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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
一章 出会う者
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二十一話 森の縁

「草原だ……」


 宿を取ってからしばらく後、泉の国へと進路を変えた二人はようやくその領土へと近づき、見慣れた光景へと戻ってきたのだった。


「この先の森にある町が一番近いかなぁ」

「ようやくまともに食料が手に入るな」

「……そうだな」


 よほど思い出したくないのか、エルナは苦虫を噛み潰したかのような顔で呻くように肯定する。


 宿に泊まった町で補充はしたものの、採石量の多い石の国の中心地から離れていくルートであり、自然と貧しい町が多くなる。結果的に他の町での補充は難しく、行きよりも厳しい旅となったのだ。


「もう、食べる為に魔物を探したり、枯れかかっているような草を食べなくてもいいんだ……」


 その日々を思い、固く拳を握り締めて目を瞑った。その目尻は僅かではあるが光り輝いており、その苦労が偲ばれる。


「まだ虫やら何やら食べる事のできる物はあっただろうに。それを拒否しているのはエリーゼであっただろう」

「まるで良い案のように言うなっ。極限状態ならまだしも、あたしはまだ人としての一線を越えたくない」

「農家に失礼だと思わんのか!」

「何で?!」

「馬鹿者が! 今でこそ技術向上や品種改良によって環境が改善されたとは言え、昔はいざともなればクズ野菜などまだ食うには困らんが、たんぱく質が貴重な農業者なぞ珍しくなかったのだぞ。石の国の今を見ても想像がつくだろう」


 またもや説教が始まる。しかしその言い分は確かに間違いがなく、エルナの先の発言は失言とも言えるだけに、強気で言い返す事ができない。


「い、いや、そうだけども……」

「イナゴやバッタなどその代表例であろう。気持ちは分かるが口にしてはならん事だ。先人に、そして先祖に謝るべきだろう」

「くそ……腹立つけども言い訳のしようがない」


 苛立つ思いを抑えて、クレインの前で膝をついて懺悔するかのように、謝罪の言葉を口にする。


 果たして、魔王の前で先祖や先人に謝罪する行為は正しいのだろうか。一瞬、脳裏を過ぎりはしたものの、一切思いつきもしなかった、とエルナは心の中で言い聞かせるように呟いた。


「うむ、その気持ちを忘れるでないぞ」

(心の底から殴りたい……)


 満足げに頷くクレインの前で、エルナは強く拳を握り締める。とは言え、本当に殴りつけるわけにもいかず、全力で左手で拳を押さえ込むのであった。



「あ……」


 人が暮らしているともあって手入れがされているのか、比較的明るい森の中。入って間もなく、エルナが驚いたかのような声を上げて足を止める。


 クレインは釣られて周囲を窺ってみるも、特別目を引く物は見つからず、不思議そうな顔をしてみせた。


「一体どうしたのだ?」

「いや……うん、ちょっと次の町は色々あってね」

「まさか何かしらの騒動を起こしたのではないだろうな?」

「どの口がそれを言うんだ……?」


 直接的でないにしろ、魔物との戦いに関して渦中の人物であるのには違いない。今のクレインの行動はただの観光とはいえ、とてもじゃないがその発言を言える立場ではない筈だ。だが、当の本人は随分と涼しい顔をしてこの発言である。


「それで? 迂回をするのだろうか?」

「いや、そういう事じゃないんだけども……うわぁ、ちょっと顔を合わせづらいなぁ」


 今までにはない渋り方をするエルナ。漏らした言葉から特定の人物との接触を嫌がっているのだろう。さりとて、拒絶というほどでもない上に、この進路を決めたのは本人である。


 ならば気にかける程でもないだろうと、クレインは溜息交じりに止まった足を動かすも、すぐさま隠れるように身をかがめた。


「エリーゼ、町までどれほどだ?」

「え? 半日もしないが」


 クレインに倣って身を低くし、クレインの傍に寄ったエルナが訳も分からず答える。クレインはそれを受けてしばらく何かを考え込むも、何かを納得したのか一人で頷いた。


「見逃すか」

「何がだよ……」

「あそこだ。立派な牡鹿がいるが、半日程度で着くのならば無理に殺生するのも忍びない」


 どの口が、と言いたくもあったが、こうして身を隠したのだ。無駄な事を喋るぐらいならば、魔王が立派だと口にした鹿を一目見ようと静かに頭を上げると、果たしてそこには牡鹿がいるではないか。


 だが、その角は雄々しいどころか、物々しい形をしている。寧ろ、角が前面へと突き出ており、暢気に立派だなどと言えるものではないのだ。


「……魔物じゃないか」

「あれも魔物なのか……のんびりしているから、ああいった角を持つ種類の鹿なのだとばかり思ったぞ」

「いや、攻撃的過ぎるだろ……」


 特に獲物を探したり狙う様子もない牡鹿は気ままに森の中を進んでいく。やがてその姿が木々に遮られていくと、二人はゆっくりと立ち上がった。


「まさか動物は全て魔物化したとか言わんだろうな」

「何言ってんだよ。今までいくらだって普通の動物を見てきただろ……。まあ、魔物がいるから彼らも隠れて暮らしているっていのもあるけどもさ。ていうか無関心過ぎないか?」

「何がだ?」

「魔物についてだよ」

「一から十まで、全てをこなしている訳ではない。完全に私の管轄外なのだから仕方がないだろう」


 そういうものなのだろうか?


