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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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四十話 初めての町

「おおぉぉぉ~~」


 海岸から離れた場所であるものの、この辺りではもっとも海岸に近い町。それほど大きくはないものの、行商の馬車が行き交う様子から活気があるのが窺える。しかし端々にガラの悪そうな者が目につくあたり、決して治安がいいというわけでもなさそうだ。


 その町の中をクレインは目を輝かせながら歩いていた。


 記憶こそないものの、知識そのものが失われているわけではない。脳には記憶や知識、言語など部位によって司るものは異なるという。それ故に記憶喪失がそのまま幼児退行を引き起こすものではないと考えられている。


 そうした理由かは分からないが、少なくとも知識は持っているクレイン。だが記憶がないからこそ、見る物触れる物全てが初めてで彼にとって刺激的であるのだ。


「おっとと、一先ず売る物売らないとか」


 荷物こそ失ったものの、身に着けていた細かい所持品は運よく手元に残っている。刃物などの必需品の他には換金を目的にした物品もあり、このように細かく分けて所持するようクレアに指示されたのだ。墜落するのを想定しての事だったのかもしれない。


 だが果たしてそれがいくらばかしの路銀になるというのだろうか。流石のクレインも大した期待など持ってはいなかった。



「10、いや20ゴールドでどうだ?!」

「ええと……それってどのぐらいすごい……?」


 丸太のような腕をした毛髪のない頭の店主が鼻息を荒くして迫る。大柄な身体もさることながら、荒れる雄牛のような勢いにクレインは狼狽した。


 ゴミだ、と追い返されるかもしれないぐらいに思っていた彼にとって、想像してもみない反応であるのも驚きに拍車をかける要因だろう。


 持ってきたのは島にいたあの大型のドラゴンの牙だ。襲い掛かられたら今でも十分に命を落としかねない相手だが、殺してでも捕らえるつもりで準備をして臨めば勝機はある。


 というよりは、それほどまでにクレインが成長したのだ。


「凄いなんでものじゃない。この牙には返しがあるだろう。この形状の歯は珍しい……それこそ火も吹けない原生に近いドラゴン種がこんな牙をしている。だがこんな大きな物だなんて!」


 大陸にもそうしたドラゴンは残っているがその多くは小柄な種ばかりなのだ。しかし目の前に存在している牙はあまりにも規格外。取り分け大きく成長した個体よりも別種を疑うべきだと考えさせられる証であった。


「火が吹けないのであれば爪や牙が頼りになる。その中で噛み付いたら決して逃がさないようにとこんな形状になったと言われている。いやあしかし、坊主は良い目をしている! この町で俺じゃなけりゃゴミ扱いされてただろうよ!」


 なんて事はない話だ。お世辞にも綺麗とは言えない身なりのクレイン。不安そうにしながら気の良さそうな人に目利きがいる店を訪ねただけだ。


 まだ幼さの残るクレイン最大の武器として、クレアが力強く教えた処世術の一つである。もっとも使える期間に限りがあるが。


「あの、20ゴールドってどれくらいすごいんですか?」

「ああ? そこか? ま、その身なりだ。貧乏旅人でお使いしてるだけの坊主じゃ分からんか。そーだなあ、飯がつかない安い宿なら一月……は流石に無理か。あーこれでも坊主には難しいか。大金持ちには程遠いが旅するなら当分困らないってとこだな」

「へええ……」

「坊主に言っても仕方がないだろうがいいのか? その筋に売ればもっと高値がつくかもしれないぜ。そのルートがあればの話だが」

「当てもないから構わないって」


 特に説明したわけでもないが、相手は勝手に親子での旅人と判断しているようだ。特に話をややこしくてもメリットはないと、クレインもこれ幸いと話を合わせた。


「そりゃそうだな。あんまがめついても運に見放されるだけだ。胡散臭い行商に言い包められてゴミクズ押し付けられた、と思えば十分に大当たりってもんよ」


 旅人に限らず真贋が関わる品での騙し騙されは珍しくもない。そうした怪しい品を持っていく時は、『騙されているのだろうが諦めきれない』という理由にしておけばいい。クレア式処世術第二弾である。


