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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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六十話 災いなくして害及ぶ

「昨日回収された書類です」

「おお、すまないな」


 カインから受け取るや否や、クレインはすぐさまそれに目を通す。


 過去このような光景があっただろうか。


 ともなれば感動さえも禁じえない。


 本来ならばそうである。


 だが、一番に喜びそうなカインは深い溜息を吐くのであった。


「やる気を出していただいているのは結構なのですが……。魔王とは、一体なんなのでしょう……」

「なんだ? 哲学か?」

「違います。自ら言い出したのですから、ご自身でやって頂かないと周りの負担が大きいですし、私もそのつもりで押し付けましたし……ですが、魔王たる者が報労に関する業務に意欲的なのも、今更ながら問題だと思いまして」


 小規模ながらも火の国への慰安旅行及び、その他の特別褒賞は思いの外評判がよく、一部の者では給金や休暇から旅行に切り替える者もいるほどだ。


 元々の希望者の人数もあって、未だに火の国行きを順番待ちしている状態が続き、こうして仕事が残っているのである。


「それにしても随分と食いつきがいいな。なんか聞いていた話もそうだが、印象とはだいぶ違う」

「私も同じ事を思っていました。多分、個人で休むのは抵抗感があるんでしょうね」

「皆で休めば怖くない、か。誰だったかは覚えてもいないが、見るからに疲れている奴に魔王命令で休みを与えようか? と聞いたらすごい萎縮していたもんなぁ」

「それは別の理由も大きく関わっていると思いますけどね」


 城内で働く者にとって暴君であったクレインの人物像は、とっくに一新されている。


 しかし、いきなりそんな事を言われたらどう思うだろうか。


 試されているのでは、と考える者はいるだろう。


 主君たる魔王にそのような手を煩わせるわけにはいかない、と思う者もいて不思議でない。


 そんな特別扱いをされた後の周囲の目だって考えてしまう。


 恐らく、などというまでもなく、根本的なところで別の問題である。


「……いくつかの感想を見て思ったんだが、国外旅行ってどうなんだ?」

「どうとは?」

「農商国家にしても他国にしてもメジャーなものなのか? 今回の事でこうした楽しみを知った、みたいなのがあるんだよ」

「住んでいる地域や趣味にもよるんじゃないでしょうか? 特に好きでもなければわざわざ他国まで湯に浸かったりはしないかと」


 そこで言葉を区切ったカインは、しばし無言で考え込むように目を瞑る。


「俺は根無し草だったからなぁ。そういう感覚はよく分からん」

「そもそもフットワークも軽いですからね……」


 魔王という役職においてこうなのだ。


 もっとも魔王だからこそ、という側面もある。クレインはこの為に本来の姿を露見させ、封じていたその力を解禁させたのだ。今更隠す必要もない。


 だがもしも魔王という役職もなく、この力を解放させていたらどうだろうか。


 昼になにを食べたくなった、という理由だけで隣国に出かける姿が想像される。


「なんにせよ、全体的に言えばそう頻度はないでしょうね。外から来る人々を意識しているのは水の都市や火の国ぐらいですし、行商以外で各地を行き来する人はその行為自体が生業に繋がる人が多いです。あとは……富裕層の道楽とかでしょうか?」


 事実、農商国家はこの通り大きな行楽のスポットはない。


 そもそも他国でも知れ渡っているほどの、となればカインの言う二カ国ぐらいなもので、あとは各国における有名どころがある程度。その手の物好きが詳しい、というのが現状である。


 しかもそれらとて観光資源として丁重に扱われているわけでもない。というよりは観光資源、という考え方自体が乏しいのだ。


「なるほど……しかし水の都市はまたなんでそこに力を入れているんだ? 確かにあそこは美しい景観だが、他になにかあったっけか?」

「大国故の情報の多さ。建国当初より魔法に力を入れている事もあって、様々な研究がされてまして、一部は公開さえもされています。なので休む事が目的の人は稀ですが、各国から人が訪れるんですよ」

