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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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四十七話 等しく違うもの

 僅かな雲が浮かぶばかりで、突き抜けるような気持ちのいい青い空が広がっている。魔王クレイン・エンダーが民衆から認められて早数日。天気の崩れはなく、まるで彼を祝っているかのようだ。


 時折吹く風は心地よく、こんな日ならば草原にでも寝転んで陽気に包まれまどろみたいもの。だが、右も左も分からないとはいえ、クレインは魔王という位置にいる。そんなゆったりとした時間はそうそう送れはしまい。


 そんな彼が今なにをしているのか?


 と問うのならば、暫定魔王の部屋となっているクレインの寝室に行けばすぐに分かるだろう。これまで側近のカインが使っていた机と椅子。そこにはクレインがいるのだ。しかし体と椅子は机とは真逆の窓の方を向いており、


「……お空きれい」


 放心していた。


 陽気に包まれ頬杖をついて日向ぼっこの最中のクレイン。それを体液を撒き散らして圧殺された害虫でも見る目つきで、カインが大きな溜息を吐き出す。


「いくらなんでも呆け過ぎです」


 書類を片っ端から捌きながらの非難。多忙の最中に暢気な様子を見せられては文句の一つが出ても仕方がない。


 今はそれを口にした事で命を取られるどころか罰せられもしないのだ。ならば仮にも相手が主であり王であったとしても、尚更言葉が出やすくなるというもの。


「いやそうは言ってもなあ。アウェーな雰囲気は感じるし、実際なにかできるわけでもないし。魔王という置物が今のところ最善解っていうのは分かる。だがこれはなんていうか……腐る」


 城内において、新魔王は一ヶ月以上の療養を予定していたのだ。その期間にどれだけ案件を片付けて落ち着かせられるか。それがカイン含めた為政者達の大きな課題であった。


 が蓋を開けてみれば半月で動けるようになってしまったのだ。予定が狂うどころの話ではない。


 結果、主君たるクレイン・エンダーをしばらく放置する、という随分と大それた決断が下された。教育する時間もなく仕方がない部分も多いが、魔王に対するものとしては他に類を見ない前代未聞の話だろう。


 それどころか予定よりも早い演説は相当な負担であったようで、気を配って仮病で寝込んでいればいいのに、という罵倒に近い悪態が聞こえる事もある。


 そもそもクレインは国を立て直す好機を生み出した功労者のはず。だがそれを差し置いての有様を見るに、先代で神経をすり減らし休む間もなくこの激務。彼ら個人としての疲弊も問題点にすべき領域に入っているのだろう。


「ならいっそ、兵士に混じって体でも動かしたらどうです。と言いたいですがその話をしていたら、近くにいた兵士達の顔が真っ青になりましたからね。恐らく魔王様が襲撃した時に対峙した者達なのでしょう」


 強さに対する尊敬よりも恐怖の方が勝っている。という事は、クレインが訓練とはいえ剣を抜く姿に、大きく士気を削がれる者達がいるという証。


 戦いこそそうはないものの、乱れに乱れた国政によって修復を必要とするのは設備などのような物理的なものも多い。それらに着手する話が進めば彼らの力も必要となるだろう。それが現状である以上、大人しくしているしかないのだ。


 といったところで政にも参加しない兵士の鍛錬の前にも出られない、と完全に居場所がなくこうして引きこもっている。


 これが農商国家の新たなる最高権力者の姿だ。


 この内情が知られでもしたら、間違いなく他国においても歴史に名を残す事になるだろう。史上最大の珍事を孕んだ魔王という不名誉な形であるが。


「あ、午後からは会議がありますので」

「留守番か……」

「……別に外出を控えろとまでは言っていませんからね? 城内には書庫もありますし、暇なのでしょうから色々と読まれてはどうです」


 一通り終えたのか、カインが書類を整理し始める。この部屋にはもう一つ新たに机と椅子が設けられており、彼はそこで仕事をしているのだ。


 ベッドや家具があり、机と椅子が二対ある部屋。広いは広いが、とてつもないというサイズではない。置かれている物の価値や部屋の広さを除けば、その構成は一般家庭の部屋のよう。


(ここ本来、俺の部屋なんだよね?)