 仮にゴミのような値なら売らずに引き返せばいい。もしも目利きがだまくらかして買い叩こうというのならあっさり帰す事はないだろう。そこから可能な限り硬貨を積み重ねさせてやれ、といつもの微笑みが言葉にした。


 正直言ってクレインには、得体の知れないオーラを放つクレアの過去が見え隠れしており、落ち着いてなど話を聞いていられなかった。だがお陰で決して忘れる事はないだろう。


「それじゃこれが20ゴールド。子供のお使いにしては大金だ。ごろつきに狙われるんじゃねえぞ」

「心配しなくちゃいけないほどいるの?」

「この鉄の国にはどこにだってな。まったく、坊主どもはどっから来たんだかな。このあたりでまともな国は火の国だろうに」

「そんな酷いんだ」

「まあ、国によって酷い点は違うけどな。この国は軍が腐っていやがる。兵士が盗賊まがいな事をするなんぞ珍しくもねえ。むしろ中央から離れれば離れるほど治安がよくなる国は珍しいだろうよ」

「じゃあこの町はまだいいほうなんだ」

「おう。賄賂も横行しているらしくてな。真面目な奴ほど田舎に飛ばされる」


 この先の目的地は特に決まっていない。だからこそこの情報は非常に有益であるだろう。一字一句とまではいかないが、店主の言葉を記憶に刻み付ける。


「あ、そうだ。坊主、そのおんぼろの鎧も服もどうにかした方がいいと思うぞ。親父だがお袋だか知らないがその金で買い換えてもらえ。いい武具屋がいる。この店に行くといい」

「ありがとうございました」

「おう、達者でな」


 クレインは手早く書かれた地図を受け取り、深々と頭を下げて店を出た。随分と良くされたものだ。ここがもしこの鉄の国の中心地、王城の近くだったらこうもいかなかったかもしれない。


 密かに自分の運と思い出したようにクレアに感謝の祈りを捧げた。


 この売上金の使途について許可を取るべき相手など当然いないクレイン。その足で件の武具屋へ向かう。


 町に着いて自分の格好のみすぼらしさを痛感していたのだ。紹介されたのだからこれ幸いとばかりに店へ入っていく。随分と上機嫌だが彼にとって初めてのお買い物でもあるのだ。意気揚々となるのも無理もない。


 だが先ほどの店とは違い、武具屋の店主は入店したクレインの姿を見るや眉をひそめた。鎧を着ていなければ物乞いと思われても仕方のない身なり。むしろ、目利きの店の店主は人が良すぎたぐらいだ。


 たくわえた髭を弄りながら、クレインの姿をまじまじと値踏みするように観察してくる。


「装備と服を買い換えたいのですが」


 居心地の悪さにクレインが用件を口にすると、訝しげに見つめる店主は殊更に目を細めた。


「身に着けてる物は処分で? あと、お金が必要だけど、お分かりかい坊や?」

「処分はお願いします。お金は大丈夫です」


 金銭感覚こそないものの数字も文字も読める。そしてちょっとした買い物程度には十分すぎるほどの資金。であれば、よほど高価な物を選びでもしなければ足りない、などという事はないはずだ。


「おやおや、随分小さい旅人さんだねえ」


 クレインが物色していると奥から恰幅のいい女性が現れた。暗い赤の洋服を着ていて落ち着いた雰囲気である。だが開口一番の語勢から随分と活気に溢れた人のようだ。


「ここ最近は天気も良かったろうに変な道を通ってきたのかい? 蒸しタオルでも持ってくるから体を拭いていきなね」

「え? い、いえ大丈夫です」

「大丈夫なもんがあるかい。用意するからそこで待ってなさいな」


 有無を言わせない勢いで女性が店の奥へと引っ込んでいく。


 対照的な店主は大きな溜息混じりに眉をハの字にした。


「家内がうるさくて悪かったな。ああなったら拒否しても聞かんぞ。今の内にそのボロを脱いでおいた方がいい」

「は、はあ……」


 先ほどの警戒心もどこに行ったのやら、あるいは本当に気の毒に思っているのかもしれない。はたまた奥さんの人を見る目を信頼しているのか。もしも後者ならば対照的に見えるこの夫婦は案外バランスがいいのかもしれない。