「そういえば真面目そうな集団とかよく見かけるもんなぁ」

「よく……ですか」


 ピクリとカインの頬が震える。


 まだ発覚していない水の都市へのお忍びがあった事を裏付けてしまった。


「あー、んー……これならまた少し企画してもいいかもしれないな」

「いくらなんでも話題を逸らすのが露骨過ぎますよ。あとそこを精力的に動かれても困りますって話だったのですからね?」

「近場だと……樹海の国か」

「だから止めてくださいっ」



「というわけで来てみた」

「……急に連絡が来たものだから何事かと思えば」


 透き通るような青い空が広がり、そこを千切った雲が流れていく。


 あまりにも近くに感じられるそれは、手を伸ばせば本当に触れられそうであるほどだ。


 穏やかな風が流れ、優しく頬を撫でるなか。


 眉間に深い谷を作り、怪訝そうな表情を作る山の魔王グレゴール・ファミステスがクレインに呆れ果てていた。


「流石にそうホイホイと遠出するようなのは組めないし、なら食べ物とか名物を流通……とりあえずは一度に仕入れてみて様子を見てみようかな、と」

「……変わった事を考えるものだな。しかし、他国に自慢するようなものなどここにはないぞ。それこそ樹海の国の方がいいのではないのか?」

「得てして自国にいるとそう思うもんさ。それに樹海の国は普通に取引があるから、なにも入ってこないわけじゃない。そんなところでほれ、俺が山岳都市の名物を発掘してやろう」


 胸を張り鼻高々でクレインが言った。


 確かにこの男は数箇所の国を旅をした経験がある。一つのところに、それも町に長く留まった様子ではなさそうだが、他国での見聞という意味では確かなものがあるのだろう。


 それなりには頼もしいものだ。


 頼もしいのだが、確か魔王であったはず。


 そう戦う事で、血を流させた事でその座に就いた男であるはず。


 だが、目の前にいる存在は微塵もそんな気配さえ窺わせる様子がなかった。


「以前がどうであれ、毒気を抜かれすぎだろう」

「いきなりなんの話だ」

「こうして対面してみると、本当に先代荒ぶる魔王を討った男かと思ってな。それに賊狩りというものの話も聞いているものだから、余計に事実と異なって見える」

「……まあその辺りは若気の至りもあるから、あんまり触れて欲しくはないな」


 今でも答えは出ない。


 それでもあの時の自分がどうであったかは十分に理解している。


 いやその当時でさえ理解はしていたのだ。


 ただそれならばどう生きるべきか。他にどんな生き方をすればよかったのか。


 それらがまるでなかった故であり、己の未熟さを象徴していた。


「それにしても話には聞いていたが本当に陸路は殆ど使われていないんだな」


 山岳都市。名前だけなら切り立つような崖が連なる山の奥にある、秘境のような場所といったイメージさえも浮かぶもの。


 だが実際のところは、確かにそうした険しい箇所もあるものの、広い高原が占める面積は非常に大きいのだ。


 しかし空を飛んだクレインが見たとおり、都市から国外へ……山の麓に向かう長い道を出歩く人影はあまりにもいなかった。


 それもそのはず。まず目的地が山の上の方であるのだから、当然行くだけで大きなコストがかかる。そして物珍しくはあっても、特別高価な物産がない山岳都市。そんなわけで、地を行く商人もおらず山岳地帯を通らない道でさえその有様というわけである。


「今では整備すらも行き届いていないからな」

「……流石の俺でもそれは国としてどうなんだ、て思うんだが」

「私もそう思う。だからこそこの代で色々とやっていくつもりだ……が、まあそうスムーズには運ばんな」


 グレゴールが大きな溜息をつく。


 ただでさえ今まで必要性が低かったのだ。それを最低限の整備を行うとしても、今更な話である。


 なにより、ここ山岳都市は比較的多種族で成り立つ国であり、環境もあって有翼種が多い。そうした事が理解を得られにくく、またまとまりのない状況を生み出している要因でもあるのだった。


