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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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三十五話 分類

 日が高く、容赦のない日光が辺り一面をじりじりと照らしている。全盛期を過ぎたとはいえまだまだ日中の日向は暑さを感じるものだ。


 山の中で草木は乏しく岩ばかりが目立つ谷が続いている場所がある。周囲は数メートルの崖となっており、酷く深いわけではないものの文字通りの谷底のようだ。


 真ん中には転々と何かが落ちていた。欠片のようなものに見えるそれに、数匹の小さな羽虫が群がりご馳走を喜んでいる。どうやら腐肉らしい。


 当然ながらこれが自然の出来事なわけはない。幅が狭くなる谷の奥、その崖上で伏せて待ち構えている人物がいる。紛れもなくクレインであった。


 日差しを遮るものもない場所で、周囲の色に似せて作られたマントを被り、幾度となく吹き出る汗を拭いながら、ひたすらに待ち続けている。その苦労がようやく実りつつあるのか、クレインは口角を僅かに上げていた。


 谷の入り口の方にはゆったりと動く影がある。クレインの目的であるもの、獲物だ。


 この島におけるドラゴンのような獰猛さを持つ爬虫類の姿の生物は、その大きさを四つほどに分ける事ができる。


 一つは特大、ちょっとした岩石の山のような大きさで、4,5mはあるだろう。クレインを散々苦しめている巨大な存在である。だが固体の数は少ないようで、これは種族全体の話ではなくごく一部が平均よりも長く生き残れた結果なのではないか、とクレインは考えるようになってきた。


 次にくる大とするサイズは大きくても3mほど。特大に比べれば随分と小さいが、それでもクレインからすれば十分に脅威にあたる。彼らにも散々追い回されたきたものだ。特大に比べれば凌ぎやすくもなるが、数が多い為に遭遇する回数も増すのが悩みどころ。


 そして馬ほどの大きさの中型。肉食性が強く、上二つの大きさの者達を天敵としている。その所為か隠密に生きる為の進化なのだろう。狩りをする事は稀で腐肉を好んで食べているようだ。


 あとはそれ未満の小型。雑食性で木の実や虫、小さな他の動物などを食している。クレインにとってありがたい狩猟対象といったところ。


 そして今か今かと待ち構えているのは、中型の生き物であるのだ。腐肉を好む習性からか、その臭いを嗅ぎつける能力に優れている。腐り具合にもよるが数キロ離れていても駆けつける事があるようだ。


(早く来い……早く来い……)


 焦らず静かに、だが一刻も早くこの蒸し風呂が終わる事を願う。


 獲物はゆっくりと落ちている腐肉を一つずつ食べながら近づいてくる。こと餌の臭いには敏感であるものの、他の生き物の臭いに対してはそれほど過敏ではないようで、クレインに気づいている様子はない。


 しかし物音を立てれば間違いなく気づかれるだろう。崖の上の巨大な岩の傍でただ静かに待つしかない。その岩こそ、今のクレインの武器なのだ。


 影だったものは、徐々にその姿をはっきりとさせてくる。茶色い鱗に包まれた体。屈強そうな足と、それに比べれると随分と小さい腕。クレインにとって目の上のたんこぶである特大サイズの彼らを小さくしたような姿だ。案外、かなり近い種なのかもしれない。


 だが、小さいなりにも馬ほどの大きさ。もしクレインが正面から鉢合わせ、相手が好戦的だったとしたら恐ろしく肝が冷える話だ。距離にして10mは切り、よく見えるその姿にクレインは思わず身震いをしそうになる。


 道案内として蒔いた最後の腐肉を食べると、ひくひくと鼻孔が動かす。罠としての腐肉もしっかりと嗅いでいるのだろう。ゆったりと周囲を警戒しながらまた歩き始めた。


(そうか……こいつ、なんか変だと思ったけども、足音とか全然しないんだ)


 食物連鎖の中では半ばほどの位置であるものの、その図体の大きさから隠密に生きる道を選んだのだ。歩くだけで音を立てていては、今日までは生き残れはしなかったという事。


(ちょっと気持ち悪いな、こいつ)


