三十六話 生活
「おりゃあっ!」
巨大な原生に近いドラゴン。その強靭な尾の先が森の中で宙を舞う。先、とはいえ元々の図体のでかさゆえに、それもまた抱えるほどの大きさをしている。
斬られた相手は咆哮を上げて、怒り狂ったかのように暴れだした。その最中、尾を担いで逃げる人影がある。クレインだ。
およそ剣と呼ぶのも憚れる鉄の塊を片手に素早く逃げていく。木々の多い場所を選びつつ、引っかかるような危なげな様子もなく、荒れ狂う獲物との距離は増すばかりであった。
「へっへへ、今日はテールスープだっ」
ある程度距離を離したところで、真っ直ぐに進んでいった進路を横へと大きく転換させて茂みの中へと入っていく。彼らのような大型のものの多くは、嗅覚が優れているが他の生き物の血の臭いに敏感というだけで、あとは聴覚と視力に頼って獲物を探す。その為に見失った状態で茂みに隠れられたら、クレインほどの大きさを見つけるのは難しい。
茂みの中からしばらく様子を窺うクレイン。荒々しい音が次第に遠のいていく。諦めたのか別の方角を追っていったのか。辺りが静まり返ったのを確認するともぞもぞと茂みの中から這い出て、再度周囲を見渡して様子を探る。
(ここからだと岩山までだいぶ距離あるなぁ。森の家で食べちゃうか)
木々に登ったところで、クレインの本拠地である岩山の家の姿は見えもしないだろう。ならば、と近くの住処へと進路を定めて歩き始める。
しばらくして見えてくるのはいつもの小屋である。しかしそれも随分と機能が拡張されており、暖炉と煙突が備わっているのだ。
木の枝を横に通し柱に噛ませて作られた壁には泥が塗られており、乾いた今となっては隙間のないしっかりとした作りとなっている。内部の奥の壁は穴が開けられていて、そこが暖炉となっていた。家の外側に露出した暖炉は壁と同じように泥で固められ、その上部は筒状で上へ上へと伸びる様に作られている。
家の周囲や堀には野菜が植えられていた。屋根から落ちる雨水でしっかりと水遣りができたら、勝手に自生してくれるのでは? という思いつきから始めたものだ。そう簡単には上手く育ってはくれなかったものの、丈夫なハート芋だけは十分に食料の役割を果たしてくれている。
こんな環境下であるものの、クレインの生活はどんどんと充実している様子だ。
クレアと出会ってからだいぶ時間が経った。一年が経過し、目覚めてから三度目の秋が姿を見せつつあるのだ。
島の北側の探索を行いはしたものの、クレアの協力もあってそれほど時間がかからなかった。と言うのも、そこまで南との大きな違いもなく、行き来にかかる労力を考えるとクレインにとってはあまりメリットのない場所なのだ。
更にはクレアから他に人と呼べる者がいないのを確認している。そういった理由から北側での活動は、いざという時に避難できる拠点の建設だけに留める事となった。
彼女と出会った事で得られるものはあまり多い。この北の探索も、彼女がいなければ今でも続けていただろう。
出会いの恩恵はこれに限らず、作物に関するものなどがある。単純に採取だけならクレインもけっして劣るものではなかったが、栽培に関しては無知に等しいものだった。しかしクレアから教わった事で、ここ最近は狩りや採取の合間の多くを土いじりに費やしている。
岩山の周りは元より、色んなところに畑を持っているのだ。もっとも、広い範囲の開墾はあまりにも時間がかかる為に、比較的手のかからなさそうな場所を選んだ結果が転々と小範囲の畑を作る事になっただけだが。
まだまだ作物は失敗も多いが、それでも成功もあるにはある。これまでハート芋の採取のしやすさから、どうしても根菜や葉菜の食事をおろそかにしがちであったが、これでかなりの改善がなされたのだ。それでも、クレアからしてみればまだまだ野菜不足だ、と指導が入る事も少ないないが。