 豪華さ、の話ではない。もはやカインの仕事部屋で、クレインがそこに住み着く居候みたいな状態に対してである。


 手持ち無沙汰からまだ整理されていない一枚の紙を手に取る。軍事体制について書かれており、随分と細かな修正が入っていた。


 更に一枚を手にすると今度は予算案について。これも様々な修正が入っている。


 どうやら今ある内容の見直しが主であるようだ。先代はよほど引っ掻き回してくれたのだろう。


「俺が城の外に出たら問題になるか?」

「そんな缶詰の魔王は聞きませんよ。なんなら城下町でも見てきますか?」

「考えておく」

「……あ、不必要とは言え体裁もありますので、あまり単身で出歩いたりはしないで下さいよ」

「ちょっとだけ出かけるのが面倒になったな……」


 体裁としても不必要そうに見えるが、そういう問題ではないのだろう。しかし手間であるのは間違いない。


 こっそり行けばいいだろうか?


 などと考えていると


「ただでさえ魔王らしくもないんです。そこで先の演説で顔を知っている者が単身ぶらついているのを見たら、どれだけ心証が悪くなると思っているんですか?」


 見透かされたような説教を食らった。今のところ、クレインの仕事らしい仕事はこれである。


「……分かったからそう睨みつけるな」

「私はもう行きますが、くれぐれも軽率な行動は控えて下さいね」


 カインの背中を見送りさてどうしたものか、とクレインは外を眺める。


(お許しもある事だし城下町にでも行ってみるか)


 思えば夜中のそれも雨が降る中を通過してきた場所だ。今も尚、目と鼻の先にある人々の暮らしをしっかりと見ていない。


(とは言え、見たところでなんだって話なんだよなあ。それこそただの散策に終わってしまうだろうし……なにを言われるか分かったもんじゃないな)


 外に出るのならば魔王たる者として、なにかしらの行動や結果があるべきなのだろう。だとしたらそれはどのようなものだろうか。


(視察、と銘打てばそれらしいが、大前提としてその行動に対する俺の吸収力が皆無に等しいんだよなあ)


 人によってはクレインを博識と呼ぶ者もいるかもしれない。確かに彼のごく一部の知識と実践による経験は、決してそう軽々しく扱われていいものではないだろう。そう、方向性さえ合えば有能なのだ。


 問題は今のところ魔王という座で発揮される事はまずないという点。


 つまりはここ最近、クレイン自身も自覚しているとおり無能である、と。


(人々の暮らしを見てもな。商人は選任、というかほぼ国から雇用されているみたいな連中がいるから、ギリギリでなんとか保っているみたいだし、城下町に出たところで気づきがあったり閃きがあったりはないだろう)


 あの荒々しい魔王が収めていた農商国家では、国が証明する商人達がいるのだ。彼らは国内において随分と優遇されており、彼らがいなかったら人々の生活は崩壊しているとまで言われている存在である。


 本来ならばそんな事をする必要などまるでない。彼らは彼らの利益の為に動き、結果として物が行き来するのだ。しかし先代によって彼らに忌避された以上、囲い込みをしなければ、国内外問わず物資の流通が停滞するのは避けられなかった。


 完全なる無駄であり必要な出費。苦肉の策である。


 そして演説の際に集まった人々を見れば、少なくとも城下町で明日をも知れぬような限界に近い生活、というのはないのだろう。ならばその外の町や村はどうだろうか。


(知識もなければ興味もないもんだからなあ)


 商いがどうの商人がどうの、そんな考えがまるでない。つまりは行ったところで見たところで、なにかしらの対策など思いつく、などと都合のいい話はまず起こらない。


(興味、か……)


 自問自答の中で、一つの引っかかりを得る。


 恐らく生きとし生けるもの全てに通じる問題であり、クレインにとっても非常に関心が高いもの。


(食料事情ってどうなってるんだ?)


 農商国家、という名がついてあるとおりこの国では大きな耕作地を持っている。ここに来るまでの間、そうした村や町をクレインもよく目にしていたものだ。


 だが一様にしてどこも貧しそうな様子が記憶に焼きついている。


(税金、だけの問題じゃないだろうな。生産量が多過ぎて価格が壊れているとか? だとしたらそれを国外に、ていってもわざわざ他国から仕入れる作物じゃないとかか?)


