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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
一章 出会う者
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一話 旅路

 魔王という者は、凶悪にして冷酷。自らは動く事なく、その身から放たれる魔力にて、動植物を変貌させて人々に襲い掛からせる。そして、打ち倒したとしても、200年ほど後にまた蘇る。そのような恐ろしい存在であるのだ。


 魔王が復活してから早四年。人々が追い詰められる状況までいかずとも、僻地の村や規模の小さい町の一部では、地図から消えたところも少なくなかった。


 各国は討伐部隊や、少数精鋭の暗殺部隊を送り出すも、期待された結果には到らなかった。また、軍属でない者の中には、有志による討伐部隊も結成されてはいるものの、こちらも芳しくない状況が続いている。



 そして、鎧姿で大海原を見つめるこの女性もまた、有志の一人である。薄めのプレートメイルを着込み、足から腿まで一体型のグリーブ、腕にはガントレットと見るからに最前線で戦う者の出で立ち。潮風に赤みがかったセミショートを揺らし、エルナ・フェッセルは睨みつけるようにその果てを見つめ続けていた。


 彼女の祖父は若い頃、それなりに名を馳せた魔法使いであり、その息子である彼女の父は剣の使い手として有名であった。両者共に兵士ではないものの、軍からは指南役として協力を求められる事も少なくない。


 そんな彼女の父親は魔王が蘇って間もなく、率先して魔王討伐に向かうも、遺体の一部だけが二年前に帰ってきたのだった。


 父と祖父から鍛えられていた事もあり、エルナは父の志を継ぐ事を決意し、殆ど形式上でしかなかったが、国から勇者の称号を得て、旧知の中である者達と旅に出た。


 エルナと共に剣の稽古をしたレオン・ヘッザ。そして教会でシスターをしており、治癒魔法を得意とするルーテ・クーナイツ。


 三名の旅は多少の障害や苦難はあったものの、比較的順風満帆の旅であった。ただそれも、しばらく前までの話である。


 それなりの距離を旅をしたにも関わらず、三人は魔王を見つける事ができなかったのだ。過去にも幾度となく現われ、どこぞの城にいる。と、そこまでは分かっているのに、その詳細を知る事ができずにいるのだ。過去の記録には場所こそ不明確であるが、この魔王探しの苦労は必ず記載されている。


 そこでエルナは、魔王とは常に別の場所で現われるものであり、今回は別の大陸にいるのでは、という考えに到る。


 古い史料によれば、間違いなく北にも大陸があるのだというのだ。ただ、沖には巨大な生物がおり、それらを見て帰ってこれた者すら長らく存在していない。おかげで、大陸の存在は確かなものの、御伽噺の類の扱いを受けているのだ。


 その上での判断であり、当然ながらレオンとルーテからは猛反対を受けている。何より、北の大陸に行くという者に、同行するどころか船を貸す者すらいない始末だ。帰ってこないと同義なのだから仕方のない話である。


 だが、幸か不幸かそんな彼女に、小さいながらも船を提供するという者が現われたのだ。古くてもう使う事もなく、浜の近くで漁をするような船だ。見方を変えれば帆を持った大きなボートとも言える。とてもじゃないが、これで大海原に出ようなど酔狂もいいところ。


 しかし、悲惨な光景を目の当たりにしてきたエルナは、打倒魔王の意思があまりにも強くなっていた。そんな彼女にとって、これはただの『ある一つの困難』程度にしか見えておらず、不可能な事柄という認識は微塵もなかったのだ。


 そもそもにして、この大航海に関して二人との対立の深さも、彼女の心境の変化が大きな一因となっているのだ。


 二人からしてみたら、彼女の変化を知っていたとは言え、真っ向からの対立には青天の霹靂であった事だろう。困惑しながらも、思い留まるよう必死に説得する二人。船を手に入れてから続く事数日が経つが、エルナが考えを改める事はなかった。


 それどころか、エルナは見つからないように出航の準備を行ってきたのだ。そしてまだ日も昇らない今、彼女にとって新しくも、大きな旅立ちとなる。


(順調に行けば五日ほど。この時期、この空具合なら数日は天候もいいはず。食料も十日はある)


 船に積んだ食料を見ながら、エルナは今一度、この旅について考える。


(最大の問題は海にいると言われる怪獣だ。けど、彼らとて大陸間の番人というものでもないはず。こんな小型の船ならば、逆に見過ごすんじゃないか?)


 第三者が見れば完全にただの楽観視である。だが、二人が船を壊してでも、自分を止める可能性があっては、焦らずにいられなかった。それ故の判断、というよりも自分に言い聞かせ、この頼りないながらも訪れた好機を逃すまいとしている。


(大丈夫。ここまで来れたんだ。この程度、乗り越えられる)


 一度、まだ二人が寝ているであろう宿の方角を見やる。流石に無言で出て行くのは気が引けた為に、書置きを残してきた。何より、形だけの称号とは言え、急に失踪となれば、少なからず問題にもなる。


 特にエルナは『勇者』の中で、期待されているところがあるのだ。討伐に向けた行動と、旅を続けている長さを見れば、その称号に相応しい者の一人と言える。ただ皮肉な事に、これもまた彼女の変化の一因となっているのだった。