 クレインはいそいそと鎧を外し、上に着ているものも脱いだ。流石にズボンまで脱げとは言わないだろうな、と不安になる。あの豪快な奥さんならばありえそうだ。


 一抹の不安に商品の物色など頭から抜け落ちていると、店の奥からどすどすと勢いよく歩く音が聞こえてくる。


 思わず覚悟を決めるんだとばかりに、クレインは体を強張らせて唾を飲み込んだ。


 もしかしたらそれは正解なのかもしれない。最終的にはズボンも引っぺがされて蒸しタオルで拭かれたのだった。奥さんからしてみれば自分の子供にするようなものなのだろうが、クレインはひたすらたじろぎつつされるがままであった。


 タオルが随分と黒ずむとようやく満足したのかクレインは開放される。とは言え、元々服も買いに来ており、おまけにまだ買う物も決まっていない。下着姿で買い物というわけにも行かず、ボロ着に手を伸ばそうとすると今度はぴしゃりと手を叩かれた。


「折角綺麗にしたのにそれを着るんじゃないわよ」


 そう言うが早くいくつかの衣類を手渡される。新品でないところを見ると、自分の子供に着せている服か、あるいはそのお古だろうか。


 無論、そんな代金を支払ってもいないクレインは断ろうとするものの、言い終わらない内に無理やり着せられてしまったのだった。本当に文字通り拒否しても聞かないとはクレインも思いもしなかった。


「そいつは息子のお古だ。代金は要らないし、なんなら安物なら鎧なんかもタダで構わん」

「おや? あんたにしちゃあ珍しい。死期でも近いのかい?」

「……その代わり、こいつの出所を教えてくれ」


 露骨に嫌そうな顔を奥さんに向けるも、気を取り直してクレインの方へと向き直る。問われているのはクレインの鎧と剣だ。鉄屑から作られたそれにどれほどの価値を見出したのだろうか。


「すみません。旅の途中で見つけた屑から作った物で、場所も詳しくは多分……」

「そうか……残念だ」


 さも親がいるようにぼかしつつ言葉を濁す。死の島については極力触れ回らないようにとクレアから教わっていた。


 クレインにしてみれば確かに最初こそ過酷であったが、死の島と呼ぶのはあまりにも大袈裟なようにも思える。だが、やはりそういう認識をされているのだろうか、クレアは面倒な追及を受ける事になるからと語らないようにきつく言いつけられたのだ。


「なにかおかしなところがあったんですか?」

「この鎧、魔力が込められている。勿論そんなものは珍しくもない。ただ、この魔力は……一体なんだ? とてもじゃないが、最近のものじゃない。もっと……恐ろしいほど昔に込められたものだ」

「そんな事が分かるんですか?」

「うちの人は魔力の感知に関しちゃ敏感だからねえ。魔法も使えないのにおかしいったらありゃしないよ」

「うるさいぞ」


 魔法や魔力を込められた武具、というのはそれだけで価格が高くなるものの、珍しくないどころかありふれていると言ってもいい。クレインは見た事もないのだが、クレアや本からそう教わっている。


 この店主が武具屋を営んでいるのは、そうした物品の真贋が見極められる事も大きいのかもしれない。この店を紹介した目利きの店主も世話になっていそうだ。


「価値があるものだったんですか」

「さあなあ。だが研究者や物好きあたりには買う奴もいるだろう。どうする? そうした買い手を自分で見つけられれば、もっと高値で売りつけられるかもしれないが」

「……いえ、余分な荷物は極力持たないようにという事なので」

「まあ、旅人じゃあ仕方もないか」


 警戒こそされたものの、こうして確認を取るあたりこの店主も大概に人がいいのかもしれない。もしかしたらもう会う事はないのかもしれない。だがそれでもこうして出会えたのが嬉しく、クレインは満面の笑みで頷いた。



