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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
二章 誓う者
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二十九話 悪心の底

「うう、あああ!」


 少年が岩山からそれほど離れていない場所に生えている背の高い草むらに飛び込んでいった。しばらくガサガサと蠢いていたかと思うと、今度は脱糞する音が辺りに響く。随分と水っぽいものであり、よろよろと草むらから出てきた少年の顔色はお世辞にも健康的とは言えなかった。



 目覚めてから早五日。彼は近くを探索しながら食料や水を集めている。果樹が多く小川もあり、生活をする分には今のところそこまで苦労する要素はないように思えた。


 だが、そう簡単にはいかずこうして体調を崩しているのが現状である。本来ならば、生水をそのまま口にするなど危険な行為であるのだが、彼にはそんな知識もなく、原因が食べた果物なのか水なのかも分からないのであった。


 だが体調を崩して数日、食べる物を変えながら様子を見た結果、少年は飲み水に問題があるという結論に行き着く事ができた。しかし、それが分かったところでどうすれば安全に飲めるのかは分からない。ただ、水分補給も果実に頼るという強引な選択をするしかなかった。


(今はまだいいけども、この先を考えると水が飲めるようにならないと危険だ……)


 大人の拳よりも一回りは大きい、赤く瑞々しい果実を齧りながら少年は考えにふける。


 今は果実の量も種類も多い。だが何れは熟れて落ちる。早い段階で別の食料の目星もつけなくてはならない。その時、水分の含有量が少ない物しかなかったとしたら……想像するだけで少年は身震いをする。


(火の起こし方も見つけないとこの先、生きてなんていけないだろうし……)


 裂け目の入った岩山。外から見ればそれだけの事だが、その中はやや平らな地面であったり狭い道があったりと、中はおおよそ天然のものではなかった。かといって道具が残っていたりするという事もなく、雨風の影響を受けない家でしかない。それでも孤立無援の少年には宝そのものだ。


 そんな印象であった岩山の中だが、細い通路を進み一番奥まで行くとそこだけ壁は脆く、叩くと響く音からしてもまだ先があると想像させる。少年にとって大きな活路が見出せるとしたら、それはここなのかもしれない。


 生き抜く上での宝があるのではと夢を見て、少年は食料確保の合間に岩で壁を壊す作業を行い続けていた。


(これでなにもなかったら、どうしたらいいんだろう)


 少し先は何一つ見通せない闇の中、幾ばくもない選択肢を手の中で転がす。保存する方法を考えだし、徹底的に食料を確保する。そこそこの食料を取りつつ壁を壊す事を優先する。


 しかし選んだのはそのどちらか一方を優先するものではなく、ある程度の食料を確保しつつ周囲の探索を続ける、であった。決してそれが間違いではないものの、現状においてはただの延命という側面が強い選択である。


 こうして今も岩山を取り囲むような森を探索しているのだった。


(あれは……)


 草陰に身を屈め、木々の合間の先にある存在を見つめる。鱗をまとう巨体がのそりのそりとゆっくり歩いている。目覚めた時に追いかけてきた個体と同じかは分からないものの同種であるのだろう。そして彼らの事を毎日のように目撃しているのだった。


 時には大きな木を一本隔てた先という近距離での遭遇もあって、ようやくその姿の全貌を見る事になる。言ってしまえば二足歩行をする巨大なトカゲ。全身が筋肉質であるものの比較的柔らかそうな腹部に想像通り鋭い牙の並ぶ口。だが少年にとって、それを知れた事実よりもその状況下で生き延びれた幸運を喜ぶばかりであった。


 そして今日もまたこうして遠目ながらも遭遇する。距離こそあるがあまり音を出せば気づかれてしまうだろう。すぐさまその場でゆっくりと膝をつき、ただ脅威が去っていくのを身を縮こまらせて願うのだった。



 しばらく時間が経ち、少年にとっての天敵の姿も見えなくなると探索を再開する。この脅威もあり、更にはもっと小型であっても天敵足りうる肉食の動物との遭遇を恐れて、身動きできる範囲は随分と狭いものであった。それでも周囲を調べれば、新しい果樹を発見するなど利益もあるし新たな発見がある。しかしながらその逆の発見も然り。


