閑話 魔法
「……そもそものところで質問してもいいか?」
「私に答えられる内容なら構わんが」
山岳都市にて山の魔王グレゴール・ファミステスに案内されながら、特産を物色するクレインが不思議そうな顔をする。
既に荒ぶる魔王の中身を理解しつつある山の魔王は、一体どれほどおかしな話が出るかと身構えるも意外や意外。
至って真面目な内容を口にしだした。
「転移魔法ってあるだろ。あれ使ってばーっと山岳都市の特産を持ち帰れば、行きのコストだけで大量の商品を仕入れられるんじゃないか? なんで有翼種の独擅場になっているんだ?」
ただし、非常識かつ的外れな内容であった。
少なくともどれほど魔法が不得意な者であっても、こんな質問が出る事はない。そのぐらい魔法に対する教養がない話であるのだ。
「……感動を覚えるレベルだな。どれほどの田舎であっても、そんな事を口にはしないだろうに」
「あれ? めちゃくちゃ侮辱されてる?」
「今までどこでどうに暮らしたらそうなるというのだ」
「あー……えー……まあ、うん。田舎者だからな、俺は」
嘘である。
殆ど文明のない地は田舎とは言わない。
いや確かに何者かが残した物や、クレアの居住地など文明そのものはあった。
が、田舎者、と言うにはあまりにも限定的過ぎる。
「……あのな、転移魔法が自由に使える者ならばそもそも行き来すらも、魔法を行使するコストだけになるだろう。道中の具合やかかる時間など無に等しくなるわけでここへの商いに限定される話ではない」
「あっ」
「で、そんな商人がいるという話を聞くか?」
「……まあないよな」
「まず一口に転移魔法と言っても種類がある。自身を送る。物を送る。この辺りは非常に高度だ。また自分のところに引き寄せるというのも、視界の範囲外の上に長距離ともなればこれも高等技術を要する」
「そんなの使える奴は商人やってない、と」
「かと言って扱える者がそうした理由でほいほいと転移魔法を使う事もない。色々と準備が必要で、単なる買い物如きに使うのはあまりにも見合わないのだ」
「はー……なるほどな」
簡単ではあるものの、転移魔法に関するレクチャーを受けてクレインが大きな相槌を打った。
それを信じられなさそうに見る目がある。
ここまでの説明で、事前に持っている知識がゼロに等しい様子のクレインに、戦慄さえ覚えている様子だ。
「もはや何者なのだ、と問いたい」
「ま、待て。俺はその、あれだ。魔法適正が全くないんだ。ほら測定するやつあるだろ? 魔力の量ばかり凄くて適正に関わる魔石は一切光らなかったんだ」
「……測定?」
「あれ? 珍しいのか? 紙に魔石を並べて手を置き、その時の光具合を見るやつ」
「どこの地底で育ってきた」
「あ、そんなレベル……」
字面は煽っているものの、既にそれを通り越してただの素直な感想にしか聞こえない言葉に、クレインは顔を歪ませる。
発言者である山の魔王はといえば、この世のものではないなにかに遭遇したかの様子で口を開いた。
「俺の祖父でさえそんなやり方、聞いただけで見た事はないだろうな」
「あー……」
古いも古い。それを大陸で見たことある人物は果たして存命中だろうか。
種族によって寿命が違うとは言え、現山の魔王であるゴーレム種がそう短命であるとは思えない。
であれば、その手法は一体いつの時代の産物か。
(年齢不詳とは言え、なんか言動からして相当長生きしてそうだからなぁ)
ふと望郷にいる人物を思い出す。
訳知り顔で自分に優しく接してくれた女性。
ただでさえとんでもない話がある辺鄙な土地で生きているのだ。
およそまともな存在ですらないのだろう。
(それを言ったらお前が言うな、か)
対してまるで木の股から生まれたかのような自分。
非常識さで言えば彼女に負けはしないだろう。
更にはこの一般常識の欠如。一歩リードしているまである。
「今更カイン……側近に聞いたらなんと言われるか。魔法についてちょっと教えてくれないか?」
「普通、他国の魔王に聞くほうがハードルが高いように思えるのだが……まあいいか」
古くは遥か過去のこと。
かつて北の大陸で国が生まれ始め、領土を巡る戦乱の時代すらも未来という時代まで遡る。
魔法の原型とされるものは、地面に描き行使するもの。魔法陣であったと言う。
その後、魔法陣の内容を新しい言語に置き換える事に成功。
この専用言語にて構成される長い呪文を唱える事で魔法を行うものが主流となっていく。
やがて戦乱の世も過ぎ去り、今ある国が揃い始めてくる頃には詠唱を簡略化されたものが編み出され、ものによっては一言で完了するものさえある。