食事事情が明るくなる中で、もう一つ大きなものが鉄である。集積して廃棄されている場所があるのだというのだ。彼女曰く恐らくは岩山の主の物だったのだろう、という話であるが、これまでの準備からしたら随分と投げやりな用意に思える。
だが、どういった事情があったにせよ貰える物ならば、と棒状の鉄屑を焼いて叩いて伸ばしひたすら研いで研いで、こうしてクレインの武器となったのだ。
勿論、こんなものでは尾の先とはいえ、強靭な鱗ごと切り落とすことなどできはしない。クレインに自覚はないがこれが魔力を消費している、というもので魔法を介さず剣の能力を高めているのだろう。
思えば、一番最初にあの巨体から逃げ切れたのも、こうした強化が大きな理由だったのかもしれない。
「やっほー」
食事の準備をしていると、ふわりとクレアが舞い降りてきた。どうやらクレインを見かけたから声をかけに来たようだ。あれ以来、ちょくちょく会いに来たり会いに行ったりとするものの、共に生活しているわけではないのだ。
クレア自身が深くクレインに踏み込んでこない事で、クレインもどこまで踏み込んでいいのか、と迷っている内にこのスタイルが定着してしまった。クレインとしてはもっと共にいたかったものだが、もはやこれが自然となってしまっているようだ。
「今日は中々のものが獲れたよ。食べていく?」
「ほっほう、あのでかい奴に一泡吹かせてやったかぁ。ふふ、それじゃあ頂こうかしら」
二人で食べても一食では食べきれない大きさを見てクレアはニヤリと微笑んだ。
「その剣でやったの?」
「そうそう。すごいでしょ」
「こんなもんであの鱗は切れないわ。魔力の使い方、なんとなく分かってきた?」
「うーん、まだあんまり実感ないかな。集中したり気合だしたりするとなんか効果がある、とか今はそんな感じかな」
「なんとなくかー」
「これ、上達するとどうなるのかな」
「そりゃまあ、今の坊やを見る限り意図的に身体能力を上げたり、身に着けてる物の性能……まあ強度とかが上がる、かしらねぇ」
「ふーん。でもまあ強くなれるんならいいか」
使えない分、魔法と言うものの感覚がいまいちピンときていない。だがそれでも有益であるならば、是非とも使いこなせるようになりたいもの。策を労して大型のドラゴンを相手にできているだけで、真っ向から立ち向かうなどまだまだ夢のまた夢なのだ。小器用に狡賢く立ち回っているだけで、島の強者の中に含まれはしないだろう。
「坊やはこの島の王者にでもなりたいのかな?」
「強ければ少しは怖がられて襲われないのかなぁって思っただけ。堂々と歩けるなら北側も行きやすいし……」
言葉が途切れて考え込む。
クレアが次の言葉を待ちながらその様子を見守っていると、クレインの表情は苦々しいものへと変わっていった。
「でもあいつらだと、そうなったら今度は徒党を組んで襲ってくるよなぁ……。体格差がある以上、ちょっと強くなった程度じゃまだまだ怖いか」
獲物を横取りする知性があるぐらいだ。自分達を狩る立場になったクレインに対し、普段群れない彼らが共闘して排除する行動を取ってくる様子がありありと浮かんでくる。
「僕も空を飛べたらなぁ」
「ほほう、空ねぇ」
「え? まさか飛べるようになれる?!」
「……ま、今度試してみようかしら」
「おお! 本当に!? 僕が!?」
「それもこれも坊やの努力次第だけどねぇ」
「頑張る! 超頑張る!」
わーっと花が咲いたかのような満面の笑みのクレイン。空を飛べる可能性があるだけでもよほど嬉しいのだろう。それを見守るクレアは、微笑んでこそしているがいつもの柔らかい表情ではないのであった。
「うーん、思いの外美味しい!」
「ねえ、それちょっと失礼過ぎない?」
「いやー坊やもいつの間にか随分と腕を上げたねぇ」
「そりゃあ僕だって一人で生活してるからね」
テールスープに舌鼓を打つ。塩と胡椒で味付けされたシンプルなものだが、中々に美味しいものだ。もっともこれも失敗を経験しての料理。初めて作ったテールスープは脂が酷く、上手い除去の方法を思いつけず随分と苦労させられたのだ。
