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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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四十三話 浅ましき英雄

 鉄の国の領土内であり農商国家との国境を目前とした町。大きな街道もなく寂れたところだが小さいながらもしっかりとした酒場がある。だが店内は陰鬱とした雰囲気が漂っており、活気という言葉とは随分と遠い世界だった。


 そうした環境からか、酒場の主も酒を注いだりちょっとした肴を作ったりと、店としての仕事はするも忙しそうな様子はない。それどころか棚の一部は本棚になっており、作業の合間は本を片手に過ごしている。


 歳を重ねると共に体が衰え、荒くれ者としての生業を捨ててひっそりと生きる日陰者が集まるこの町は、現役の者達にとっては休憩地点の一つであり襲撃を受ける事はない。だが町が襲われないとは言え、ここに寄る者達に道中で狙われてはかなわないと商人も寄らず、ただただ貧しく寂しい町である。


 そんな場所の酒場へ一人の青年が足を踏み入れた。羽織っている外套は元々暗い色をしているものの、大量についている黒い染みが輪をかけて重苦しい印象を与える。


 カツカツと鳴らす鉄製のブーツを見ればこれもまた恐ろしく黒ずんでいる。どこぞの焼け跡から拾ってきたかのようにも見えるが、そういうわけではないようだ。


 明らかに異質で見慣れない余所者の登場に酒場は一瞬で静まり返り、男達は不審そうな目を青年へと注ぐ。


 だがそんな中、あるテーブルに座る男が同席している他の男達の肩をつかんで引くのだった。


「おい、止めろよ」

「……?」


 小声で咎める様子に他の男達は不満そうに、だが無言で抗議の態度を示す。数名からの反感受けて尚、止めた男は手を離さず、青年に視線を向けないようにして静かに呟いた。


「……全部血の染みだ。普通じゃねえ。多分あれが……」

「! 賊狩り……」


 責められた男の一人が青白い顔をして小さく呟いた。搾り出すかのような声だったが静まり返った酒場ではよく通ったのか、彼らの緊張は一瞬で他の客達へと伝染していく。


 当の青年は気にする様子もなく、カウンターの席へと腰をかけると無言で棚の酒を指差した。店主もその青年に倣い無言で示された酒をコップに注いで差し出すと、再び本を開き始める。普通ならばかなり異様な対応であるが、青年は気に留める事無く氷を浮かべた琥珀色の酒を煽りだした。


 選んだ酒は随分とアルコール強いもの。少なからず青年は喉が焼きつく感覚を覚えているはずだ。だがそれで手が止まる事はなく、ゆっくりとだが乱れぬペースで一口、二口を飲んでいく。


 やがて全てを飲み干すと、青年はカウンターに二枚の銀貨を置いて立ち上がった。すぐさま店主が回収するとジャラジャラと釣りとなる銅貨の準備をする。しかし青年は受け取る素振りも見せずに、背を向けて店の出入り口へと歩みだした。


 青年が動いた事で、男達の緊張は一際高まる。願わくばこのまま出て行って欲しい。誰もが柄にもなく神に祈りを捧げたであろう。


 そんな願いも届かなかったのか、青年は不意に立ち止まり周囲の客達を見渡した。


 あれから誰一人顔を上げず沈黙を続け、決して彼の目に留まる事がないようにと身を縮こまらせている。しかし青年の動きに気づき、数名の男達がびくりと肩を震わせ、ゴクリと唾を飲み込む音を響かせた。


 次の瞬間には血飛沫が上がる。その緊迫感から多くの者の顔に噴出した汗が伝っていく。


 だが青年は彼らを一瞥すると、一言も発する事無く店から出て行ってしまった。


 それから何十秒、もしかしたら何分とその硬直が続く。店主以外に時間感覚が正常な者などこの場にはいないのだ。そしてあまりにも長く感じる時間を経て、誰からともなくテーブルに突っ伏すように体を倒しだした。


「い、生きた心地しなかったぞ……」

「間違いなく寿命は縮んだな」

「どうせ老い先なんぞ短いんだ。大して変わらねえよ」


 ここまでの張り詰めた空気の反動か、今だ青い顔をしている年老いた無骨な男達は普段以上に軽口をたたく。


「近いところで賊狩りが出たっていうが……本当だったとはな」

「一体、なにが目的なんだろうな、あいつ」

「物は取っていかないってんだから英雄ってんでもないだろうし、殺す事が目的なのかもな」

「なんにせよ、俺らの時代でなくてよかったもんだぜ」


 過ぎ去ってしまえば怖いものもなく、酒場の男達はあまりにも珍しい肴に酒場は久々の活気を見せるのだった。



 今の北の大陸では国同士での争い、即ち戦争と呼べるものは存在していない。それは遥か過去の出来事であって、領土などの問題から発生していたものとされている。


 かつては起こっていたものが今はない。その理由は様々だが大きな一因は長い時を経て同一の種族でも平均的な能力が向上した事にある。現代はおろか近代でさえ大きな衝突が起これば人的被害は元より、戦場となる大地は広域に渡って不毛の地へと変えかねない。負う傷に対して得られるものが相対的に少ない時代になってしまったのだ。