 大きな体を揺らしながら無音で進む。幽霊の類を連想させる光景だ。だがそれに見とれていてはチャンスを逃してしまう。


 乾く喉の不快感を押しとどめ、クレインは体に力を込める。最後のその肉片を口にする瞬間を逃すまいと全神経を集中させる。


 そして……遂にクレインの眼下で、獲物の頭が地面へと下がっていくのだった。



「おーおー一発で成功とは流石! やるわねぇ!」


 クレアもまた外に出ており、彼女が帰ってくる頃にはクレインの戦利品の解体はだいぶ進んでいた。


「信用してなかったんですか……」

「んー? それは信用じゃなくてただの押し付けか賭け、というものだよ。相手をよく知って初めてするのが信用よ」


 羽の先を立てて語る。恐らくクレインの感覚ならば人差し指を立てているようなものだろうか。


「しっかし……お願いしたとはいえ、このサイズの魔物を相手に本当に上手くやってくれるとは。侮れないわねぇ」

「魔物? トカゲじゃないの?」

「こんなでかくて二足歩行するのがトカゲとは中々豪快な考えねぇ……。この島の彼らは一応、ドラゴンの原生に近いものなんだけども」

「あ……ドラゴン、なんだ」

「火を吐いたりはしないけどもねー」


 彼らが火を吹けたとしたらどうだっただろうか。考えるまでもなく、クレインの生存率はぐっと下がるはずだ。彼にしてみれば時折恨みもしたくなる生態系ではあるものの、ろくに進化しなかった事には心密かに神への祈りを捧げずにはいられないかった。


「……魔物と動物ってどう違うんだろう」


 ふとクレインの手が止まる。クレアに投げかけた問いというよりも、漠然と浮かんだ思いが声になった様子だ。


 それに気づいたクレアも説明する素振りもなく、しばらくクレインを見つめている。だが動き出す気配はなく、クスリと笑うと羽で仰いで風を送った。


「そらそら、手が止まっていると日が暮れるぞー」

「あっ、ご、ごめん」

「説明はご飯の時かなー。さあ働く働く」


 解体作業が再開されるのを見ると、クレアはぱっと飛び立った。


 舞い上がる風と羽ばたく音に、クレインは目を丸くしながら見上げる。戻ってきたばかりなのに、すぐに出かけるとは思ってもいなかったようだ。


「ちょっとだけまだ遣り残している事があるのよ。すぐ戻ってくるから坊やはそのまま続けていてねー」

「分かった。先に終わったらどうしよう?」

「片づけまで終わったらゆっくり休んでいていいかな? じゃあねー」


 僅かに黄色を含む美しい羽を輝かせながら、どんどんと小さくなっていく。やがて、麓の森へと吸い込まれるように降りていった。


 そこまで見届けるとクレインは今一度気合を入れ直す。だいぶ進んではいるもののまだまだ先は長く、もたもたしていればクレアの言うとおり日が暮れるだろう。やる気を出すと再び目の前の仕事へと取り掛かるのだった。



「さあて、今日は宴だっ!」

「なにか特別な日なんですか?」

「なあに言ってんのよ。罠とはいえ大金星でしょ。それのお祝いよ!」

「ふーん……?」

「反応薄っ……。なんで? 嬉しくないの?」

「んー、大物具合なら熊みたいな奴の方が凄かったし」

「あーそう言えばそうだったわねぇ」


 僅かに顔が引きつるクレア。それもそのはず、クレインがその相手に勝利したというのが俄かに信じられないのだ。それほど強靭な種族である。


「ま、まあなんにせよお祝いって事で」


 出来上がったばかりの料理を並べ、コップに黄色い液体を注ぐ。


「……?」

「果実ジュース、みたいなものよ。変なものじゃないからそんな顔をしなさんな」


 不思議しそうなクレインに笑いかける。するとコップを足で掴み取り、軽く掲げてみせた。


「ほら坊やも」

「え?」

「コップ持って」

「こう?」


 促されるままにクレアと同じ高さぐらいにコップを持つ。


「うんうん。よし、それじゃあ坊やの狩りの成功を祝って、乾杯っ♪」

「か、乾杯っ?」


 軽くコップ同士を打つと、クレアはぐいっと中身を飲み干した。クレインはおずおずと戸惑いながらも同じように一気に飲む。酸味と僅かな甘みのあるさっぱりとした味だった。


「ありゃ? 乾杯って分からない?」

「うん」

「そうだねぇ。ま、祝ったりする時にこうやってコップを鳴らすもんだって覚えておけばいいかな」

「ふーん?」

「まあ微妙な反応。まいっか。さ、食べて食べて」

「うん、いただきまーす」


 獲ったばかりの肉と数種類の野菜の炒め物。それにキノコのスープなどが並べられている。パンのような物もあるが、クレインが作るハート芋のものよりも柔らかく美味しい。


 クレアはこのパンを主食としているのか、これに一品ほどの料理をつけて食事するのが常であるようで先日までのメニューがそうだった。大きな収穫である肉を除いたとしても、使われている野菜の量からして大分ご馳走である。