「こうして他国へ遊び半分で来られる荒ぶる魔王がうらやましいものだ」

「ふふふ、優秀な家臣がいるからな」

「そうだろうな」


 冗談めかして言った言葉に、グレゴールが深く頷いてみせた。


 特別、山岳都市と親交があったという話は聞いていなかっただけに、クレインは目を瞬かせて驚く。


「別に不思議な話ではないだろう。あの先代荒ぶる魔王下でも、国を崩壊させずに維持し、一年と少しで見違えるほどの回復をみせたのだ」


 思えば他国から見た農商国家について、正確なものをクレインは聞いた事がなかったがなるほどこう思われていたのか。


 事実だけを並べていくと、如何にカインを筆頭とした家臣達が優秀なのか、改めてよく分かる。


「例えそれが荒ぶる魔王の突拍子のない案によるものだったとしても、それを実施に向けて動いたのは彼らだろう。なによりこの短期間だ。迅速かつどのように行うべきか。そしてそれらを早急に実施し効果を出した手腕。どれをとっても見事なものだと褒めちぎらん理由がない」

「おお……べた褒め」

「鼻が高いか?」

「まさか。冗談で言うならまだしも、トップの首を挿げ替えただけの俺が自慢していい事じゃないだろ」


 感謝こそすれど、それを自らの事や手柄のように言ってはならない。


 そう自嘲するクレインだが、山の魔王グレゴールは面白そうに眺めるのだった。


「なんだその反応」

「いやなに。本当に変わった男だと思ってな」


 見得の一つや二つ、張ったところでなにも不思議な事はない。


 だがクレインはそれどころか自ら卑下するまであるのだ。


 魔王としてどころではなく、こうした言動が取れる者はそうそういないだろう。


「だいぶ話が逸れたな。それでどういった類の物がいいのだ。場所ぐらいは案内してやる」

「食料品だな。皆多忙だし、こういう消耗品の方が手にしやすいだろ」

「……」


 打って変わって冷ややかな視線がクレインに突き刺さる。


 下がそれでお前はなにをやっているのか。


 そんな言葉が聞こえてきそうだった。



「というわけで色々と仕入れてきた」


 仁王立ちするカインの前で、正座をするクレインがこれまでの経過の詳細を話していた。


「せめてもう少しなんとかならなかったんですか。なんで山の魔王様に直通の連絡を……!」

「い、いや……だって特定の施設とかじゃないし、どこに連絡いれればいいか」

「なら相談して下さい!」

「したら計画そのものが流れるだろ」

「当たり前です!」


 例の如くひっそりとお忍びに行ったものの発覚し、例の如く怒り心頭のカインである。


 クレインの部屋で待ち構えていたカインだったが、よもや大荷物を抱えたクレインを出迎える事になるとは思っておらず。


 予想以上に酷いなにかをやらかしているのでは、とこうして尋問となったのであった。


「く……帰りに雨に降られ、おまけにカインバレとは運が悪い……」

「そうですね、そんな事を愚痴られる私こそ相当不幸な気がしますが、運はよくないでしょうね」


 ガツン、と相変わらず愛用されている棍棒で床を突く。


 本来、魔王が使う部屋でもなく、使うようになってもクレインが断った事で、相応の装飾なども持ち込まれず。


 一面に絨毯が敷かれている事もなく、固めの床材の破片が爆ぜたかのように飛び散っていく。


「……傷がつくぞ」

「では魔王様に当たって……いえその場合は八つ当たりでもないですし、むしろそうするべきでしょうか」

「……お土産あるから、ね?」

「ね、じゃないです!」


 懇願された許しに罵声で返しはするも、クレインが差し出したお土産とやらを受け取るカイン。


 片手に乗せるには少し大きめのビンであるそれは、


「……お漬物?」


 酷く渋いチョイスであった。


 それもただゴボウとしか書かれていない。


「食べても大丈夫なものなのですか? いえ食材の話ではなく……」

「言いたい事は分かる。他所向け、という考えがあまりないし、そこで住んでる人しか買わないからそんな状態らしい。だが味は保障する」

