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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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五十話 ステップ

「なんですか……あれは」


 カインの視界に入った中庭は、その名で呼んでいいものかと悩ませるほどの更地となっていた。


 元々、庭園としてバラのアーチなどがあったものの、それを見た先代魔王の『腑抜けた物』という発言を最後に美しい姿は失われたのだ。


 そこの手入れをしてるところを見られでもしたら、と思えば誰も関わろうとしないのも当然の事。やがて荒れ果て、最終的に除草作業を最後に閑散とした中庭となっていった。


 それでもアーチにする為のフェンスなどは残っていたはず。


 しかし今やそれもないどころか、整備されていた石畳もなく庭園であった面影さえ微塵もなく……一言で表すならば耕されていた。


「えっと、カイン様よりご許可を得た、と魔王様が仰っていたのですが」

「……」


 近くで仕事をしていた侍女の答えにカインは軽い眩暈を覚える。


 思い返してみれば確かに許可した覚えがある。が、耕作地を作るという話だったろうか? いやそれならば間違いなく止めていただろう。


 自室にある『教鞭』を取りに行ってからあの人の元に参ろう。


 そう心にすると、カインは侍女に礼を言って足早に立ち去るのだった。



 先代魔王討伐から早四ヶ月は経った頃。


 暴君と称されるようになってから三ヶ月と少し。


 城内での行動に、一応の制限がなくなってから一ヶ月と少し。


 カインの顔色を窺いながら、クレインは徐々にイメージから乖離した言動を、周囲に見せ始めていた。


 謹慎が解けてから一ヶ月ほど。まだ暴君として振る舞う期間であった内は、広く浅く本を読みつつ、時折決められた内容に口出ししたり巡回飛行で威圧的なデモンストレーションをしたり、比較的ゆったりと過ごしていた。


 やがて暴君アピールも終わりを迎える。のだが、それは飽くまで城内においてのみであり、国外に対しては暴君のイメージを維持していくべきであるのだ。


 口で言うのは簡単だが、なんともさじ加減の難しい話である。大っぴらにあれは演技であるような態度を取れば、その噂は暴君の時と同じく一気に広まるのだろう。


 ただでさえ、本物の暴君であった先代によって人々は苦しんできている。力強くそれを払拭する期待と希望に輝く話が持ち上がれば、池の魚のようにその餌に群がっていくのは必然の事。


