十八話 由来
町に到着して二日目。クレインとエルナは宿に篭りきって、目の前に積んである数冊の本をのんびりと読んでいるのだった。
エルナは昨日、途中となっている魔法関連の本を。そして、クレインは南の大陸の歴史等の本を開いている。昨日の夕方に本を借りて以降、二人して大した会話もなく、延々と自分だけの世界に浸っているのだった。
今日も食事の時だけまともに会話があるのかと思われたが、日が沈み始める頃になるとクレインが本から顔を上げたのだった。
「エルナもこういった本は読んでおくべきではないか? せめて自国の事ぐらい知っておいたらどうだ?」
以前の事もあってか、雲の国に関する本を掲げるように見せてきた。
だが、エルナは本から顔も上げずにうーん、と唸ると、明るい声が返ってきた。
「読んだ内容を簡単に教えて」
「……」
流石のクレインも思わぬ返答に眉をハの字に曲げて呆れ果てる。そんな空気を感じたのか、エルナは本を閉じて愛想笑いをしながら取り繕う。
「あーえーとさ、ほら、国の名前とかどうなったかなー……なんて」
「誤魔化すにしてももう少しあるだろう。そもそも誤魔化しきれるものでもないのだが……」
軽く溜息をつくとクレインは本を置くと座り直した。何だかんだ言っても、話をするつもりのようだ。
「盾、雲、風、泉、塀。この五カ国は伝承がある国で、名前はそれに因んだものだ。銅の国はあの時の商人の話の通りで、石の国は石材が多い土地で彼らの生活が石材と密接したものだから、だそうだ。ある意味、銅の国と同じ傾向だな」
「伝承……」
「自国だろう。有名ではないのか?」
「多分、ちょっとだけ聞いたことがあるけども、御伽噺だろ? って感じで」
「それはまあ……気持ちは分かるが」
クレインが目にした話も、御伽噺として本になっていてもおかしくない内容だけにエルナに同調してしまう。その為に決まりが悪いのか、一度咳払いをするクレインは話を続けるのだった。
「南の大陸は大昔から各地で争いを続けていたらしい。その当時は国もなく、村や町が単体の組織として成り立っていたのだろう。基本的にそれらを制定するというのが、五つの国の伝承だ」
「え? 何処も国の成り立ちの話なのか?」
「そのようだな。というか……なんで私は人間に人間達の建国について説明しているのだろうか……」
今更気づいたのか、クレインが何処か遠くを見るように視線が宙に浮く。
しかし、エルナの興味は既にその話に移っているのか、自身の怠惰など物ともせずに続きを促されると、クレインは我を取り戻して語り始めた。
「制定者は一様に人ならざる存在であったようだ。盾の国は巨大な鎧姿の魔神、雲の国は嵐を呼ぶ龍、風の国は強大な怪鳥、泉の国は水を操る龍、塀の国は岩石の巨人」
「あたしのところ、龍の国だったのかぁ」
「彼らは人間を纏め上げ、一つの国として協力し合い生きていく事を誓わせた。そして、自らが信頼できるとした者を長として任命すると、何処かへと消えていった。そうだ」
「あ、別に陛下が龍の血筋とかじゃないんだ……」
露骨に残念がるエルナ。自分の知る人物が実は人外の力を有しているのかもしれない、という儚い期待はごくごく短時間で砕け散ったようだ。
「……ああ、一つだけ訂正だ。塀の国の巨人は最後まで国に留まったそうだ。というよりも、隣国となった盾の国からの攻撃を受けている中、国として立ち上がろうとしていたようだ」
「でも、盾の国は今でも健在だよな。その時の魔神はどうしたんだろ? どういう結末だったんだ?」
「魔神が去った後のようだな。大反撃を行うための時間を稼ぐべく、その巨人が盾となったそうだ。結果、反撃には成功し、盾の国を撃退し無事、一つの国として制定された。だが、巨人はその時の戦いで息絶え、今でもその骸があるというが……」
「ああ、大壁の事か。そういう伝承だったんだな、あれ」
「観光地化しているのか?」
「大きな壁の名残、かな。かなり風化しているし、壁っぽい岩って言われても信じるような代物だ」
塀の国にある大壁と呼ばれるものは、王都の東に位置しており南北に伸びている巨大な岩のような壁の事である。誰が運んできたのか、何の為のものか等、詳しい史料が残っておらず、長らく議論され続けているものであった。
「確かに塀と盾を遮るような伸び方をしているし、伝説の一部は本当なんだろうって話は聞いた事があるけども……なるほどなぁ」
「それは知っているのに伝承の中身は全く知らないのか……」
「いやぁ、ほらさっきも言ったけど、御伽噺だろって先入観があったというか」
「私からしたら、気持ちは分かるが無碍にするのは理解できんな。伝承というのは何かの事実を元に作られている事が多い。史実を示すものが逸失していたとしても、伝承を知るという事は過去を知る事でもあるのだぞ」
くどくどと小言のような説教が始まる。
魔王にこのような事を言われるなど、心底不愉快なものだが、図星が故に言いのける事ができないエルナ。ようやく口を開いたものの、搾り出せたのは苦し紛れの言葉であった。
「くそ、インテリ志向め……割と知識に穴がある癖に」
「その手の専門を目指している訳ではないからな」
「……その開き直りはもう矛盾じゃないか?」
胸を張らんばかりのクレインの主張。史実や過去と大仰ではあるが間違った事を言っていないものの、クレイン本人の性質としては興味のあるものは調べる。ただそれに尽きるのだった。
広く興味を持つ事は大切な事だろう。だが、興味本位のみでより深く突き詰める気のないクレインが説き伏せようとしているのだから、中々身勝手な話である。
「大体、過去って言ったってなぁ。幾らなんでも龍やら魔神やら唐突過ぎて、全部作り話と思ったって仕方がないだろ。そういう存在自体、話としてはメジャーじゃ……」
「どうした?」
「あ……いや」
何とか言い訳をと考えていたエルナの思考が不意に止まる。
彼女の言葉通り、これらの話に出てくるような種類の異形の存在は珍しいのである。もっと龍などの伝説が根付いていたりするのならば、すんなりとそういうものだと納得していたのだろう。
(明からにおかしいよな……大体魔神なんて太古の扱いの神話にしか出てこないだろ。なんで国の生い立ちなんかに関わってくるんだ? あたしが知らないだけか?)
