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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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五十六話 小さくも背負うのは

「以上をもちまして、本日は終了とさせていただこうと思います。が、なにかございますでしょうか?」


 ようやく協議も終わりを向かえ、水の魔王が農商国家の二人に問いかける。


 しかしクレインなど話している内容をカインから解説してもらっている身。


 分からない事が分からない状態であるのだ。


 もっともそれ故に優秀な側近が傍に控えているわけで。


 クレインの困った様子の視線に応え……るまでもなく、そもそも自分の為と言わんばかりにスルーして、起立と一礼をする。


「本日の議題の中には各自が調査を行っている様子がありましたが、各国で役割の定めはあるのでしょうか? また、現状において農商国家は皆様方からなにを求められているのでしょうか?」

「飽くまで各々でできる事を行い、共有し互いの力になる。ただそれだけの事で、そうした取り決めや強制は一切ありません。また、互いに相手になにかを求めるという事もございません。仮にただ情報収集の為だけにこの場にいるのでも、それはそれで構いません」


 ですが、と付け加えると、水の魔王の水底を思わせる美しい瞳が一層底冷えするような気配を放ち、


「もしも我々に害を成そうと企てて入り込んだ者であるならば、一切の容赦をするつもりはありません」


 この場にいる全ての者を震え上がらせた。


 誰も彼も最年少だろうと判断させる容姿の水の魔王だが、かたや最年長の山の魔王さえも気圧される迫力を見せつける。


 この場を取り仕切るのはなにも国の力に限った事ではないというわけだ。


「勿論、私はお二人を疑うつもりはありませんし、荒ぶる魔王のような武力ではなく、平和的な解決を目指しますけども」


 一変してにっこりと微笑んでみる。


 直前の様子を知らなければ、なんて可愛らしいか。


 もっともそれとて、この絶対零度の双眸さえ見なければ、だが。


 無論、それが目に入らぬ者はいないだろう。


「お、お答え頂きありがとうございます……」


 完全に竦みあがっているカインが一礼と共に席に着いた。


 カインの恐怖する表情。少なくともクレインは今まで見た事はない。


 果たして、ゴート・ヴァダーベンが健在していた頃、彼はどんな顔をしてその勤めをまっとうしていたのか。その当時のほうがよほど恐ろしかったはず。


 だが、案外その過去と今、どちらのほうがましであったかを測っているのやも。


「それでは今日の協議はここまでで。皆さん、お疲れ様でした」

「ふー、終わったー」


 水の魔王の挨拶を皮切りに、深緑の魔王が大きく伸びをし始めた。


 だが、そんな様子に誰も見咎めるでもなく、堅苦しかった空気と凍りつきそうな空気が換気されていく。


「ところで……荒ぶる魔王よ」


 協議終了に軽口も叩かず体の力が抜いていたクレインへ山の魔王が声をかける。


 魔王としては拙いながらも見事にやりきったが、何事か問いただされるのか?


 と、傍に控えるカインに僅かな緊張が走るも、山の魔王の表情は無骨ながらも穏やかなものであった。


「聞く限りでは、その志に荒ぶる魔王などと呼ぶのも躊躇うものだが……本当にその名で良いのか?」

「話したとおりこの名で呼ばれるに最たる者を討ったんだ。合わないなんて思ってはいない。それに他の名前と言っても、自分に適したものなんて思いつかないしな」


 確かに賊狩りなどと呼ばれてはいたが、それとて周囲がそう名づけたに過ぎない。


 クレイン自身、二つ名など考えた事もないのだ。いきなり言われたところで思いつくはずもない。


 そもそもにして、それに適した自分の特徴とはなんぞや。というのがクレインの正直なところの感想である。


「……あるじゃないですか、所帯モゴモゴ」


 危惧するような話題ではなく、肩の力を抜いたカインは珍しく人前で軽口を発するも、即座にクレインによって塞がれた。


「しょたい……なんだ?」

「なんでもない。荒ぶる魔王で構わない」


 こんな戯れで正式に二つ名が変更されるなどとは思わない。


 だが、その名を聞かれたならば間違いなくその理由を追求される。


 結果、長々とそのネタで弄られる未来など想像するに難くない。


 自身の行動に恥じる気持ちもなければ、基本的に拘りもなく、いい加減なクレイン。


 しかしそんな彼をもってしても、所帯じみた魔王などという呼称は是が非でも回避したいのだ。


「ま、改めてよろしくな。新たな魔王がお前みたいなので安心したぜ」

「……そうだな。隣国の魔王があの大男だったんだ。その苦労、心中お察しするよ」


 心からの同情を示すクレインに苦笑で返す火の魔王。


 西の国々。征服派に囲まれている上に農商国家の先代となった魔王があれだ。それ以前の魔王がどうであったにせよ、少なくとも現状の火の魔王にとってはとんでもない貧乏くじであったのは違いない。