 そうなればわざわざこのような面倒な事をした意味がなくなってしまう。


 ならばどのようにして、イメージの緩和を促すべきか。


「もう……間もなくか」


 そう呟いたクレインは、業火にくべられぐらぐらと煮立つ熱湯の前に立っていた。


 中には今宵の贄となるもの達が慌しく揺らいでいる。


 もうもうと湯気が立ち込める中、素早くそれらの内の一つを熱湯から取り出し……一本のパスタをすすった。


「ふ、アルデンテ」

「仕事をして下さい」


 絶妙、というにはまだ程遠いが満足のいく茹で加減に頷く魔王と、呆れと諦めの入り混じった声で非難する側近。


 魔王城の厨房には、今のところこの二人だけの姿があった。


「一応仕事はしているぞ。ゆるーいイメージ緩和のな」

「それが何故、自炊をするに行き着くのかご説明を願いたいのですが」

「少なくとも料理と暴君は相反するものだろう。それも確実に片方を疑問視するぐらいの強さだ」

「……それは肯定しますけども、もうちょっと他になかったんですか」


 溜息混じりに視線を移すと、フライパンに赤々としたソースが見える。


 ぶつぶつと具が盛り上がるソースには緑色の斑点が多く、随分と野菜でカサ増しされているようだ。


「ソースまで……」


 料理趣味の魔王。暴君のイメージは薄れる上に、こんな話が急速に広まる事もないだろう。


 確かに選択肢としてはなにも間違っていない。


 だが確かになにかが間違っている。


「まあこうして本格的に作ったことはなかったんだけどな」


 懐かしき故郷での暮らし。


 料理というより加工。より食べやすくする為の作業が殆ど。


 そもそもここまで道具や調味料が充実していなかった上に、料理らしい料理はクレアの元で食べるのを楽しみにしていたのだ。


 そして大陸に渡り根無し草の旅を始めてからといえば、加工はあっても料理をする機会はあまりにも限られる。


 だが今は魔王城での生活。書庫に行けばレシピをまとめた本も多数存在しているのだ。これほど整った環境を前に、料理に挑戦したくならないわけがない。


「そういえばあの中庭って放置されているだろ? 今すぐの話じゃないんだが、あそこを俺が勝手に手を加えていいんだろうか?」

「……別に構いませんが節度はもって下さいね?」

「ああ、周りの迷惑にならないようにするさ」

「……」


 発言の端々になんとなくだが不安を覚えるカイン。


 だがまあ、元々庭園だった場所である。


(隅で自分勝手に園芸するとかぐらい、か?)


 そう考え、いやそう自分に言い聞かせる事で飲み込んだ。


 それから一ヶ月。


 いつの間にか中庭の庭園跡は立派な耕作地になっていた。


 あの時の己の発言を呪うと共に、何故こうなったのかと問う。


 どうしたら理屈も理論も因果関係さえも、森羅万象の壁を穿ちその内から逸脱し変貌を遂げられるというのか。


 答えなど出てくる事はない。ならば本人に問うしかないだろう。


 目の前で怯える、怪物に類する力を持つ我が主に。


「なにをどうしたら中庭がああなるんですか!!」

「いや、だって勝手に手を加えていいって……」

「断じてあれはその領域じゃないです! 作り変えると言って下さい!!」

「あ、あー……なるほど」


 ポンと手を叩く主に、カインは脱力し床に膝を落とす。


「常々伺いたいと思っていましたが、どんな場所でどんな環境で生きてきたらそんな考え方ができるんですか……?」

「え? あー……」


 思わず漏れ出た質問は、意外な事にも言葉を濁す声で返された。


 そこまで答えに窮されるとも思っていなかったカインは、目を瞬かせてクレインを見つめる。


 しかしそれ以上の言葉がすぐには続きもせず、クレインは難しそうな顔をして考え込み、


「……まあ、カインには話しておいた方がいい、か? 今後の身の振り方もあるだろうし」


 恐る恐るといった様子で話を繋げる。


 一体どんな理由があるのか。この魔王であるならばまたぞろしょうもない話である可能性も高い。むしろその可能性のほうが高い。


 だが、少なくとも真面目に答えようとする相手に、ぞんざいな対応をするわけにもいかずカインは佇まいを直す。


「俺は大陸の南西にある島の生まれ……ではないがそこで暮らしていたんだ」

「随分と漠然な……」

「えっとな、巨大なトカゲみたいな、火を吹かないドラゴンとか巨大な熊とかがいる無人島なんだが知らないか?」


 一瞬クレアの姿を脳裏を過ぎるも、敢えて触れずに話を進める。


 ただでさえ、クレインはこの城内においては未確認種族。彼女の存在は果たして明るみに出して問題ないだろうか?


