二十六話 逃走の先へ
「逃げられた!?」
真っ赤な陽射しが届かなくなってしばらくした頃だろうか。レオンは兵士からの報告を受けて、椅子を倒しながら立ち上がった。
「すぐに追いかけたが、まだ人も多い時間ともあって振り切られてしまったんだ」
「まさか外に? 追跡は? 馬も用意してあったはずだよな」
「北の門から逃げられたがあの先は見通しが悪くなっていく。今から出て行っても見つけるのは難しいな。単純に後ろから追いかけるのならばできるが、探索も含まれる追跡となると許可がなくてはできない」
レオンが泉の国から兵士を借り受けるにあたり、どのように運用するかを明確に示したのだ。
二人への監視。宿屋の包囲。門の外での包囲。そこから逃走された際、馬による追跡。宿屋への包囲は夜間や明け方。門の外へは宿屋への包囲のチャンスがなかった場合の保険として、エルナ達が自主的にこの町を経つ時に行う予定であったのだ。
ある程度の包囲を常に敷いておきたいところだが、制限なしに助力が得られるわけではない。その上で絞った結果だったのだが、見事にその網の目を抜けられたというわけである。
「どうする? 俺達にも落ち度があるから上も頭ごなしに拒否はしないはずだ。馬から逃げる為にまだ周囲で隠れている可能性もあるぞ」
「……いや、いい」
「レオン……」
不安そうなルーテにレオンは首を振って答える。
「時間がかかればかかるほど向こうは渋るだろうし、これだけ協力を得ておいて出し抜かれたんだ。信用は落ちているだろう」
「まあ、心中お察しするよ。それじゃあ引き上げるんでいいんだな」
「悪かったな」
ばつが悪そうなレオンに兵士は笑って片手を上げて背を向けた。知り合いというわけではないが、彼もまたエルナの名前はよく知っており尊敬もしているのだ。個人であれば気の済むまで協力してくれるのだろう。
「けれども、これからどうするのですか」
「まずは報告だ。逃亡とかそのあたりの扱いでいいだろ」
「それではエルナが不名誉の扱いを受けてしまうではないですか!」
「トラブルを避けたんだろうが、逃げた事には変わりはない。これだけ心配しているのに、あいつはこちらになにも告げずに逃げたんだ。少しくらいは痛い目をみなくちゃな」
反論しようとするルーテにレオンは手をかざして制止を促す。納得のいっていない様子のルーテだが開きかけた口を閉じると、レオンは袋を取り出してルーテに差し出した。
受け取った袋はずしりと重く、ジャラジャラと金属の擦れる音がする。かなりの量の硬貨を想像させるものだった。
「お金……?」
「捕らえた奴への報奨金ってところだ。金貨九枚に白銀貨百枚、渋られるが向こうで両替してもらえ。エルナの顔を知っていれば、見逃す奴はいないだろうな」
「……なんでこんな事をするのですか?」
「半指名手配状態だと知ればエルナから動くかもしれない。逆にこれでも振り切るのなら、俺らはもうあいつを追うべきじゃないんだろうな」
「な、なんでですか?」
「月並みに言ってしまえば、もう俺達の知っているあいつじゃないんだろう……」
レオンの顔が疲れをみせた。この状況に戸惑っているのはルーテだけではないのだ。
「さあ、それが終わったら俺達も北に向かうぞ。先回りできなくても、他の町の宿屋で追いつければ十分だ。急いで報告してこい」
そうした逃走劇から二週間ほど経った頃。クレイン達は森の近くで野営をしていた。
先回りなどを恐れて町には寄らずひたすら道なき道を行き、泉の国の中でも開拓が進んでいない辺境へと来ているのだった。
「最後の一本だ」
「その優しい目をするの止めろ。でも頂きます」
固めのクッキー状であるオートミールや小麦粉で作られた携帯食料。その一本をエルナは恭しく受け取った。
「……なんだかんだで忘れていたが、もっと早くに作っておけばよかったか」