「あー……もう完全に気が削がれました。まったく、ほどほどにして下さいよ」


 ようやく解放された、とクレインが胸を撫で下ろす。


 だがそれも束の間、扉に向けて数歩歩いたカインが、くるりと振り向き満面の笑みを浮かべた。


「あ、しばらくは謹慎ですので」

「おぉ……久しぶりの……」

「部屋で軟禁、ではありません。やって頂きたい仕事がありますので、しばらくはそちらに集中してもらうだけです」

「……監視つきで?」

「監視つきです」

「……。外出とかは?」

「無断でできないように監視をつけるのです。まあよほどの事がない限り許可を出すつもりはありませんが」

「それも軟禁と言わないんだっけ?」

「いえいえ外での仕事ですから。もっともこの雨が止まない限り、しばらくは城から一歩も出る事はありませんが」

「やっぱり軟禁では……?」



 それから三日、弱いながらも振り続ける底冷えするような雨を前に、クレインの予想通り城内軟禁が続く。


 初めこそ反省の意思もあって大人しくしていたものの、止まない雨に暇を持て余し始め、鎧など身の回りの物の整備をし。


 大してする必要のない部屋の掃除、先日できた床の傷の補修などなど。


 それらが終わるも、特にやるべき事は生まれず。


 別にこれなら城に留められていなくても、と意見もしたが無情にもカインには却下され。


 そうして、土産の一部を使い家臣達への夜食作りに勤しむ魔王クレイン・エンダーが再び誕生してしまうのであった。


「……反省期間、短過ぎませんかね」

「これはもう自分の持ち味だと考えている。曲げる必要はないのだ、と」

「……反省すべき行動に対してですか? 殊勝な態度を置いておいて夜食を作ることですか?」

「この漬物、山岳都市のコメというものとよく合っていたが、意外とこういうスープとも合うと思うんだ」

「……この人を張り倒せるような人材をスカウトしてきたい」


 もはや停められない速度の暴走を隠す事がなくなってきたクレインに、カインがよよよと嘆く。


 そもそもにしてゴート・ヴァダーベンを単身で討ち取ったのだ。端から止められるはずがないのだが、止まる気すらも失いつつあるとは。


「山岳都市は場所が場所だけにこういうのが多いからな。いっそコメ自体輸入するのもよさそうだな」

「運送コストが馬鹿になりませんし、いきなり大量の注文とかしないで下さいよ」

「勿論だ。浸透するか否か。いや第一に主食として受け入れられるか。その辺りを見てから判断するさ。しかしあそこはぱっとはしないが、結構な場所じゃないか? 色々と金をかけたら化ける土地のように思える。いっその事、俺が一肌……」

「魔王様……? どうかされたんですか?」


 何時になく饒舌なクレインにカインは不安げに尋ねる。


 それにはっとした様子を見せると、大きな溜息を吐き出しながらばつが悪そうにした。


「悪い。メンタル的にダメというか、あんましいい気分じゃないんだ」


 あまりにも珍しい言葉に、カインは思わず自らの頬のつねる。


 だが夢ではないようだ。


「……こういう冷え込む雨って苦手なんだよ。それが何日も続いているもんだから尚更気が滅入る」

「雨……。まさか、ゴート様を討った時の事を夢に見る、とかですか?」

「いや。そうではないが……まあ気持ちのいい事ではないな。大抵……」

「クレイン様! ああ、カイン様も!」


 血相を変えた一人の兵士が飛び込んできた。


 クレインにとっては初めての事だが、カインには比較的記憶にも新しい光景である。


 城内への侵入者、この魔王が起こした最初の騒動の時だ。


 只事ではない様子にクレインは身構え、カインはまさかと息を飲む。


 だが、その凶報は二人の想像を軽く飛び越えたものだった。


「西部国境近くの村が……襲撃されました!」


 大抵、自分の人生を大きく左右する、それも嫌な事がついて回るのだから。

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