二十二話 異端児
「ええと、久しぶり」
「あ、はい。お久しぶりです」
たったこれだけの会話だけで、たっぷり十数秒とかかっただろうか。
エルナの話からしてみれば、ある程度の面識があるのだろうかと思えば、随分と余所余所しい雰囲気である。
「……詮索する気はないのだが、どうにも気になって仕方がない。詳しく聞いてもいいだろうか?」
「あー……うん、まあそうだよな。あ、その前に」
気を取り直すつもりなのか、エルナは一度目を瞑って大きく深呼吸をしてみせる。すると先程までの表情とは打って変わって、真剣であり僅かに見咎める様子で少年を見つめるのだった。
「何でこんなところにいるんだ。町から離れれば離れるほど魔物に襲われるリスクが高まると言った筈だろ」
「ごめんなさい……。でも、もうあそこの家は壊されてしまって、今はこの近くで暮らしているんです」
「壊された!? ……そうか、ごめん」
「ううん……」
そうして再び二人とも沈黙する。クレインにしてみれば理由を知りたいところだが、流石にこの雰囲気に割ってはいる訳にもいかず困ったように見守るばかり。
だが状況は一向に変わらず、エルナはかける言葉を探し、少年は特にそれ以上伝えるべき話もないのかエルナの反応を待っている。いい加減痺れを切らしたのか、結局口火を切ったのはクレインだった。
「壊れた、でなく壊された? それにその身なり。よほどの事があるように見えるが一体どうしたのだ?」
「……この子、町で虐められて……いや、あれはもう迫害だな」
「こんな子供を相手にか?」
贔屓目に見てもみすぼらしい姿に不恰好な弓矢。しかし、仮に本を読んで学んだとしても、大きい魔物を相手にしっかりと矢が刺さっていたのだ。それを考えるに、何かしらの天賦の才は持っているのだろう。最もそれが迫害の理由ではないのだろうが。
「僕は魔物の声が分かるから……」
「声だと? 会話が可能なのか?」
「魔物と心を通わす事ができるんだってさ。勿論、完全ではないけれども、襲ってきた魔物を森に帰らせるのを見た事がある。それで町の人は、魔物の子だと……」
「魔物の子、か……動物も同じ様に心を通わせられるのだろうか?」
「え……うん。犬や鳥、あと蛇も。魚はできなかったかな……」
少年の答えに、クレインはそうであろうな、と小さく呟いて頷く。
その様子に二人は驚きながらお互いの顔を見合わせるのだった。
「魔物は元々、動物が変化したものだ。『魔物』ではなく、『動物』に対する能力である可能性が高いと考えるべきだろう。事実そのようであるしな」
「あ、そういう事か。じゃあ、もっと魔物が怪物っぽくなったら……」
「通用しないやもしれないなぁ」
「……」
魔物という点では当事者であるはずだが、本当に一切携わっていないのだろう。クレインは全く部外者のように、その特異な能力について考察を行っている。
それを尊敬のような眼差しで見つめる視線が一つ。ようやくそれに気づいたクレインは、居心地が悪そうにゆっくりとその人物へと目を向けた。
「……どうかしただろうか?」
「おじさんも、気味悪がらないんですね」
「お、おじ……!?」
「ぶふぅっ!」
思いがけない呼称に、クレインは口を大きく開けてショックを受けたような顔に、そしてその様子にエルナが堪らず噴出した。
「おじ……さん」
「ね……ね? き、君が、思って、いるほ、ど……世界は、ぶふっ!」
未だに立ち直れないクレインと、少年に対して何かしらのフォローをするも、全く我慢できていないエルナ。傍から見たらどれほど可笑しな光景だろうか。しかし、渦中の少年にはそれが理解出来ないのか、今は頭に疑問符が浮かんでいる様子だ。
その場が作る雰囲気は世界創生の混沌。あるいは常人には理解できない美術作品か。暫しの間、その世界の終わりが見える事はなかった。
夜の帳が下りつつある。手入れがされているとは言え、森の中はあっという間に光が遮られて、時刻の割には暗くなってきている。そんな中、開けた場所では明々と焚き火が周囲を照らしているのだった。
周囲には三人の人の姿と解体された大きな鹿型の魔物が一匹。そして火の傍では大きな肉が惜しみなく、喉が鳴りそうな音と匂いをさせていた。
