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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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五十四話 地に足をつける

 ジリジリと焼きつくような日々。本格的に夏が来た農商国家の魔王城。


 その中庭では緑や赤や紫などなど。様々な色合いで飾られている。


 一言でこの場所を言い表すならばそう畑臭い、と。


 実際に畑そのものなのだから表すもなにもないのだが、そんな状況である為にそれなりに野菜が豊富であるわけで。


 豊富であるならばなんだと言えば。


 無表情にして随分と速い歩調で、側近カイン・エアーヴンが歩く。走ると称した方がいいかもしれない速さだが確かに歩いている。


 して、目的地の前と辿り着いたカインは大きな扉を開け放った。


 城ならでは装飾のついた扉だが、そんな事など気にしないと言わんばかりの力加減である。


 そんな様子を驚いた顔で見るのは四人。


 魔王クレイン・エンダー。


 魔王の右腕、と何時の間にかになっているアニカ・ゲフォルゲ。


 特別役職についているわけでない兵士と侍女。


 彼ら彼女らいる場所こそはそう厨房であった。


「カイン殿? どうかされたのですか?」

「そうですね。とりあえず、まずどうかしている隣の方にその言葉を投げかけてみては?」

「クレイン様が?」

「はて? 思い当たらないなあ」


 ピリ、とカインの頬が引きつる。


 ここしばらくのクレインは厨房に来ては料理を作っているのだ。夏野菜が豊作であったが為にどうせ腐らせるのならば、と。


 確かに間違ってはいないが魔王の行動としては大いに間違っている。


 更に、そうしては近くを通った兵士や侍女を呼び込んで味見をさせるのだった。


 そんな話が城内でも噂となり、なによりそれなり美味しいというものだから、用もなく厨房前を通る者も少なくない。


 仕事が滞るほどではないものの放置もできず、クレインへの口頭注意が数度なされたが……当然こういう結果となっていた。


「それに……あなた方も……」


 ジロリと名も知らぬ二人を睨みつける。


 これが目的で通っていたとは限らない。魔王の言葉に拒否できなかったのかもしれない。


 が、だからといってお咎めなしとはいかないのだ。


「しし、失礼しました!」


 と二人が逃げるように厨房を出て行く姿に、元凶であるクレインが可哀相な目を向ける。


「あんな態度でなくてもいいんじゃないか?」

「……いえまずは貴方が問題なので反省して頂けませんかね?」

「ちゃんとした生活をしているじゃないか。なにが悪い」

「そうですねちゃんとしてますね。地に足がつき過ぎてますが確かにちゃんとしてます。魔王という役職でなければですがね」


 美味しそうな香り漂う厨房では、大きな鍋が湯気を立てている。思わず食欲をそそられ、空腹を促されそうだ。


 菓子類の甘味とは違う、旨味とも言えるそんな甘い匂いに誘われて鍋の中を覗くと、赤いスープがたっぷりと入っている。


 恐らく、などと予想するまでもなくミネストローネあたりだろう。


 カインもしばしばクレインに振る舞われたものだが、その度に美味しくなっているから余計に腹立たしい。


「別に料理ぐらい魔王がしてもいいだろ」

「ええそうですね。料理ぐらいならいいですね。ええ、ええ、悪さもしてません。ですが、確かに有り難いですが夜食を作って遅くまで仕事をしている家臣に振る舞う魔王はいない!」

「あ、噂で聞いていましたが夜食の話も本当だったのですね」

「好評なんだけどなあ」


 初めこそ侍女達に教わりながら様々な料理に挑戦していたクレインも、今や一人でそれなりの料理が作れるようになってきた。


 無論、失敗する事もあるのだが、柔軟に吸収しめきめきと腕を上げてきている。


 流石というべきか、死の島で失敗こそ貴重な経験と学ぶ生活の賜物であるのだろう。


 最大の問題はこれが魔王という立場の者の話である事。というよりもこれは本当に魔王の話なのだろうか。


「味の問題じゃありません! 侍女達の仕事でしょうが!! しかもこの間、無断で城を飛び出して山菜取りに行ったでしょう! 知ってますからね!」

「な、何故ばれた!」

「目撃情報があったからです!!」


 農業区の上空を飛んで行ったのだ。外で仕事をしている彼に見られても不思議ではない。


 カインの予定を把握しての計画であったというのに、あまりにも迂闊である。


「なんなんですか! 農作業して収穫した物で料理して振る舞って! おまけに無断で出かけてまで、食材集めに山に入るとか……地に足をつけるにしたってもう少しまともなやり方があるでしょう! どこの田舎の人ですか!」

「カイン殿、ポイントはそこなのですか……?」

「違いますよ当然。ですが魔王としての振る舞いを考えたら、それすらも槍玉にあげないといけないんです。今までいましたかそんな魔王? まったく、もうすぐ協議だというのに……」