仮に考えどおり、おかしいのだとしたら一体なんでだろうか。エルナの視線が自然とクレインに向けられていく。
「なあ、お前のところにはこの魔神とかの話とかってあるものなのか?」
「伝承に登場する存在か?」
エルナは軽く首肯して返す。だが、その目は肉食獣や猛禽類の如く、些細な動きも見逃さない鋭さをもって、魔王を捉えているのだった。
一方、クレインはエルナの様子に気づく事もなく、僅かの間を作る。しばし、考え込んだ後、ゆっくりとした口調で答えを返した。
「確かにあるにはあるのだが、私の感覚で言えば話の数も多く、稀ではないが有名と呼べる程でもない。といったところだな」
「珍しくはない、か……」
エルナはクレインから視線を逸らすと、ベッドに身を投げ出した。
(魔神とかって言っているのに、わざわざ確認してきた。それにその後の間、少し視線が泳いだな……思い出そうとした、と言われるだろうし直前の発言がなかったら信じるだろう。だけど……)
今し方の僅かな間で感じた事を整理していく。触れてしまった違和感に、必ず何かが隠されているのだろう。それが自身の為になるかならないかは別に、突き止める意味はあるはずだ、とエルナは熟考をするのだった。
エルナから見た魔王クレイン・エンダーという男は、発言に迷いがなく遠慮もない事が多い。だがそれは絶対ではない。言いよどんだり言葉を濁す事もある。そして、そういう時はよく考えてから物を言うのだ。
(知られたくない事だったからか? ならわざわざ話したのは……気づかないと思ったか? 割とマヌケだから否定できないな)
もっと以前ならば裏の裏まで考えて、思考の坩堝に落ちていたのだろう。今でもエルナのイメージする魔王像がちらつく事もあるが、それでもより明確にクレインを捉える事ができている。
(隠したかったとしたら何故? あまりにも異形の存在だ。北の大陸の存在だったとしても、別におかしい事ではないはず。むしろ言われたら真意はどうあれ、存在としては疑わずに納得するだろう。だとしたら隠したいのはその事実ではなくその先か……?)
エルナははっとすると、クレインが視界に入るように寝返りを打つ。既に本を開いてそこへ視線を落とす様子に、焦りや秘め事は感じられなかった。
(まさか、元から南の大陸は魔王に手にあった? 何かの理由があって北の大陸に渡り……なら力づくで奪いにくる理由は? 当時の人々が奪ったというのか?)
執拗に何度も現われる侵略者。辻褄が合わなくもないものの、その割には攻勢が弱くも感じる。
(まだ、南の土地がなくてはならない、という訳ではないからか? だから代理魔王を送るだけで、奪えたらラッキーとかか? ……あたしは何をバカな事を考えて)
だとしたら、魔王という存在は悪戯に被害は出しているものの、真に悪であるとは言えなくなる。それは先日の考えが霞むほどに魔王側に味方する考えである。
だが、肯定も否定もできない。魔王の善悪を断言できる根拠が何処にもないのだ。
エルナは起き上がると、ベッドの上で座り直した。その視線はクレインが借りてきた本に留まっている。
「なあ、あたしもそれを読んでもいいか?」
「構わないが、どういう心境の変化だ?」
「まあ、思うところがあるっていうかね」
クレインが差し出した本は雲の国にまつわるものだった。読み始めるのならば自国の方がいい、というクレインの計らないなのだろう。
受け取った本を開く。普段のエルナならば、数ページといかずに眠りに落ちそうな内容である。魔法に関する本を読み漁っているものの、特別本が好きという訳でもなく、苦手なものは相応に苦手なのだ。
(見え方が違ったとしても、同じ景色すら見ていないんじゃ話にすらならないしな)
頭を振って眠い目を見開き本に齧りつく。
例えこの先に真実を見出す事ができなかったとしても、知ろうとする行動は決して無意味ではない。そう胸中で呟き、眠い目を擦りながらもまた1ページを捲るのだった。




