表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
一章 出会う者
3/185

二話 奴隷

 城壁の中は活気に満ちた町並みと小さな草原が広がっており、その奥の方には城と軍の施設が集まっている。勇者であるエルナ・フェッセルは、草原を進む馬車の中にいた。


 エルナは満身創痍であり一対二であったとは言え、門番相手に呆気なく敗北し、捕らえられてオークションに出されたのだ。


 魔王と呼ばれた男の指示で、後ろ手から前へと手枷がはめ直されて、随分と体勢が楽になった。だが、本当にそれだけの事で、状況は何一つ好転などしていない。


(結果がこれか)


 十分に時間をかけて調整を行っていればベストコンディションで挑めたか、と言えばそもそもそれが実行できない状態であった。何より、疲弊していたとはいえ門番に負けたのだ。万全であったとしても、魔王の元へ辿りつけるものでもなかっただろう。


(言い訳にもならないけども、まさか相手が人の姿をしているとは……)


 相手どころか、この城壁の中で見かけた存在は皆、人の姿をしているのだ。翼が生えていたりと、人目で人間でないと分かるような者もいたが、それでも魔物と言うよりも人と呼称する方がしっくりとくる者ばかりであった。


 そして、エルナは僅かながら目にした、自らを落札した者の姿を思い出す。


(よりにもよって……)


 エルナが馬車の行く末をちらりと見やると、随分と城が大きくなってきていた。



「それで、どうするおつもりですか?」


 城内の一室で棘のありそうな声音で訊ねる者がいた。短い金髪で小柄な背筋を伸ばし、魔王と呼ばれた黒い鎧の男を見据えている。


「どうするか……。いや、流石に誰かに買われるわけにもいかなかっただろ?」


 先の会場での憮然とした態度はどこへやら、その魔王はだいぶ困り顔で悩んでいるのだから滑稽である。


「カイン、お前はどう思う?」

「私に聞いてどうするのですか。突拍子もない行動に驚いている側ですよ?」


 カインと呼ばれた少年は、大き目の書物を片手に深い溜息をついてみせた。これが馬鹿げた事ならば、遠慮なくその本を投げつけているところなのだが、今回の行動には理解を示す部分がある。


 彼は先代魔王からの側近で、カイン・エアーヴンという。日頃から魔王に振り回されている苦労人であり、今回も随分な厄介ごとを持ち込まれたのだった。


「一先ず、彼女に話を聞かない事にはどうしようもないでしょう。ここまで来た真意は不明ですし、何かの行き違いがこの結果という可能性もあります」

「まあ、そうなんだけどな」


 それは魔王とて分かっているものの、受けている報告を聞く限り反逆罪は間違いなさそうであるから対応に困っているのだ。更には人間がここに居るという事そのものが、一つの悩みと言える。


「まあ私も報告は聞いていますが、一体どこで何をしたのですか? その方、魔王様に明確な殺意を抱いていたのでしょう?」


 じとりと冷たい視線が投げかけられる。魔王は身に覚えのない謂れに眉根をひそめた。


 確かに多少の問題行動はとっているが、ここまで恨まれる事があるだろうか。魔王は一人、自問自答を繰り返す。


 ふと、今まで軽視していた過去を思い出す。だいぶ、いや、かなり殺めた。殺意を持たれても止むなしか。いや、あの娘から恨まれる事なのか? などと、悶々と考えているとカインが大きな溜息をついた。


「とにかく、もうすぐ到着する頃でしょう。準備をして向かいますよ」

「茶菓子とか用意するべきだろうか?」

「阿呆な事を言ってないで身なりを正して下さい。大体その鎧、胸の部分が汚れているじゃないですか。そんな姿で外出しないで下さい。威厳が落ちます」

「俺にそんなものがあったのか……」


 しみじみと呟く魔王。彼自身、威厳のなさを自覚している上に、確かにその言葉を持ち合わせていない。


 だが、事実と心持に因果関係はなく、カインは魔王の意識の低さにもう一度溜息をついた。一度、佇まいを直すと、本を持つ手を後方に引きながら片足を上げ、上半身をひねりながら上げた足を前へと勢いよく送りだす。中々綺麗なフォームだ。



