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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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四十六話 誓い

 農商国家。北の大陸の南部に位置する国で他の国々とは一変した風変わりなところである。


 まずは随分と若くその上で力を持っているという点だ。西に点在している反対派に属する小国の群れや、中立というの名の他国に無関心である国を除けば最も建国が新しい。しかし二強とされる国の真下にある勢力の一つに位置している。


 次に王である魔王の選定方法も大きな違いの一つ。世襲制ではなく、国民投票であったり城内の者達で取り決められる。ここまでの方法自体は普通、いや完全に手段が定められていない時点で他にはない話だ。その上、更に追加されるのが『魔王を討った者が次の魔王に就く』という酷く暴力的な内容となる。


 力比べによって決める国はあれど、魔王の暗殺さえも是とするところは存在しない。それこそこの農商国家が生まれる遥か以前の暴力的な時代でこその話だ。それでいてこの制度があるというのだから時代錯誤も甚だしいものである。


 そして魔王城と城下町の作り。大半の国はこれらがセットであるかのように隣接した位置にある。だがここは魔王城とそれを囲む城壁があり、その外には大きな草原の大地が広がっている。そうして離れたところに城下町とこれら全てを囲う壁が続く。この様な光景が見られる国は間違いなくここだけだ。


 他に二つとない、似ているところを探すのも苦労する。それが農商国家という国である。



 先代魔王が討たれてから早二週間の時が過ぎた。当事者であるクレインは驚異的な回復力をみせ、体の不調を感じさせる様子さえなくなっている。


 万能でこそないが並大抵の傷ならば、魔法で癒す事ができる為にそこはさしたる問題でない。だが、立てぬほどの後遺症を残した魔力の消費は別なのだ。


 大量の魔力を保有する種族にとって、それそのものが生命活動に関わる要素となる。クレアの言葉通りクレインは失調をきたした。ならば魔力が回復すれば元に戻ろう。


 確かにそうだがその単純な事が難しい。外部からの補給、薬であったり他者から分け与えられたり、そうした一時的に魔力を回復させる術はあるが、それらでは恒常的な回復とはいかないのだ。


 魔力に関してよく器と水で例えられる。


 生物が保有する魔力は日々少しずつ溜まっていく。当然溜まりきれば溢れるが、勢いのない水は緩やかに漏れていくだけで所謂ところの魔力が暴発・暴走するような事はない。


 だが逆に、多くの水を使ってしまえば溜まるまでに時間がかかる。ならば他所から持ってきたらどうだろうか? 本来、そこに溜まる水ではないものは長く器に留まらない。他所から持ってきたものは例外なく、揮発性の高い液体であるかのように僅かな時間で体から消失していく。


 恐らく、生物が内に溜める魔力というものは抽出した時点で変質してしまうのだろう。それ故に大量の魔力の消失による症状は、自らの回復能力に頼るか自然環境の中で魔力が溜まる場所に身を置いてそれを高める以外、効果の薄い応急処置にしかならない。


 というのが一般的なお話と考え方とされている。


 ではクレインはどうであったかといえば、体を満足に動かせないほどの症状だった。そもそも本来ならば、しばらくの間は免疫力も低下し病床に就いていてもおかしくない。それが活動の制限だけで済み、更には僅か二週間でほぼ全快といったところ。


 城内に勤務する回復魔法を主とする者達、治療師の見解からすれば回復には一ヶ月以上の時間を要するとの判断を綺麗にぶった切ってくれたものだ。それもクレイン・エンダーというよく分からない種族である事を加味した上での予想で。控え目に言っても化け物にしか見えないだろう。


 そうした経緯を経てはいるが、クレインが回復した事によって城内はより一層慌しくなっている。不謹慎な話であるが、まだクレインという新魔王が臥せっていれば、それなりに他の事柄に集中できるというもの。


 なにより、動けるのならば第一にしなくてはならない事がある。


 先代魔王が討たれて早二週間。この騒動は城下町まで届いたもののそれ以上の続報がないままであった。が、新たなる魔王はこうして動ける身である。


 ならばなにをしなければいけないか? なんとも簡単な話である。そう、新魔王のお披露目会というわけだ。


 今や城下町に近い城門、正門に位置するそこは大きな人だかりができている。城門の真上には二階の通路から出れるバルコニーとなっており、そこに現れるはずの人物見たさに人々が集まってきているのだ。


