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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
一章 出会う者
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五話 帰路と往路

 夜が明け、雲一つない空があかがね色に染まる頃、二隻の船が大きな帆を広げる。吹き抜ける風はやや冷たくもあるが、一行の身を引き締めさせるにはうってつけだった。

 

「やっぱり速いなぁー」


 初めての大航海で緊張する面持ちを見せる兵士をよそに、エルナは甲板から身を乗り出し、気持ち良さそうな様子で一身に風を受けている。


「誤って落ちるなよ?」

「そんなヘマはしないさ」


 エルナは軽やかな足取りでステップを踏むように振り返り、忠告をしたクレインに笑顔で手をひらひらと振ってみせた。


 今のところクレインはエルナに対して、殺めるような気をもっていないのだろう。俄かには信じがたいがそれを確信したエルナは、わざわざ不機嫌そうな姿勢を貫くよりも、楽しめる事は素直に楽しむと決めたのだ。


 そんな彼女の思いを他所に、はしゃぐ姿に見とれる兵士達も少なくなかった。彼らにとって彼女の存在の大きさは増していき、中には好意的に見る者もいるのだ。孤立無援だと思っているエルナに、計らずも自身を支持する者達が現われはじめているのだが、本人がそれを気づくのは一体いつの事になるだろうか。



 出航から二日目。元はただの漁船とは言え、複数人で乗り込む船というだけあって、しっかりとした船室も備えられている。中央に狭い通路が通っており、左右に二段のベッドが二列並んでいる一部屋8人の部屋だ。


 今そこには、船酔いで横たわり唸り続ける兵士達と、それを介抱するエルナの姿があった。流石にガントレットを外しているとは言え、鎧にグリーブは変わらず身に纏っており、随分と鈍色で無骨なナースである。


 とは言え、救護に関する知識に明るいわけでもないエルナにとって、できる事といえば彼らの額に乗せられている冷やしたタオルを交換したり、食事と薬の準備をするぐらいなもの。


 初めこそ、エルナは船酔いで苦しむ兵士達にせせら笑いもした。だが、延々と喘ぐ姿や、素人目の彼女から見ても士気の高さが窺える兵士が漏らす、この旅へ志願した事を後悔する声を聞くにつれ、自分の想像を超える苦しさである事を知り、流石に不憫に思い、力不足を承知の上でこうして介抱の役目を名乗り出たのだ。


 

(それにしても……)


 改めて兵士達を眺めて思うのはその姿についてだ。現実がそうであるならば、受け入れざるを得ないものの、今まで自分が見てきた世界の一部が否定されたような思いである。


(じゃあ魔物達はなんだ? 今までの考えからすれば、北の大陸から魔物化させていたって事になるが、この海を越えてか? いくらなんでもそれは……)


 椅子に座りながら、その可能性を探るも一人で首を横に振った。


(ありえないな。この海を越えてくるほどの魔力だなんて、生命体が保持できる量を遥かに超えている。仮に魔王には可能だったとして、野生の動物と植物に限定して影響を与える? それだけの事ができるのなら、直接攻撃してくるだろ)


 ギシリ、と音を立ててもたれかかり、目を閉じて思索に耽る。


(北の大陸で魔物化して南に送っている? 兵士でこれだ、船での運搬はないだろう。なら長距離を移動させる魔法を使っている? 聞いた事はないが、それは飽くまで南の大陸の話であって北の大陸には存在する可能性がある。だけど、それならこの船旅は何だ。隠す意味があるのか?)


 ベッドの梯子に足を投げ出してひっかけ、顎を上げて腕組みをする。更に体重がかかった事で再度ギシリ、と椅子が悲鳴じみた音を立てるが、エルナは意に介する様子もない。


(そもそも兵士という戦力があるのに、魔物を使う理由は何処にあるんだ。根本的な考えがおかしいのか? 魔物を使わないといけない? 本来、魔王は動かない……動いてはいけない? 兵士も同じなのか? 今回は北の大陸にいる所為で……いやいや、それだと今までの魔王達が魔物を使っての侵攻は何故だ)


 そんな姿勢のまま、左右にゆっくりと首を傾げる。だいぶ袋小路に迷ってきた。


(仮に今回だけで考えるなら、魔王の魔力を発する何かを……いや、魔力を与えた代理を立て、それを南の大陸に送り込んだ? で、見つからないように立ち回っていただけの話か。けどそれならなんで今、あたしと共に南の大陸に向かっているんだ。丁度いいから視察、とでも?)