 実際のところ、この眼前にいる真なる魔王の職務というのはよく分かっていない。魔王城で何かをしていないといけないらしい事は、言葉の端々で知っている程度である。ともすればこの言い分が正しいのか、その判断にすら困るというもの。


「初めはもっと野生動物っぽい姿をしているって話だけど、何代か交配が進むとどんどん、怪物っぽくなるらしい。さっきの鹿の魔物とか分かり易い例だろ。ああなっちゃうともう鹿型ってだけで、完全に魔物扱いだよ」

「なるほど……だからあの犬だか狼だかの肉も平気で食ったのか」

「え……? ああ、そういう事か」


 クレインの言葉にエルナはしばし考え込んで、ようやく答えを見つけ出した。彼女にとって、あれは魔物であって犬や狼ではない、という認識なのだ。でなければ、とてもじゃないが、あれらを口にする事はできなかっただろう。


「あたし達は普通にそういう感覚だからなぁ。ていうか、この感覚がなかったら絶対に食べたりできない。町で見てるだろうけど、一般的に犬はペットだからな。そりゃあ魔物がいなければ、野犬や狼に襲われるって話は珍しくないらしいけども」

「暗に私が野蛮人と貶められているような。私とてそうだぞ。犬も狼も可愛いものだ」

「いやだから狼は……ていうか、ノリノリで食べるつもりだったじゃん」

「殺す以上は食ってやるべきであろう」


 その価値観で言えば、魔物によって命を落とした人間はどういう扱いなのだろうか。恐らく、考えるまでもない。襲った魔物が獲得した物として、極々自然に近い扱いを受ける。正しくその価値観通りだ。


 エルナが青い顔をしてクレインから距離を取るも、本人は魔物の去った方角を静かに見つめていた。そして、心ここにあらずといった様子でぽつりぽつりと、独り言のように呟く。


「生きる為に殺し、食う。そうして命を繋いできた。生活が変わろうと、見方は変わらん」

「……生きる為」


 魔王、ではなくクレイン・エンダー。その者の事については驚くほどに語ろうとしない。エルナ自身、問い掛けもしていないのだが、魔王として話していいのか、と思える内容を気兼ねなく口にする割に、己の過去を語るのは稀なのだ。


 そしてその内容は、魔王というイメージからあまりにもかけ離れた、もしかしたら対極ほどの位置にありそうなものが殆どである。


「お前って本当によく分からない奴だな」

「ほほう、もっと褒めるがいい」

「どうしたら褒め言葉に聞こえるんだ?!」

「……要約するとだな、『お前ほど奇異で出鱈目だが、簡単に予測できる者はいない』というのが私の対する普遍的な見解だそうだ……」

「あ、やっぱそういう扱いなのか」


 エルナの心の底で思っていた事。魔王の言動は果たしてこの場限定のものなのか。もしこれが平時でも行っていたとして、果たして周りの反応はどういったものなのだろうか。


 きっと知りようもない事なのだろう、と結論を諦めていたエルナに『自分と大して変わらない感想』という答えが舞い降りたのだった。果たしてそれを喜んでいいのかは分からないものの、一先ず側近であるという自分よりも年下の風貌の彼に同情する。


「因みに、よく分からないはその奇異で出鱈目という点であって、あたしでもある程度予測できるからな?」

「……そうか」


 エルナが敢えて補足をすると、僅かながらも浮かれていたクレインの顔に陰がさした。この程度で落ち込む様を見せるのであれば、もう少し自身の言動を気にかければいいものを。と、エルナは決して助言はせずに、その様子を胸中で嘲り笑う。


 すると、突如ピィ、と笛の様な音が森に響いて草を揺らす音が迫ってくる。


「魔物……!?」

「待て、様子がおかしい」


 尚も音は近づいてくるも、クレインは剣の柄に手をかけたまま腰を低くして周囲の様子を窺う。


 剣を抜き放ち臨戦態勢に取るべきと思いつつも、クレインの雰囲気に呑まれ、エルナも同じようにその場に留まった。


 すると、二人の前に先ほどの鹿の姿をした魔物が飛び出してきたのだ。


「くっ!」


 魔王などに倣うべきではなかった、と後悔しながら剣を抜きながら、牡鹿へと一歩踏み込み横に薙ぐ。だが、突如二人に出くわした魔物は慌てふためいたように、その場に止まり、直角に曲がって去っていってしまったのだった。


 突撃を食らうものだと思っていたエルナの目測は大きく外れ、剣は盛大に宙を切り裂いた。魔王の目の前での失態に、耳まで赤くなっていくのがエルナ自身にも感じ取れる程である。


 だが、クレインは微動だにせず、魔物の姿を目で追うだけであった。


「あの魔物、腹に矢が刺さっていたな。仕留め損なったのだろうな」

「え? あ、じゃあさっきの声は」

「矢を射られて鳴いたのだろうな。しかし猟犬もなしに、あんな大物を狙うとはただの腕試しか考え足らずか……」


 ふむ、と一人考え始めるクレインを他所に、草を掻き分ける音がゆっくりと近づき、遂にその人物が姿を現したのだ。


 見れば薄汚れていて、ところどころ綻びが見受けられる服を着た小柄な少年であった。手には木製の弓を持っているのだが、中々に不恰好な弓で子供なりに考えて作られた事が窺える。


「あ……」

「あー……」


 少年が何かに気づいたかのように声を上げると、エルナは顔を引きつらせた。どうやら出会いたくなかった人物のようである。


 町に着く前に、それもまだ距離がある上に森の中での遭遇。確率で言えば随分と低いものだろう。


「……運が良いな」


 同情を含めてまでかけられた皮肉であったが、エルナの耳には届いておらず、時が止まったかのように、酷い顔でその場に呆然するのであった。

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