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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
一章 出会う者
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十九話 荒廃

「またとやかく言われたくはないから先に言っておく。次に行く所はお前達の所為だ」


 風の国の魔法都市を出て二週間ほどが過ぎた頃だろうか。満点の星の下、山の中で夜を過ごしている時に、エルナは冷たい視線を向けてそう切り出すのだった。


 次の町は石の国に属する町である。


 風の国では自然も多く、山の殆どが緑に覆われているのに対して、石の国は土地が痩せていて大半は石材に頼った生活をしている。領土こそ広いものの、その殆どはそういった土地柄で、銅の国と同じような環境である。


 最も、採れる物の違いから銅の国とは比べようのない貧しい国で、様々な事が不足している環境下にある。


 軍事力も足りないものの一つであり、他に類を見ないほどの魔物の被害に悩まされているのだ。町が魔物によって滅ぼされるなど早々ありえない事なのだが、こと石の国に関しては切迫した問題となっている。


「なるほどな」

「……それだけか」

「どのような言葉を言って欲しいのだ? 改心か? 懺悔か?」

「……」

「仮に口にしたとして、そこには意味などありはしない。そうは思わんか?」

「ああ、そうだな。分かっているつもりだが……どうしても言わずにはいられなかった」


 ただ責めるだけの視線が不意に和らいだ。しかしそれでも、クレインを見据える事だけはやめなかった。


「……あたしは、どうしてもお前を憎まずにはいられないよ。お前がもっと、嫌な奴なら心から憎めただろうに……」


 取り繕いもしないエルナの言葉。飾り立てる事も何もない純粋な気持ち。打算も何もなく、利害を度外視した行動である。


「面と向かって言われるのは初めてだな。よいのか? 隙あらば、という気持ちであったのだろう?」

「……やっぱり気づかれてたか」

「時折、驚くほどに分かりやすい殺気を放っておいて、気づいていないとでも思っていたか? 大体、立場からして恨まれていないなど、毛頭思ってなどいない」

「やっぱり、お前はよく分からない奴だな……」


 力なく笑うエルナの姿は、まるで夢破れた者の悲壮感を漂わせている。だが、クレインにはどこか、僅かであるものの憑き物が落ちた印象を抱かせるのだった。


「それで、エルナはどのようにして私を討ち取るつもりだ?」

「別の方法を考える。隙があろうとなかろうと、お前に剣を向けても意味がないって悟ったよ」


 これまでの道中、クレインは僅かな魔物気配にも即座に反応しているのだ。それは仮眠中だろうと何だろうと決して変わらず、もはや条件反射のようなものにも見えるほどであった。


 悟るというよりは、諦めがついたと言うべきなのかもしれない。


「何にせよ、これでようやく安心して眠れるわけだ」

「よく言うよ。あたしなんて大した脅威だと思ってもいないくせに」


 ぶつくさと一通りの文句を言うとエルナは横になって、クレインに背を向けた。クレインのそうした能力もあって、火の番もそこそこにエルナが一晩中眠る事も珍しくなくなっている。クレインと行動を共にするまでの旅では到底ありえない話だ。


「……おやすみ」

「ああ、おやすみ」


 言いそびれたのが気まずいらしく、エルナは少しだけクレインの方を向いて呟くと、もぞもぞとまた背を向けた。


 それからしばらくすると、静かな寝息が聞こえてくる。


 僅かに聞こえる虫の音、微かな風にささやく草の声。焚き火に照らされる僅かな空間の中で、静かに聞き入っているかのようにクレインは目を瞑って微動だにしない。


 30分ほどずっとそのままだっただろうか。不意にゆっくりと目を開けると、上空を見上げ始める。


 すると星空より木々の合間を抜けて、一羽の黒い鳥がクレインの傍に降り立つのだった。


「……やっと来たか」


 一度、羽を大きく広げると静かにたたみ、クレインの顔を見上げる。嘴の細いカラスのようだが、顔には焚き火の光を反射させる光沢が三つ。額にも目がある鳥であった。


 クレインは静かにそれでいて手馴れた手つきで鳥を撫で回す。それが気持ちいいのか、三つ目のカラスはねだる様に頭を近づけてくるので、より一層こねくり回す様に撫でるのだった。