 祖父の努力も空しく、決して魔法が得意とは言えないエルナではあるものの、学術的な事ならば並の魔法使いに劣る事はない。だが、既に思考はその範疇を越えており、今の彼女が持つ知識では見当もつかず、もはや机上の空論かただの空想となってきていた。


(まさか、今まで魔王だと考えられていた存在は、本当にただの魔王代理なのか? 確かにそれなら、過去の魔王の存在も一応は筋が通る)


 ただの絵空事かと思われた考えだが、僅かに現実味が帯びてくる。


(だとしたらあのクレインというのは、真の魔王という事になるのか。とんでもない存在を連れて来てしまった……が、これはこれで完全に撲滅する好機とも言える)


 体を起こして、ぼんやりと部屋の奥の丸い窓から見える、真っ青な空と海を眺める。一瞬、はっきりと見えた気がした光明は、太陽の光を反射させる海面のように、すぐさま揺らいでゆき、手を伸ばすのには頼りないものへと変わっていった。


(あいつは先代の存在を口にしたんだ。あいつ一人を殺したところで、次の『真の魔王』が誕生するだけで、解決になっていない……大体、不確実な情報を繋いだだけで、確かな根拠のない想像じゃないか)


 エルナは溜息を一つついて、当てのない考えに終止符を打った。こんな事で本当にあの魔王を倒し、平和を勝ち取る事ができるのだろうか。僅かながらも決意と覚悟に曇りを感じ、慌てて振り払うように気を奮い立たせる。


 ふと、微かに聞こえた物音の方を見やると、こちらに力なく垂れている翼が向けられていた。


 船酔いで寝込んでいる兵士は三人。うち一人は背中から翼を生やしているのだが、その背にあるものの所為で仰向けに寝れないのか、常に横を向いている。先ほどまでは顔がこちらを向いていたはずだが、今は背を向けているのならば、とエルナが覗き込んでみると、予想通りタオルが額から落ちていた。


(これはこれで不便だな)


 タオルを交換しながら、天使とも言えるような姿である人物に同情をした。こうして寝方が限定され、服なども特注品となるのだろう。見れば、鎧の背面には翼を通す為のやや大きめの穴が空いており、冬場は寒さを感じそうなものだ。それに飛ぶにしても、鳥との体形の違いを考えれば綺麗に舞い上がるのも難しいのだろう。見た目の割に随分とデメリットが多いのではないだろうか。


 そろそろ、また一通りタオルを交換する頃合だろうか。エルナは数枚のタオルを手にしようとすると大きく船が揺れ、言葉にできない怖気が体を駆け巡る。


 エルナは奥歯を噛み締めるようにそれを飲み込むと、ガントレットと剣を手にして部屋を飛び出す。おおよそ何が起こったかは想像できるものの、受け入れがたい事柄だけあって、ただの波であってほしいと願わずにはいられなかった。


 だが、そんな思いとは裏腹に、甲板に出た彼女の目に飛び込んできたのは二匹の海蛇が、高いところからこちらを見下ろしている姿だった。姿こそ角一つなく、草むらにいそうな蛇そのものだが、その大きさたるや龍と呼ぶべきものである。


「な……これ、が……」


 やっとの事でエルナが搾り出せた声もそこまでで、それ以上は言葉が続かなかった。だが、それは周りの兵士達も同様で、ただ呆然と立ち尽くしているばかりである。


 その中をクレインは悠然と船首へ歩いていくのだった。周りを追い越していくその後姿は堂々たること、なんと頼もしい事か。エルナでさえも固唾を呑んで見守っている。


 クレインは落ち着いた動作で抜き放った剣を空へと掲げ、一呼吸の間を置いて振り下ろした。轟音と共に噴出すような勢いで大きな水柱が海蛇達の間に上がり、雨のような飛沫が降りかかる。これにより生じた波が、船をぐらぐらと大きく揺らした。