「両親はいません。それに二年程より以前の記憶がないんです」
先の騒動から落ち着くと、迫害を受ける少年の話に戻る。切り出した質問は当然とも言える両親の事だったが、その答えは予想を上回ったものであった。
まだ少年でありながら、自ら狩猟をしなければならない環境と境遇が不憫だ、と言うクレインは手負いの魔物の追跡を買って出たのだ。
尚の事、尊敬の眼差しを注ぐ傍らに氷の様に冷めた視線も一つ。失態から逃避したいのをしっかりと見抜かれていた。
「初めは町の人達も助けてくれていたんですが、魔物と意思疎通が出来てしまって……自分もそんな力があるとも知らなくて、それからはこんな感じです」
クリフ・アウスターレントと名乗る少年は、夕食の用意をしているクレインの傍で身の上話を始めた。
エルナの予想を含んだ補足で言えば、石の国からここへ逃げて来る時に魔物に襲われたのだろう、という事だ。特にこの先の町では石の国への蔑視はあまりない。
石の国に暮らす人々で脱出を計る人は決して少なくないが、その多くは道中で魔物に襲われて亡くなるのだ。そこを切り抜ける幸運を掴み取り、別の国の町で認められ根を下ろす事ができるだけの実力か、はたまた再び幸運を得てようやく新天地で生きられる。控えめに言っても、随分と狭き門なのだ。
それで言えば、クリフは一つ目の幸運を何とか獲得したものの、第二関門においては実力もなく家族もおらず記憶喪失。更には比較的受け入れられる町なのに、特異体質による迫害という不幸を握り締めたのだ。
それでもこうして何とか生き長らえられたのは、多少なりとも子供であるが故の施しと恩情があったからだ。それを思えば一つの幸運なのかもしれないが、神と言う存在を信じるならば恨んでもいい皮肉なのだろう。
「身に着けていた物で自身の名前だけが判明。頼れる相手もなく、町の者から石を投げられ、遂には潜り込んでいた廃屋からも追い立てられる、か」
大まかな話を聞いたクレインは手を止める事無く、物憂げに溜息をついた。
「人間同士で殺し合い、魔物が出れば休戦程度で碌に手も組まん。更には勇者と言う記号で他者を祀り上げて命を賭けさせ、挙句に理解できぬものとあらば子供であっても迫害。全て同一の立場や環境の者達でないとは言え、人の世は歪んでいるな」
「? あの、クレインさんは一体……」
「え? あー……ええとね、この人はとんでもない田舎で暮らしていたから、あんまり世の中の事を知らないんだよ」
「……」
「ま、間違ってはいないだろ」
「後半だけではないか」
とっさの嘘である事はクレインも理解しているが、北の大陸の城下町と城を田舎と言い切るものだから、思わず抗議の視線を送ってしまったのだった。
その押収に事情を知らないクリフは、割り込みはせず静かに終わるのを待っている。短い期間だが赤の他人である大人に世話になったのだ。自らの立場をより下に見立て不用意に踏み込まず主張もせず周囲を窺う。そう生きてきたのだろう。
「……」
「ね? 君が思っているほど、世界は君に敵意を向けてるわけじゃない。勿論、一切ないとは言えないけどもさ」
「……そうでしょうか。その、やっぱりエルナさんと一緒に行動する方だからこそ、そうしてくれる人、というだけなんじゃないでしょうか?」
「それを言われちゃうと説明のしようがないなぁ……」
正しく伝えられなかった言葉を、エルナは再度クリフにかける。きっと出会った時にも同じ事を言ったのだろう。しかし、それでもクリフはまだ納得がいっていないのか否定をするのだった。
『魔物の子』と呼ばれてどれ程経ったかは定かでないものの、彼が見てきた世界はそう簡単に揺らぐ事のない仕打ちを受けてきたのだ。エルナの言う世界に直接足を踏み入れなければ認識が変わる事はないのだろう。
「それで……どういう間柄なのだ? 再会を渋るようには見えないのだが?」
チラリとエルナに視線を送ると、気まずそうに顔を背けてしまった。彼女個人としてはよほど後ろめたい事でもあるのだろう。
「え? ……心当たりがないのですが」
「うー……いや忘れているなら別に……」