 エルナは一度、自覚するほどの重さを覚える双肩を、ほぐすように回してから船に乗り込んだ。教わった船の操縦を再度頭の中で確認しながら帆を広げ、ゆっくりと離れる陸地を見やる。


「ごめん。でも絶対に、生きて帰ってくるから」


 強い覚悟が瞳に宿る。


「必ず魔王を倒すから」



 大海原へと旅立ってから8日目の夜。良天候に恵まれ、何かに襲われる事もない中、エルナはようやく大地に足をつけたのだ。


 まるで何ヶ月と地上にいなかったかのような感覚。この時、思わず咽び泣くほどに心細い旅であった。幾度、この判断を後悔したか。それでもエルナは、その度に胸に抱いた決意を滾らせ、己を奮い立たせた。


「まだだ……まだこれからなんだ」


 一頻り泣いた後、ガントレットを外した手で力強く涙を拭う。


 最後に人が訪れて何百年、あるいは何千年。永い時を越えて、新たに海を踏破して降り立ったという感動もなく、ここから手探りになる不安を抱えつつも、エルナは顔を上げて広がる草原を見据えた。


(それにしても、豊かそうな土地だ)


 満ち始めて膨らみかけた三日月が辺りを照らしている。小波のように揺れる草原に茂る木々。流れる小川の果てに広がる山々。目に映る風景は平和そのものではないだろうか。魔王がいるであろう土地が何故、とも思ったが、ここは食料の確保のしやすさをありがたく感じるに留めようと考えた。


(情報収集をする術はない。ひたすら、魔王城を探さないと)


 敵地のど真ん中で一切の後ろ盾のない中、エルナは歩き出した。


 時にはひたすら食べられる物を探して彷徨い、冷える晩は焚き火の前で、マントに包まり耐え凌ぎ、悪天候に阻まれ、何者か達の居住地が見えれば慌てて離れる。



 上陸してからどれほど時間が経っただろうか。十日ぐらいか? と頼りない記憶を元に、エルナは指折り数えてみた。


 今、彼女の視線の先には、大きな外壁に包まれた都市らしきものがある。奥の方ではあるが、壁越しに大きな城が見えているのだ。


 酷い疲弊と万感の思いが駆け巡る。だが、今の状況から万全を期すのは不可能である。何とか食いつないでここまで来たのだ。既にジリ貧の状態で、これ以上長引かせるわけにはいかなかった。


「無茶、だな」


 思わず声が漏れるも、退く事などできない。草木が茂る場所を探し、そこに身を隠した。


(このまま夜まで休もう)


 残りの食料を口にし、体を横たえる。頬を撫でる風が心地いい。あとはただ戦うだけという事に、エルナの心はどこかで安堵してしまった。眼前の場所に、本当に魔王がいる確証はないのだが、今の彼女にはそこまで考える余裕もないのだ。


 そして、一度でも安堵してしまった彼女が、意識をすとんと闇の底に落とすのに、それほど時間を必要としなかった。



 大きな門の前に二人の兵士が立っている。パチパチと、時折爆ぜる篝火に照らされる顔は、眠たそうに大きな欠伸をしてみせた。


「暇だな」

「暇っすね」


 夜の門番勤務ほど暇な仕事はない。それが兵士達の専らの意見である。夜盗等による襲撃が起こっていた時代が、一体いつの話なのだろう。今やそんな時代となったが為に、この仕事の形骸化はゆくところまできたのである。せめて日中の勤務であれば、様々な人の往来もあるのだが、満月が頭上で輝くこの時間ともなると、ただ起きて立っている事が仕事のようなものだ。


 だが、今日だけは違った。


「うん? おい、あれ」

「なんっすか? へえ、珍しい。こんな時間に人っすね」


 月夜の草原に人の姿。中々見られるものではない。片方の兵士は見とれているが、先輩らしき兵士は体を強張らせた。


 徐々に近づく人影。月明かりの助けもあり、段々とその様子が見えてくる。


 いたる所が汚れており、とてもじゃないが、全うな旅でなかったのを疑う余地がなかった。


「入国を希望されますか?」


 緊張を解かずに、兵士は鎧姿の旅人に声をかけると、旅人の表情は少し歪んだ様に見えた。少し間があって、旅人の口が動く。


「……ここに、魔王はいるのか?」

「え、女の子っすか」


 やや小柄な男だとばかり思っていた、片割れののんびりとした兵士が素直な思いを口にした。そんな言動に、もう片方の兵士の眉間に皺が寄る。


「現在の所在までは分からないが、魔王様は城にいらっしゃるぞ」


 敬語も消えて、明らかな警戒の色を強める兵士に、もう片方の兵士も事態を察して身構えた。ここに魔王がいるか。そんな当たり前の事を聞くのもおかしいが、ただの旅人が何故それを確かめる必要があるのか。


 火急の用事なら取り次げばいい。もしそうでないのなら、ここで排除せねばならない。兵士は一度、槍を握り直した。


 旅人は旅人で、一瞬の迷いを見せるが、すぐに頭を軽く振ってみせた。それは何かの覚悟のようにも見える。


「お前は何者だ」


 兵士の問いに、旅人は一度大きく深呼吸をしてみせる。そして駆け出しながら、剣を抜き放った。


「勇者だ!」

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