 恐ろしく巨大な海蛇達は水柱を避けるように身を引くと、静かにクレインを見つめだした。それに応えるように、クレインは振り下ろした剣の切っ先を上げて構える。数秒、あるいは十数秒と時間が過ぎただろうか。海蛇達はそろそろと船から離れつつ、海中へと沈んでいったのだ。


「か、海中に帰っていく……」

「お、おぉ」

「流石は魔王様だ……」


 兵士達が大きく息を吐いて安堵する。魔王がいるとはいえ、エルナも兵士達と同じように強張らせた体から力が抜けていく。


「この程度か」


 考える素振りを見せながらクレインは船尾へと進み、後続の一隻に合図を送る。すぐさま異常のない知らせが返ってきたのを確認すると、クレインは踵を返して兵士達に口を開いた。


「各自、警戒を怠るな。海上での危険はこれに限らん」


 敵ではあるものの、エルナは僅かながらもクレインに対して尊敬の念を抱かずにはいられなかった。こうした緊急の事態においては最前に立って解決にあたり、そして上の者として周りをまとめる。クレインの立場からすれば当然の事だが、エルナにとってはそれだけで信頼を寄せてしまいそうになるのだ。


 今まで見てきたクレインは、何処か飄々とした態度である事も然り。彼女の旅には目上の者がおらず、互いに力を合わせてきた事も然り。なによりクレインが、旅の中で見てきた上に立つ者達と比べ、一線を画する存在である事。それらがエルナの心を強く打つのだ。


「何を呆けているのだ?」


 心ここにあらずといった様子のエルナに、クレインが心配そうに顔を覗き込む。エルナがはっと意識を引き戻すも、今更取り繕う術もなく、僅かに顔を紅潮させた。


「な、何でも……いや待て、今のはなんだ。なんで襲われそうになったんだ」


 僅かに頭の片隅で引っかかったものを手繰り寄せて、反論じみた声音で気を逸らそうとすると、エルナの思惑通りかそれほど気にしてはいなかったのか、クレインはエルナに答え始めた。


「海中に潜む大型の生物。今の海蛇のようなものに限らず、全てが我々の支配下にいるものではない。そもそもそんな事ができるようなら、もっと大きな被害を受けているだろうに」


 いくら遠い沖まで出なくても、漁をする場が浜のすぐ傍に限定されているわけではない。そして船が襲われたという話を聞かないものである。それを考えれば、魔王が保有する戦力の中に海洋生物というものは、存在の有無すら問われるほどのものなのかもしれない。


「……全てじゃないのか」

「お前の全てがどの程度かは知らぬが、本当に全てならばお前達の現状は正しいのか?」

「……なるほど」


 もしもあれほど巨大なものも従えているとしたら、南の大陸はとっくに魔物で溢れかえっていても不思議ではない。むしろ、全ての動植物が魔物化していないという事は、思っている以上にその範囲は狭いのかもしれない。


 納得しているエルナを見て、クレインは既にその場から離れつつある。だが、エルナは一度は納得したものの別の疑問も生じ、その後姿を見ながら動けずにいた。


(けどさっきの一撃、大きな魔力を感じた。けど、魔法にも見えなかった……。魔力を魔法に転換するのではなく、魔力そのものを直接攻撃に転換させたのか? そういう術が確立されているのか?)


 魔法の体系の違いか、魔王だからか。どちらであれ、自分の常識を覆す出来事であるのは間違いがなかった。


(あの威力で疲労感も見せない。平時から感じられる魔力であれだけの事ができるほどの効率、いや、高度な魔力制御で体から発する魔力を抑えているのか)


 それはどれほどの事だろう。改めて考えるまでもなく、エルナを戦慄させるには十分だった。自分達人間が真似しようものなら、人間である事の壁を幾つ越えるのやら。


(それでいて南の大陸の現状は何故、ああなのだろう。本当に魔王代理人だからなのか? なら何故手を抜かれているのか……直接攻めてこない理由はなんだ)


 思いがけず先の想像に現実味を増してきたものの、そこに打開策が見出せるわけでもなく、その思惑については更に謎に包まれていく。その上、想像していた現状は実のところ、更に数歩悪い地点にあると示しているのだ。


「というか、なんだよあの化け物……あれでも全力じゃないのか」


 視界から消えた後姿の主に対し、絶対の万全でなければ一切行動を起こすまい、とエルナは深く心に誓うのだった。

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