 ある者は期待に目を輝かせて、ある者は諦めの境地で。またある者は手を組み静かに祈りながらその時を待っていた。


 新たなる魔王はどういった者なのか。その口からなにが語られるのか。期待と不安が入り混じる中、様々な思いで今か今かとその時を待つ。


 一方城内では民衆のざわつきが城内の廊下まで響いている。そんな中、バルコニーの扉の前で押し問答をする二人と、対処に困り困惑した様子で待機する兵士達の姿があった。


「待て待て待て待て! 演説なんて聞いていないぞ!」

「言いましたー! 先週から言ってましたー!」

「覚えてない!」

「貴方が悪い!」


 新生魔王、クレイン・エンダーとその側近、カイン・エアーヴンである。


 カインはクレインの背中を文字通りに押して、バルコニーへと向かわせて来たのだ。一方のクレインも抵抗は試みているが、彼の魔法によってそれも虚しく終わり、こうして一歩、また一歩と扉に近づいている。


 兵士達はというと、魔王直属の側近殿に加勢すべきなのか、新魔王様に加勢すべきかと揺れ動く。やがて傍観がもっとも角が立たないとの判断に至り、本来の見張りの役目に徹していた。


「カンペはないのか! なにも考えちゃいないぞ!」

「貴方がなにをしたいか、どう考えているか、それを発表するだけでいいです!」

「言ったな! 覚えてるからな! 大ゴケ決めても責任取らないからな!」

「叱責するだけです!」

「おおい! くそ、ままよ!」


 逃げ出す、などという選択肢がない事を悟るといよいよ覚悟を決める。胸いっぱいに息を吸い込み、勇気を奮い立たせたクレインが扉を開け放った。もしかしたら、ゴート・ヴァダーベンの居る部屋の扉を開けた時より緊張しているかもしれない。


 だが、それだけでは民衆の目に映りもしない。一際大きく聞こえるようになったざわつきを前に、クレインはゆっくりと、それでいて堂々とした足取りで前に進む。


 ようやくバルコニーから人々を見下ろせる位置にまで来ると、今まであったざわつきが……更に大きくなった。むしろこれはどよめきだろうか。民衆の様子を見れば皆、バルコニーを見上げているが大半は首を傾げている。


 クレインはクレインで、もしやこれが農商国家の作法では? と困惑しだす。このまま喋ってもいいのだろうか? あるいは静かになるまで待つべきか?


 数秒ほど考えている間も落ち着く気配はなく、ここでようやくある結論に行き着いた。


(これは俺が魔王だと思われていないな)


 先代魔王、ゴート・ヴァダーベン。巨大な熊や大岩のような男である。彼が自ら魔王の座を明け渡すような真似などしないだろう。ならば新魔王が討ち取ったはず。


 そもそも、襲撃者の騒動は城下町にも届いている。ならばこれを疑わない者はいないと考えた方がいい。


 そしてバルコニーに姿を現したのは若い青年である。この状況を見て彼が新たなる王である、と一瞬の疑いもなく信じられる者はそうはいない。改めて考えれば、クレインも民衆側だったら間違いなく、城に勤務する何者かだと思っただろう。


