三十四話 魔法適正
クレアと出会った翌日。少年ことクレインは今も山の南側にいた。北への探索を早急にすべき理由もなく、こうして彼女の家に入り浸っているのだ。
改めて見ると家は太陽にあわせた角度で建てられており、窓の位置も日差しをよく取り込むように設計されている。終わりが近いとはいえまだ夏であるからか、大きな窓がある壁には蔓状の植物が覆うように育てられていた。さながら天然のカーテンといったところだろう。
今は昼を過ぎ徐々に日が傾き始めた頃合で、家の中では二人が紅茶を啜っているところだった。
「クレアさんはここでの生活は長いんですか?」
「そりゃあね。気が遠くなるほど暮らしているわねぇ」
「……その羽、あまり遠くには飛んでいけないんですか?」
「あー別にそういう問題じゃないのよ。ある目的の為にもここに居るの」
クレインの顔が曇る。もしも、洞窟の部屋の主が準備していたのが、自分の為であるのならばクレアもまた、自分の所為でこんなところでの生活を余儀なくされているのかもしれない。
「それは……放り出したらいけないことなんですか?」
「んー? まあしたらダメだけど、咎める人はいないわねぇ」
「じゃあなんでこんな場所で暮らし続けるんですかっ」
「……」
急にクレインの語気が荒くなりクレアは目を瞬かせる。だが、それも束の間ですぐに柔らかい笑みを浮かべると翼でクレインの頭をゆっくりと撫でた。
「これはね、あたし自身がしたい事なのよ。ある方にお仕えしていて……偉い人とその従者みたいなものなんだけど、分かる?」
「なんとなくは……」
「それでね、その主人というか主君というか。恩もあるし尊敬もしているんだけども、そんな人たってのお願いだからあたしも快く引き受けたわけなのよ」
僅かに苦笑いをしてみせる。だけどそこには後悔などは微塵も感じ取れる事はなかった。言葉通り自分から望んでその願いを叶えようとここにいるのだろう。
「一体、どういった目的なのかは分かりませんが……そんな事だけでこんな場所にずっと……?」
「住めば都ってね。逆にもう、ここ以外での生活が想像できなくなちゃったからねぇ。捨てて他所に行こう、て気すら起きないのよ」
「都、ですか……僕は、確かに楽しくもありますけど、楽ができるなら楽したいなぁ……」
「まだまだ精進が足りないなぁ。確かに不便だけど、どうにかなるものだからねぇ。遥か昔は、あたし達ハルピュイア族はもっと不便な環境で生きていたみたいだし、なによりあたしは魔法がそれなりに使えるし、言うほど辛い環境じゃあないわよ」
腕は翼には鳥。クレインにはただでさえ不便な体では、と思わざるを得ない。だが実際のところは非常に器用なようで、足で細身の剣やナイフを軽々と扱うどころか、弓を引いて矢を放つ事さえもやってのけるのだ。
飛べるし精度の高い矢も放てる。更には魔法も使えるときた。実際にクレインが見せてもらった炎や風を操る魔法の威力たるや、怪物のような巨大な爬虫類の生き物達を無残な姿にさせそうなものである。
クレインは目を輝かせながらこの島の頂点の存在として崇めた。だが、クレアはそう簡単にはいかないものだよ、とたしなめるように言うのだ。それが実際に試した結果なのか、心持としての戒めの意味なのかは分からない。
「あ、そうだ」
クレアはぱっと席を立つと部屋を出て行く。すると、なにやら小さな箱を持って戻ってきたのだ。ジャラジャラと音がなっており、細かい石か何かが入っているのだろう。
「それはなんですか?」
「魔石が入っているのよ。これを使ってその人の魔法の適正みたいなものを計るのよ。簡易的に、だけどねぇ」
「魔石……?」
「魔力の結晶体。大気や大地、川や海に含まれる魔力によって作り出される物よ。人工だと魔法そのものを結晶化させたものが一般的かな。まあ、とんでもない人なんかだと、自身の魔力そのもので結晶を作り出したりするんだけどもねぇ……」
そのとんでもない人、というのは聞く分にはとても凄い話に思われる。一種の天才のようだ。だが、クレアの言葉には呆れている雰囲気が窺えるあたり、恐ろしいほどに突拍子もない事なのかもしれない。
「で、これで坊やの魔法の適正を計ろうかな、て思ってたのよ。まあ、適正が低くても努力すれば十分に扱える事もあるし、結果が絶対のものではないんだけどもさ」
「……」
「なに? どしたの? なんか不満?」
「……名前をつけるだけつけて、坊や呼ばわりはどうなのかなー? って」
「名前と呼び名が等しいとは限らないのだよ少年」
