四十一話 歩んだ先に
「うーん」
宿屋の一室でクレインは広げた地図を前に腕を組んでいた。
現在は鉄の国の領土内。大陸上における町の位置もさる事ながら、国の中から見ても南西の端の方にある。それ故に、他の国の外れの町を結ぶ街道が整備されており、半端な地方よりも栄えているのだ。
ここから北は小さな国がいくつかと、他者に無関心な国があるばかりである。
『人間』と呼ばれる種族が暮らす南の大陸。ここ北の大陸の国々では彼らとの共存か征服、あるいは手を出さないと言えば聞こえがいいが全くの無関心の中立という勢力に分かれている。
特に征服派の多くは大陸の西側に点在する小さな国々が属しており、その考え通りに荒っぽい者が多く治安も芳しくない。ここ鉄の国も規模こそ彼らとは異なるものの随分と似たようなものだという。
中立派に至ってはそもそも他国すらも気に留めていない。その成り立ちや城と城下町が領土の殆どという閉鎖的な環境もあって、商人でさえ踏み込むのを躊躇するほどだ。
北東に進めば共存派の火の国がある。だが火の国の周囲には評判のよろしくない征服派が取り囲むような位置にある為に、関所などが多く厳重な警備が敷かれているという。子供一人で身分もないクレイン。そう易々と通してもらえはしないだろう。
ならば東はどうだろうかと問えば、これもまた厄介なところで農商国家という国がある。そこの魔王は近年では稀に見るほどの暴君であるというのだ。治安よりもその恐怖政治によって恐れられており、旅人や行商を問わずその国に向かい、その後を聞く事がない者も少なくないのだという。
こうした現代社会のお話だが、何故クレインがそれを理解しているかというと気の良い宿屋の店主に教わるどころか地図までくれたのだ。武具屋の店主からの紹介であったとは言え、相変わらず良い人と接触するものである。
多少のトラブルがあったにせよ、本当に幸先が良い。もっともこれからの進路には悩まされているが。
(国の端の方を進んでいけば比較的マシらしいけどもなあ)
火の国以外はおっかなそうなものばかりである。農商国家に至っては魔王の気分次第で投獄や処刑さえあるのだというだから末恐ろしくもなる。
鉄の国ならば中央から外れた方が安全だが、征服派の小さな国々はそういったものもなく、どこの町でも悪いところは悪くマシなところはマシなのだそうだ。まるでトラップのある道を進んでいくかのようでこれを選ぶには勇気がいる。
かといって火の国も怪しまれたら、身柄を押さえられて調べられる日々が続くかもしれない。むしろクレイン自身、自分だったらまず信用しないだろうと思うぐらいだ。
(選択肢なんて殆ど……いやまともなのがないだけか)
本当に慎重に進むのならばどこかの町で根を下ろし、大人になってから旅を再開するべきなのだろう。例え流れ者であったとしても、どこかの町で暮らしていた者として、大人として旅人をしているのであればそれほど怪しまれるものではない。
(だけどそんな悠長にしているわけにもなあ)
時間は有限であるが切迫してはいない。ただ、遠くない未来でクレアの元に帰るその日が待ち遠しい。その時、自分がどんな未来を選択するにせよ、彼女に外の世界を語りに行く日が一日でも早く来て欲しいのだ。
(路銀だってこのままにはしていられない。良くも悪くも今後の補給次第でどうにでも転がっていく)
子供の自分が働いて得られる賃金はどれほどだというのだろうか。
浜辺で作っておいた薬を無償で提供する変わりに、今の薬事情等を詳しく聞いてきた。それを元に考えれば、運が悪くなければ旅そのものは続けられそうだ。
確かでないメリットとデメリットがあるだろう一時定住と天秤にかけるには、あまりにも情報量に差があるのだ。
(一先ずは進路を北東に。農商国家と火の国の国境沿いを通って水の都市に行きたい。むしろそこまで行けば当面は治安とかで恐れる必要はないはず)
共存派を率いており、北の大陸でもツートップの一国である水の都市。やや東よりだがここから北東に位置している。鉄の国と直線で結ぶと北西と南東で別れるように火の国と農商国家があり、水の都市のすぐ北西にはもう一つの大国にして征服派である剣の国があるのだ。
そしてここがなによりのポイントである。水の都市から東は全て共存派であり治安も安定しているのだという。何故大陸の西側に死の島があるのだと密かに呪詛を呟きたくもなる。だがこうして見るとある意味あの島も『西側』のカテゴリーなのだと納得せざるを得ない。
目的地も決まりおおよその道の確認ができたクレインは、クルクルと地図を丸めて仕舞うと剣を抜いてその刀身を眺め始める。当然といえば当然だが今までの剣とは別物。自らをも映す輝きに見とれていた。
(ちゃんとしたものはこんなに美しいんだな)
しばらくして剣を鞘に収めるとベッドに身を投げ出す。海岸からここに来るだけでも多くの初めてを見聞きしてきた。そしてこの先はこの比ではないだろう。
嫌な思いもしたが、そこに喜びも楽しみもないわけではない。自然と口角が上がってしまう。
(無駄に起きていても仕方がないしとっとと寝よう)
明かりを消してベッドに深く潜り込む。
(それにしても夕飯美味しかったな。明日の朝はどんなのだろう)
ライ麦パンにじゃがいものスープ。それに小さいながらも肉と野菜を炒めたものが提供された。クレアの料理の方がクレインの好みだがとても美味しく、なによりライ麦パンには頭を殴られたかのような衝撃と感動を覚えさせられる。
なにをどうしたらあんな食べ物が生み出せるのか。流石にパンの作り方までは知らないクレインには想像を絶する未知と遭遇した気分である。
