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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
一章 出会う者
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十六話 爪痕

 ようやく川が落ち着きを見せたところで、二人は六日ぶりにもなる旅を再開した。だが、足止めによる予定外の出費は大きな痛手であり、このまま対策を講じないという訳にもいかなかったのだ。


 元々は近くの森を通り過ぎるルートであったものの、何としてでも金策をするべく、二人は森の奥へと進む事にした為に、今は大きな回り道をしている途中である。薬草採取ももっと先で行う予定だったのだが、回数を増やしてより高価なものを選別する方針に切り替えたのだった。


「思いの他、鬱蒼としているのだな」


 クレインは周囲の植物を見極めながら、しっかりとした足取りで進む。人が頻繁に行き来していたのも昔なのか、整備された道も草に埋もれており二人は獣道を歩いている。ところどころに木の根が張り出し、森や山歩きに不慣れな者ならば苦労するだろう。


 僅かに知れたクレインの幼少時代を思えばこそ、常に危なげない彼の足取りにも納得がいくというものだ。


 その背を見ながら、複雑そうな顔をするのはエルナである。結局、あの話について言及する事ができずに終わり、未だにもやもやとしたものを抱えているのだった。


「……? 聞いているのか?」

「え? あ、ああ……ここはもう、行き来はあっても人の手が入らないところだからなぁ」


 エルナの手の中には一つの形がある。ただそれを認めてもいいものか、その決断ができずにいる。否、否定したいのだ。


 少なくとも、この魔王は嘘を言わない。煙に巻いたりして明言しないが、今までの言動で判断できる範囲では欺こうとしなかったのだ。であれば、あの語らいで見せた姿もまた、偽りや演技ではないのだろう。


(だとしたら……)


 だとすれば、彼は彼なりの信念や正義の元に立っているのだろう。例えそれが南の大陸の侵略に対し、如何なる卑劣な行為さえも行う覚悟だったとしても。人間の命を踏み躙り、尊厳を奪う行為をしようとも。


 そこには正義も悪もない。例えば国と国との戦争。当然、下卑た思惑もあるだろう。だが、戦場で戦う兵士達には、お国の為、仕える主の為、と己が貫く矜持や忠義、守るべき者を思い血を流す者もいる。その者達を白と黒で分ける事はできない。


 それを行えるとしたら、行う者の都合によるものかただの白痴なのだろう。最早、定めようとする行為そのものが、悪なのかもしれない。


 そして、その定められない位置に立っているのが、魔王クレイン・エンダーではないだろうかと。だがそれを認めるという事は、敵ではあるが悪ではないと認めるという事になる。まだ若いエルナには、一度は心を開きかけたとは言え、命の奪い合いをするべき敵を認めるような行為ができないのであった。


(落ち着け……。そんな事は関係ないんだ。例えこいつが多くのものを背負っていて、ただの殺意を振りまくだけの侵略者ではなかったとしても、進む道は変わらない。自らの務めを果たすだけだ)


 必死に思い出す。あの日の父の姿を。帰ってきた父の姿を。通り過ぎていった町を。救えなかった命を。守れなかった命を。あの日の決意を。


 だがそれでも、今までのように身体の芯から湧き出る力を感じ取れずにいた。


(弱くなったな……)


 エルナは今まで見えていた世界が、如何に狭いものかを思い知る。絶対の悪だから、根絶すべき相手だから、全ての元凶だから、多くの者の仇だから、と憎しみを礎にした使命感が揺らぐ。


 今まで見てきた世界が光り輝いている、とまでは言わない。だがそれでも、確かに光溢れていたのには違いない。それが今や虫食いとなり、そこから闇が溢れ出してエルナに纏わりつき、世界を染めていっているのだった。


「場所は悪いが今日はもうここで休むとしよう」

「え……?」

「え? ではない。そのような呆けた、本調子など冗談でも言えぬ状態で、今までのペースを維持して進めるわけがないだろう。あの雨でカビでも生えたか?」


 あれ以来、心ここにあらずといったエルナの様子に、クレインも気を揉んでいるのだ。とは言え、彼からして見れば何故そのような状態にあるのか、窺い知る事もできず、こうして気に掛けるのがやっとである。


「悪い……」

「謝るくらいなら早く元の調子に戻れ。こちらまで障る」

「うん……あと、ここよりもっと先の方がいい。この先には……」



 村まるまる一つの廃墟があった。15ほどの建物が建っており、中には家屋でも倉庫でもないものもあり、何らかの催しを行う為の建物を作る余裕があったのを窺わせる。規模や建物の作りから、果たしてこれを本当に村と言っていいのかは中々難しいところだ。


 人がいなくなって随分と時間が経っているのか草木は伸び放題となっており、当然ながら建物も相当に傷んでいるのが見て分かる。まだ中で休める程度にはしっかりいるが、果たしてあとどれだけの時を耐えられるのだろうか。


「これでも、ここ数日のエルナの様子には気にかけているつもりだ。それを差し引いても、恨まれている事も理解している。だが、このタイミングで意趣返しとは中々捻くれているな」