 料理が得意であるのだろう。この数日の料理でもクレインを大いに喜ばせたものである。それが今日は一段と美味しく豪勢ともなれば、クレインは尚の事目を輝かせて食べるのだった。その様子を嬉しそうに眺めながらゆっくり食べるクレア。


 静かでいて満たされる、そんな時間である。


 やがてデザートの果物に手をつけ始める頃になると、クレアが話を切り出した。


「さて、それじゃあ魔物の説明を少ししていこうかな」

「あ、うん。お願いします」


 クレインは食べる事に夢中だった為にすっかり忘れていた様子。デザートを片手に姿勢を正して聞く体勢にはいる。


「動物と魔物の違いは単純に保有する魔力の量によって分けられるわ」

「強さとかは関係ないって事ですか?」

「そう。どれだけ強くても魔力をもたない種族なら動物って扱いになるわね」

「……じゃあクレアさんは魔物? あ、魔力の量なら僕もか」

「人の姿である……まああたしは半分違うけどこれでも人の姿の分類ね。で、知性や理性をもっている。魔力をもっている。これらの条件が当てはまる種族は魔族、と呼ばれているわ」

「へえええ、じゃあ僕も魔族かぁ」

「まあ、一部例外もあったりするんだけども、基本はそんなところねぇ」


 難しい顔を傾げて腕を組む。例外とやらは複雑な話のようだ。


「この島の生き物って全部魔物なんですか?」

「ある程度大きいのは、かな。小型の草食のやつや虫なんかは魔物じゃないわねぇ」

「へえ……あいつらは違うんだ」


 魔物と言えど特別な事をしてくるわけではない。せいぜい巨体で迫ってきたり狡猾に追い回してきたりするぐらいである。初めて知る事実に驚きはするものの、あまり役に立つとは言い辛い内容だ。


「あ……もし生まれつき魔力をもたない人がいたとしたら、その人は魔族じゃないって事なんですか?」

「固体の問題ではないからその人もちゃんと魔族よ。種族全体の平均値として、魔力の量を測るのよ。逆に動物の扱いの種族の中に、一体だけすごい魔力をもっていてもそれで魔族にはならないわけ」

「あー……なるほど」

「少しつっこんだ話をするわね。魔力をもたない種族Aがいたとしようかしら。彼らの中で、すごい魔力の高い……すごいAが生まれました」

「すごいA……」

「すごいAの子孫、すごいAジュニア達もすごいA同様にすごい魔力をもっています。すごいAジュニアの子供達も同じでした。さて、これはどうなると思う?」

「いつの間にかクイズ形式?! ええと……動物?」


 おずおずと答えると、クレアはにんまりと笑ってみせる。だが、すぐに眉をひそめてしまった。


「よくよく考えたらこれ、魔族か魔物か分からないわねぇ……まあいいか。答えは魔力を有する種族、の扱いよ」

「でも種族全体としては魔力がないんですよね?」

「ええ。ただこの場合は突然変異、といった形ですごいAの血統はAの亜種、という形になるのよ。Aが魔力を有する種族になるには全体的に魔力が高くならないといけないのよ。まあ種族の進化ってところね。もしもAが魔力をもっている集団ともっていない集団で明確に分かれたらそれも別種になるわ」

「な、なるほど……」

「話はこんなところかなぁ。どう?」

「大体分かりましたけど」

「けど?」

「あまり役に立たないですよね……」

「まあ、この環境じゃあねぇ。でもいつか役立つ日がくるかもよ?」


 羽で口元を隠しながら悪戯っぽく笑う。


 一体どんないつがくれば活用できるのだろうか。クレインには欠片ほどにも想像がつかず、怪訝そうな顔をする。


「さあさ、話は終わりっ。お湯を沸かしておくからお皿、洗っちゃいなよ」

「うん、分かりました」


 クレインは嬉しそうに残りの果物を口に詰め込んで席を立つ。頼まれる、という事に喜んでいるのだ。だが、しばらくするとその顔も僅かに陰りをみせる。


(……いつか、か)


 夜が更けていく。周囲に草木はなく、聞こえてくる音は随分と遠く静かなものである。


 クレインにとって見えない未来よりも、目の前にあるこの時間のほうがよほど大切で愛おしいもの。今はただ、この温もりを抱き生きていく事を願うばかりであるのだった。

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