 それ故に緊張が高まる事はあっても、実際に血が流れるのは随分と久しい話である。だが、それは国同士に限る。


 現在の西の国々はクレインが遭遇したようなならず者の集団が多い。彼らは南の大陸で暮らす人間達の支配を唱える小さい国々の周辺で出没している。


 国ぐるみを疑われるも確たる証拠がある訳でもなく、彼らの個々の規模も小さいが為に一斉検挙にも至らず、細々とした取締りが続いているだけであった。大海を隔てた南の大陸を求める小国であり、他国に侵略するだけの力もない。更には正しき為政家はあまり見受けられないというのだから、こうした事に注ぐ余力もないのだろう。


 中には積極的に行動する国もあるのだが、焼け石に水といったところで依然として襲撃や略奪を受ける行商や町の数は目に見えた変化はなく、早々に起こらないとは言え地図から村や町が消えるという出来事の根絶には至らなかった。


 だがそれも少し前までの話であり、ここ数年の間に彼らは確実に数を減らしてきている。時には彼らの拠点が徹底的に破壊され、時には容赦なく燃やし尽くされていたというのだ。


 中には襲われている行商や村や町の前に現れ、略奪者達を一人残らず切り伏せた話もある。そうした幸運な者達は多くはいないが、皆一様に立ちはだかった存在はただ一人である言う。


 その話が流れ出た当初こそ眉唾の噂話であったのだが、壊滅する荒くれ者の集団の数は止まる事もなく、その信憑性が増していくばかりである。


 何時しか、ある者は英雄を称えるように、ある者は畏怖を込めて、またある者は憎々しげに『賊狩り』と呼ぶようになっていったのだ。


 そしてその名で呼称された青年クレイン・エンダーは今、東に向けて進んでいる。


 随分と長い間、西の国々を回っていた為に身なりからしてもその人物と悟られる事が多くなってきた。それ故に面倒な思いもするようになり、農商国家の方面へと向かっているのである。


 農商国家は人の行き来が盛んではなく、あまり賊狩りと呼ばれる存在の噂も流れていない。なにより、国境近くであればその領土に足を踏み入れる事もあったが、こうして中心地へと向かうのはクレインにとっても初めての事だ。この辺りの国々よりも少しはまともかもしれない、と本当に僅かばかりの期待もある。


(俺は……なにをしているんだろうな)


 鈍色の空の下、吹きすさぶ風に外套をはためかせながら、荒れた寂しい街道を一人で進む。寄り添う相手もなく、答えのない問いを自分に投げかけた。


 あの木々に囲まれた町での出来事の後、こうして賊狩りと呼ばれるほどに彼らのような集団を切って回ってきた。どうしても彼らの存在を受け入れる事も、認める事もできないのだ。賊狩りとはそれを否定したいが為の行動によって生まれた存在。だがその行為こそ、クレインが望む否定したいものとそう遠くないのである。


(結局、俺の我侭だ。幼稚な理由で命を奪い続けている。満たされる事などありはしない。それならば……奴らよりもよほど質が悪いな)


 自嘲気味に笑う。随分と落ちてきたものだ。あの日の一秒でも過去においては、微塵にも想像しない現在だ。


(今の姿を見たら……どう思うんだろうな)


 あの楽園に思い焦がれる。自分のたった一人の理解者がいるあの場所。これまでも一体どれほどあそこへ帰りたいと願っただろうか。


 だが帰る事はできない。もう帰れはしないのだ。


(こんな自分で会おうなど。ましてやあの地に踏み入るだなんて)


 愚かしい行為だ。あの純粋な世界に酷く歪に捩れた自分が戻るなどあってはならない。どれほど望んでも、もう手を伸ばしてはいけない。


 幾千と繰り返してきた問答を続けながら、クレインは新たな地へと進んでいった。



 いくつかの寂れた町を過ぎ、これまでにしては大きな町に辿り着く。


 大小様々な店が並ぶ中、この辺りは商人の行き来もあるのか一際大きな宿屋がある。そこは酒場も兼ねており、クレインは静かに酒を煽っていた。


 これまでの旅で随分と魔力の扱いが上手くなった。クレアが行った測定どおり今尚魔法は使えないが、瞬間的な身体能力の向上から始まり、ある意味で全うではない能力を次々と会得しておりその成長は止まる事を知らない様である。