 育てている作物の種類などは城内からでも調べられる。だが収穫量に対して消費量がどうの、はたまたその適正となる値はどこか、という判断をする知識はなく、結局人に聞く事になるだろう。


 なにより貧しい理由となると、様々な要因が考えられる。クレインではそれを調べるだけでどれだけの時間を要するというのか。


(なら直接見聞きしてきた方が早いな)


 そうと決まれば、詳しい地図を求めて書庫へと足を向ける。ようやっと見つけた目的に思わず心も弾む。


 ほぼ引き篭もりの魔王が意気揚々と足早に歩いていく様は……多くの者に動揺を与えるのだった。まだ人物像すらよく分かっていない主君なのだからそれも仕方がない。


 だが本人の気持ちとは相反する事だけに随分と皮肉なものである。


 それに気づく事もなく、軽い足取りで城内を進むクレイン。進んで進んで、遂には行き止まりへと到達したのだった。


「……あ、あれ?」


 確かこの辺りにあったはず、と近くをうろうろと歩き回るもそれらしい部屋は見当たらない。幸いというべきか不幸というべきか、周囲に兵士達もいない為にそんな挙動不審な姿を見られもせず、だが尋ねる事もできずにいた。


(……これ、聞くのも恥ずかしいな)


 王たる者そんな些細な事まで記憶しておらん、とでも堂々とした態度で聞く手もあるのだろう。が、クレインには王たる者が城内の部屋の位置も把握していない、という羞恥心の方が上回っているようだ。


(カインが戻ってくるまで大人しく部屋で待つか……)


 今までの勢いが、威勢よく燃えていた気持ちが急速に萎んでいくのが、クレインにもよく分かる。


 だが、驚くべき事にそこに差し伸べる手があったのだ。


「あの魔王、様? なにをなさっているんですか?」

「見回りなら我々が行いますので、どうか魔王様はお休み下さい」


 城の侍女と兵士の二人組の有翼種と出くわした。


 こんな城内の端の方で職務の違う二人でいるなど疑うべき点もあるだろう。だが否定材料もあるのだから詰問すべきか難しいところである。


 もっとも、今のクレインにとってはそれら全てが些細なものであった。


(上手い事言い繕って道を……この二人、翼があるのか)


 閃きと呼ぶか囁きと言うべきか。クレインの脳裏になにかが過ぎる。そうなにかだ。しかしその明確な正体が掴めなくても構いはしない。僅かなきっかけを胸中で握り締めて、クレインは凛とした真面目な表情を作る。


「未だ多くの現状を知らないでいる。よってこれより郊外の村や町の視察に行こうと考えているのだ。しかし地理的に分からない事も多い。もし可能であれば同行をしてはもらえないだろうか?」


 行動との因果関係など明後日の方向へと飛んで行く内容をさも、大層に語ればどうだろうか。二人は目を白黒とさせて驚いているではないか。


「じ、自分めがですか?!」

「自身のすべき事もあるだろうが、魔王クレイン・エンダーによる命であったと話を通しておく。その点は気兼ねしないでもらいたい。どうだろうか? 頼めないか?」

「勿体なきお言葉! 不肖私めが同行を務めさせていただきます!」

「そちらの君ももしよければどうだろうか?」

「わ、私もですか?! え、ええと……ま、魔王様のお力添えできるよう、努力させて頂きます!」


 二人の返事に、ゆっくりと微笑みながら頷いてみせる。


 暴君に怯えていた反動もあるのだろうが、二人の顔が力強く、花が咲き綻ぶような笑顔になった。


 その様子にクレインは密かにほくそ笑む。


(道案内と付き人ゲット。探し調べる手間も省けた。超ラッキー)


 実に正反対である。



「この辺りは広大な耕作地をまとめて管理し、集中的に農業を行う区画となっております」

「町や村は?」

「この先の方にこの一帯を管理する町があります」


 どこまでも続く、とは言えないものの広々とした田畑がその姿を表す。ところどころに建物が集まっている場所があり、倉庫など仕事で必要とする施設を点在させているのだろう。


 よく見ると一部では白と黒の粒も見え、農業区と呼ばれているが酪農を行っている様子が見て取れる。


「天気もいいし、いい景色だなぁ……お、見えてきたな」


 大小様々な建物が並んでいる町が見えてきた。居住の為だけでなく、こちらにも農業用の施設が混じっているようだ。


 やがて町の上空とも言える位置まで来ると、三人はゆっくりと旋回しながら降下していく。


 より明確になっていった町の様子に、クレインは眉間に皺を寄せて目を細めた。


 降り立った町の中はあちらこちらと雑草が伸びており、一部の家屋は破損箇所が目に付く。そして全くといっていいほど人気がない。


 農業を集中的に行っているのだから日中は人がいないのも当然だが、修復すらも満足にいっていないほどなのだろうか。


「人……いませんね」

「城から来る者の対応もありますので、毎日必ず一人はいるはずなのですが」

「窓口みたいな建物がどれとかは知らないか?」

「すみません、自分は担当していないものでして」

「城内勤務だしそりゃそうか……て、誰か出てきたな」


 用事があったのか、それともこちらに気づいたからか。町の者がこちらに近づいてくる。


 手間が省けてよかった、と思ったのも束の間で三人はすぐに困惑せずにはいられなかった。


 やってきた男性は頬がこけ、薄汚れていてボロが目立つ服を身にまとっている。ただの体質なのかもしれないがあまり健康的には見えない上に、とてもじゃないが農作業が休みという姿には見えない。


