五十二話 盛装
あとしばらくもすれば農商国家の魔王が変わり一年が経とうとしている。
当然ながら冬は過ぎ去り、暖かな陽気が人々の心を弾ませる日々が続く。
近年において、農業を営む者達にとって命がけの越冬となるのが常であったが、それも今や過去の話となった。
潤沢とまで言えずとも、今冬は越すのに十分な貯えがあるのだ。国の政策で行われた大きな支援によるものである。
大小問わず農商国家の情勢は着実に変化をみせていた。
徐々にではあるが、見違えるように力を取り戻していくのが誰の目にも見る事ができる。
そうして向かえたこの春。
今も尚、新魔王は他国に対して表向き暴君のイメージを貫いてはいるものの、魔王城周辺の地域においては素の表情を見せつつあった。
そんな中での本日、魔王クレイン・エンダーのお仕事。
「こちらから、向こうの目印となる岩までです」
「よし、離れていてくれ」
一人の農夫に先導されたクレインは、真っ直ぐに線が引かれた大地に立つ。
見渡せば耕作地を広げる為に多くの者達が開墾作業を進めている姿が目につく。
そんな場所でのクレインのお役目は水路増設工事のお手伝い。
穴掘りであった。
果たして魔王が手をつける仕事なのだろうか。
常人ならばそう思いそうなものだが、あいにくそこにカテゴリーされない現魔王はやる気に満ちている様子である。
「さて……」
一度、周囲を見渡して安全確認を行うとクレインが僅かに力む。ただそれだけで周囲に膨大な魔力があふれ出した。
まだ予備動作でしかなかったが、農夫に恐怖を与え息を飲ませるには十分である。しかし、当然ながらそれで終わりではないのだ。
クレインの両腕が丸太のように太くなり、鋭い爪を持つ異形のものへと変貌していくと煌煌と赤黒く輝きだす。それはまるで恐ろしき者の降臨のよう。
農夫はクレインが現魔王である事を疑うつもりはないかったが、この方こそが先代を討ったのだ、と改めて認識して身を震わせた。
「それじゃあ始めるぞ」
「え? あ、は、はい」
その瞬間、轟音と共に巨大な土煙が舞い上がりクレインの姿が消える。
しばし呆然としていた農夫がゆっくりと目で追う。
一直線に立ち上る土煙。恐らく、目印とした岩の近くまで続いているのだろう。
視界が回復してくると、煙の中から深さ1m程の溝が姿を現した。
終点の土煙もだいぶ晴れ、そちらを見てみれば自分達の魔王であるクレインがのんびりと手を振りながら近づいてきている。
「こんなもんでいいか?」
「は、はい! ク、クレイン様にご足労いただき誠に……」
「あーそういうのいい、いい」
急に畏まる農夫にクレインは苦笑をする。
ここしばらく、力仕事に出て行ってはずっとこんな調子だ。
始めに相手を萎縮させ、だがその性格から次第に緊張も解け、力を見せてはまた萎縮させる。
辟易としそうであるが、これまでの窮屈な立ち振る舞いをする環境に比べれば随分とましなものであった。
「困り事とかでも構わない。なにかあれば遠慮なく報告してくれ。特にこういうのだったらさっさと片付けられるしな」
「……」
「お、早速なにかあるか?」
「いえ、その……個人的に気になった事なのですが」
尚も緊張した面持ちの農夫は、恐る恐るクレインを見つめながら、
「正装は、なさらないのですか?」
クレインの頭に疑問符をぶっ刺した。
農夫のものではない。クレインの頭に浮かんだものを上から叩き込んだのだ。
「……あるの?」
「え? 確か真っ白い鎧であったかと……」
あまりにも初耳な情報にクレインは首を傾げる。
そも普段から小うるさく言うカイン。まさか魔王として物理的に身につけるべき物があるならば、まずそれを指導してくるだろう。
だがそんな話、一度として聞いた事がない。
先代であるゴートにしたって無骨な鎧をまとっていたが、暗がりであったとはいえ間違いなく白くはなかった。
