三十話 手探り
「できた!」
絶望の縁より立ち上がると決意してから一週間ほどが経った。
少年は枝や樹皮を蔓で繋ぎ合わせた蓑の様な物を作っており、遂にそれが完成したところである。お世辞にも不恰好と言わざるを得ないものの、場所によっては身を隠す迷彩服にはなりそうだ。
それをバッと羽織るように身に着けると、少年はご満悦といった様子で感動を味わっている。
(よーし、明日は夜明け前から木に登って待機だな。あとは試しにこれ着たまま探索してみよう。あの巨大トカゲの目も欺けたりして)
一人で何度も頷きながら達成感に酔いしれつつも明日の予定を決めていく。今の彼は以前と比べられないほどに積極的に行動をしているのだ。これもその一つである。
(鳥、鳥かぁ。どうやって食べよう。まあ、獲れてから考えればいいか)
あの時食した虫が大きかった事もあり、たんぱく質を摂取した少年の体は一日で見違えるほどの回復をみせたのだ。とは言え完全に調子を取り戻せたというには程遠く、それから数日は同じ種の虫を探したり、果物を採ったりしていた。
食べられるたんぱく源が見つかったのは非常に大きい。だが、毎度毎度凄まじい吐き気に耐えて食べるのも、心身共に大きな疲労を与える。そこで目をつけたのが鳥であり、こうして捕獲手段を考えたのだ。
どう調理するのかは考えてすらいないものの、もしも成功すれば果実への被害も減り一石二鳥。当初予想した、襲われたり他の肉食の動物を呼ばれる恐れは変わらないものの、敢えて避けても厳しい道である事に変わらない。ならばこその選択というわけである。
(あとはせめて火が起こせるようにならないと……)
食料調達と蓑作りも終わり、残りの選択肢と言えば更なる探索か奥の壁の破壊。そしてこの火起こしである。
おぼろげな記憶を頼りに、太い木の幹に窪みを作りそこに頑丈な木の枝を立て、ひたすら枝を回転させる。その摩擦により火が起こせるはず、と少年は思っているものの煙こそ僅かに上がるだけで火が生まれる様子はなかった。
「はあっ……はぁっ……駄目かぁ!」
肩で息をしながら回していた枝を放り投げる。一体なにがいけないのか。回転の速度、そもそも発火装置として不十分、材木の種類等々。考えればいくつも挙がるが正解が何かは分からない。材木もあれこれ変えてはいるものの、周囲の樹木は種類が豊富とは言えず、上手く事が運ばずにいるのだった。
(他に火の起こし方っていってもなぁ……やっぱり洞窟の奥に賭けるしかないのかなぁ)
息を整えると石と太い木の枝を蔓で縛って作った石器を片手に立ち上がった。他と比べれば脆いものの、簡単に崩せるものでもなくこうして道具を作って少しずつ壁を掘っているのだ。しかしこの石器は既に三本目。なんとも気の長い作業である。
今日も少しばかりの壁を壊し、散乱した石を外に運ぶだけで終わるのだろう、と石のハンマーとも呼べない代物を振るっていると、一際大きな音を立てて石が飛び散った。遂に四本目か、と肩を落としかけた少年が目をむいて息を呑む。
「あ、穴! 穴だ!」
外から僅かに届く光に頼る薄暗い空間で、一際暗い闇がぽつりと口を開ける。ほんの僅か、拳も入らない大きさではあるが遂に壁を貫通したのだ。
「やっぱり奥がある! くっそー中は見えないか! もっと崩さないと!」
興奮の余り大声をあげた。狭い洞窟の中では幾度も響いて喧しい事この上ないはずだが、今の彼にはそれも些細なものである。
意気揚々と握り直した石器を振り上げると、少年はきょとんとした顔で得物へと視線を移す。あまりにも軽く、もしやと見てみれば石はばらばらに砕けたのだろうか、蔓さえも残っていないただの棒がそこにあるのだ。
「結局作り直しかぁー」
吐き出すように出る愚痴。だが少年の顔は悲しそうな様子はなかった。
翌日の早朝。空は雲一つなく、風もない日。少年は蓑を着て木の上で静かに身を潜めていた。遠目からならば周囲の木々にも遮られて、その姿を視認される事はないだろうし、近くであっても注視しなければ気づかれないかもしれない。
今狙うのは鳥。鼻が利く生き物が相手ではない事もあり、少年の思惑通りにすぐ目の前へと飛来してきたのだ。だが、ここで少年は気づく。
(これ、どう獲ったらいいんだ……)
動いただけで蓑や枝の先の葉が音を出すだろう。ならば慎重に近づく事さえ憚られ、チャンスは刹那のような一瞬。飛び出して捕まえるだけ。だが、その為の道具もなく己の両手に賭けられているのだった。
鳥までは手を伸ばして届く距離ではなくかなり不利であると言わざるを得ない。なにより少年の周りには実がないのだ。それに気づいた時、自分の詰めの甘さをどれほど憎んだだろうか。しかし、後悔をしている時間もなく、この好機を生かす事に全神経を集中させた。
(どうしたら……背中を向けたら飛びつく? いや、それだと鳥は飛べばそのまま逃げられる。ならいっそこっちを向いている瞬間かっ?!)