「……あなた方は?」

「忙しいところすまないな。視察に来させてもらったのだ。随分と荒れた様子だが一体どうなっている?」

「なっ……」


 クレインの問いに、男は声を絞り出したかと思うと口を固く閉ざしてわなわなと震えだした。


 恐らく、とんでもない失言であったのだろう。睨みつけてくる男の視線から、逃げるように身を引いたクレインは、隣の兵士にそっと耳打ちをする。


「どういう事か分かるか?」

「農業区自体、あまり……いえ貧困であると言えます。更には予算も少なく道具の買い替えすらままならず、色々と不満を持たれているかと」


 先代からしてさもありなん、といった状況なのだろう。


 予想以上に厳しそうな状況に、クレインは確認すべき点を組み立てていく。


「納税の状況は?」

「作物は安く買われている所為でままならず、最近では生産物そのものが徴収対象らしいです」

「現物徴収……何時の時代だよ」


 古い歴史に詳しくないクレインとて、それが行われていたのが気が遠くなるほど昔である事は理解している。それがこの国では現代においても行って、いや行われる状況にあるというのだ。


「徴収している物は?」

「すみません……そこまでは」


 露骨にクレインの顔が曇り、兵士が思わず泣きたそうな顔で堪えた。


 兵士も不憫だが、クレインもそう言ってはならない立場柄であるが間違いなく不憫であろう。文字通り先代による結果で点いた憎しみと怒りの炎に、これから油を注がなくてはならないのだ。


「今、収めている物はなんだ?」


 だが折れるわけにもいかず退きもせず。クレインははっきりと今も憎悪の意思を示す男に確かめる。


 男はしばし、罵倒したい気持ちを抑えているのか、全身を強張らせて硬直した後、深く息を吐いてゆっくりと口を開いた。


「殆どは乳製品だ。ろくに飼料もないから十分な物はできないが、余る野菜のクズでなんとか育てている。野菜よりはまだ価値が高い。だがな、あいつらだって元々は少しでも俺達の食料をましにさせようとしたものだ! それなのに……あんた達は!」


 もしも彼がもっと理性を欠いた者ならば、間違いなく殴りかかってきていたのだろう。そんな剣幕で最後には怒鳴り散らす勢いであった。


(んー野菜に関してはまだまだ分からない事も多いし、ここで聞いてもな)


 兎にも角にも、収益が低いが売れない野菜で食うに困らない。しかし満足な食事が送れてはいない。おまけに徴収されているのが、彼ら自分達の為に育てているものの生産物。相当に切迫した状況が垣間見える。


「その乳製品とやらを確認する。少量でいいから持ってきて欲しい」

「……」

「……ええ、と、あの、こちらの方はとても地位のある方なのでそのぉ……」


 反抗的な態度を見せる男に、兵士はクレインをチラチラと見ながら助言に聞こえない助言をする。


 特にお忍びという事ではないが素性を隠したままであり、男の方も新たな魔王の姿を知らない。かといって知らぬまま酷く無礼な態度で罰せられてはと行動に出たのだ。しかし一介の兵士の彼が勝手に明かせず、こうしてもごもごと言うばかりであった。


 男の方もなにかを察したのか、ようやく観念したようで肩を落として大きな建物に入っていく。


 貯蔵庫、といったところか。レンガ造りで立派なものだが、やはり修繕ができていないのか傷や破損箇所が目に付く。


 やがて男が皿とコップを持ってやってくる。そこにあるのは一切れの黄色い欠片と白い液体。


「ミルクにチーズか」

「……」


 男が無言で差し出すそれを受け取ると、クレインは遠慮なく口に運ぶ。


 その脇では剣呑な気配に心中穏やかでない兵士と侍女。そして今にも歯軋りが聞こえてきそうな農夫の男。


 そんな事もお構いなしに味わうクレインの目が大きく開かれた。


 ミルクはほんのりと甘みを持つも、どこか水っぽい薄さが目立つ。チーズも鼻孔をくすぐるいい香りがするものの、何処か味が足らないものであった。


 不味いとまでは言わないまでも、美味いとも言えない物である。


(これが飼料不足に困りつつも野菜クズで育てた? 相当知恵を絞っているんだろうな。というかこれ、城で食った気がするな)


