十二話 疑惑
盾の国の中心地。城と城下町を覆う大きな城壁は、南の大陸において屈指の大きさであり名所の一つである。また都市の周囲、城壁の外には鉄製の箱のような建物が、都市を守るように建てられている。建物にはスリットのような穴が設けられており、そこより弓矢や魔法を放つ防衛施設となっていて、壁と合わせて要塞都市として盾の国の観光の目玉となっているのだ。
そうした物々しさがあるものの、城壁をくぐれば人々が行き交う活気のある光景が広がっている。常に市があるわけではない為に、港町のような爆発的な活気はないものの、その賑わいは日々存在する不変なものを感じさせるのだった。
「流石は中心地と言うべきか」
「そりゃ、ここが寂れていたら洒落にならないだろ」
そこを行く勇者と魔王。誰一人として、今この盾の国の首都に魔王をいるなどと思いもしないだろう。よしんば、彼が魔王である事が知られたとしても、まずもって誰も信じはしないのだろうが。
「しかし、ここを防衛する為のあの施設は妙だな。随分と古い物に見えるが、しっかりと手入れがされている。だが、人が常駐しているわけではない。人間同士で争ってでもいたのか?」
「……ん、まあ」
素朴な疑問のつもりだったが、エルナは言いよどんで表情を曇らした。そんな様子を見てクレインは何を思ったか、そうかと呟くとただ口を閉じるのだった。
「……早いところ宿を探そう。流石に疲れたな」
気遣われたのか何なのか、無言になったクレインに気まずさを覚えたエルナは、取り繕うに足を速める。
クレインは黙ってそのペースに合わせていたのだが、不意にエルナの鎧に手をかけて、僅かばかりに力を込めて引き寄せる。
「ちょ、なんだよ?」
「……この先、道の右側にこちらを凝視している者がいる」
「自意識過剰じゃないか?」
「なら左に寄るぞ」
その対象すら見つけられていないエルナは不審がるものの、クレインに従って端へと寄っていく。
するとどうだろうか、鎧を着た金髪の男が道を横断しながら向かってきた事で、エルナはその存在に気づく事になる。だが、それでもまだ確実に自分達を目指していると断言できる訳でもない。
「さて、どうするか。脇道に入って様子を見るか?」
「……狙われるような事はないはずだ。変な疑惑を吹っかけられても面倒だし、堂々と行くぞ」
「……お前がそういうのならば構わんが」
何かを言いたげではあるものの、飽くまでエルナの意思を尊重するクレイン。だがエルナの思惑とは他所に、件の男は真っ直ぐ二人の下へ進んできているのだった。
そしてとうとう目の前にまで迫ってくると、男はにこやかな笑顔で口を開く。
「エルナ・フェッセルさんですよね? お久しぶりです」
「……知り合いか?」
「……」
「……おい」
「や、ええと……」
僅かに困り顔で狼狽するエルナに、金髪の男は苦笑いをしながら脇道を示した。
「ここで立ち話も周りの迷惑でしょうし、ちょっとそちらに寄りましょうか」
大通りに比べれば狭いものの、それでも人がすれ違うには十分な幅の道へと入っていく。先導する男は少し奥へと進んでいくと、不意に足を止めてゆっくりと振り返る。和やかな表情ではあるものの、その目にはどこか鋭さを宿していた。
「まあ、あの時は自己紹介をする暇もなかったですからね。牡牛型の魔物との戦闘で助太刀を頂いた者ですよ」
「ああっ、あの時の」
記憶と繋がったのか、エルナがぽんと手を叩く。
喉につっかえる様な不快感から解放されたからか、笑みが浮かぶエルナではあるものの、傍らから呆れを含んだ冷たい視線に気づき、身じろぐようにクレインから半歩離れた。
「……以前お会いしたお二方とは別の方なのですね」
「え? あー……まあその、色々ありまして」
「まさか道中で……?」
「あ、いえいえ、健在です」
僅かに顔を歪ませた男に、エルナは慌てて否定をする。危機的状況ではないものの、旅をする中で命を落とす者も少なくない。事実、エルナも他の勇者達の最期や亡骸を目にする事があったのだが、今の彼の考えは全くの杞憂なのだ。
「……もしよろしければ、事情をお伺いしても?」
男が一歩近づいてくる。その視線はクレインを射抜いており、まるで憎しみか咎める色が含まれているかのように見えた。
「え? あ、あの……」
「ただの同行者だ。旅の途中で出会ってな。それと、こちらは山を抜けてきている。早く体を休めたいので、申し訳ないがお暇させて頂きたいのだが」
「あの山をですか? それは大変でしたでしょう……配慮足らずで申し訳ありませんでした」
男が軽く会釈したのを見るや否や、クレインはエルナの手を取り踵を返すように大通りへと歩き出した。
二人の後姿が光に包まれ、人々の波へと消えていったのを見届けると、男は大きく息をついて何かを振り払うように後頭部を掻き毟る。