一瞬の逡巡が少年の体を硬直させる。だが、鳥がこちらを向いて目が合ってしまった瞬間、少年の体は弾かれるように動いていた。ただ獲るという思いだけの、一切の形振りを構わぬ一手。強く木を蹴り出して全身を押し出し、鳥を抱えるように手を伸ばす。
それと同時に、鳥は足に力を込めて僅かに翼を開く。少年の両手が鳥を包むより先に鳥の足が木の枝を離れたのだった。
「うああああ!」
飛び出した先など考えておらず、足場を失った少年の体は地面へと吸い寄せられて叩きつけられた。
「ぐう……」
しばらく痛みに悶えるとゆっくり体を起こす。一瞬の事に頭がついていかない少年だが、ふと見ると周囲の草や土が赤く染まる中でぐったりと体を変に曲げた鳥が落ちていた。
ほんの僅かな差で少年の指が鳥の足に辿り着いたのだ。そなまま落下に巻き込まれ、共に地面に叩きつけられ、更に地の上で転がった少年の体に押しつぶされたのだろう。
「と、獲れた……」
と言うにはあまりにも格好がつかないものの、確かに新たな食料は得られたのだ。彼にして見れば初めての脊椎動物への狩猟。その死には虫とはまた違った感想も抱くものだろう。だが、己の生きる為の糧を得た喜びの前では、罪悪感を感じる暇もないのか沈んだ様子の欠片もない。
だが、感動も長くは続かずすぐに表情を曇らせた。本当に鳥が、それも一度目で獲れるなど思っていなかったのだ。獲れるまでにはなにがしか思いつくだろうという楽観視……そう、未だに調理法を考えていなかった。
(どうしよう……結局、火は使えないし)
鳥の死体を前にうんうんと唸る。そこではっとして鳥を小川の側に持っていった。血抜きを理解していないものの、とにかく洗わなくてはという考えによる行動だ。そしてやはりこのままではどうやっても食べられないだろう、と羽を毟っていく。
(そうだ、干し肉だ)
ピンと閃いたように少年の表情に明るさが戻ってくる。
思いついたら後は早い。ただでさえろくに解体の仕方も分かっていない為に、羽を毟るのもそこそこに、割った石をナイフ代わりに切るというより、千切るように肉を小分けにする作業を始めていく。
日当たりのいいところに石を並べて、その上に小さめに切って洗った肉を乗せていった。
(お日様が殺菌してくれるし、乾燥してくれる。干し肉って保存食になるはずだしビーフジャーキーとかなら別に焼かなくても食べられると思うし。こんな簡単な事に気づかなかったなんて)
満面の笑みで下ごしらえを進めていく。
まだまだ先の未来は見えないが、以前に比べれば随分と明るいものに少年は思えた。それは闇しかないような先にはしっかりと光と道があり、一歩を踏み出す勇気を持った事で得られた賜物なのだ。
だがそこまで考えが到る筈もなく、現在手の中にある獲得したものを喜び舞い上がる。
(よーし、明日からもどんどん獲って食料を確保しよう。果物も干せばいいんじゃないか? 少し手間はかかるけど、少しだけ不安ごとも消えるな)
鶏肉を干す作業も終わり、ひと段落ついたと立ち上がると自分が汗をかいている事に気づく。日差しを浴び続けての作業で体はすっかり暑くなっていた。
汗を拭おうとしてまだ蓑を着ている事に気づく。このままでいて蓑を壊してしまっては仕方がない、と少年は蓑を脱ぐと、
「あっ!」
一声上げた。落ちた時の損傷に今頃気づいたのである。
「ああぁぁ……いや、また作ればいいんだ。鳥だって獲れたんだし大収穫だっ」
落ち込みかけるも、そうやって自分を励まして持ち直す。なにより、今後はその捕獲の為の道具も考えなくてはならない。今の少年にとって、落ち込んでいる暇はないのだ。
失敗を繰り返しつつも、一歩一歩を着実に歩む少年。その瞳には以前のような陰りを見る事はなかった。
しかし数日後、その瞳は泥のような淀みを見せる。半端な知識によるしっぺ返しであった。
風もなく、気温は20度半ばを超えるような日。そんな時に肉を天日干しにするのは避けるべきであったのだ。干し肉とは乾燥させる事で菌の繁殖を防ぎ、腐らせずに長期間保存する為の方法なのである。彼が作った干し肉は、肉の水分が抜けるよりも先に見事に腐敗したのだった。
干し肉というものの実物を見た記憶はない少年にとっても、明らかに怪しげな腐敗臭を放つそれが正しく干し肉であるとは思わない。だが、彼の間違った勇気が誤った一歩を踏み出させてしまい、しばらくの間は地獄のような苦悶の日々を彼に約束するのであった。