それが今日の魔法となっているのだ。
「もっとも、戦乱時代までいくと史料の多くが逸失しているから、あまり詳しい事は分からないがな。話では魔法陣もまじないの類程度という説もあるが、陣を使う魔法が現存しないわけでもない。が、後発の可能性もあるから、実際分からんものだ」
「それだとしたら魔法用の言語の登場は唐突だった、て事か?」
「陣とは別に言霊に力がある、という考えを持った派閥が研究の末、という事だそうだ。議論はされているそうだが今更なにが正しいかなど、調べる術もないのだろうがな」
「水の都市や剣の国でさえないものなのか?」
「残念ながら。ある程度残っている時代と言えば、だいたいの国が出揃ったあたりからだ。その時にはとうに戦乱も終えているはずだが……恐らくそのあたりでもいざこざがあったのだろうな。それで失われたか、あるいは記録を残せないなにかがあったか」
最古の国にすら残されていない歴史。
その期間に一体なにが起こったと言うのか。
今いる者で知る者もいないのだろう。
あるいは一部の者だけが与り知る閉ざされた記憶か。
「急に怖い話になったな」
「不自然だからな。水の魔王に聞いた事があるが、彼女も不思議に思っているようだ」
「それ、あの子が知っているけども黙っているだけで、水の都市では史料があるんじゃないか?」
「知っていて黙するのなら相当な事が起こったという証になる。どちらにせよ碌な話ではないというわけだ」
「ああ、そういう事か」
水の魔王リリア・スフェスター。
彼女ならばそんな話を独占しよう、などとは考えないだろう。
もしも知っていてそれならば、山の魔王の言うとおりよほど公言しにくい内容であるか、あるいは水の都市に大きく関わる政治的な理由であるか。
水の都市でさえ史料がないのであれば……純粋に逸失したというよりは放棄したようにも見える。
「……あまり深入りしないほうがよさそうな話題だな」
「だろうな。それにそんな大昔の事を掘り返したところで、そう有益でもあるまい。現状において、特別ななにかを享受している様子の国はないからな」
「それが強力な武器のようなもので隠し持っているとしたら?」
「使うつもりならとうに使われているだろうし、使用する為の条件が限定的なら心配するだけ杞憂というものだ。下手に刺激せず、知らぬ存じぬで切り札がガラクタとなる時代まで引っ張ったほうがよほど安全だろうな」
今なにがあるわけでもなし。
ならばこそ現状維持が間違っているとも言えない。
そもそも本当にその問題が実在しているともしれないのだ。本当に杞憂であるかもしれない話に、気を揉むのも無駄というもの。
「話を戻すか。魔法の適正がないと言っていたが、本当に一切魔法が使えないのか? いや、魔法について一切知識を持っていなかったのか?」
「言いたい事は分かるがそこを言い直す必要あったのか?」
事実を伴っている以上、反論のしようがない。
眉に皺を寄せた後、心底言い辛そうににクレインが口を開く。
「……ほんのちょっとだけなら試してみた。生活用魔法……火をつけたりするやつとか」
「その口ぶり、まさか……」
暗く沈んだ顔の荒ぶる魔王に、山の魔王が僅かに後ずさりをする。
クレインが臭わす言葉の意味。
それがどれほどの事か。
「……子供ならいざ知れず、できない者を探すのが苦労するその程度の魔法さえも!」
「言い方!」
「あのゴート・ヴァダーベンでさえ直接攻撃に使える魔法が扱えたと言うのに!?」
「……」
クレインの動きが停止する。
あの正に肉弾戦しか認めない様子の大男が魔法を使えた?
その事実に気が遠くなる。
あの脳みそまで筋肉で出来ていそうな大男の方が魔法は上?
視界の隅が黒く染まっていく。
「アレ以下なのか」
「正しくは未満だぞ」
クレインが膝を突いて崩れ落ちる。
武力と違い魔法は才能もあるものの、知力などを象徴する印象があるものだ。
事実、高度な魔法を習得しようとすると長く勉学に努める事も必要になってくる。
なにもできない者のただの羨望というわけではない。
つまりは。
あの大男に知で負けたと言うのか。
クレインの頭の中にその言葉が響く。
あの戦う事しか考えていなさそうな存在に。
しばしの間、ショックに打ちのめされたクレインがその場で、手と膝をついて項垂れる。
場所は山岳都市。迷惑この上ない。
そんな様子を山の魔王グレゴール・ファミステスに面白そうに眺められる中、一つの決意を胸中で誓う。
ちゃんと魔法を勉強しよう、と。
それが成功する事のない未来も知らずに……。