「……情報、感謝する。俺は城に戻るが、こちらの事は引き続きよろしく頼むぞ」
「は、はい!」
思わぬ妙な話に城へと戻るクレインの表情は苦々しげである。カインを理解しているからこそ、なにがあったかなにを考えているか、まるで想像のつかない話であった。
確認したいとも思うもののその結果、身につける事を義務付けられる。
つまりは存在を忘れていた場合における薮蛇を思うと気が進まない。
しかし知ってしまった以上、だんまりを決め込んでおいて『既に知ってしまった事』が発覚した場合、間違いなく痛い目を見るはず。
(聞くしかないかぁ……)
肩を落としつつ帰路に着くクレイン。
その姿を遠目に眺める一団がいた。
「……あれが?」
「話では現魔王様であるそうです」
「ゴート様を討った? 信じられないな」
鎧姿で数は六名。城内の兵士よりも装飾が施された装備をしている。
その一団の先頭にいる女性は目を細め、隠す事無く敵意を発して呟く。
「どんな謀略で陥れたかは知らないが、例えそれが認められていようとも本当に我々の、農商国家の長たる人物かどうか。試させてもらおうか」
去り行く王の後を見届けると、一団は別の方角へと進路を取りその場を離れていくのだった。
「白い、鎧……?」
クレインが問い、カインが目を瞬かせる。
なんとも珍しい光景が、転寝を催す温もりに包まれた城内で繰り広げられていた。
「今日行ってきた農業区の者に言われた。それが正装らしいんだと」
「すみません、私も知りませんでした」
「カインすら知らないって事は、実はもうやっていないんじゃないか?」
「……いえ、確認してみましょう」
そう言うが早く、カインはクレインを連れて迷う事無く目的地へと真っ直ぐに進んでいく。
向かった先は大臣達の執務室が集まる場所であった。分野によって部屋が分かれており、大臣一人がいる個室であったり、部下も同室で働く構造であったりと都合に合わせた作りをしている。
中には無数の本棚に囲まれて、こじんまりとした机が窮屈そうに収まっている部屋もあったりするのだ。城内においても珍しい光景が集まる場所である。
今となってはクレインも城内の地図が頭に入っている。が、馴染みのない区画であり、一人で行けと言われたら間違えずに辿り着けるかは少々不安に思うところ。
そんな内心の焦りなどカインには届くはずもなく、目的の部屋へと入っていった。
中は大臣と三人の部下が勤めており比較的広々とした場所で、大臣は白髪と白い髭をたくわえており、場所が違えばただのお爺ちゃんといった風体の男である。
懇意にしているのかなんなのか、普段の仕事の顔とは別に表情を柔らかくしたカインがその男の下へと駆け寄っていく。
(……祖父と孫だな)
その光景をぼんやり見ていると、カインが突如驚きの声を上げた。
「ほ、本当にあるんですか?!」
「うむ。と言っても先先代までであるがのう。なにせゴート様はお体が大きかった故に、身につけられず保管されたままのはず」
「……ゴートって就任は何時頃だったんだ?」
「三十年前ですなあ、クレイン様」
「そうですよね……先先代魔王様を見た記憶がありませんし」
なんて事はない。カインが生まれる前に倉庫に放り込まれていたのだ。
そしてその鎧の話などする暇もなく、側近であったカインの父親が早逝してしまい、今日までほったらかしになったのだろう。
「しっかし……白かあ」
「そういえばクレイン様はその鎧を変えられていらっしゃらないようで。思い入れがあるのか黒い鎧がお好きなのでしょうかな?」
「確かに色もあるが換える事自体がなぁ」
「……偏屈な考え方で格好つけたがる人は暗い色、特に黒を好むと聞きますよ」
「おいそんな目で見るな。違うからな!」
哀れみの篭った瞳を向けられ、それを振り払うようにクレインが吼える。
「……単独で戦う時に暗い色の装備は色々と楽だからな。こんな色合いに慣れきってしまっているだけだ。あと単純に鎧は特別製にしなくちゃならないから、あまり換えるのに乗り気じゃない」