 その考えは正しく、バルコニーの一点を見つめる人々は現れた男がただの労働者か魔王かの判断で揺れているところである。もっともその殆どは前者に傾いているのだが。


「……」


 これはアクションを取らねばずっとこのままだな、とクレインが静止を求めて片手を肩ほどの高さに上げる。


 それに呼応するようにざわつきは小さくなっていく。が、人々の困惑の様子は変わらず、あれが魔王なのかこれから魔王が現れるのか、と落ち着かない。


「えー……あー……本日はお日柄もよく」


 静まり返った中でクレインの声がよく通る。あまりにも中身のない内容が全ての人に届けられた。


 その直後、クレインには背中に幾本もの氷の刃が突き立てられるかの様な感覚に襲われる。


 振り返る必要もない。背後にいる側近のカインが、それはもう瞳孔が開いていそうな目でこちらを見つめているのだろう。間違いがない。


 何故か? 難しい事は何一つない。


「民衆の前で阿呆な事を言わないで下さい。粗相しないで下さい。王たる風格はこの際要りませんから常識的な言動をして下さい」


 酷く小声ではあるものの、しっかりとクレインに届く呪詛が繰り返し呟かれているからだ。


 なにかをやかしたら本当に叱責で済むのだろうか。いいや済むまい。


 ゴクリと唾を飲み込んだクレインは、一度大きな深呼吸をすると改めて眼下に集まる人々を見渡した。


「俺はクレイン・エンダーという者だ。今こうしてこの場に立っているが魔王になるつもりなどなかった」


 一瞬のざわつきが走る。この発言の内容に、というよりもこれから魔王が登場するに当たっての挨拶だと思っていた者達にとって、否定を意味する内容となったからが主なのだろう。


「正直、この状況は驚いている。まさか魔王を討った者が次代となるなんて思っても見なかったからな。それに俺は戦う以外になにかができる訳でも秀でてもいない。酷く田舎者だ」


 ようやく現実を受け止めた人々が落胆と安堵の声を漏らす。ある者は頼りない、あるいは無能の王であると。ある者は少なくとも先代よりはまともだと。


 輝かしい期待と希望の色が消えていく、はずだった。


「だが、自分勝手に先代を討ったのは事実。そして俺に次代の魔王となる責があるのもまた事実。ならばこそ、俺は俺の力が及ぶ範囲で魔王という責務を果たそうと思う。この国の状況をまるで知らないわけではない。先ずは……」


 そこで区切り大きく息を吸う。それに釣られるかのように、人々は固唾を呑んで次の言葉を待ちわびる。


「先ずはこの国を立て直す! 豊かであり安寧である国にする! 皆には苦労や迷惑もかけるだろうが力を貸して欲しい! ……以上だ」


 一瞬の静寂の後、歓声と拍手が沸き起こる。それは山も空も越えて、遠く他国へと届かんばかりの勢いであった。


 認められはした。と、胸を撫で下ろしたクレインは踵を返すと、半眼のカインと目が合う。彼の呪詛を忘れていたのか、クレインの顔から血の気が引いていった。


 だが、カインは小さく息を吐いて表情を緩めると、呆れた様子で口を開く。


「説教をしたい点もありますが、評価すべき点も多いです。今回は相殺としましょうか。流石になにが指摘対象かは分かっていますよね?」

「……最初の挨拶」

「やはり説教は必要そうですね。魔王様の部屋に向かいましょうか」

「えっ、えっ、他にも駄目だったのかあれ」


 当たり前です、と首根っこを掴まれて引き摺られて行く。体格に差のある小柄なカインだが、魔法を得意とする彼にはそれもハンディキャップにならない。だからこそここまで押されてきたのだ。


 本気で暴れればクレインが振りほどく事は容易いが、そんな大人気ない事をする気もおきない。新たなる王は側近に引き摺られるがままに、行き以上に大人しく城内を進んでいく。



 この日をもって、農商国家は正式に新たな魔王が誕生した。大きな出来事だが極めて稀な事ではない。


 国内の状況が大きく変わる事もあるだろう。だがそれだけの話だ。


 長年、目に見える国同士の争いはなくなり、必要以上の干渉がなくなった社会。あからさまに敵対的な行動を取る事もない。きっと今回にしても大して影響はしないだろう。所詮はその国の内での出来事だ。


 何れは各国にも報せが届き、多くの者がそう心に思う。内心はどうあれ、表面上は割り切って互いに接する。今までとなにも変わりはしない。


 だがこの時は誰一人、それこそ農商国家の者でさえも知らないでいる。そもそもこのクレイン・エンダーという存在がどれほど異質な存在であるか。彼らにとって未知なる種族であるというのもその一つの点である。だがそれすらも一つの起点でしかないのだ。


 そんな者に世の中の常識は通用しない。だからこそ、今この時に農商国家の魔王となったのだ。その為の騒動を巻き起こしたのだ。


 誰一人、知る事も気づく事もなく、心から、期待を込め、社交的に、例式的に農商国家新魔王クレイン・エンダーを祝福するのだった。

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