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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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四十九話 役割

 農商国家新魔王は恐れられていなくてはならない。

 明確な被害を出してはならない。

 魔王が止められぬ暴走状態、と思われてはならない。


 大まかな。本当に大まかな方針として、取り決めたのが暴君再来と噂された数日後の事である。


 のだが、そうした上で起こった事件。


 クレインによる特別手当。調度品の横流しにて現物支給、という聞いた者全て、まず意味を理解できずに首を傾げる出来事である。


 魔王が止められぬ暴走状態であっては、城内で働く者達の士気に大きく関わる。


 仮にも先代に比べれば誰かが命を落とす事もなく、良くなったと言えるものの、だからと言って魔王の暴走を容認できる訳でもなく。


 よって今、クレインは謹慎処分として必要最低限の行動を除き、自室から出る事を禁じられていた。


「魔王が謹慎処分ってどういう事なんだろうな」


 思わずそう口にしたくもなる。だがそれすらも許されない身なのだ。


 目の前には昼食の用意をしている侍女がいるのだが、カイン以外の前で寝ぼけた発言をしようものなら、再び綺麗なフルスイングが頭部を捕らえるのだろう。


「あ、あの……お食事の用意が」


 側近という身でありながら、あれは惜しいのではないだろうか。もしかして影で球技を嗜んでいるとか?


 などと物思いに耽っているクレインに侍女が恐る恐るといった様子で声をかけてくる。


「ああ、すまないな」


 意識を戻して用意された皿を覗き込む。


 見ればミネストローネとチーズがたっぷりかかったフレンチトーストが湯気を立ている。その脇には葉物の野菜とトマトやキュウリなどが、サラダとして盛られていた。


 メニューだけで見れば随分と質素な物である。だが、ジャガイモ等たくさんの頭が浮かぶスープに、様々な具がサンドされているトースト。流石は王城というべきか、それなりに質も量もあるというものだ。


(簡単な物で良いって言ったんだがな)


 思わず苦笑をしてしまいそうになるのを堪える。


 それでも尚、こうしてコストを掛けてくる辺り、恐れられている証拠なのだろう。自身の発言によって求められたボーダーを探るようにしている様子が伝わってくる。


 本当に簡単な物を出したらクレインが怒り狂う。といった理不尽な存在でないと、カイン以外に言える者もいないのだ。当然といえば当然の対応。


 その証拠に、


「あ、あの……こんな物でよろしかった、でしょうか?」


 おどおどとクレインにお伺いを立ててくる。


 果たして、魔王の要望に副えたのだろうか、と不安と恐怖がありありと感じられた。


 自分で言い出したこととは言え、恐れられるとは難しいものだ。


 笑顔で平気であると告げるのもできないとは。クレインもそこまで深く考えていなかった事を悔やまずにはいられない。


「自分で望み、その通りに用意された物にケチはつけない。むしろ感謝しているよ」

「あ、ありがとうございます!」


 侍女の双眸から一筋の涙が伝っていく。感極まり抑えられなかったのだろう。


 と、いうのであればよほど絵になるいい雰囲気である。


 だがクレインは深々と頭を下げる侍女に別の光景を見た。


(あれだな。沙汰を待つ状態の中、ギリギリのラインで赦された、みたいな)


 改めて自ら進んだ道の息苦しさを実感する。


 平気だろうと暢気に考えていたが長続きはしないだろう。あまりにも窮屈すぎて耐え切れなくなるのも時間の問題だ。


(まあ、最低限でもいいからこの国の軌道修正がされていればいいもんな)


 その時が来たらどうするか? 実質、魔王としての仕事の殆どを担っているのはカインである。ならば彼にこの座を明け渡して、また根無し草の旅にでも出ようものか。


 少なくとも精神的に酷く不安定だった時の名残は感じられない。計らずともここでの生活が薬になったのだ。もう死を求める旅はしないだろう。


 それにカインが本格的に統治するならばこの国も安泰。


 下手したらクレインよりも若く若輩者だが、元より一目置かれる存在であるのは、先代の側近という立場からして察するには十分過ぎる。


 更にはこの謹慎もカインが実行したものであるのだ。現魔王の唯一のブレーキであるとして、彼の評価は今や天を突き抜ける勢い。


 仮にも本当に魔王交代という話になったところで、大きな不満は出てこないだろう。


 お互いにとってなんとも良好な話だろうか。


(とまあ、普通のお国ならそれがベストなんだろうけども)