「ほー……勇者様は都合が良ければ有耶無耶にしてしまおうと?」
「ぐ! け、けど、別に誰かが損する話じゃないし、そのあたしの個人的な気持ちというか? ね?」
「……」
「……わ、分かったよ、白状するからそんな目で見るな」
クレインの追及の眼差しに、遂にエルナが折れてがっくりと項垂れる。一方で記憶にないクリフは思い出せずにいるのか、やや首を傾げて眉間に皺を寄せていた。
「クリフ君とはこの町で出会って、分かれる時に次に会うのは魔王を倒した後だなーぐらいの事を……」
ごにょごにょと語られた言葉に、クリフはああっ、と声を漏らしながらポンと手を打った。心底気にしているエルナだが、余程の実力者の発言でもなければその言葉を真に受ける者はそうそういないだろう。事実、クリフも欠片ほどにしか記憶に留めていない様子なのだ。
「そんな事で……」
「だってそうだろ! 普通はそう思うだろ!」
「そもそも、敵の本拠地すらまともに見つけてもいないのに……」
「あ、そうなんですね」
「い、言わなくてもいい事をっ!」
わなわなと震えるエルナと可笑しそうに肩を震わせるクリフ。エルナにしてみれば、クリフにとってのヒーローであらんとしたのかもしれない。それが今やその親玉と共に町巡り。その事実を露見させる気など毛頭にないものの、やはり立つ瀬がないのだろう。
しかし、元々クリフには英雄視する考えがないようにも見える。エルナは気づいていないのだろうが、完全に空回りと言えるだろう。それでも、こうしてクリフが笑みを零しているのだから、決して無意味ではなかった。
「さて……」
「な、何だよ」
今度は何を言われるのだと、エルナは思わず身構えるもクレインの視線はクリフに向けられていた。
一瞬だけ哀れみの篭っているように見えたが、見間違いだっただろうかと思わせる様な冷たい双眸がクリフを見据えている。
「憎くはないか?」
「お、おい……」
「クリフにしてみれば自然にできてしまう。誰かに迷惑をかけている訳でもない。なのに虐げられる。そこに怒りはないのか?」
言葉の意図に気づいたエルナだが、その制止など無いかのようにクレインは言葉を続ける。
クリフは静かに目を伏せてそれを反芻するも、僅かな時間で顔を上げてクレインを見つめ返した。強い意志も何もない、ただただ透き通る瞳がクレインの姿を映している。
「それでも、人にはできない事だから、自分がおかしい……異常だから当然の事なんだと思います」
例え幸せであっても、己の何かしらの不幸を嘆かない者はそう多くはいない。だが、クリフはその幸せさえも満足に享受できる環境にはいない。だからこそ、何度でも自分の境遇に、僅かな過去に振り返る事は多くあったはずだ。
それ故に、拙かろうと何だろうと、自身の答えを持っているのだろう。
「これをくれてやろう」
何処か満足げのクレインは懐から一本の短剣を取り出した。豪華さはないものの、確かな意匠が施されており、地味ながら美しい短剣であった。
「いいんですか……?」
「構わんしどう使うかも問わん。それは生きる為に必要な道具を生み出す事ができる。他の命を奪う事もできる。どの様にするか、どの様な道を生きるか。自らが探して決めろ」
「……ありがとう、ございます」
何を思っているのだろうか、クリフは大切そうに胸元で抱えるように抱きしめた。
それを困惑した様子で見守るエルナ。クレインの意図が分からない上に、クリフに与える影響もどの様に転ぶのか判断がつかず、不安しかないのだろう。だからと言って、今この場で問いただす事もできないでいるのだ。
「さあ、そろそろ夕食にしよう。クリフも遠慮なく食べるのだぞ」
「……は、はい。ありがとうございます」
クリフは並々と水が注がれているコップを慌てて受け取り、エルナは溜息交じりにクリフの横へと座り直した。
「そうだな……クリフ・アウスターレントの光溢れる未来を願いまして、乾杯!」
夜の帳が降りた。手入れがされているとは言え、月星の明かりは満足に届かず森の中は慣れた者でなければ漆黒の闇の中。とある開けた場所では一等星のように煌々と火が周囲を照らしている。
そこで一際大きな、杯を鳴らす音がした。