そんな興奮があったものの、今までとはまた違った暖かい寝床の中では次第に瞼が降りてゆき、やがて小さな寝息を立てるのだった。
「あれが次の町か。意外とすんなりこれたなあ」
保存食を片手に丘の上から見逃してしまいそうなほど小さくはあるが町の姿を見つけ出す。前の町を発って既に一週間。悪天候には見舞われなかったなかったものの、パンがカビたり捨てたそれを目当てに寄ってきた鳥を獲ったり、気ままな旅を続けてきた。
途中には誰も住んでいない棄てられた町もあった。それほど古くはないもののかなり荒らされており、そこに留まろうという思いなど浮かんではこない有様だ。
何があって人がいなくなりどんな集団が荒らしたかは分からないが、鉄の国の治安の悪さの話が脳裏を過ぎる。思った以上に長居するのは危うい国なのかもしれない。
無理に進む必要もないだろう、と町より少し手前で野営した翌朝、町へと入っていく。
獣除けの大きな柵が町を取り囲んでおり、かなり小さな町に分類されるだろう規模の場所だ。どうやらこの先の道は馬車で行くには道が荒れているらしく、行商達はもっと城に近い街道を通るようで、前の町ほどは栄えていないようだ。
だが、ここもまた国境近くの城から離れた土地であり、見たところまともそうな兵士が見回りをしている様子は変わらない。もっとも、やはりというべきか目つきも見た目も悪そうな者の姿がちらちらと視界に入るあたり、どうしても今一歩治安の良さが届かないところがあるようだ。
それでもまだ治安はいいほうの部類なのだろう。場所によっては宿屋でも安眠してはいけない町もあるというのだから、これ以上望むのは贅沢な話だ。
「まさかこんな子供一人で旅とはねえ」
特に拒否されるような事もなかったが、宿屋の店主には目を丸くされた。
先の町でもそうだが、どうしても宿屋では一人旅であるのを隠すのは難しく、こうして潔く偽りもしないのだ。
「まあ、本当に無知の子供なら周辺の町からここまでだって来るのは容易じゃないだろう。その様子なら確かなものがあるんだろうな」
子供だからとなんとでも甘やかしてもらえるわけではない。精々、そのまま子供用に割引された価格で部屋に通されるだけで、特別な便宜などもありはしなかった。
前の町の人々を思い返せば返すほど、あの町かあるいはあの人達が驚くほどにお人好しだった事を思い知る。
(まあ旅ができている以上は施す必要もないだろうし、特に今の見た目もなあ)
鎧も剣も新調されたもの。なんらかの境遇なのだろうと案ずる事はあっても、今の環境がよほど貧しいものだとは思われないのも無理もない。
(今は特に困ってるいるものでもないしな)
作った薬が予想以上の値段になり、ただでさえしばらく安泰の懐事情をより強固なものとしたのだ。これでなにかを求めようものならバチが当たりそうだ。
(それよりこの先か)
町や村が襲撃される事件が後を絶たないという話だ。
農商国家では魔王に民を守るという考えがないようで、土地そのものが侵略されでもなければ、脆弱であると逆に襲われた民を罵るほどである。そんなある種の無法地帯である農商国家の辺境の町は狙われる事が多々あり、その近隣であるこの辺りの鉄の国の町も巻き込まれるのだという。
(出くわす可能性がありそうだな)
そんな連中であればこちらの焚き火の明かりに向かってくることもあるだろう。十分に準備がされていても町を襲う規模の大人の集団相手とあらば、クレインには勝ち目などなさそうなものだ。
(いくら今までの環境があの島とは言え、人相手じゃこっちは圧倒的に経験不足。近距離で遭遇したら多分それで終わりだな)
だが警戒する事には慣れている。地図を広げてこの先のルートを確認し始めた。
見晴らしのいい平地を避け、隠れて行動できる林や森を選んでいく。例え時間がかかったとしても、回避に重点を置いて考える。また、山林に囲まれた村など補給地点をどこにするかも慎重に見極め、少しずつ道が定まっていった。
(通常の倍はかかるけども下手は打てないな)
木々に囲まれていれば逃走しやすいかといえば必ずもそうとは言いきれない。相手がこの辺りを根城にしているのであれば、地の利は向こうにある。いくら山歩きが達者なクレインでもこの差はかなり大きい。見通しの利かない木々の合間を更に慎重に進む事にならざるを得ない。
(そういえば……)
ふとここまで道のりを地図の上で辿っていく。前に見た廃墟の町は地図の上で名前が記されていた。
(少なくとも、この地図が作られた時はまだ存在していたのか)
一抹の不安が過ぎる。だからと言って歩みを止めるわけにも必要以上に遠回りをするつもりもない。むしろ馬車を狙う集団がいるのだとしたら、下手に迂回するよりもこの先の道を進んだ方が安全だろう。
(しばらくはきつい旅になりそうだなあ……。慎重にやっていかないと)
困難もあるだろうが、楽しみも喜びもあるだろう。その期待を胸に抱きクレインはゆっくりと瞼を閉じる。
そんなものが果たしてあるのだろうか。荒地から外れ身を隠しながら進むこと早十日。クレインの前に広がる町の風景に口を半開きにして呆然としていた。
ぽつぽつと降り始めた雨の音は彼の耳には届いていない。今のクレインに届くのは視覚と嗅覚。
煙が立ちあちこちから小さくも上がる火の手と、あちこちにある赤黒い染み。そして島で嗅ぎなれた命をやり取りした臭い。
この文明的な大陸でこんなものを見るとは思いもしなかったクレインは、濡れていくことを気にする事もできず、ただその光景を見入っているのだった。