 咥えたフォークの先をゆらゆらと上下に振る。


(恐らくそれは逆に危険なんだろうな)


 自身が身をもって経験した武力交代。これが厄介なものである。


 今こそカインが振りかざす暴力にビクついているものの、命のやり取りとなる死闘とあらば、カインなど相手にもなりはしないのが現実だ。


 彼もその事を、更にはそう易々と致命傷を与える事などありえないのを理解している上での行動だ。


 本来クレインが行うべき仕事も引き受け、そして尻拭いもしているとあらば、ガス抜きも含めてクレインはそれを歓迎してさえいる。


 言わばコミュニケーションだ。かなり物騒な部類だが。


 そんな予定調和で受け入れられており、クレインを張り倒せているのも魔法による力である。


 いざ魔王としてカインが座に就いたら、農商国家の乗っ取りを企てる者の餌食になるのが顛末であるのだろう。


 対策が講じられないほどの力量ではないのだから狙われて当然である。むしろその領域であったならば、カインこそが先代魔王である暴君ゴート・ヴァダーベンを討っていただろう。


(飽くまで立場上は俺が魔王で、実質魔王がカイン。城内の勢力とか力ある人物とかまるで知らないが、恐らくベストなのはこれなんだろうな)


 出された料理を綺麗に平らげ、片づけを頼むと部屋に置かれた本棚から一冊の本を取り出す。


 ちょっと出歩くのも面倒である今、大人しくまったりお勉強をしていた方がいくらかマシである。


(ま、多少学んだところで、しばらくすれば俺が口出しできる余地もなくなるだろうしなあ。その後で俺が魔王の座にいるというのもどうしたもんか。いっそ裏ではカインの護衛を仕事とする、と決めた方が快適そうだな)


 あの側近の事だ。暇する魔王であるのは許しはしないだろう。


 ならばこの、キングの駒が実はカインであるという考えを提示してしまった方が、とやかく言われないかもしれない。


(……この案いいかもしれない。有事の際に戦えばいいだけ。今までより断然楽だし、なにより表向き魔王。俺が求める贅沢は、立場柄で見ると質素な範囲。このポジション、実に美味しい……なんだ?!)


 夢見心地の様な考えに耽っていると、通路から盛大になにかが割れる音と小さな悲鳴が起こる。


 部屋には待機している侍女が真っ青な顔でドアの方を見つめていた。


「壺かなんか割ったのだろうか?」

「た、多分そのようかと……」

「そういえば、ここ数日は随分と城内が慌しいな。やたらと皆走っているというか」


 何気ない疑問を口にすると、侍女の肩がビクリと大きく震えた。


 その様子にクレインはあー、と小さく呟く。


「流石に昼食は軽くしすぎたようだな。すまないがお茶を用意してもらえるか。それと買い置きか作り置きしているものがあれば、クッキーかなにかを数枚持ってきて欲しい」

「は、はい! ただいまお持ちします!」

「ゆっくりで構わん。淹れたてで頼むぞ」


 はてさて。


 あの様子からすればクレインに咎められる、という思い込んでる事柄なのだろう。


 単純に割ったミスなのか、多くの者が城内を駆け抜ける様な状況か。多分どちらもである。


 それがあの侍女に責任がはずもない。だが、その怒りの憂さ晴らしの対象とされない確証もない。そんな事を考えていそうだ。


 となると、さぞかし心中穏やかでなかったはず。


 それ故にクレインは一旦この場からしばらく離れられる指示を与えたのだ。


(本当に窮屈だな)


