十五話 余暇
一定のリズムで屋根を叩く雨音が続く。降り出した当初は豪雨の勢いをみせ、かれこれ数日の長雨となっている。その当初に比べれば随分と勢いが弱まったものだが、尚の事止む気配は感じられない。
クレインとエルナは、薬草の採取が見込める且つ図書館のある町への最短ルートを目指したのだが、各地へと続く中継地点となるこの宿屋に身を寄せる事になったのだった。
こうも降り続く中、無理をすれば体調に障る上に、食料も駄目にしてしまう。何よりこの先の川が氾濫しており、遠回りをして渡れるところを探すのでなければ大人しく待つ他ないのだった。
「今日も雨かぁ」
「止むのを待つしかないだろう。そうであっても、川が落ち着くまでは身動きがとれないだろう」
「そうなんだけどさぁ」
エルナは崩れ落ちるようにベッドに飛び込む。一日程度であればまだしも今日で三日目。ろくに娯楽もない環境で、かと言って剣の稽古ができるわけでもなく、ただただ暇を持て余しているのだった。
「なんかお話してよー」
「子供じゃあるまいに。だいたい、いきなり言われたところで特に思いつかんぞ」
「えー……うーん」
「自分で話題に悩むくらいなら言うでない」
クレインはクレインで調合の方を全て終わらせてしまい、手持ち無沙汰から昨日より宿屋にある本を読み漁っているのだった。
一度、エルナが面白いか聞いてみたところ、暇が潰れなくもない、という何とも微妙な答えが返ってきた。
「あ、そうだ。お前って真の姿があるじゃん? 鎧まで特注するほどって事は、その姿になる事は珍しくないのか?」
「翼があるからな。飛べるのは便利だ」
「それで海を越えようとか考えなかったのか?」
「ないな。そもそも、今回はエルナというきっかけがあったからであって、おいそれと長期間の不在が許されるものではない」
「あー……そんなもんか」
魔王という存在は傍若無人で全てを力で支配する。そのようなイメージがエルナの中にあった。しかし実際の魔王城周辺で生きる者達にはそんな様子もなく、国として組織されており、真の魔王とはそのトップでは、と考えに改めつつあるのだ。
時々見せる人間っぽい関心はそういう事なのかもしれない。そう考えると、色々と納得できる点も多い、とエルナは結論付ける。最も、真の魔王という存在はそういうものであるのでは、というだけでクレイン自身が相応しいかは別の問題である。
「昔は戦う為にこの姿になる事も少なくなかったがな」
「……武力鎮圧」
「人聞きの悪、い……」
「……? どうした?」
「……い、いや」
「え? まさかマジで鎮圧?」
「若干違うが、間違ってはいない事に気づいてしまった……」
僅かに青ざめるクレイン。今まで自身の行動をどう捉えていたのだろうか。
「なんでお前がそんななの?」
「……いや、まさか、だがしかし」
エルナの問いも聞こえていないのか、クレインはぶつぶつと呟いている。正当性を探しているようだが、どうにも難航しているようだ。
「暇だし、その時の話とか聞かせてよ」
「え……? うーむ……」
「何だよ。渋るようなものじゃないだろ」
「う、上手く説明できないのだよ」
「? 言い辛い事でもあるのか?」
「……そんな、感じだ」
やたらと狼狽するクレインに疑問符ばかりが頭に浮かぶエルナ。一体何があれば、こんな様子になるのだろうか。
これまでの経緯を考えれば、クレインが狼狽する時は自身の失態などによるものが多い。だとしたら、その過去はクレインにとって汚点や恥ずかしいものなのだろう。
「武力鎮圧って事を気にしているのか?」
「いや……まあ、それは別にいいのだが……」
「いいんだ……」
「すまないが語ってやる事ができない」
何とか話せないものかと考え続けていたものの、遂にクレインは諦めてしまった。
言及してやろうかとエルナは口を開けるも、しばらく動きを止めるとゆっくりと閉じていくのだった。語りたくない、ではなくて語れない。今まで煙に巻いたりした事はあっても、ここまで明確に拒否をするのは初めてなのだ。