「さて……」


 一頻り満足したのか、カラスが少しばかり身を引くと、クレインは鳥の足にくくられている物を外し、中身を広げていく。幾つかの紙と小さな宝石が入っていたようで、手紙と支給物といったところなのだろうか。


 一通り読み終わると紙は焚き火にくべ、駄賃だと言わんばかりに干し肉をカラスへと差し出した。


 まるでそうある事が当然のように、カラスは肉を口にするとぱっと飛び立っていった。


「あ、まだ返信を……まあいいか」


 とうに姿が見えない使いの方を向いて、気の呆けた声を上げる。しばらくぼーっとそのままでいたかと思うと、そろりと動いてエルナの荷物を漁りだす。目当ての物が見つかったのか、引き抜く手には地図が握られていた。


(場所はこの辺りか……だとすると、もう港に寄る事はないかもしれないな)


 チラリと横目にエルナの姿を見る。規則正しい寝息と肩の揺れが続くのを見て軽く目を伏せた。


(そもそもの可能性は低いだろうが、事が終わるまでの辛抱と思ってもらうしかないな)


 手早く荷物を片付けると、クレインも横になって星空を見上げる。


 輝く空。静かな寝息と微かな虫の音。ささやく草の声に焚き火の爆ぜる音。


 旅に出てから幾度となく触れてきたその世界の中で、クレインはしばらくの間、静かな時間を味わってからゆっくりと瞼を閉じていった。



 五日も経った頃だろうか随分と荒地が目立つ景色が広がってくる中、建物が集まる場所が見えてくる。


 森の廃墟に比べれば十分に家としての機能はあるようだが、それでも損傷が多く見てとれる。


 だが、驚くべき事にそこにはまだ人々が住んでいるのだった。


 貧しさが故に他に行くあてもなく、特に他国の人々にとって石の国の人々というのは、蔑む対象とする事が珍しくない。国外に逃げるという手段も難しいのである。


 実りは少なく、この辺りはまだ石材も多くは採れない地域。石の国の中でも力のない者達が追いやられる町の一つで、魔物の襲撃がなかったとしても常に苦しい生活を余儀なくされている。ここはそういった場所なのだ。


「物資の補給はおろか、宿も望めんだろう。敢えて、か?」

「敢えてこの町を避けるのなら大きく迂回する事になる。それだけだ」


 細々と命を繋ぐ人々は二人の旅人に関心一つ示さず、まるでそこに人がいないかのように日々の仕事に取り組んでいる。旅人や行商が来ようと施しがあるわけでもなく、誰も何も期待していない。更に言えば町人として世話をしたところで足元を見られ、貰える物もろくにないのである。


「本当に通過するだけか」


 町の中を真っ直ぐと進んでいくエルナの背に、クレインは声をかけた。まともな建物は全て素通りし、既に意味を成していない町と外の境界線である柵のところまで来ているのだ。


 だが、エルナは少しだけクレインを見ると、無言のまま先を歩いていく。


 クレインは一度、背後の町の様子を記憶に焼き付けるかのようにしばし眺めると、すぐにその後を追うのだった。



「あのまま、あそこで寝泊りしても盗難被害を受けるだけだ」


 クレインが追いついても無言であったエルナが、不意に口を開いて先の質問に答える。


「流石に襲い掛かってはこないけどな。以前は貧しくてもそんな事をする所ではないと聞いている」


 エルナが足を止めて振り返る。今までの様な露骨な非難も憎しみもなく、何かを問いかけるような眼差しをしていた。


「……お前は、何も思わないのか?」

「強者がいて弱者がいるのであれば、さして珍しい事ではないだろう」

「……そうか」


 力なくそう呟くと、エルナは再びクレインに背を向けて歩き始める。だが、クレインは後に続かず、その背を眺めていた。


 そして、随分と遠ざかった頃になるとようやく歩き始め、節目がちに誰にともなく呟くのだった。


「珍しい事ではない……我ながら、反吐の出る台詞だな」

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