「そんな物でいいのかい?」


 鉄屑の剣と鎧。そして本当に価値のないボロ着と引き換えに得たのは、しっかりとした柄が備わっている剣にまともな衣服、ところどころ金属の補強が入った皮の鎧。皮といってもしっかりと処理されたもので、これだけでクレインがなめしたものよりも格段に丈夫に仕上がっている。


 鎧に比べれば頑丈さや身を守れる面積は下がるものの、動きやすさなどを考慮してみればよっぽど性能が高いと言える。


「はい、これで大丈夫です」


 下手な物で着飾っても良い事はないだろう。今の自分を守るのは自分ただ一人なのだ。無闇にアピールする必要もない。


 重ねて礼を言いながら店を出るクレインの心は晴れやかだった。この人達との出会いもそうだが、この一張羅にしてある意味での晴れ着。心が躍らないわけがない。


 だが、目利きの店主が危惧したように水を差す輩もいる。


「おう坊や、旅人か?」


 少し厳つい顔をした男がにっこりと笑って近づいてくる。


「そうですけども」

「そんな格好でなんかキョロキョロしていたからな。どうだい、町を案内してやろうか?」

「……親が待っていますので」

「まあそうだろうな。だが、俺が教えた店を親父さんに伝えたら、きっと喜ぶぞぉ」

「……それじゃあお願いします」


 男の後を追って狭い通路を進んでいく。行き止まりまで行くと男は壁の方へとクレインを促した。退路などない場所にクレインが立つと途端に男は唾を飛ばしながら下品に笑い出す。


 二人の店主と一人の奥方。良い人に出会った直後だ。もしかしたら本当に信頼してしまうなんて事もあるかもしれない。だが、誘われたのはクレイン・エンダーという少年。随分と余裕が生まれていたとは言え、常に命のやり取りを行って生きてきたのだ。


「さあて坊主、痛い目をみたくなかったらパパとママから貰った金を置いってぇ!」


 言い終わりもしない内にクレインの剣が男の鼻を縦に裂いた。狭い空間の中で剣を掲げるように振り抜いたのだ。


 突然のことで目を白黒させて出血を抑えもしない男に、クレインは一歩前に出る。このまま遠慮なく振り下ろせば相手の顔面をざっくりと切り裂く事になるだろう。


「奪うのなら、奪われる覚悟もあるんだな?」


 先ほどまでと打って変わって冷めた声が男の耳に届く。ここまできてようやく気づかされたようだ。子供の姿をしたそれがこれまで命を賭け、削って生きてきたのだと。泥に塗れればすすれるものが確実にある自分とは、比較してはならない環境を生き抜いてきた者なのだと。


「ひ、ひいいいいい!」


 厳つい顔は恐怖で真っ青に歪められ、人目を気に留めることもなく大通りへと走り去っていった。


 残されたクレインは面倒そうに鼻を鳴らして剣を収めた。


「本気ならとっくに襲っているさ」


 逃げ出した男の考えの浅さに呆れている。ただの脅しであそこまで恐れ戦くとは。


 脅しは効かない。力と知恵と運のぶつかり合いしかなかった生活であったクレインには、不快感のようなものが胸にわだかまる。


 クレアはこんなものを見せたかったのだろうか。


 すぐさま、一人で頭を振ってそんな考えを振り払う。きっと本当は店主達のような人々との出会いなどをして欲しいに決まっている。それでもそう思ってしまった自分が恥ずかしくて堪らない。


 先ほどまでとは一変して島を恋しく思う。あの世界こそ楽園なのかもしれない。


 それでもまだ帰れない。まだ何も知らないし学んでいない。投げ出すにはあまりにも早すぎるのだった。例え苦しくて辛くても、今はまだ前に進み続けるしかない。


 そう己の心に言い聞かせた。

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