そう言ってクレインは背中を見せる。
鎧の背面には細長い板のような物があり、上のほうで留められているようだ。
「装飾かなにかかと思っていましたが意味があったのですか?」
「翼を出す為の穴と……まあ蓋だな」
「……そういえば鎧は損傷していませんでしたね」
ゴートを討った時にせよ、飛行しての巡回にせよ。同じ鎧で翼を生やしていたのだ。
今更ながら、何故そこに疑問を抱かなかったのだろうとカインは自問する。
答えは至極明快、そんな事に構うほど暇ではないし、僅かな暇も振り回してくれて潰してしまう存在がいたからだ。
「まあ正直、新調しろぐらいは言われると思っていたが不思議となにも……って、あのカイン君? なんでそんな睨んでるの? この流れでなにかやらかしてた?」
「過去からの負債なのでお気になさらないで下さい」
「余計怖いわ」
口角だけが微笑みの表情を作るカインにクレインが僅かに身を引く。
よほど酷い顔をしていたのだろう、とカインが咳払いをし表情含めて話を戻した。
「鎧に関してはお察しの通り、変えて頂きたかったのですが周囲への影響力を考慮して、しばらくは目を瞑ろうと思っていたのです」
「……割と意味が分からないんだが」
「一つは暴君としてのイメージ。もう一つは巡回によって警戒心を与える相手と、そのお姿で何者であるかを悟る相手が同一だからです。相乗効果が見込める上に噂話として巣に持ち帰っていただければ、より広範囲に影響を与えるでしょう」
「人を害獣駆除の毒餌のように言いやがって……。というか俺の姿はそこまで広まっていないはずだぞ。近くで見られて予想されるぐらいなものだったからな」
「あちらの地域から姿を消したタイミングを考えれば、黒い鎧の新魔王の情報で十分察すると思いますよ。逆にそんな事も気づけなくて今日まで生き延びられたとは思えません」
貴方から、と視線で語られつつも話は続く。
「ですがまあ、それもそろそろお終いでもいいでしょうね。いい加減、その汚い鎧を変えるべきでしょうが……なにか定めがあるのでしょうか?」
と、お爺ちゃん大臣へとバトンが渡されると、しばし顎に手をやり白い髭を揺らして考える。
「……特に決まりはないのう。その鎧を正装としているのも、ただ慣例的にしていただけであったはずじゃし」
「分かりました。それでは……」
遥か昔。
農商国家の建国当初は城と城下町のあるこの場所が全てであり、ここだけであったと言われる。
もはや、その仔細を知る語り部もいないほどの過去であるが、城下町は今もその名残があり、古き時代の姿を僅かながらも受け継いでいた。
町は一通りの施設が揃っており、先代ゴート・ヴァダーベンの影響があったにせよ、普通に暮らす分には足りない物がない環境が維持されている。
そんな町へと繰り出たクレイン。
目指した先は華やかしい中心地から離れ、隅とも言える立地であるものの立派で大きな建物を構える店である。
鍛冶師達が勤め、兵士達の装備などの仕事を一手に引き受ける工房だ。
「すまないが装備を作ってもらいたい」
まだまだ修行中の弟子に、免許皆伝した弟子達と多くの者が在籍しており、他の国を見ても中々規模の大きいところである。
それ故、開口一番に要件を告げたクレインへと刺さる視線も多い。
「あの人、新魔王の……?」
「ああ、注文を減らした人だ」
「なんのつもりで……」
明らかに難色を示す声が漏れ聞こえる。
彼らにしてみれば、兵士の装備に関する仕事を一時打ち切られたのだ。文句や嫌味も出るというもの。
流石のクレインも居心地が悪そうに苦笑しだしたところで、耳をつんざくような金属を打つ音が響く。
音の余韻が消えていくと、誰一人声を発する事もなく静寂が辺りを支配する。