 何時までこの状況を続けるのだろうか。そも、自分が続けられるだろうか。


 そんな不安を感じつつ、今は早く謹慎が解けてより圧迫されるようなこの環境を抜けだしたいと願うのだった。



「今日付けで謹慎も解けますが、少しは常識の範囲内で行動をしますように」

「……」

「返事のない事が拒否や抗議の構えになるとか思わないでくださいね」


 じとりとした三白眼と睨まれ、クレインはですよね、と小声で呟いた。


 あれから数日後、半ば諦められているのか一から十までくどくどとした説教もなく、その終わりを告げられる。


「そ、そういえばここ数日……というか俺が謹慎中、やたらと城内が騒がしかったがなにかあったのか?」


 下手な発言をしたらまた『教鞭』と称するトゲのついた棍棒が飛んでくるのだろう。


 穏便かつ当たり障りのないであろう話題を振ってみると、珍しくもカインが苦笑してみせる。


「あー……魔王様が動けないと知って、この時を逃すまいと皆、全力で働いていたのです。兵士すら使いっ走りにされて、書類だのなんだの持って右に左に忙しかったんです」

「……なあ、俺が謹慎ってだけでこれっていうのは、流石にやり過ぎたんじゃないかと思うんだがどうなんだろう?」

「否定はしませんけども問題ないでしょう」

「俺の世話役になってた侍女の反応もそうだけど、実質言葉の通じない猛獣の類に対する扱いに近かったぞ?」

「大丈夫です」

「理由は?」


 妙に自信をもって語るカインに、クレインは思わず訝しげな視線を送る。


 だがそんな事など気にもならない様子で力強く、


「貴方がそれさえも引っくり返せるほど、底抜けな阿呆だからです」

「その罵倒に微塵のフォローも感じないんだが」


 これでもかというほど、とびっきりの笑顔で返された。


「今は行動を制限していますが、それも解いてしまえば一ヶ月と経たず人々は知る事になるのでしょうから」

「え? つまり時期をみて自由に動けるようになるのか? というかやらかしてもいいのか?」

「勿論!」


 輝かしい笑顔。


 しかしそれは許可ではなく、許しはしないの意味なのだろう。


 勿論『教鞭』を振るいます。そんなところか。


「……そう言うのなら、解禁が何時頃かとか具体的に見えているのか?」

「大まかな調整が済んで一休みしたら、でしょうか。おおよそあと一月です」

「え? 一月?!」


 あまりにも近い話で思わず声量が上がる。


 そんな短い期間で諸々の問題が片付くのか? という疑問も浮かびはしたが、それ以上に誰か過労死するんじゃないか、と思わずにはいられない。


「なんだかんだ言っても、先代が討たれた事で皆やる気がありますからね。一時期、勝手にやらかして頂いた事で揺らぎもしましたが、私が歯止めになっているのが分かった事で持ち直しましたし」

「いやそれ、緊張の糸が切れたらやばいパターンじゃないのか?」

「三日に一度は治療師の処置を受けさせていますので、ぱったり逝く事はないでしょう」

「崖っぷちじゃないか……」


 暴君を討ったクレインでさえ戦慄せずにはいられない話である。


 なにを考えたらそんなにお仕事ができるのか。


 剣を振るう身にとって、書類を扱う仕事を長時間従事するだけでも気が狂いそうなもの。


 もっとも、彼らからしてみれば、単身先代魔王に挑んだクレインこそ、よほど気が狂っていると思われているのだが。


「別に貴方も限界に迫る勢いで仕事をして頂いても構いませんよ?」

「それはお前が過労死しちゃうんじゃ……」


 主に尻拭いで。


 だが自覚ある事を喜ばしく思うのでもないようで、カインの頬がピクリと震えると大きく、とても大きく深呼吸をした。


「いえ、まずは学ぶのが貴方の仕事ですので。例えば今月中にここにある本全てを理解……」

「私は来るべき時に備えて体力を温存すべきだと思うのだ」

「はあ……まあ政に期待はしていませんので構いませんよ。その来るべき時に、存分に力仕事を請け負って下さい」

「任せろ。多分」


 いざ力仕事と言えど、荷物を運ぶとかそんな単純な事でもないだろう。


 力仕事と言えど一切の技術がいらないとはならない。果たして自分にできるのだろうか? 今更ながら不安を覚える。


「それでは私はこれで失礼しますね。今日もまだまだやる事が山積していますので」

「なあ、真面目な話だが今の俺はなにをしているのが一番なんだろうか?」

「勉強して下さい。と言っても無駄なのでしょうから大人しくしていて下さい」

「それが難しいから聞いたんだが……」


 予想はしていたがその通りの答えが返ってきて、クレインは溜息混じりに呟いた。


 だがそれも、あとしばらくの辛抱である。


 それまではせめて穏便に、迷惑を掛けぬように過ごしていよう。


 話からして今が追い込みを掛ける時なのだろう。些細な事でもカインの説教を貰いかねない。



 その数日後、クレインが有り難くも『教鞭』を頂き、流血して地面に倒れ込むのは想像するに難くなかった。

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