 考えるまでもなくそれは軽率な判断であり、なによりもまず自分の事が落ち着いてから考えるべき話だ。


「なんなんですか、そのカオスな生態系の島は。大体、火を吹かないドラゴンでトカゲみたいって、古代種みたいな……」


 そこまで言うと、カインの顔から血の気が引いていく。


 これを聞いただけでは到底信じられない、荒唐無稽な奇天烈な島。だが、心当たりがあるのだ。


「まさか……死の島?」

「……まあ確かに即行で餌になりかけたが、そこまで物騒な名前がつくところか?」

「島の地形はどのような感じですか? 断崖絶壁に囲まれていませんでしたか?」

「大半はな。だが島の南から南南西にかけては砂浜が続いているぞ。あそこは漁ができるポイントだったから重宝したよ」


 逆に言えば、それ以外の場所は土地そのものを整備しなくては使い辛く、海水魚を取る為の拠点は南部だけであった。


「あとは島の中央に大きな山があったな。その周辺を変な鳥みたいな巨大な生き物もいたぞ。なんていうか、コウモリみたいな皮の羽で……」

「も、もういいです」


 追加の情報でほぼ確定した。


 この規格外の我が主は、文字通り常識など通用しない生き方をしたのだ。


「本当、なんでしょうね。全世界探したってこんな嘘をつく意味がある人はいませんし……」

「なんでそんな青ざめているんだ? あと死の島ってなんでそこまで言われているんだ」

「その生態系が故に、並の者では常に命が脅かされるのもさる事ながら、島を渦巻く魔力がおかしいんです」


 より一層顔を青白くさせながら語るカイン。まるで禁忌を口にするかのような様子である。


「魔力が存在しない場所など、意図的に作らない限りありえません。大気に大地に、川に海に山に……どこにでも魔力は含まれてます。ですが死の島では魔力の量が桁違いであり、激流が渦巻くように流れているんです」

「へー?」

「……普通ですと、数日と経たずに発狂するんですよ。過去に幾度と調査が行われましたが、正常なまま帰って来れた者はいませんし生還率も二割を切って当然。断片的な情報からここまで解明されましたが……今ではもう誰も調べようとする者はいないほどです」

「……環境が落ち着いたんじゃないか? 俺はなんともないぞ?」


 自分どころかもう一人の滞在者も特に不調を訴える様子を見なかった。


 死の島がその名である理由は、今となっては昔の話なのではないか?


 だがカインは静かに首を横に振ると、続きを口にし始める。


「……あの島に関しては各国で情報を共有する事が決められています。得体が知れませんからね。剣の国が魔力の状況だけでも、と今でも観測しているそうですが、続報もないので依然変わらずだと思いますよ」

「剣の国……確か二強の内の一つだったか」

「はい、ここから北北西に位置する国で、文武両道なところですからね。過去に行われた調査の多くは、あの国が関係しています」

「が今では観測だけ、か」

「原因に対する術がない以上、収まるのを待つ以外は得策でないですからね」

「俺は魔法に疎くてさっぱりだが、なんか防御にあたる魔法とかでどうにかできないのか?」

「魔力の激流というのは決して比喩だけではないんです。魔法そのものが剥ぎ取られるように消失すると言われてます」


 それができるのなら、とっくにあの島は十分な調査が行われていたでしょう、と溜息混じりにカインが続けた。


 一方クレインは、やはり納得がいかず首を傾げるばかりである。クレアが軽々と魔法を扱い、襲い掛かる敵をなぎ払っていた記憶が浮かんでくるのだ。


 この話は身にまとう、防御に関する魔法に対してのみなのか?


 あるいはやはり別の島の話ではないか?