「なあんで見逃したんですかねぇ」
「これだから脂肪だらけの脳みそは……」
そんな男の前に小道から続く更に細い通路より二人の男が姿を現した。
一人は恰幅のいい男で、大きな斧を携えている。一見して酷く肥満気味に見えるが、涼しい顔をしてその装備を身につけてるところを見るに、決してただの巨漢ではないのだろう。
もう一人は長身で細身の男。湾曲した剣を腰の左右に二対にして挿しており、細いながらもしっかりと鍛えられた両腕は、機敏な剣捌きをイメージさせる。
「全く隙がなかったね。それどころかあの黒鎧、ここに入ってすぐに君達の存在に気づいていたよ」
「ええ? 本当ですかい」
「お前は少し、洞察力を鍛えたらどうだ。それともぶくぶくとまぶたまで膨れてよく見えんか」
細身の男がたっぷりの皮肉を浴びせてみるも、巨漢の男は気にもしていない様子で鼻で笑ってみせる。細身の男は僅かに舌打ちをすると、金髪の男に向き直った。
「彼女、エルナ・フェッセルで間違いなかったですね」
「ああ……できれば別人であって欲しかったが、事実である以上仕方がないな」
「案外、行方不明ってのはあの男と駆け落ちしてたんじゃないんですかねぇ」
「船と共に行方を眩ませて、男を連れて帰ってきたか? 随分な手土産をくれる場所が海の先にあるのだな」
「あー……」
金髪の男に睨みつけられて、巨漢の男はばつが悪そうにそっぽを向く。細身の男は僅かに口角を上げて愉快そうにするも、金髪の男の視線が自分にも向けられている事に気づくと一つ咳払いをした。
「何れにしても、この件は早急に報告すべきかと」
「元からそのつもりだ。特に魔法的拘束があるようにも見えなかったし……となると、少なくとも彼女自身の意思で同行しているのか、あるいは彼女では彼に到底勝てないほどの実力者で逃げ出す事もままならない、か」
「助けを求めなかったところを見ると、少なくとも貴方と二人がかりでも勝てない、という判断された事になりますがね」
「ああ……厄介な話だ。だけど、逆に動きやすくもなるだろうな」
金髪の男の視線が再び大通りへと向けられる。そこは昨日と変わらず、そして明日もずっと続くであろう人々が行きかう喧騒の世界がただあるだけであった。
急ぎ足で宿屋に滑り込むように入った二人は部屋を取ると、これまた今日の寝床へと雪崩れ込むように突き進んでいった。
部屋に飛び込んだ二人はドアを施錠すると、大きな深呼吸を一つついてその場にへたり込む。エルナは心底疲れた様子であり、クレインはすぐさま立ち上がると、通りが見える窓より外を窺う。
人の往来も多く武装した者、恐らく旅人であろう者達の姿も見られるが、自分達を探している者や追跡している者のような姿は見受けられなかった。
「な、何だったんだ……あれ……」
「一応は面識があるというのにあれ呼ばわりか」
「いやーまあ、うん……」
気まずそうに苦笑いをしながら視線を泳がせるエルナ。特に相手の顔すら覚えていなかったのだから、尚更きまりが悪いのだろう。
「しかもまた名前聞きそびれた……」
「向こうもそれだけの緊張の中にいたという事だろうな……」
少なくともクレインには自分に視線を向けていた時の男が、肩の力を抜いてリラックスしているようには到底見えなかったのだ。
「あの場で訊ねていいか分からなかったから今聞くが、旅の人員の入れ替えはよくあるものなのか?」
「え? あー……まあ別に珍しくないかな。命を落とすだけじゃなくても、何かしらの理由で訪れた町に残る人もいるし」
「自己紹介をしていないのに、何故向こうはエルナの名を知っていたのだ?」
「うーん、憶測でしかないけども、これでもあたしは勇者としてはそれなりに有名な方だからね。多分、一緒に旅をしていた仲間の構成とかから、あたしじゃないかって目星をつけたんじゃないかな。勇者の称号を持った者のリストとかあるし」
「……だとしたら」
クレインから呻くような声が漏れる。よほどの苦虫を噛み潰したような顔で、深く連なるような眉間の皺は山脈となる勢いであった。
「だとしたら、あまり良い状況ではないな。あの男、初めから私を怪しんでいたぞ。どうしてだがは分からんが、エルナが人攫いにあったかどうかしたぐらいの情報が流れていそうだな」
「当たらずとも遠からずだなっと」
ようやく立ち上がったかと思えば、エルナは鎧姿でその勢いのままベッドに飛び込んだ。ギシギシと大きな音を鳴らして揺れるベッドの上で、その心地よい柔らかさに頬を緩めて一息をつく。
「ふざけている場合じゃないぞ……」
「とは言っても、いくらなんでもそんな情報が流れるなんて事ないと思うんだけどなぁ」
エルナはベッドから投げ出した足をぶらぶらと揺らしながら、頭の下で手を組んで天井を見つめる。果たして真剣に考えているのか疑わしい様子だが、クレインは特に気にする様子もなく話を続けた。