「え?」


 建物に触れてその損壊状況を見ながら、エルナに背を向けながらクレインは呟くように語り始めた。


 初めこそ意味が分からなかったエルナだが、わざわざ魔物による仕打ちを見せつけている、という事に気づいて慌てふためく。


「ま、待ってそういうつもりじゃ……!」

「だが、すまなかった。完全に早とちりだな」

「だから……え?」

「この損壊の仕方、魔物ではなく人によるものだな……」


 今、南の大陸に蔓延る魔物が出現する以前の、エルナが言葉を濁した争い。その象徴の一つがここにあるのだ。


「……う、うん、そうなんだ」

「しかしこれとて、そう最近のものではないだろう。それもこんな場所で……戦乱の世だったのか?」

「……似た様なものかな」


 僅かに困ったような曖昧な笑みで答えるエルナに、クレインはそうか、と一言呟くと今夜の寝床の確保へと動き出した。


 戦争に参加した、というよりかはただ単に戦火に巻きこまれた。そう表現するのが適している場所であった。ほぼ全ての家の壁には損傷が見られ穴が開いている家も少なくない。特に扉近辺の損傷が酷かった。恐らく、戦争をしている者達が現われて略奪に及んだのだろう。


 男達は抗い殺され、女子供や年よりは立て篭もる、あるいは皆立て篭もり防御に徹したのかもしれない。しかし結果は無残なものだったのだろう。


「ここが一番使えそうだな」


 比較的損壊が少なく扉が閉じていた事もあってか、内部の土などの汚れが少ないものの、棚以外の家具もない建物が見つかった。農具すら一本となかった事から、恐らく食料庫だったのかもしれない。


 確実に狙われるそこに逃げこんだ者もいなく、わざわざ無闇に建物を攻撃した者もいなかったのだろう。


「そういえば、ここを知っているという事は今までも利用していたのか?」

「うん、あたし達や冒険者の間では割と有名だ。銅の国から雲の国へショートカットするなら、大体はこの辺りを通るからね。しかも畑とかには野菜が自生しているから補給にもなるしね。まあ、当時残っていた野菜なんだろうけども」

「なるほどな」


 一角に設けられている井戸から水を汲みながら、クレインは2度3度と首肯をして納得してみせる。

 建物こそ難はあるものの、いざとなったら暮らす事もできる環境なのだ。旅をする者にとっては有り難い場所だろう。


 人心地つくとクレインは薬草採取に、エルナは野営準備にと分かれて行動をし始める。元々人の住処というだけあって環境が整ってはいるものの、鬱蒼とした森の中という事実が、クレインの前に立ちはだかるのだった。


(参ったな……)


 廃墟の姿が完全に木々で遮られるぐらいの距離を離れると、クレインは取り分け太い木の根元に腰を下ろした。満足に日差しが射さない足元は、さして大きくない草とコケ類ばかりが広がっている。


(予想はしていたが、知っている範囲の植物は生えていないな。せめてもう少し日の当たる場所を探さないと……この森にあるのか?)


 地表まで日が射さないような森ともなると、そこで取れる薬ともなれば樹木やコケ、あるいは菌糸類によるものが多くなる。だが、クレインの知識はと言えば、野草にあたるものの方が圧倒的に多いのだった。


(ここら辺の草に特別な薬効があるとは聞かないし、樹木で薬になるものは詳しくないし)


 地面に落ちている葉を手に取り、まじまじと観察をし始める。今腰を下ろしている木のものなのだろう。


(そういえばこの葉は……)


 やや細長い楕円形の葉ではっきりとした葉脈が隅々に行き渡っている。そして葉の縁はギザギザとしておらず滑らかだ。


 クレインは脳裏に僅かに引っかかるものを感じ、記憶を手繰り寄せていく。


(確か、樹皮が薬にもスパイスにもなったというが……これが本当にそうか?)


 ザラリとした表面ではあるものの、ヒビ割れた種類でない樹皮に金属製の短剣を当てて僅かに剥がす。少量とは言え、綺麗に剥げたそれを口に含み、ゆっくりと噛み締めると独特な甘みとその香りが突き抜ける。


(多分これか、あるいはその亜種か。どちれにしても毒を持つ別種というものでもなさそうだし、少しばかり持っていくか)


 できるだけコケの少ない幹を探し、当たりをつけて樹皮を剥いでいく。あまり慣れない作業ではあったものの、クレインのこれまでの経験が手伝ってか難航することなく、無事に剥がす事ができた。


(これを乾燥させるだけでいいのだから、楽と言えば楽だが……人間側でも十分使われていそうなものだ。あまり値は期待できない、か)


 樹皮を回収しながら辺りを窺うも、他に使えそうな物も見分けがつかず、そこから更に森の奥へと進んでいく。だが、結局知っている植物を見つけられず、クレインは溜息交じりに廃墟へと帰っていくのだった。


「なんだそれ、木の皮か?」

「その通りだ」

「へえ……そんなものも薬になるのか。凄いものなのか?」

「……」

「おーい?」

「下手したら買い叩かれる」

「えー……」


 吹っ切れたのか何なのか、明らかに不満げにむくれるエルナに、クレインは言い訳一つせずに黙々と炊事に移る。


 道中で倒した蛇の魔物の肉を一口大に切り、廃墟で取れた野菜と一緒に鍋へと投入する。野草ならまだしも、道中で惜しみなく野菜を食べられる事はそう多くない。ここぞとばかりに、食い意地の張った料理となるのも仕方がないのだろう。



 本格的に暗くなってくる頃、焚き火の明かりに照らされる二人は、鍋の蓋を開けてその香りを肺の隅々にまで行き渡らせた。


 器によそると、恒例となったそれをすべく、クレインは水筒右手に持つ。が、珍しく、すぐに音頭を取らずにそのままの体勢でしばしの間考える。


「……薬草採取の成功を願うと共に、エルナの体調の回復を祝って、乾杯っ」

「か、乾杯」


 心配をかけた事を気にしているのか、気恥ずかしいのか。それとも、それとはまた何かを抱えているのか、乾杯をするエルナは決してクレインと目を合わせようとはしなかった。


 しかし、そこに後ろ向きの様子がないのを見ると、クレインは満足そうに料理に口をつけるのだった。

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