「なあやっぱり違う島……」

「……ではないと思いますが、急に黙ってしまってどうかされたんですか?」


 ふとある会話を思い出す。


 島で作り身につけていた鎧。ガラクタの鉄を形にしたものだが、それに魔力が含まれていると言われた。それも最近になって含まれたものではないのだという。


 もしもあの鉄屑の山が長い年月放置されていた物ならば。元々そんな特殊な鉄でないのだとしたならば。


「じゃあなんで俺は平気だったんだ」

「……他にご家族はいらっしゃらなかったんですか?」

「いや、基本的に一人で生きてきた。もう二十年ぐらい前の話だが」

「ひ、一人でですか……。というかそれが二十年前なら、今まではどうしていたんですか? 賊狩りって十年も前の話じゃないですよね?」

「各地を転々としていたのと、連中を追いかけるのが下手だからな。名前が通るほどの成果を上げられない期間が長かったんだ。あとは……まあ色々と時間がかかったからな」

「時間?」


 各地の拠点作りである。あれだけ荒んでいたものの、いや荒んでいたからこそ、町に立ち寄る事はあっても、身を寄せずにいたのだ。


 結果、島での生活の仕方の半分ぐらいはこの大陸でも行ってきた。金さえあれば道具や食料などが手に入る分、随分と楽ではあったが。


「……とにかく、貴方が常識という壁の外の存在である事は納得できました」

「別にしなくていいぞ」

「なら常識人になるよう学んで下さい。最近は多少の余裕も出てきましたし、指導を行っていきましょうか?」

「あーそれはそうとこれどうしよっかー。広まったら不味いよなー」

「……」


 露骨な対応にカインは半眼で睨みつけるも、クレインは決して目を合わせようとはしない。


 カインにとって分かりきった事であったが、相変わらず子供じみた行動である。


「まあそれは置いておきます。島での経歴についてですがこれは隠しておきましょう。ホラ吹きであると噂されても困りますし、真実であるとされても大変な事になりますので」

「大変?」

「まあ、日夜を問わず人体実験の日々は避けられませんよね」

「……え? 人体実験?」

「正確な犠牲者の数は知りませんが、島に関わった大勢の中で唯一影響を受けなかったわけですからね。どこの国もこぞって調べたがりますよ。まあ……秘匿するという事は協定違反ですが、私は貴方の過去について賊狩り以外なにも聞いてませんのでなんの事やら」

「……そうだな。俺もまだ誰にも話していないし、協定の事も知らない」


 違反によるペナルティもいかなるものか。だがそれ以上に、研究対象にされる恐怖の方が勝る。


 お互いこの時間はなかった事で了解し頷き合った。


 だがそれはそれでなにか気まずい。話題はないかと考えたクレインに、ふと前々から気になっていた疑問を口にする。


「そういえば、お前は先代の側近もやっていたんだよな? そのなりで一体いくつなんだ?」

「……二十五です」

「……」

「……」


 しばしの沈黙。


 種族によっては成長の速度が違うものである。だが、人の形をした種族であれば幼少期の成長速度は極端に差がつくのは非常に稀だ。


 それも当然である。寿命に比例して幼少期が長くなるなど種の存続にも関わる話。今の時代ならばまだしも、遥か昔に自然淘汰されているだろう。


 しかしながら目前のカインは、青年と呼ぶのも躊躇う容姿。本人がどう思っているかは定かでないが……不憫な生まれつきであると言える。


「まあ……うん。良い事もあるだろ」

「半端なフォローは苛立つだけなので止めて頂けませんか?」

「す、すまん。というか、立場的に滅茶苦茶若くないか?」

「……父が元々側近を勤めており、状況が状況なので自分もよく手伝っていたんです」

「ああ……」


 皆まで言わなかったが、それだけでも十分に察する。


 彼の父の末路とその後の経緯を。


「……ですので、今はいっそ消えてくれればと恨めしく思う時もありますが、本当に貴方には感謝しています」

「凄い。ここまで心の篭った呪詛と礼を同時に言われたの初めてだ」


 世界を見ても稀だろう。


 だがそれも、クレイン・エンダーという珍獣以上の存在に比べれば冗談の域を出る事はない。


「……元の話になりますが、なにか育てたい作物があって中庭をあんな事にしたんですか?」

「いや、なんだかんだで暇もあるし、島だと野菜も作ってたもんだからなんとなくで……」

「貴方に明確さを求めた私が馬鹿でした。が、まあいいでしょう。誰かに聞かれたら少しでも食料費を抑える為とかそれらしい事を言って下さい」


 今更これを否定したところで意味はない。


 ならば最大限有効活用するまでとカインは気持ちを切り替える。


 料理と相まって緩いイメージ緩和にも繋がるのだ。着地地点としては悪くはない。


 そう自分に言い聞かせたのだ。



 そして彼は知るだろう。


 そういう場合は得てして、己の考えを飛躍した結果が待ち受けると。


 よもや、大した段階を踏まずに中庭一面全てを使い、農作物の植え付けが始まろうとは。


 緩いなんてものはない。


 瞬く間に農業魔王、農夫魔王という呼称が城内を駆け巡り、何時町にまで届くのか。国中に知れ渡るのか。


 暴君のイメージを一撃で消し去りかねない事態にしばしの間、カインは薬を手放せない生活を強いられる事になろうとは。


 やがて彼は知るだろう。

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