(あたしと比べれば絶対的に力の差があるから、魔法が使えないとか弱点になりそうな事でもペラペラ喋っていたんだろうけども)
ならば、何故過去の事は話せないのだろうか。それはクレインにとって、今尚深く刻み付けられた傷跡なのだろうか。今までの言動から一変した態度を取るほどに。
(そこを狙うのは人道的に、倫理的にどうなんかなぁ……。そりゃ相手は魔王だけどもさぁ)
今聞いても応えないだろうし、ガードが固くなりえる。機会があれば聞き出し、武器にしたい。だがそれは、人間を捨て外道に身を落とす行為ではないだろうか? 瞬時にエルナの頭に過ぎったのはそんな事ばかりで、相手を思いやって言及しなかったのではない。
(あたしも人間性が歪んでいるなぁ……)
あの一瞬でそんな事を考えた自分が嫌になる。使命を前に、そんな事も言っていられないのは分かっているものの、まだ自身の道徳と倫理をかなぐり捨てる事まではできなのだった。捨ててはならないという矜持と、棄てられない甘さがある癖に、こうしてチャンスを残す真似をしたのだ。
「……すまないな」
「え?」
自己嫌悪に悩んでいるところへ来た謝罪に、エルナは思わず呆けてしまった。どうやら、話が聞けない事で機嫌を損ねたと思われたのだろう。
何と返答しようかと悩んでいると、クレインは開いたまま持っていた本を閉じ、しっかりとエルナを見つめる。だが、エルナには何処か、視線が自分を捉えていない様にもみえたが、それは決して間違っていなかった。
「代わりといってはなんだが、少しだけ……ほんの少しだけ、昔話をしよう」
きっとその目に映っているのは、紐解いた過去の日々。在りし日の頃なのだろう。何時もの落ち着いた口調よりも、更に一段とゆっくりとした慎重ささえ窺わせる口調で語りだす。
「私は上陸したら最後、生きては帰れないと謳われる島で幼少を過ごした。そこは……最早、太古の生物に近い生き物が暮らす、弱肉強食の原始の世界であった」
「……どうやって生き残ったんだよ」
「木の実と虫を食して生き長らえた。しばらくし成長した事で力をつけていくと、他の小型の生き物を獲っては食した。中々、壮絶な生活ではあったよ」
あまりにも意外な話に、エルナは湧き出る疑問が上手く言葉にならずに、静かに聞き入ってしまう。
しかしそんな状態であっても、エルナの中でクレインの能力に納得がいったのだ。魔物、というよりも動物の解体技術、それに薬の調合や料理。それらはきっと、必要に迫られて自然と身についていったのだろう。
「そして色々とあって今に至るわけだ」
「は……?」
聞き入るのもそこそこに、話は物凄い加速、いやワープをして現代へと飛んできてしまったのだ。こんな事ならば、聞かない方がまだ、変に気にならずに聞く機会が窺えたのだろう。
「おま、お前……こんな……」
「す、すまないがこれ以上話せないのだ」
あまりの生殺しに怒気を孕んだエルナの目がクレインを射抜く。それに対して、狼狽しながらも言い訳にもならない釈明をするクレイン。むしろこれは襲い掛かられても文句が言えない所業と言っても過言ではない。
「……世襲制じゃないんだな」
大きく息を吐いて、気持ちを落ち着けたエルナが、滾々と湧く疑問の一つを掬う。
それが当たり前だったのかクレインの動きが止まるも、ほんの僅かな時間で質問の意味に気づいたのか小さく首を縦に振った。
「ああ、その通りだ」
「どうやって魔王になったんだよ。お前、マジでどこの馬の骨とも知れない奴じゃないか」
「殺した」
「え?」
唐突の言葉に、エルナは何を言われたのか理解できなかった。
時間が止まったかのようなエルナに対し、クレインはもう一度ゆっくりと、しかしはっきりとした口調で語る。
「私は、先代魔王を殺して現魔王、この座に就いたのだ」
先ほどまでの遠くを見ていた時とは、明らかに異なる瞳がエルナを見据えていた。その変化は異質をも思わせる。だがそこには、粛々と灯る炎と揺るぎのない覚悟が秘められているのだった。