 オークション会場ほどではないものの、南の大陸では座った事がないような高級な椅子に、純白のドレスを着たエルナは座らされていた。


 見ようによっては、ウェデイングドレスのようにも見えるその姿。だと言うのに、彼女は奴隷の身であり、落札者は彼女にとって仇だというのだから、これほどの皮肉はそうそうないのだろう。


 広めの一室に通されてどれぐらい時間が経っただろうか。この先の不安しか考えられないエルナは、始終落ち着きなく辺りの様子を窺った。


 しばらくして、不意に足音が聞こえてくる。しっかりとした足取りを思わせる音は、この部屋に一つしかない扉の前で止まった。


(遂に来たのか)


 エルナは苦い顔をしながら扉を凝視する。ゆっくりと扉が開き、果たしてそこにいるのは、会場にいた黒い鎧の男、魔王そのものだ。唯一、予想外と言えば、その後方に少年がついている事ぐらいか。


「さて、何から話したものか」


 ここに来て、魔王はまだ何も考えがまとまっていなかった。そんな寝ぼけた事を言う背中に、冷たい視線が刺さる感覚を覚えた。まだ残る頬の痛みが更に増さない内に、魔王は慌てて口を開いた。


「大陸間を埋める大海。そこには今も尚、無数の巨大な者達が巣食っているだろう。どう来たかは知らぬが、この距離を陸路で進むより何倍もの苦労があったろうに」


 今も感じる視線から、立場ある者としての言動も求められているような気がした魔王は、普段使わないような言葉遣いを選びながら言葉を続ける。


「それだけの事をして、我が命を狙い……反逆者である奴隷として売り出される。お前は一体何を考えているのだ?」


 エルナは胸の奥で、消えかけていた火が炎となって吹き上がるのを感じた。


「ふざけるなっ!!」


 目を見開き、響き渡る怒号に魔王とカインは、一瞬身を竦ませる。二人はそれを悟られまいと、慌てて身じろぐ振りをした。


「何を考えてだと……魔物をけし掛け、多くの人々を殺しておいてっ! 何故、そう平然としている! あたしは、あたしがどんな思いで、お前を殺しに来たと!」

「だとしたら、随分と滑稽な話だな。人間一人でこの私を殺すだと? 随分な寝言ではないか」


 エルナはやや俯いて、奥歯を噛み締めた。魔王の言うとおり、どう足掻いても足元にも及ばないのだろう。捕らえられた時から分かっていた事だが、他者にそれも魔王本人に言葉にされた事で、その事実がより重たく彼女に圧し掛かる。


「お前の意思は分かった。だが、それがどうしたというのだ? 今となっては丸腰同然で私の前にいる」


 エルナの目の前まで進んだ魔王は、彼女の顎を掴むと顔を上げさせた。


「いくらでも、弄ぶ事さえできるのだぞ?」


 双方の目が合う。エルナの様々な感情が濁流のように入り混じる瞳に、魔王は目を細めた。


「お前を殺すまで、女である事は拾わないと決めた。屈するつもりはない」

「棄てきれないのか? 半端な者め。ならば、私が思い出させてやろうか」


 エルナのあまりにも冷たい声音に、魔王は僅かに嗜虐心が芽生えかける。顎を掴む手に力が増し、更に顔を上げさせて、彼女よりも尚冷たい声で魔王はエルナに言葉を投げかけた。


「くっ……」


 言葉の意味にか、それとも魔王の行動による苦しさか、エルナは顔を歪める。だが、それでも魔王を射すくめる視線だけは変わらなかった。


「そう睨むでない。暴行する趣味など私にはない」


 さっと魔王は身を引き、大げさに手を上げてみせる。もっともそれで、少しでもエルナの怒りが収まるかと言えば、全くもって効果などありはしない。


 そんな様子を眺めながら、魔王は顎に手をやり考え込む素振りを見せた。


「しかし、勇者を捕らえてしまった以上、何ともつまらなくなるな。そうだな、どうせ暇を持て余しているのだ。どれ、お前と共に人間の町々を巡ってみるか」

「……」

「……」


「……は?」

「……は?」


 魔王の言葉があまりも突拍子のないものだった所為か、意外な合いの手が合わさり、二つの疑問の声が同時に上がった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