 その結果、傷を負うのも珍しいもので、最後に血を流したのがいつなのかが覚えていないほどだ。だがそれはどれほど戦っても痛みを負う事もないという事であり、より一層現実感のない日々がクレインの意思を暗い影が蝕んでいく。


 だからと言って自傷行為をするつもりもわざと切られてやる気にもならず、こうしてアルコールで焼かれるような喉の痛みと酔いで気を紛らわせているのだ。更に今日はこのままこの宿で取った部屋に向かい寝ればいい。普段以上のペースと量でグラスを傾けている。


「なあ兄さん。旅人だろ? なんでこんな……いや、何故この国に来たんだ」


 唯一の安息の一時であったが、店主の声に現実へ引き戻される。相手にこちらの思考など分かるわけもない。目くじらを立てる理由などない、と思いながらもクレインは僅かに眉をしかめて声の方へと顔を向けた。


「国境付近は別にしても、この町は随分と治安が良さそうに見えるが?」


 国の中心に近ければ略奪を企てる者もそうはいない。というよりも、吐き捨てられたかのような町や村ならいざ知れず、多少なりとも国に捧げる税金を多く持っていそうな町を襲い、統治する魔王の怒りを買いたくはないのだ。


「そりゃあ、な……魔王様が守って下さっているんだ」


 店主は言葉を選ぶようにゆっくりと話す。


 この国の魔王が暴君であり圧政を行っているのはクレインもよく聞く話だ。しかしこんな場所でも発言に注意しているとなると、想像以上に恐ろしい環境なのかもしれない。


「魔王様は寛大なお方だ……だが決して無礼は許しはしない。取り返しがつかない事になる前に、早く出国した方がいい」

「ならあんたはどうなんだ。わざわざ忠告するほどなら、自分も離れればいいものを」

「俺は……他の生き方を知らない。だが君は渡り鳥だ。この地に縛られない……どこにだって行ける存在だ」

「……」


 グラスに残った酒を一口で飲み干すと、クレインは数枚の銀貨を置いて立ち上がる。ここでも店主が返すべき銅貨の用意をしている最中に背を向けた。


「延々と飛び続けるなどできやしない。それに、地に落ちて這う事しかできない鳥もいる」


 そう言い残すと店主の言葉を待ちもせず、クレインは宿屋の奥にある部屋へと消えていった。


(思った以上に暴君……というか好き放題に殺しているといった様子か)


 ベッドに体を横たえ、先ほどの言葉を反芻する。あの言い方からすると噂どおりこの国で途絶えた商人や旅人は少ないないのだろう。なんとも馬鹿げた王だ。


 だがすぐにクレインは鼻で笑いながら頭を振る。


(……俺なんかに責められる謂れはない、か)


 どのような考えで行われているにせよ、自らを振り返ってみたらそう大差のない話。謗ったり糾弾する資格などない。随分と落ちるところまで落ちたものだ。


(それにしても、これだけの事を魔王が行っていて他国はだんまりか。いや、表立ってぶつかり合えないからこそというべきなのか?)


 だとしたら一体誰が止めるのだろうか。恐らく、普通には現れないのだろう。


 魔王には二つ名のようなものがある。農商国家の現魔王、ゴート・ヴァダーベン。荒ぶる魔王の名を冠する者。


 その名に恥じぬ荒々しい狂戦士で、訓練と称しては兵士を鎧ごと叩き切ってしまう話があるほどだ。この男が古き時代に生まれたのであれば、北の大陸の情勢も違ったものになっていたのだろう。


(誰も手を出せないか。それなら……)


 地図を開き農商国家の首都への最短ルートを調べていく。


 どこまでも歪曲し醜い存在になったのであれば、この為に命を投げ打つのもいいだろう。むしろ終わりさえも望んでいたのかのもしれない。


 転がり続けた人生の終着点が打倒暴君とあらば、達成できずに朽ち果てようと少しは箔もつく。


 汚泥の中をさ迷い続けたこの数年間。クレインはその幕引きの場を農商国家の王城に定めた。


(顔向けなどできないのであれば、せめて最期ぐらい愚かしくても胸を張りたい……どこまでいってもエゴイズムの塊だな、俺は)


 自嘲とは裏腹に静かな熱が胸に灯る。いつぶりかの思いがクレイン中でふつふつと沸き立つのだ。


 そこに正義も義憤はなく、むしろそれらを建前に自らの僅かばかりの願いを叶えたいが為の闘志。酷く歪であるもののそれは確かな力となり、荒ぶれる王へと向けられているのだった。

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