「以前、仲間に書置きを残していったと言ったな。何て書いたのだ」
「船に乗って北の大陸に向かう事」
「そ、それだけか……」
クレインは頭が重たそうに、額に手をやり呟いた。遭難した時の保険をかけるぐらいの内容だとばかり思っていたが、あまりにも簡潔すぎてむしろ書き残す意味があったのかすら問われそうである。
しかし、南の大陸の現状を思えばこそ、そんな保険も意味があるかは甚だ疑わしいところである。であるなら、エルナの事件にあって失踪したものでない、と示した書置きは間違いではないものの、結局のところ目的の効果を果たしていないのであった。
「船で海に出た。でも大陸に戻ってきている。しかし仲間の元に戻る事無く、今までの旅の仲間と別の者と行動」
事実確認のように一つ一つ挙げていくクレイン。それらは以前、自身の存在について、エルナ・フェッセルとクレイン・エンダーの在り方について、どう理由付けるか。その時にクレインが胸中で確認していった内容であるのだ。
「こういった事から私についてどう言い訳を作るかについて、エルナは考えるのを放棄したのでは?」
「あー……うん、そうだったね」
「遠洋に出れば海の怪物に襲われて死ぬ。という認識なのだから、出航したものの、潮の流れなどから、何処かの陸地に戻ってくる。まあ遭難状態だったと仮定されているのだろうな」
「満身創痍のところに賊か何かに襲われて、何らかの理由で従わざるを得ない状況」
「視野狭窄と言えばその通りだが、辻褄が合う理由を考えるならばやはりこうなってしまうな……」
何時までも通りを監視していても仕方がないと悟ったのか、クレインは手早く鎧を外して倒れこむようにベッドに飛びついた。
「……ていうか、体裁っていうかそういう事、気にはしてくれるんだ」
どうせ何かしら裏があるのだろう。それでも、結果的にこちらにも理となるのであれば、素直に喜ぶべき事だ。大した期待はしていないものの、口にせずにはいられなかったエルナだが……。
「事を荒立ててどうする。本格的にマークされるようになれば、一挙手一投足を見張られる事になるのだぞ。それが悪化すれば奇襲を計られ、あまつさえ美味い物を食べている時に襲撃を受けもするだろう。そんな事態、謹んでお断りだ」
「あーそういう理由ね……」
想定内ではあるものの僅かに湧いた感謝の念も消え失せる発言である。何よりもクレインらしいと言えばらしい内容が、エルナに更なる脱力感与えるのであった。
「これから先、エルナの動向を気にかける者達から私に対する追及があるのだろう……面倒な」
「どうするんだ? 夜の内にここを離れる?」
「まだ嫌疑といったところだろう。厳重に監視とまでいかずとも、動向を見られていると考えるべきだ」
一度、言葉を区切ると大きく溜息をつく。
「不審な行動を取れば余計に疑われる。ここは敢えて二泊しよう。少しのんびりして、別に何とも思っていないアピールとしようじゃないか」
「それならそれでいいけども……宿代かさむなぁ」
盾の国の国王のお膝元。田舎に比べれば色々とお高いもので、飛び込んだ宿屋も決して安宿ではないのだ。
「できる限り食費を抑えよう。とは言え、今日はもう出歩かないほうがいい。口止め料を上乗せして、宿屋の者にパンか何かを買ってきてもらうとしよう」
「そんなんでどうやって明日を過ごすんだよ」
「明日は昼前に道具屋に寄って補給と金策。昼には外食し、夕食を買いながら宿に戻る。行動は人が多い時間帯に絞ればまだ何とかなるだろう。……あの山で薬が作れたのは本当に運が良かったかもしれないな」
「売れればの話じゃん。で、偶然か必然かまた遭遇したらどうすんのさ」
当然と言えば当然の不安材料について、エルナが問うとクレインはベッドに顔を埋めると動きが止まる。寝てしまったのだろうかと思われる頃、のそりと体を起こし、エルナの顔色を窺うような様子で喋りだす。
「遭難して船も転覆しつつも何とか陸地に辿り着く。が、荷物も路銀も全て失った。そこへ私が通りかかり、一人旅では厳しい為に護衛として雇いたいと言ってくる。エルナも一人では厳しく、渡りに船と乗りかかる。どうだろうか?」
「無事の便りすらないのは?」
「そこがネックであるよなぁ……やはり悪者になるしかないか。しかし、それを認めれば相手は攻撃的になるしなぁ」
何か上手い口実はないかと、二人して唸るも一筋の光さえも見つけられず。かといってここで思考放棄という訳にもいかない。いや、いかない状況に追い込まれたのだ。
しばらく二人で案すら出ないまま考えを巡らしていると、エルナの頭の中に希望の光とは別物の何かが射した。険しかった顔が和らいだかと思うと、すぐさま恨めしそうで軽蔑する視線をクレインに差し向ける。
「いや、お前は悪者だろ」