 他三人の魔王も哀れみを含んだ表情を見るに、この場で愚痴の一つや二つを零した経緯がありそうだ。


「皆さんもその辺で。ただでさえ農商国家は長く周囲と断絶していたのですから、持ち帰るものや学ぶべき事が多いでしょう。あまり時間を取らせるわけにはいきません」

「いや、俺は別に、お気遣い感謝して下がらせてもらう」


 どうせ自分は殆どやる事ないし、という内容を口にしようとしたクレイン。


 だが背後から感じる冷気に、急ぎ取り繕って部屋を出て行った。


「……」


 四人がその背を見送ると互いに顔を見合う。


 まるで示し合わせたかのようであるが、それもそのはずだ。


 流石に本人を前にあれこれと喋るのも憚れるというもの。


「どう思われましたか?」

「嘘をつく気がないタイプ……だな。なんらかのものを腹に抱えてはいるのだろうが、基本的には自由人の類だろう。付き人がいなかったらどんな失言をしていたか」

「あーなんか分かるな」

「あんまし信頼するのもどうかと思うけどねー。どうやってあの狂人を討ったかは知らないけども、挑もうって時点で相当やばいでしょ」

「……私としては喜ばしいと思っていましたが。そうですね、しばらくは不信の念を忘れずに接する事にしましょうか」

「本心か飾ったものか。まああれで飾ってるつもりなら、凡そ懸念すべき相手ではないだろうが……志としては近しいものだろう。言うとおり手放しの信頼はすべきでないが良き友であれ」

「……ええ、そのつもりです」


 まるで我が子を諭すような山の魔王の言葉に、水の魔王は柔らかな笑みで応える。


 初対面にして掲げられた荒ぶる魔王クレイン・エンダーの思想。


 もしも共存派に取り入ろうと調べた上でならば、暴力をも引っさげた話をわざわざ持ち出したりはしない。どう見てもマイナス点でしかないのだ。


 だがそれでも語った。


 汗をかき強張った表情で。


 だからこそあれは本心であったと信じられる。


 信じられるからこそ、自分と通ずるものを持っている事が、彼女にとって嬉しくてたまらないのだ。


「しっかし、まさか賊狩りとはな。誰が暗躍しているんだとこっちは緊張していたぐらいだが……結果的にはだいぶ助けられたからなぁ。あとで改めて礼を言わないとだ」

「火の魔王が知っている様子の上に、特に否定的な態度を示さなかったので悪いものではない、と触れないでおきましたが……。一体それはなんなのでしょうか?」

「名前の通りだよ。あー水の魔王には話してもいなかったな。西で悪さしている連中を潰して回る奴がいるって話でさ。正体も思惑も掴めなかったから戦々恐々としていたんだ」


 彼にとってその存在は目と鼻の先で動き回っていたのだ。それでいて尻尾も掴めぬまま数年。さぞや気味の悪い話だろう。


 だが一番の修羅場は、その姿が失せた時であった筈だ。そう、クレインが農商国家に渡り、ゴート・ヴァダーベンを討つまでの時間。


 正体不明の賊狩りが大きく動き、尚且つなんの情報もない。その期間の彼はどれほど心中穏やかでなかったか。


「……仰ってくださればこちらからも調査の支援をしたのですが」

「気持ちだけ受け取っておくよ。実際申し出られても断るしかないし」

「そうだな……隣接しているからこそ、火の国の者が西側に出向いて動くのはあちらもある程度は納得するだろうが……」

「他にこっち側が動いたと知ったら、衝突こそないだろうけどもなにかしら拗れた話になるわよね」


 一触即発には程遠いまでも、下手に征服派を刺激するわけにはいかない。


 今回の件に関して、他国ができる事と言ったら火の魔王を労わるぐらいで、事実山の魔王からの計らいがあったものだ。


「協議に出席した事で、農商国家の立ち振る舞い方が彼らにも伝わるのでしょうね」

「大きく動く事はないだろうが、さてどう思っているかね」

「連中からしてみても、先代荒ぶる魔王は恐怖の対象でしかないはずだ。交代自体を喜んではいるはずだが」

「共存派側に戻ったのは面白くないでしょうね」


 果たしてそれがどんな結果を生むのか。今はまだ、彼らも注視するしかないのだった。



「はー、いやまったくもって疲れたな……」


 げっそりとした顔で、水の都市にある宿屋の一室に入ってきたのは他国の魔王クレイン・エンダーである。


 その第一声を裏付けるかのように、フラフラとベッドにうつ伏せで倒れこむとピクリとも動かなくなった。


 協議の日は水の都市に一泊し、明朝に農商国家に向けて出発する予定としていたが、その計画は思いがけず大正解だったようで。


 クレインは今、ベッドに飛び込める事を心から幸せに感じている。


 なにより普通のただの宿なのが実に具合がいい。


 カインには難色を示されたが、水の都市側にこの話が伝わってしまったら、賓客として宿を手配されかねない。そうなっていたら、グレードこそ上がっても気苦労は増えるし、落ち着けもしなかっただろう。