 一般的な商品としては難しい出来上がりと言える。だが、これは飽くまで過酷で不十分な環境下での産物なのだ。


「因みにこれは出荷などは行っているのか?」

「……もう、首も回らない状態だ。食い扶持削ってでも、出してはいるが……」

「どこで売られたかは知っているのか?」

「……西側の国って話だ。なあ、いい加減にしてくれよ。そんなの俺達より詳しいんじゃないのか! こっちがどういう気持ちだが知ってんだろ!」

(西側にこれか。確かにあそこは各国の領土が少ない分、需要は見込めるだろうが……勿体ないな。ここから始めていくか)


 もう我慢の限界だとばかりに握りこぶしを震わせる男。いつ殴りかかってきてもおかしくない。


 そんな一触即発の空気に、兵士は体を強張らせて緊張し、侍女はその彼の背後に隠れるように身を縮こまらせた。


 だが怒鳴られたクレインは、どこ吹く風といった様子。遂にはそんな状態の中でしばし考え事をする仕草さえ見せる。そうして、


「因みに俺は新たな魔王、クレイン・エンダーだ。先代ゴート・ヴァダーベンは俺が殺した」


 唐突のカミングアウトをした。


「……は? え? ええ?!」

「数々の暴言、罪には問わんが追加で分捕るとする。三ヶ月分を当月中に俺宛てに収めろ」

「……あ、はは……ははは」


 毒気を抜かれたかのように素っ頓狂な声を上げて驚く男に、冷徹な命令が下されてその場にへたり込んだ。


 相手が一介の役人ならばまだしも魔王が相手。言い返すべき言葉も見当たらないのか、観念した様子で呆然とするのだった。


「ま、魔王様……」

「……いくらなんでもあれは」

「お前達の事は守る。が触れて回るなよ? いいな?」

「……はい」

「……分かりました」


 不服そうな二人だが、有無を言わせない口調で被せられてはそれ以上の言葉を失いただ従う他もなく。踵を返し、翼を広げて飛び立つクレインの背を追うばかりであった。



「この軍関係の予算だけどさ。ここの装備品の項目って詳しくはなに?」

「買い替えや修理などに関わる費用についてです」

「必須なのか?」

「絶対、という事ではないのですが、耐久の問題から定期的に行っているもの、と考えていただければよろしいかと」

「なるほど。ありがとう」


 城に戻り従者役の二人を解放するや否や、クレインは予算案の資料を持ち出し、関係者を捕まえてこの状況である。


 捕まった者も自身の仕事があるのだが、魔王を相手に拒否もできずにこの有様であった。


「この費用は?」

「訓練やそれに関わる備品の費用ですね」

「ふんふん、なるほどなるほど」


 いくつかの内容を確認するとピッと線を引き、字を書き足していく。


「あ、あの……そちらは本決定でないとは言え、会議で決めているものなのですが」

「うん? なに? 逆らうの?」

「……い、いえ、お気にでも、留めていただければ、と」

「そう? じゃあこんな感じでよろしく」


 特別に凄みを出したわけでもなく、終始とても軽い口調で喋るクレイン。だが紛れもなく一人で先代魔王を打ち倒した存在なのだ。


 こうして面と向かい、彼に反抗して怒りを買おうという度胸のある者は殆どいないだろう。その通り、対応していた者は拒否する事もできず震える手でそれを受け取る以外の選択肢はない。


 そうして見た内容と言えば、先代魔王ゴート・ヴァダーベンの再来さえも思わせる勝手に修正されたものである。



「なにも変わりはしないのか」


 その後、その行動と一部での追加の増税という事実だけが広く伝わり、先代と変わらないと多くの者が落胆する事となった。


 これからまた血を流す者もいるのだろうかと、城内どころか国全体にまで不安は伝染していく。それこそ、新たな魔王の詳しい容姿が伝わるよりも先に。


 誰一人、その思惑を知る事も気づく事もなく、先代から名前が変わった程度の魔王交代であると酷く噂される事となる。やがてそれは、国外へも広がりを見せるのだった。

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