「そ、そう言われるとあたしが駄々こねたみたいで嫌なんだけど」
「しかし受け取る時に、顔が緩んでいたのだぞ?」
むしろ今も尚、口元が緩んでいるのである。エルナは慌てて顔を揉み解すも、まだ口角は僅かに上がったままであった。
「さて、と。そろそろこちらもいい頃合か」
恥ずかしげに俯き加減のエルナを他所に、クレインは捌いて串に刺したヘビを焚き火から離した。こんがりと焼けており、食べ頃の様子であるのを見ると満足げに頷いてみせる。
「さて、どうするかな……無事、捕まる事なくここまで来れた事を祝って、乾杯っ」
「乾杯」
杯を鳴らして、一口だけ喉を鳴らして飲み下す。
「祝うのはいいけども、この先はどうするつもりなんだよ」
「……少し、話しておくか」
ヘビ肉に調味料を振りかけているものの、クレインの声音は酷く落ち着いており、それが真面目な内容であるのは想像に難くない。
エルナは姿勢を正して聞く体勢を整える。
「あー食べながらで構わん。この旅には漠然ではあるが目的もあったのだ。それがこの森の先の山にある」
「……ただの変哲のない山のはずだけど」
「それは明日のお楽しみだな。それでだな、私はその目的が終われば北の大陸に帰るつもりだ。置き土産に恐ろしい何かを残すという事もないので、そこは安心してほしい」
「……帰る」
「だからこの旅はこれで……まあ、海岸に出るまでで終わりだ」
語られた内容にエルナは困惑もなくただ静かに受け止めていた。
「それで、あたし達人間はどうなるんだ?」
「……それはお前達で決めるといい」
やや間があってクレインの答えが返ってくる。
エルナは驚きも取り乱す事もなく、ただ言葉の真意を計りかねているのだった。
(なら、魔物を取り仕切る魔王はどうするんだ? まさか、本当にこの先に『魔王』がいて視察だけするつもりなのか?)
伝えるべき事は全て語ったという事なのか、クレインは早々と食事に手を付け始めている。
(『お前達で決めてくれ』……お前達? 誰の事を言っているんだ。やっぱり二人の事か? 敵の本拠地を知ったのだから攻めてもらっても構わない? なら、一体なんの為にこんな侵略をしているんだ)
「どうしたのだ? 火が目の前にあるとはいえ、冷めてしまうぞ」
動かないエルナに普段どおりの様子でクレインは食事を促す。彼の言う旅の終わりを前にしても落ち着いている。
「なあ、一つだけ本当に、真面目に質問をしていいか?」
「答えてやれる内容であるならばな」
クレインは軽口を叩きはするも、エルナに向き直りその瞳を見つめる。
その意思表示に一度頷くと、エルナはゆっくりと口を開く。彼女にとっては少なからず勇気と覚悟が必要な問いかけである。
「信じても、いいんだな?」
「ああ、勿論だ」
あまりにも漠然とした内容。それが示すものは一つとして明らかにしていない。だが、クレインはただ力強く答えたのだ。
深く考えていないのか、あるいはエルナの含めるところを察しての事かは定かではないものの。
「そうか。ならいい」
ずっと固いままだった表情が解き、強張らせた肩の力を抜く。
その様子をクレインは珍しいものでも見るかのように眺めていた。
「なんだよ?」
「いや……少し意外だと思ってな」
「……確かにお前は魔王であり倒すべき相手だ。でも、立場を取っ払ってもお前が信用できない奴じゃないのは分かっている。だから……」
目を細め穏やかな笑みを浮かべる。そしてゆっくりと目を開けて、クレインを見つめ、
「あたしの信用を裏切るなよ?」
「……はい」
釘を刺した。力関係で言えばクレインの方が圧倒的に上なのだが有無を言わせない冷たい空気に、クレインは身を縮まらせながら返事をする以外の選択肢は存在し得なかったのだろう。
