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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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三十一話 温もり

 あまりにも苦々しい経験改め失敗。それでも少年は諦める事はなく、体調を取り戻すとまたいつもの日々に戻っていった。


 だがそれまでの日常の時間は僅かなもので、今まであった実りはだいぶ陰りを見せており、早くも次の季節へと移りつつあった。まだ十分な準備ができていない少年は、一日一日を非常に忙しなく動き回る事になる。


 そんな日々の中で、遂に洞窟の奥にあった壁を大きく崩すことに成功し、その先へと身を潜り込ませたのだ。とは言え奥は更なる暗闇。許されるのは晴天時の僅かな時間だけだ。それとて満足に視界が確保されるわけではなく、探索する前から困難さを感じずにはいられなかった。



「これは……」


 初めて壁の奥へと探索した少年の前には、岩山と同じ石質の壁に扉がはまっていたのだ。扉の周囲を調べてみると、壁はあまりにも自然な状態である。まるで扉が元々そこにあるかのようであった。


 開ける事に戸惑いがなかったわけでもない。だが、既に移りつつある季節に対応する為にも藁でもすがりたい少年にとって、未知への不安は期待に塗りつぶされ、ごく自然で怪しさ溢れる扉のノブに手をかけた。


 開けた直後、肌にピリッとなにかが走るような感覚に襲われる。一瞬、開いてはいけないものだったのではないか、と少年の頭の中は真っ白になって呆然とした。


 しかしそれ以上の異変もなく、しばらくしてから恐る恐るといった様子で中を覗く。そこには……なにがあるのか分からなかった。本当に僅かでお世辞にも明かりと呼べないものだけが頼り。更に光源は後方からというのもあって、薄っすらとシルエットが見えるという事もなく、目を開けていても閉じていても大して違いはないような状態だ。


(参ったな……こんなんじゃ、どうしようもないぞ)


 手を伸ばしてそろりそろりと歩くとぽん、と顔になにか固い物が当たった。びくりとするも、特に襲い掛かってくる様子もなく、ゆっくりと手を顔に引き寄せてその物体を確かめる。


 少し厚みのある長方形の物で、天上から吊るされているようだ。特に危険性はなさそうだと判断すると、鋭利な石の破片で紐を千切るように切り早速外に持ち出した。


 光ある場所で見れば見間違う事もないだろう。本である。いや、手探りでも本だと判断するのは困難ではないのだが、今の彼にとっては中々思いつかない存在なのだ。


(凄い……扉があったんだから人がいたんだってのは分かっているけども、本当にちゃんと誰かがいたんだ……)


 タイトルもなにもない表紙をめくると、白いページの中央に僅かな文章が記されていた。


『これを読むであろう君に託す。まずは生きる為に必要な知識をできる限り記した。これを読了し、己が物とするのだ』


「これを読むであろう君に……す? まずは生きる為に必要な……うわ、なにこれ。分かんない言葉が結構あるな……」


 この本は明確に誰かにあてた物なのだろう。それは少年にも十分理解ができた。まるで自分に対する物のように思える。


 だがこの岩山自体、運がよく逃げ延びれて辿り着けたとも、不運にも捕食者に見つかるも寸でのところで辿り着けたとも言える。かなり危うい状況であった。目覚めた場所が岩山から離れてもいたし、自分が読む事を前提とするにはその前に死ぬ可能性があまりにも大きいようにも思える。それを考えると、想定された君とは自分ではないのかもしれない。


(まあ、今のところ必要としているのは僕なんだし)


 意を介せずページをめくると、このサバイバル環境においての大原則のようなものが書かれていた。短く箇条書きにされたそれらだけで、少年にとっては叡智の塊のようなものだ。


「げっ。やっぱり」


 思わず声を上げる少年。その視線の先に飲料水の確保に関する内容で、生水は決してそのまま飲む事がないよう記されていた。


(ろ過と消毒かぁ。多分、そのやり方も出てくるんだろうし、ちゃんと覚えないとだなぁ)


 あまり楽しくない記憶ではあるものの、その対抗処置を今こうして学べる。これがどれほど心強いものだろうか。


(簡単に採れる草と果物に虫。結構色々書かれているなぁ。おっ、ここは火に関してか。水のろ過の仕方もあるけど……あれ? これで終わり?)


 ペラペラと全体の内容を確認すると、呆気なく本は最後のページとなった。そこにも最初のページ同様、中央に僅かな文章が書かれているだけだった。どうやらこの著者は、個人的なメッセージはこうして分けて書く傾向があるのだろう。


『この本に書かれている事は、まずは命を繋ぐ上で必要な事柄でしかない。確実に生きていくには、もっと学び経験しなくては到底叶わないだろう。部屋の中には採取、狩猟等の詳細を綴った本が置いてある。何れはそれらも熟読するように』


 当然ながら少年にとってはやはり難しい言葉もあり、この文章だけでも全てをちゃんと理解する事はできなかった。だが、大よその意図は伝わっており、ページを戻って採取に関する内容から順に読み始める。

 だが、少年はすぐさま深い溜息をつくのだった。


(予想していたけど……内容も分からない言葉が多い……)


