、偽るなど許されぬ、と覚悟を決めて醜かろうが浅ましかろうが、その姿を晒したのだ。


 もはや危害を加えられるなど誰も心配してはいないし、その点では二人とも心から安堵している。


 だが、あとに残るものを思えば酷い徒労感も感じられよう。


「さて……」


 クレインは二人の男から離れると、少女達のほうへと近づき、


「二人には怖い思いをさせて申し訳なかった」


 跪いてそう謝罪の言葉を口にした。


 呆然と眺めていた少女達は、はっとした様子で慌てて席を立ってその場に腰を下ろす。


「あ、頭をお上げ下さい! 私どもに魔王様がそのような!」

「そ、そうです! こんな、ええと……」

「そうはいかない。これに関しては後日、改めて詫びさせてもらう」

「……あ、いえ! そもそもは我が国の問題、そのような事までしていただかなくとも!」


 水の魔王もまた、弾かれたように動いてクレインの顔を上げさせようとする。


 三人の少女達に促され、ようやっと立ち上がったクレインは


「それでもこのやり方を示したのは俺だ。その責任を押し付けるつもりはない」


 毅然とした態度でそう告げた。


 畏怖の対象としての噂も多く、実際にそう思っている人も少なくない。今回巻き込まれた二人の少女もそうだ。


 しかしただただ恐ろしいだけではなかった姿は、さぞ格好良くその瞳に映るのだろう。


 そんな事など想像もしていないクレイン。


 すぐさま苦悶の表情で呻きだした。


「だからこそ、カイン……うちの側近にも、包み隠さず話して、しっかりと責務を、果たす……」


 凄まじく格好悪いにもほどがある。


 そしてこの荒ぶる魔王をここまで恐れさせる農商国家の側近のカイン。


 二人の少女には筋肉隆々の大男がイメージされているのだろう。


 まさか先代荒ぶる魔王であるゴートのような姿で想像されているとは。カインが知ったら卒倒しそうな話である。


「あ、そうだ。あの二人に意見できる人って殆どいないんじゃないか?」

「一切、というわけではないですが、彼らの周りでそういったのは見かけないですね」


 側近の男が答えると、クレインがやっぱりか、と呟く。


「さっき色々言ったが、水の都市でそういう分野の有識者がいないとは思えない。というかいないはずがない。素人の俺でも指摘できたんだ、彼らの二人への発言権とかが低いのも問題の一つだろうな」

「……早急に調べ対応いたします」

「かき乱すだけして丸投げで悪いが頼む。それじゃあすまないが俺はここらへんで失礼するよ。決意が揺るがない内に帰らないと逃げ出しそうだし……」



「と、いう事があって以来、気にかけるというか……まあ挨拶がてら顔は出すようになって、それが習慣になった感じだな」

「懐かしいですね」


 どこか微笑ましい様子のクレインと水の魔王。


 しかし聞かされていた三人の顔は、どこか憔悴した様子であった。


「本当にギリギリの綱を渡っていったな」

「まともな精神ならばやらんな」

「あたし、自分はそんな頭良くないとは思っているけども、荒ぶる魔王にだけは絶対に勝てないわ」

「一人だけ方向性がおかしい。が、流石にこの件に関してはどんな言葉も返せないな」

「因みに本当に包み隠さず話したのかよ」


 今となってはクレインとその側近であるカインとの関係性、というよりは日常のやり取りも知られたもの。


 あれがこの件ではどうなったか。興味が惹かれないはずがない。


「……お詫びに行くまでに一週間かかった」


 だが皆まで聞くのは憚れた。というより、なにか聞いてはいけない気がする。


 呪いの縁が結ばれそうとか、そんな感じで。


「しかしそんな事があったとはなぁ」

「水の魔王も大変であったな」

「えぇっ?! 何故、同情をされているのですか?」

「いや、そりゃするだろ。なんていうか……親しくなる為の代償が賭け過ぎてさ」

「もっとこの男に無茶な頼みを要求していいのだぞ?」

「うん、貢がせていいと思う」


 思い思いの批難が飛び交う。


 それを不満そうだがクレインは黙って受け流す。ここでなにかを言えば三倍になって帰ってくるのだ。口など開けはしない。


「私はそうは思いませんし、三人がよく口にする荒ぶる魔王への不満も誇張されているのではとも思っていますが」

「信頼度の格差が凄い」

「荒ぶる魔王に洗脳されてる」

「おい、流石に言いすぎだろ」

「けれどまあ、そんなふざけたやり方はしないでも、そういう助けになった事はないしなぁ……くそ、ここは素直に負けを認めるわ」


 勝手に勝負になり、勝手に勝ったクレインはどこか釈然としない様子で、ああ、そう、と呟く。


 諸々のお話も終わったとばかりに、火の魔王と山の魔王を大きな伸びをして席を立つ。


 ようやくこの延長戦も終わり。


 あとは思い思いに自分達の国に帰るだけだ。


 改めて分かれの挨拶をし、背を向けて数歩進み、三人の魔王が振り返る。



 深緑の魔王によって中断された相談を改めて行う水の魔王とクレイン。


 近すぎず遠すぎない距離。


 三人は小声で呟いた。


「兄妹」

「妹」

「やっぱりあたしは納得いかない」


 一人を除きその光景を微笑ましく眺めるのであった。

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