 項垂れるカイン。


 だがその原因のクレインはしばしの間、目を瞬かせると驚いてみせる。


「え? きょ、協議?」

「クレイン様、数カ国で集まり話し合う場がありまして」

「いやそれは知っている。が、当分先の話じゃなかったのか?」

「……この国の現状は把握していますか?」


 突然の質問にクレインは答えを詰まらせる。


 だが気を取り直すと、ゆっくりとであるが記憶を掘り起こすように語りだす。


「農業は……短期的に見ても仕方がないがここ数年では一番いい数字。軍部はまあ予算をがっつり削ってる部分があるから、それを考慮すれば普通。商業関連は少ないながらも外から商人達が入ってきてるんだろ? じわじわと良くなってきているのを見たはずだ」

「ええ、そのとおりです」


 安心したのか、あるいは一先ずはというべきか。カインが深く息を吐きながら胸を撫で下ろした。


 普段のクレインからすれば見違える進歩にも思えるが、カインはそこまで評価していない様子である。


 一年経ったのだからそれぐらい成長してなくては困る。という事だろう。


 辛辣だが当然の評価である。


 しかしその一方でアニカは大きく目を見開いて驚いていた。辛辣ではない評価のようだ。


「……ちゃんとされてはいたんですね」

「まあ表面的な数字しか見ていないけどな」

「せめてそこは『まだ』、を頭につけて頂きたいですが……今はいいでしょう」


 コホン、とカインが咳払いをする。


 どうやらここからは本題含めて真面目なお話というわけだ。


「魔王様もご存知のとおりで著しい、とまでは言えませんが予想を上回る回復傾向にあります。なので、無駄に協議不参加を引き伸ばす理由もありませんし、水の都市の使者も来ましたからね」

「え? 使者が来たって初耳なんだけど」

「お知らせしてなんの意味があるんですか」

「……確かにどう回避してカインに押し付けようか、とは思っていたが面と向かって言われると傷つくなぁ」


 あからさまに肩を落とす様子のクレインであった。


 しかし語ったのは張り倒したくなるような本音で、カインは今一度頬をピクリと引きつらせる。


「とにかく、出発は明後日の早朝ですのでお忘れないように」

「随分と急だな。え、待ってくれ。共存派どうのの話し合いとかしてないよな?」

「ご心配なく。馬車で向かいますので、その間にいくらでもできます」

「……純粋に聞きたい事があるんだけど質問いいか?」

「別に魔王様が飛んで行かれるのは問題ありませんが、初参加ですので体裁よくする為のものです。あとは単純に私は飛べませんので」


 質問内容を聞く前にさっと答えていく。


 それを予測されている事に気持ちのいいものはないが、聞き捨てならない内容にクレインの顔が曇る。


「やっぱりカインもか? だが馬車って事は日数かかるよな? この国大丈夫……?」

「どれだけ脆い国のイメージなんですか。確かにアニカさんに代理をお任せしますが、そう簡単に瓦解するはずないでしょう」

「ああ……え? できるのか?」


 まさか、と言わんばかりにクレインがアニカへと振り返る。


 文武両道のように見えるが、クレインの前でその様子は見せた事がない。


 それどころかこうして行動を共にしていると、カインのような仕事をこなすイメージからは離れていくばかり。


 クレインの視線にアニカは胸を張って、


「できません!」


 自信に満ちた表情で答える。


 そのまさかであった。悪い意味で。


「あ、そう……待て、じゃあなんでこの抜擢なんだ」

「一番信頼でき、正しく判断できますからね」

「私が処理できるわけではありませんが、カイン殿が行っていた仕事を誰に引き継がせればいいかは分かりますので」

「事前に各部署へ手回しをしているとは言え、緊急時には混乱も予想されますからね。そこで適切に振り分けられる方が間にいると随分と違います」

「ああそういう事か」


 言わば保険であるのだろう。


 しかし、カインが考えての一任であるのだから、その重要性の高さは窺える。


 その大任を授かるアニカは尚も胸を張る。


「ですが軍部に関するものでしたら私でもある程度は処理できますのでご心配なく。なにより、クレイン様よりお教え賜った事を実践する機会でもあります」

「お、確かにそうだな。さぞ連中も悶絶するだろうな」

「……なんか急に不安になってきたのですが、詳細を教えていただいてもいいでしょうか?」

「なんて事はない。賊狩り時代に学んだ嫌がらせを教えただけさ」


 クレインは胸に手を当て空を仰ぐ。それはそれは懐かしい記憶に耽るかのよう。


「今でもよく覚えている。正面から叩くのは難しい規模の敵とか、小賢しい相手とか。毒を撒いたり、相手の施設を壊したり……ここら辺は常套手段だが、次の一手を予想して罠を仕掛けて……敢えて放置して別の連中を襲う。忘れた頃に戻ってまた突く……」