食事も終わり片付けも済まし、後は寝るだけといった状態であるもののクレインは空を眺めてはそわそわと落ち着かない様子である。
「なにしてんだ?」
「いや、ちょっとな……」
エルナの問いにも濁すだけで、しきりに辺りを探るばかり。
そんな様子が数十分と続いただろうか。不意に一羽の黒い鳥が二人の前に降り立った。
「おお、やっときたか!」
「と、鳥……?」
「言ってしまえば私の僕のようなものだな」
胸を張って答えるクレインに対し黒い鳥は嘴でクレインの鎧を突く。その度にカン、カンとなる音が抗議めいて聞こえるのは、きっとエルナの勘違いではないのだろう。
「それで、そのカラスのお友達がどうしたんだ?」
「友人がいない人、みたいに言わないでもらいたいのだが……。まあよい、これはカラスの見た目ではあるが魔物の類でな。三つ目であるだろう?」
「あ、本当だ……」
「魔力に対する知覚能力は優秀なのだよ。他にも色々と能力があるのだが……長くなるからそれは置いておこう。さあ、お前が見たものを私にも見せておくれ」
両手でカラスを優しく掴むと、クレインはカラスの額と自身の額を合わせて目を閉じる。
真っ暗な闇の中、瞼を通して焚き火の明るさを感じる。だがその明るさは急速に萎んでゆき、遂には全てが闇に飲まれていった。
しばらくすると闇の先にぽつんと光の粒が生まれると広がってゆき、遮るもののない青い空と浮かぶ雲が現われた。雲が大きく流れ、視界の端に地表が見えてくると無数の山脈とその麓にある大きな町が映る。進みながらも更に大きく向きが変わると大きな塔が見え、その先に広大な茶色の大地が広がっていた。やがて大きな湖を飛び越え山や森が見えてくる。
視界はその内の一つの山へと向かっていく。森に囲まれたそれほど大きくない山が連なる土地。森の上空へと到達し山に近づいたその時、不安を煽るような暗い虹色の霧らしきものが立ち込める。
ゆらゆらと揺れるそれが目前まで迫ると、踵を返すように視界が揺れて再び視界にいっぱいの青空が飛び込んできた。
「なるほど……」
クレインがカラスから身を引いて目を開ける。
「なにをしてたんだ?」
「この目を通して見たものを共有する能力があってな。それでちょっとした確認をさせていたが、それを私も見てみたのだよ」
クレインは目を酷使したかのように目を固く瞑ったあと、カラスの足に括りつけられた袋を取り外す。中には宝石の様な青い石が二つ入っており、一つをエルナに手渡した。
「方法が一つだけというわけではないのだが、今のところこれなしでは先に進めないだろうな」
「魔石か? どう使うんだ?」
「持ったまま進めばいい。この先は複数の魔法が施されていて簡単には近づけないようになっているが、これがあれば突破できるだろう」
「……」
「説明したのに何故そんな顔をするのだ……」
「いや、本当にノータッチなんだなって」
かつて、エルナ達も探索した地域。どのような魔法によって欺かれたかは未だに理解できないものの、それだけ隠蔽された存在だとしたらやはりあるのは南の大陸における魔王の城なのだろう。だが、それを守る障害について使いであるカラスの魔物から情報を得ている様子であるのだ。
(この先が終着点)
勇者と魔王、双方においての。
だが今になっては、エルナにとって『本来ならば』の言葉がついてしまう。
「お前の用事も済んだみたいだし、あたしはもう寝るからな」
「そうだな。私も休むとするよ」
「じゃ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
なにが起こるか。なにをするのか。その一切が明かされないまま、翌日への緊張と不安を前に中々寝つけはしないのだろう。高鳴る鼓動が落ち着くまで、エルナは瞬く星を眺めながら、これまでとこれからの事を思い巡らせるのだった。