息をする音さえも立てるのを恐れる中、ゆっくりと固まった体を動かし、音の方へと視線を動かすと強面の老人が巨大なハンマーと鉄屑を床に置くところであった。
「で、仕事ってのはなんだ?」
親方であろうその人は、新たなる魔王を前に敬うでも嫌悪するでもなく、ただ相手の目を見据える。
いかにも職人気質らしい人物だ。
「俺の鎧と剣を二本作って欲しい」
先ほどの音に弟子共々怯んだクレインであったが、気を取り直すと数枚の紙を親方に向けて並べて話し始める。
「装飾や材質はこれの通りに。まあ、多少悪くたって俺は構わないんだがな」
「新魔王のおべべ、という事か」
一瞬、弟子達がざわつく。
確かに自分達も不平不満を口にしたものの、それは彼らにとって事実に即した内容である。ならばなにを言っても構わない、とまではいかないが、声にしてしまうのも理解できる。
だが、師匠の言葉はそれとは別だ。明らかに不敬な発言である。
城下町でクレインが先代に劣らぬ暴君、というイメージを今も持っている者はいないが、それでも背筋が寒くなる光景であった。
「おべべか。そりゃあ違いないな」
だがそんな心配も無駄なものだと言わんばかりに、クレインはからからと笑いだす。
「まーこれは返り血で染めたような鎧だし、ここらで良いおべべの一つ着てないと示しがつかないからな」
苦笑しながら今一度、己の鎧を見回す。
黒く薄汚れ傷だらけの鎧は戦いに身を置いているのを物語っている。しかし色さえもその証明であるというのだ。
暴君でこそないものの、その実力とそれに見合う過去を送ったのであろう事実を知り、弟子達は別の理由で背筋を寒くする。
「この背中の仕掛けは必要なのか?」
「ああ、必ず作ってもらいたい。あと剣だが一本はこれみたいに実用性を優先したもので」
腰に吊るす剣を見せる。
柄や鍔でさえ必要最低限といった様子の装飾で、兵士の剣の方が高そうなほどであった。
「短剣は鞘と柄を……宝石までは要らないが豪華にしてほしい」
「一本はその腰のでいいとして、短剣の長さはどうする?」
「見栄えとして丁度いいサイズで。こんな事を言うのも失礼だと思うが……短剣もおべべなんだ」
「確かに物は使ってなんぼだ。だが、武器は振り回すだけが能じゃねえ」
「そう言ってもらえると助かるよ。支払いは金貨四百枚。受けてもらえるか?」
ドジャ、と金属の重たい音と金属同士が擦れる音が周囲に響く。
先ほどから一言も発せずにいる弟子達は、遂に口を開けて絶句するに至った。
確かに鎧一式、剣と短剣一本ずつ。個人で頼むならそれなりにかかるが、それさえもゆうに超えた金額を提示したのだ。それも依頼側からである。
「そちらとしても思うところがあるだろう。だが、俺はただ苦しめるつもりはない事を分かってほしい」
なんとも気前のいい魔王様だろうか。
思わず弟子達は主君として一生ついていきます、と心に誓おうとするが、
「まあ、もうしばらく渋い状況は続くと思うが、先代の時に甘い汁もすすれただろ? って事でこいつで勘弁してくれ。大半は俺のポケットマネーだし文句は言わないだろ?」
なんとも大胆な発言に再び口をつぐむ事となった。
だがそんな中で、親方ただ一人はここまで崩すことのなかった固い表情をにやりと歪める。
「面白い奴が魔王になったもんだ。依頼は受ける。精々、国の事は頼むぞ?」
「受け入れてくれた事、感謝するよ。期待に副えるよう努力する」
クレインもまた不敵に笑いながら右手を差し出した。
それをごつごつとした荒々しい手が強く握り返す。
農商国家の軍部において、彼らとは切っても切れぬ関係である。基底部分を担っていると言っても過言ではない。
一時は辛酸を舐めさせる事になったが、こうして新たな信頼関係を築く事ができたのだ。
確実に時代は新しく移り変わっていっている証である。
ただ、
(まー国を回すのはカインだけどな)
寝ぼけた魔王であるという事実を知る者は、依然として極僅かであるのだった。