ふっふー、と不敵に笑いながらテキパキと準備をするクレア。運ぶ時は羽の上だが、こうして取り出したり並べたり、といった動作は足で行っている。相変わらずその動きは滑らかでクレインは感嘆をするばかりだが、やはり目のやり場に困るのかチラチラと見るに留まっている。
テーブルの上になにやら魔法陣のようなものが書かれた正方形の紙を出す。丸やら六芒星やら文字やらが描かれたものだ。六芒星の先に一つずつ赤、青、緑、黄、茶、紫と六色の魔石が置かれていく。
「じゃあ、この中心の部分に両手を添えてみて」
「え? あ、準備これだけなんだ……。こう、かな?」
「そうそう。そうしたら、体の内側から手の平に向かって水が流れるようなイメージをして。それは紙を伝わり、線や文字に沿ってゆき……魔石へと注がれる……そんな感じかな」
「……」
クレインが目を閉じて、言われた通りにイメージしてみる。自分の中を泉のように沸き立つ水が満たすと指先から滲んでいく。魔法陣の上を小さい溝に水が流れてゆくように伝わってゆき、その先にある魔石が吸い上げていく。そんな様子を強く思い浮かべた。
「……? ちゃんとやってる?」
「え……できてない?」
「うーん? 普通なら魔石が光るはずなんだけどなぁ。あとでまた試してみようか?」
困惑気味のクレインとは対照的に、あっけらかんとしているクレア。見ようによっては人の気も知らないで、と思える時もあるのかもしれない。だがクレインにとってはそれがあまりにも暖かく、自らの心を安らがせてくれる。不安があっても、自然とクレインの顔に笑みが戻ってくるのだった。
周囲に林などはなく立地的に太陽を遮るものが殆どない。それまでは光が届いていていたものの、水平線へと夕日が落ちていくと、辺りは急速に暗くなっていった。
真っ赤な光に満たされていた部屋の中もすぐに薄暗さが包んでいく。
特に頼まれるでもなく、クレインは火を点けて明かりを灯すのだった。
薪を細く割り数箇所に分けて配置して火を灯せば、か細い光のように見えても随分と明るくなる。特に松の木は松脂がある為に、火を点けて使うには非常に効果的だ。今までの森などには生えていなかったがこの山には各地で生えている。それも木々が密集していないところであってもお構いなし。場所が限定されていない分、森や林が近くなくても手に入るありがたい存在であった。
こうして実際に使うのは初めての事だが、その使いやすさにクレインは感動すら覚えるほどだ。古代より松の木が重宝されたであろう事は、想像するに難くない話だろう。
「それで今日はどうする? 食べていくの?」
「う……」
その様子を面白そうに眺めるクレアからの言葉に、クレインはすぐに答えを返せなかった。彼としては出来る限りクレアと共に過ごしたいのだ。ただ厄介になるのも心苦しい。
「もしかして、遠慮するべきかって悩んでる?」
「……はい」
「まったく坊やなんだからそういうのは考えなくていいってものなのに……。それじゃあ、明日はちょっと食料調達を手伝ってもらおうかな」
「え?」
「坊やの話を聞くかぎり、十分にできそうだしねぇ」
クレアなりの狩猟の一つでこの山でできるものだ。勿論、今まで一人でやってきたのだから、クレインの手が必要という事はない。だが少なからず時間を取られる方法であるので、時間の有効活用の為にも手伝わせるというわけだ。もっとも、負い目や引け目を感じている彼を思ってでもあるのだろう。
「一体なにをすればいいんですか?」
「それは明日説明しようかな。それより、だいぶ暗くなってきたことだし始めてみようか?」
ちょいちょい、と部屋の隅でクレアが羽で手招きをする。
クレインが呼ばれるがままに近づくと、真っ暗な隣の部屋が見えた。
「これだけ暗ければ流石に光がよく分からない、なんて事はないでしょー」
「……これだけ暗くしないとよく分からないって普通なんですか?」
「……」
「……」
「さあ、やってみようかっ」
クレインの顔が苦々しそうに歪んだ。みなまで言わなくても察するには十分過ぎるのだが、折角用意してくれたのだからと再び紙に手をついた。
「……」
昼間に言われたとおりにイメージする。今度はもっと水が流れる様子を想像しながらだ。その状態がどれだけ続いただろうか。ほんの1,2分だっただろうが、クレインには随分と長い時間に感じられた。
「こ、これは……」
クレアが息を飲む。
六つの魔石の中に光があった。確かに光だが……ぽつりと灯る光は、石が下に敷かれている紙を照らすどころか、何か物体を照らされるのだろうか、というほどにか細い。もはやそこにあるのだと存在を主張するしかできない明かりだ。