「こりゃあいつの日か坊やの料理店ができるなぁ」
「お客はクレアだけじゃん」
「意外と他の連中もくるかもよ?」
「どうかなー弱肉強食とはいえ、弱にも強にも恨み買ってると思うよー?」
「来店者全員お礼参りかなー?」
「食料調達の手間が省けるね」
店を建てたぐらいでやってる事はないだろう。しかしそれでも、クレインは頭の中で迫る彼らに対するトラップの案が浮かんでくる。機会があれば別の場面で実践されそうだ。
「いやしかし美味しいわねぇ。呼ばれる度にまた生魚が出るんじゃってハラハラしているけども、それもないようで安心だわぁ」
「クレアが嫌がるから出さないだけで、普段は食べたりしているよ」
「まだ食べてるの……」
クレアの顔が引きつる。
魚の生食。これはサバイバル環境において必須とも言っても過言ではない要素だろう。潤沢に果実が採れ、ビタミン類が不足しない環境であれば問題ないが、そんな整った状態を維持するなど難しいもの。そこでもっとも手早く摂取する方法がこれなのだ。
だがクレアは見てのとおり忌避しており、本にも栄養の話として触れた程度で推奨はしていなかったのだ。洞窟の主もクレア同様、魔法が達者なのかもしれない。種類にもよるが魔法が扱えるだけで収穫量は桁違い。果実に頼る生活ができていて、生食が必要なかったのだろう。
一方クレインは実践できる事はなんでもしてきた。初めこそ、魚の生食を嫌がったもの。だが慣れてくれば釣ったり獲ったりした新鮮なものを嬉々として食べられるようになり、クレアに会う前には既に沢や浜を這うカニでも遠慮なく口にするほどになっていった。
「僕にとってはもう慣れたもんだしなぁ。刺身っていう料理そのものもあるらしいじゃん」
「そりゃまあそうだけども……あたしの環境にはなかったもんだからねぇ」
「好き嫌いするなー、て言ってなかったっけ?」
ここぞとばかりにニヤニヤと仕返しをする。クレアはうぐ、と詰まるも慌てて言い返した。
「い、いやいや、ちゃんと焼いて食べてるし」
「でも火を通すと失われる栄養ってあるよね?」
「……ビタミンとかね。でもちゃんと果物で取ってるし」
「その言い分、僕もしたけどダメって言ったよねー?」
「うぐぐ……」
自らの言葉に首を絞められ苦悶の表情で唸る。普段見る事のできないクレアの表情だ。
「そりゃ全てが全て、生で食べても美味しいわけじゃないしね。今度、ちゃんと美味しいのを用意するから食べてみてよ」
「う……分かった。生魚って苦手なのよねぇ……」
言い返せなくなってきた頃を見計らって、クレインが妥協案を提示した。つつく事もフォローする事もクレアから学んだのである。まさか、それが自身に降りかかるとは彼女も思っていなかっただろうが。
「出会った時は人恋しくて堪らないって感じの子供だったのに……たった一年でここまで逞しく……」
成長を喜ぶと共に嘆き悲しんでいる。だが、彼女自身気づいていないが、温もりを求めていたクレインが愛らしく見えていただけで、その当時でさえ十分にふてぶてしく育っていたのだ。それほど落ち込むものではないのだが、彼女がそれに気づく事は恐らくないのだろう。
「……因みにその魚って今の時期でも獲れるの?」
「別に一種類だけじゃ……んー少し旬から外れているけどまだまだ美味しいのがいるよ」
「……後回しにしてもあれ、か。よし、じゃあ五日後ぐらいにお願い」
「えーそう簡単に獲れはしないんだけども……やってはみるけどもさ」
「その時に飛ぶ練習も始めるわ」
「おっ俄然やる気がでてきた」
両手でガッツポーズをとると、鼻歌交じりに食事の片づけを始めた。
「手伝うわ」
「いいっていいって。お客さんなんだからさ」
「ふふ、ありがと」
クレアに背を向けて食器類を持って小川の方に向かっていく。小さくなるその背中をクレアを見送っているが、その顔に微笑みはなく寂しげな様子をしている。そして誰にともなく呟いた。
「そうしないと……始まらないものね」