 しかし内容は水底の仄暗ささえも明るく思える内容であった。


「まあ、数々の嫌がらせの考え方を伝授したわけだ」

「擁護のしようがないほどに立派な嫌がらせですね」


 まともに戦っては勝てない相手にはよくやっていた事である。


 チクチクと、と言う割には深い傷だが、相手を小突いては引いて、ストレスや鬱憤を募らせさせて冷静さを欠いたり、全体の統制が利かなくなったところを更にチクチクと攻撃する。


 陰湿極まりない話だ。


 一部で伝わる英雄賊狩りとはなんなのか。


 疑問に思うまでもない。


 そんな場面には狩る側と狩られる側しかおらず、守られる者が存在していないのだ。英雄視する人々に伝わらなくて当然である。


「遠慮なんて要る相手じゃなかったしな」

「そうなんですよ。今までは上層部の圧力に対して自分の努力でもって見返してやる、と思っていましたが、そろそろ意趣返しの十や二十をしてもいいと気づかせて下さったのです」

「ああ……なんでしょう。この尊敬する、憧れる人物が汚された感覚……」

「カイン、潔癖症はよくないと思うぞ」

「これまでの私が馬鹿正直過ぎたんです。空想上の存在だったんですよ」

「二人で結託しないで下さい。というか今のアニカさんの姿を他の者達が見たら……その内魔王様は刺されそうですね」


 カインの言葉の通りである。


 憧れの的であった気品溢れるアニカ・ゲフォルゲが、今やこの有様であるというのだ。


 クーデターも已む無し。


 もっとも、この程度でクレイン・エンダーという魔王を討とうと決起するのであれば、当の昔に農商国家は変わっていただろう。


「帰ってきたら大事になっていても困りますので……なにをどうするつもりか教えておいてもらってもいいですか?」

「いえ、大したことではないですよ。もしもこちらに回ってきたら、『ちゃんとした』処理をする為の段取りを整えて、別の方の手から上層部に渡してもらうだけです。さも、私を通さずに回ってきたかのようにして……」


 満面の悪意たっぷりの笑顔。


 彼女のファンが見たら泣き出しそうだ。


「話を聞く限り、連中も隙あらばとか考えているだろうからな。むしろ、元々カインをスルーする軍部の書類も、一旦アニカの下に来るようにさせるか」

「……程々にして下さいね」


 そもそもの相手が陰湿であったが、いざ行われようとしている仕返しも結構なものである。


 無論、仕事の上では問題がないのだから、これと言ってカインも無理に止めるつもりもないが、


(帰ってきたら、何名か高血圧かなにかで憤死していそうですね)


 思わず物騒な未来を想像する。


 だがそれも軍上層部が発端なのだ。甘んじてもらっても文句は言われまい。


 なによりそのほうがカインにとっても手間が少ない。


「とにかくそんなわけですので、明日はその準備となります。遊んでいる暇はないですからね」

「あ、待て。鎧はまだできていないぞ。流石にこの姿でそんな場に行くのはやばいだろ」

「ご安心を。綺麗にしてある物を用意しています。無論、魔王として着用するものではありませんが、その格好よりかはましでしょう」


 入念に洗っているとはいえ、とてもではないが他国の魔王の前に出るようなものではない。


 それならば例え城の凡庸な備品のような物であったとしても、そちらを優先しない理由がない。


「しかし、いよいよ他国の魔王と顔を合わせるのか。流石に緊張してくるな」

「常にそうして頂きたいですね……」


 さしものクレインとて、息を呑まずにはいられない。


 かつて対峙した魔王はゴート・ヴァダーベンただ一人。


 だがそれも討つと決めた相手であるのだ。今回とはあまりにもケースが違う。


 凡そ魔王に似つかわしくない言動を取るクレインであっても、自分が農商国家の顔であるのは十分に承知している。


 だからこそ、下手な事をするわけにはいかないと自覚しているのだ。


 国内においてはそんな様子を一切見出す事はできないが。


「そうと決まれば少し予習をしておくか」

「いい心がけですが言葉がもう魔王ではないですね。しかも一夜漬けですし」


 そもそも学ぼうとしている内容が、協議に向けて正しいのかも怪しい。


 だがそれはそれとして、カインはクレインの背後の鍋に目を向ける。


「それで、それはどうするおつもりで?」

「私が責任もって処理します!」

「いや待て! 俺も食べるつもりで作ったんだからな!?」


 よほど口に合ったのか、アニカが鍋ごと持ち去ろうとするのをクレインが抑える。


 明確に言い表すと、魔王が作った料理を強奪しようとする魔王の右腕を、魔王が取り押さえているのだ。


 酷い絵面である。


「あー……この協議、滑るんだろうなぁ」


 その光景に波乱の未来を視たカインが諦めの言葉を漏らすのだった。

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