 げんなりとした表情を作るも、決して諦めようとはしない。彼が夢見た以上に、洞窟の奥は生きる為の武器の宝庫であるのだ。この本を理解しなくては明かりも得られない。つまりはその宝庫すら、満足に調べる事はできないのだ。


(大丈夫。ちゃんと手段があるんだ。絶対に生き残ってやる)



 翌日、少年は再び火起こしにチャレンジしていた。今回は本に倣って、材料を一から集めての事だ。


 まず第一に、今まで少年は落ちているものだけで集めていた。しかし、火起こしに使うのであれば、立ち枯れしている木の方がいい。水を含みづらく、菌類による腐敗も少ないから火を起こしやすくなるのだ。これまでの集め方ではただでさえ経験のない少年にとって、より発火を難しくさせる要因となっていたようだ。


(ええと、火きりうす? の端を三角に切る……適当に石で叩いて欠けばいいのかな。これに当てる棒が火きりぎね? で回す時の場所に跡をつけておく、と……)


 本を片手に着々と準備を進めて、リベンジとばかりに火きりぎねと呼ばれる棒を体重を掛けながら回す。しばらくすると、薄っすらと煙が上がってくる。今までであればもう少し頑張ったところで諦めてしまうタイミングだが、それでも懸命に回し続けた。


 やがて煙は火きりぎねと火きりうすとの接触面だけではなく、摩擦によって生じた削りかすからも上がる。そうして遂には削りかすの中にぽつりと明るい光が灯った。ようやく火種が生み出せたのだ。


 火種を枯れ草や細い枝を鳥の巣のようにまとめた物の中に落とす。そしてそれを両手で包み込むように持って息を吹きかける。何度か繰り返し息を吹き込んでいると、巣からはもうもう煙が立ち始め、遂に『火』として燃え出した。


 初めての成功と発火に驚いて少年は取り落として動きが止まる。その間も火は見る見る大きくなり、鳥の巣状のそれをあっという間に飲み込んでしまった。


「うわっ! しまった!」


 本来ならばこれを組んでおいた木の枝に潜り込ませて燃え移らせるのだが、こうなってしまっては持つところもなく、少年は慌てて木の枝をばらばらと上に被せていく。ある程度勢いのついた火はそれで消えるようなこともなく、更なる燃料を飲み込み大きく成長していった。


 お手本にはあまりも程遠いものの、少年は初めて火を起こす事に成功したのだ。


 感動と火がある事の喜びとで、少年はしばらく枝を火にくべながらぼうっとその景色に見とれた。今、少年が手にした経験はあまりにも大きなもので、これから生きぬく上で必要不可欠な存在なのだ。それを理解しているからこそ、この瞬間に至福すらも感じている。


(おっと、こんな事してる場合じゃなかった)


 一際大きな枝を手にする。先の方を石でささくれが立つように傷つけ、そこを焚き火にかざして火を燃え移らせた。お粗末ではあるが松明の出来上がりだ。


(あの奥に部屋があるってことは、空気穴みたいなものがあるとは思うけど……。これを持っていっても平気かは分からないし、短時間で行動しないと危ないかもしれないなぁ)


 松明の先を周囲に当てないよう慎重に進んでいく。照らされた扉は多少の古さを感じさせる程度だ。もしかしたらここに居た人物は、随分と最近の話なのかもしれない。あるいは壁に塞がれていたことで劣化が遅かったのか。今のところ、少年には判断がつかない。


 ゆっくりと扉を開けると一切見えなかったその全貌が見えてくる。いくつも並ぶ本棚に机。地面にさえ積み上げられた本の山。簡素なベッド。決して広くない空間の中にそれらがひしめき合っていた。


 机にあった本を手にとって適当なページを開く。恐らく日記の様なものなのだろうが人や土地の名前もあり、なにより少年には分からない言葉が多く記されている。あの一冊目に比べたら、より一層に理解するのが難しそうだ。


 それでも、少年は思わず喉が詰まりそうな思いに駆られる。


 ここには本当に誰かがいて暮らしていた。作られただけの場所ではなく、誰かがここで生きていたのだ。その事実と残り香のような温もりがこの部屋にはあった。


「……ぐ」


 本を抱きしめると外へと飛び出して松明を放り捨てた。


 誰に憚れるでもなく、少年は声をあげて涙を流す。嬉しかったのか、悲しかったのか。溢れるものを抑えることなく、ただただ外へと発露させていくのだった。



 しばらくした岩山の周りでは、大きな二足歩行の爬虫類があたりを探るように歩き回っていた。あれだけの声を出したのだ。彼らが気づかないわけがない。焚き火も作った火きりうすも火きりぎねも、簡易松明さえも蹴散らされてしまった。


 少年はと言えば、大慌てであったが本だけは回収して岩山へと身を隠して難を逃れていた。


 作った物が無残となるのも、こうしてまだ周囲を探っている姿も少年は洞窟の中から眺めている。しかしその瞳は希望に満ち溢れて輝いていた。そこには畏怖や恐れる様子はなく、燃え盛るような反骨の意志を宿しているのだ。


 少年は孤独で何も見えず絶望した。しかし、孤独だが一歩を踏み出す勇気を持って、生きる道を選んだ。そして、今も孤独であるものの、抗い戦う事を決めた。


 立ち上がり、歩き、駆けだした彼の心はもう、そう容易く折れる事はないのだろう。

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