「本当にお疲れ様です」


 そんなクレインを見下ろして告げたのは、後ろをついてきていたカインであった。


 疲労の色こそ見せるものの、力なく倒れているクレインを尻目に、平時と変わらぬ動きで協議の間に取ったメモをまとめ始める。


 流石は側近と言うべきか。先代の時代においても活躍してきたのは伊達ではない。


 バリバリと新たに働きだす中、ふと手を止めてクレインを見やると、未だに死んだかのような状態のままであった。


 普段ならば嫌味や皮肉、直球で咎めたりするものだが、今日は表情を柔らかくして口を開く。


「魔王様」

「……小言を聞かないからな。せめて明日にしてくれ」

「逆ですよ。いえ、不満点が一切なかった訳ではありませんが。正直なところ感涙溢れ咽び泣くほどでした」


 胸に手をやり、その感動を反芻するかのように協議の様子を思い返す。


 一体どれほどの不安の中で始まった協議であったか。


 そしてそれを如何にして打ち破られたか。


 その始まりがカインの脳裏に鮮明に映し出される。


「まずはあの挨拶です。本当に成長されましたね……あれだけでも私はもう……!」

「……ほほう。それは俺の非常識さを揶揄しているのかな?」


 カインの本気の感動であったが、だからこそにギギギと錆付いた音を立てて顔を上げ、疑いの眼差しを差し向ける。


「滅相もございません。これは嘘偽り皮肉のない気持ちです」

「うん、そうか。分かった。これどっちに転んでも大差ない事が分かった」


 いずれにせよ、クレインにおけるこうした事柄への対応力は、どれほどまでに低評価であったか。それが示されていた。


 それも自他共に認める事実なのだから、反論もできないものである。


「お前の感動はお前の中で閉まっていてくれ。聞いたところで胸焼けとかしそうだ」

「そうですか……? かつてないほどに褒めちぎるつもりでいたのですが……」

「いやもうそれはなんか怖いわ。それよりも、結局誰一人本名を名乗らなかったんだが、実はまだまだ警戒されているとかか?」

「いえ、特別親交がなければ他国の魔王様の名前を呼び合う事がありませんので」

「おい、それお前が褒めた挨拶、鼻で笑われてたって事じゃねえか」

「どうでしょうか……特に反応もされていませんでしたし、暖かく見守れていたのでは?」

「次会う時どんな顔をしろと……」


 想像したクレインが再びベッドに顔を埋めてしまった。


 今になって見守られる、というのはもどかしさと恥ずかしさがある。


「秘匿されている訳ではないですしお伝えしておきましょうか。水の魔王様はリリア・スフェスター様。深緑の魔王様はミシャ・ブライトシャフト様。山の魔王様はグレゴール・ファミステス様。火の魔王様はクロム・ファクト様。以上が本日出席されていた魔王様方のお名前です」

「……水の魔王、スフェスターだけが王家だっけか」

「ええそのとおりです」

「なあ、あの子って見た目が幼いってだけなのか?」

「いえ……残念ながら年齢の問題ですね」


 背中越しに喋っていたカインだが、ペンを置いて体ごとクレインに向き直る。


 その顔は沈痛な面持ちであり、これから語る内容の扱いの難しさを物語っていた。


 流石のクレインとてそれが分からぬはずもなく、ぐったりとしていた体を起こすと、ベッドに腰を掛けて聞く体勢を整える。


「元は彼女の父君に当たるお方が先代として務めていたそうですが……母君共に難病を患いまして今はもう……。この国は歴史が長い分、格式や規律を重んじる傾向が強く、ああして第一継承権のあるリリア・スフェスター様が魔王の座についているのです」

「それはまた……難儀な話だな」

「本来ならば継承するのはもっと遠い先の話ですからね。歳だって私より下です。それなのに、今では補佐もなくああして他の魔王様方を牽引されて……凄いお方ですよ」


 いつもならば見習えぐらい言うところだが、デリケートな話題だけにカインもそれだけで言い留まる。


 なにより、彼女を出しにするのも気が引けたのだ。


「……心配したところで今の俺達がなにかしてやれる訳でもない、か」


 沈んだ表情で呟くが、なにも疲労だけが原因ではなかろう。


 だがそんな様子であるクレインは重たそうな体を引き摺ると、カインが認めた書類を手に取り目を通し始めるのだった。


 一体どんな心境の変化だろうか。


 問うまでもなく水の魔王ことリリア・スフェスターだ。


「おや珍しい」

「せめて次までには協議を円滑に参加できるぐらいにはならないとな」

「ええ、心からよろしくお願いします」


 嘘偽り皮肉のない。


 敬意を払う相手へ今できる事であるから。


 疲労した体に鞭を打ち、不得手のそれに挑むのであった。

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