「この木もか」


 思わず声が漏れる。少年が見ている木にはいくつもの無残な姿の実がついている。


 何度か早朝に木々に留まっている姿を見かける鳥がいる。恐らくはそれが原因なのだろう。


 体長は20cmほどだろうか。果実を食べているのかまでは確認できていない。というよりも、迂闊に近づいていって実は肉食で襲われるのでは? 鳴かれて他の生き物を呼び寄せるのでは? という恐れから鳥の正体を確認できていないのが真相であった。


(この辺りの果物が盗られるのは辛いなぁ)


 思うように探索範囲を広げられない以上、見た目以上に食料は有限なのだ。特にここまでは食べた果物で体が障る事はないが今後もそうとは限らない。何より実っている果樹が多いという事は、次の季節の果物はこの辺りには少ないだろう。せめて時期が終わるその時までは安全に食べられる実が残っていてほしいところ。


(今日はこの先を調べて終わりかな)


 しかし恐れがあるのは分かっていても、どう行動すべきかが見えてこない少年。多少の無茶ぐらいに止めて、その日も普段とそう異ならない活動をするのだった。


 そして更に数日後。少年は起き上がるのも大きな苦痛を伴うようになっていた。草を敷いた岩の地面での就寝。そして果物ばかりの食事に体調不良。次第に感じていた体に残るような疲労は、今や少年の体を縛る鎖のようであった。


 そんな状態では活発に動く事すらままならず、食料調達さえも満足に進められない。余分に採っていた備蓄も食べ終わり、本当に近くの木から石を投げたり棒で叩いて落とした果実を口にして凌いでいるのだった。


 やがて、体長は悪化の一途をたどる状況ばかりで希望もなく、遂には立ち上がる気力も失いただ伏せて呆けているのだった。


(死ぬ、のかな……)


 朝から降り続く雨に洞窟はより一層冷え込んでいる。


 漠然とした思いが少年に降りかかる。だが心身が磨り減っている少年には、それで心が動く様子はなかった。呆然とその時を待っているかのようでさえある。


 そんな少年が投げ出した腕に、大きな虫がのたのたと近づいてきた。大きさは頭から尻まででおおよそ15cm。虫の知識が豊富でない彼にはただただ巨大だと思わせる大きさだ。


 ギチギチと鋭い牙のような口を鳴らし少年の手に乗ると、その指先に口をつけて食むのだった。冷たい手先にピクリとも動かない様子に、虫の方は大きな死体にありつけたとでも思っているのだろうか。


(あ……)


 不意に少年の顔が大きく歪む。


 平時であれば大きい虫とは言え、決して恐怖する存在ではないだろう。例えば大きな石を持って落とす。あるいは何か物を持って叩きつけるだけでも構わない。この虫を殺めるのはきっとそれほど難しい事ではないだろう。


 だが今は、そんな虫にさえ僅かながらであっても捕食されようとしている。自分よりも下であるだろう存在に。それに気づいた瞬間、少年は死への恐怖と惨めさが溢れ出した。


(嫌だ……こんなところで死ぬなんて。こんなの絶対に嫌だ)


 腕を動かさないように体を起こして虫に近づく。これからする事を思うと、思わず胃液が口から滝の様に出るのではないかというほどの不快感が募った。それでも、死にたくないという気持ちが少年を駆り立て、体に力を与えるのだった。


 大きく静かに息を吸って覚悟を決めると、右手に乗る虫を左手で押さえた。元々俊敏な生き物ではないようで、じたばたと足を動かして逃げようとする。大きさに違わない力強さだが、足が当たらないように持ち上げてしまえば少年に対して無力同然であった。


「ごめん、ごめんね……それでも僕はっ」


 勢いよく齧りつく。全ての臓物が口から飛び出そうな感覚に襲われるも、少年は必死に耐えて咀嚼して飲み込んだ。その苦痛に抗い一口、また一口と。


 静かに雨が降っている。洞窟の中では少し固そうな物を砕くような音と咀嚼する音、そして嗚咽が響く。


 そこに手を差し伸べる者は誰もいなかった。

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