「……どうなんですか、これ」
「いや……正直これは……ぜ、絶望的というか……」
それぞれの色は言わば属性のようなものである。赤なら火の魔法、青なら水……といった形で魔法の系統に対する適正が計れる。中でも紫の魔石は魔力を魔法に転換させる適正、つまりは魔法そのものを扱う資質とも言える。
クレインが知る由もないのだが、五色の魔石はなんら反応せず、紫の魔石だけ明るい輝きを放つ者は稀ではあるがいないわけではない。そして、そうした者が魔法を研究する仕事に従事するのもまた、過去になかったわけではないのだ。だが、クレインの場合はその紫色の魔石すら反応が乏しいのである。
努力すれば、と言いたいところではあるものの、魔法そのものが不得手であると言える。なんならば、不得手などという表現がお世辞とされる結果だ。
「えー……聞いた事はあったけど初めて見た。逆に凄いわねぇ……」
羽の先にぽっと火を出して、暗い部屋の中でごそごそとなにかを探し始めた。クレアは無自覚で行ったものの、随分な当てつけである。
「……それって難しいですか?」
「うん? これは初歩の応用で……って言っても坊やには難しいか。二重の意味で」
「……それもできないのか。明かりの為の火が要らなくなると思ったのに」
「んー、まあ便利は便利だけどあまり頼っていると、いざできなくなった時に困るから、坊やの経験も経験し続ける事も大切だと思うわよ?」
「でもできるけど使わないのとできないのはだいぶ違わないですか?」
「……うん、ごめん。今のフォローはちょっと酷だったわねぇ」
申し訳なさそうな顔で紙の上の魔石を回収すると、今度は別の魔石を並べだした。火の光を頼りにした環境では、確かな色は分からないものの全て同じ色のように見える。
「今度はこれでやってみて」
「……うん」
クレインはどこか投げやりの様子。諦めもあるのだろう。
クレアが明かりを消すと、先ほどと同じように行うクレイン。だが、今回は見違える反応を見せるのだった。
部屋中を照らすような強烈な光が魔石から放たれたのだ。紫色の輝きが部屋を突き抜けるようにギラギラと光っている。光の色も相まって恐ろしさを印象付ける光景だ。
「え?! あ、あれ?! どうなって……!」
「さっきまでは魔法の適正。これはどれだけ魔力を持っているか、という測定だけども……これはまた……」
「す、凄い?」
「ええ、凄いわねぇ。それにこれは……」
「え?」
「ううん、なんでもない。まあ、これでなんとなく色んな事が分かったかな。あ、手離していいよ」
紙から手が離れると火が消えたかのように、一瞬で部屋の中が暗くなる。先ほどまで眩い光を放っていた魔石は、余韻をみせる事なく輝きを失っていた。
「あの……これって大丈夫なんですか? とんでもない魔力を持っていて魔法が使えないんですよね?」
「放出できない魔力が貯まり続けて弾ける、みたいな?」
「……はい」
「まあ、ありえる話だけどもそう簡単には起こらないわねぇ。むしろ漏れ出して周囲に被害を与えたりする方が先だし」
それはそれで困る話である。クレインは露骨に嫌そうな顔をしてみせた。
「多分、魔力の抜き方というか扱い方はなんとなく分かっているんだと思うわよ。あれだけの反応を見せておいて今の坊やから魔力が漏れ出すような様子はないもの」
「相手の魔力って感じ取れるものなんですか?」
「外に向けて発散されていれば、ね。普通はそんな事ないしする人もいないから分からないんだけども。坊やの場合は仮に約1年魔法を使わなかったとしたら、何かしら異常が出ているはずなのよ。それがないとなると、なんらかの方法や理由で魔力を消費してるって事」
「全然覚えがないんですが……」
「それで暴発するように爆発とかが起こっているのでなければ、なんらかの利として転換されているんだと思うわ。特に深刻に考えなくてもいいんじゃないかなぁ」
「うーん」
飽くまで楽観視のクレア。問題として抱えるクレインからしてみれば心穏やかにはいられないが、彼女の言葉にも一理があるのだから言い返すことができない。
不安とクレアの言葉を反芻しているのか、なんとも言えない微妙な面持ちで立ち尽くすクレイン。そんな様子にクレアはくすりと笑う。
「料理の準備、しておいてもらえる? あたしはこれの片付けしちゃうからさ」
「え? ああ、うん」
はっと我に返ったクレインは言われるがまま部屋を出て行く。だがクレアは動こうとはせず、ただその場に立ち続けているのだった。
暗闇の部屋の中ただ一人。その表情は、誰も知りようもなかった。




