百二話 想い
目的地も明確となり、ただ虱潰しに進むアニカの旅は劇的に進む事になった。
掛け値なしに大喜びをしていい状況である。
のだが、エルナの仲間であったレオンとルーテが加わった三人の旅は、どうしても息苦しいものであった。
二人の信用どころか、警戒を持たれているのだ。当然である。
日中の進んでいる間は、多少の雑談はあったものの、どうしてもぎくしゃくとしてしまう。
だが、アニカ自身はそうした場でも、コミュニケーション自体は問題なく取る事ができる。
現に荒ぶる魔王クレイン・エンダーの友人エルナ・フェッセル。実際にはもっと複雑だが、城内ではそういう者として、扱いに困る立場であった彼女とも、誰よりも早く打ち解けたのだ。
であれば今回もいつもどおり、社交的に接する事ができそうなものだが、二人に対しては秘密にしている事が多い。
変に洩らして警戒が不信に変わってはアニカも困る。その為にあまり話し込まないよう、適当なところで切り上げてしまっているのが現状だ。
勿論それは相手に不快を与えない形である。流石は若くして地位あるアニカの処世術といったところか。
となってくると、基本的に会話のボールはレオンとルーテにあるわけだが、二人は二人でアニカに対し、あまり深く突っ込んだ話をできずにいた。
正確にはほぼレオンが切り出す形だが、言葉選びや内容に、慎重になっている様子。
そんな三人の旅の初日は野営という形で終わりを迎えつつある。
日持ちのしない野菜などを煮込んだ鍋を囲みつつ、三人は一時の団欒を楽しんでいた。
「あのーアニカさんはどちらの国のかたなんですか?」
「んー……申しわけないけどもそれも今はヒミツだな」
「秘密ばかりだな」
「悪いね。こればかりは大切な事でどうしても融通は利かせられないんだよ」
「ではでは、今お付き合いされているかたとかいないんですか?」
「いきなり凄いプライベートな話になったなぁ!?」
遠慮がない上に、今そういうのを聞くのか? と思わずにはいられない内容に、アニカも素で返してしまう。
「ルーテ、不躾過ぎるだろ」
「旅の背景を話せないというのですし、それならばお互いを知る為にも、こうした話題になるのは当然の事ですっ」
ふんす、と鼻息を荒くしていそうな語気で言い放つ。
確かに一理あるか、とアニカが納得していると、レオンが呆れた様子で呟いた。
「色恋沙汰が好きなだけだろ……」
「あれ? そういう理由?」
「否定はしません」
と、キッパリと言い切るルーテ。随分と大胆なものである。
しかしそれでいいのだろうか、とアニカが首を傾げた。
「私はこういう事に疎いのだが……彼女は聖職者や神官の類ではないのか?」
「一応はそうなんだが、規律があまりにも緩いんだよ。正直名ばかりだ」
名ばかりの聖職者。それだけ聞くと、裏でよからぬ事をしているイメージとなるが、ルーテにそれらしいものは感じられない。
そもそも本来の日常では、一体どんな生活を送っているのだろうか。それすらあまり想像がつかなかった。
ただでさえ、エルナの魔物の王討伐の旅に同行までしているのだ。それが前提であれ、現状の要素であれ、聖職者という立場と結びつけると、イメージが固まりにくくなる。
復興ムードで一時的に帰郷はしていたにしても、随分と長い時間を旅に費やしているはず。表向き布教活動とかの理由なのか?
もっともそうであったところで自由奔放なものである。
「あー……うん。とりあえず、さっきの質問だが今はいないな」
「では気になるかたとかは?」
「本当にぐいぐいくるなぁ」
その勢い、猪突猛進をも思わせるほどである。
普段ならば適当に流してしまうだろう話題であったが、ルーテのペースに飲まれかけていたアニカは長考に入った。
ずっと農商国家の兵士として、そして今は騎士として仕事仕事の毎日だ。正直なところ、恋愛ごとから随分と遠のいている。
全く経験がないわけではないがそれも遥か昔の話だ。
身近には男性は多いが、飽くまで仕事としての繋がり。そしてそれを超えるのは極僅かであり、そんな稀少な人達の顔が脳裏に浮かんでくる。
今は亡き、心からの忠誠を誓ったクレイン・エンダー。敬愛しもっとも信頼している主君だ。
長年、自らを縛る鎖を意図もせずに解き、良い事でも悪い事でも、良き師として学びを与えてくれる。あれほど自らを託す事ができる、と思える人物はそうそういない。
そしてあの性格だ。魔王としての垣根など微塵に感じさせず、無遠慮に人を自らの領域に招きいれてしまう。不躾に人の領域に入る事もあるが……それはそれとして、非常に親しい人物でもあった。
実際、アニカにとって一番仲がいいのは誰か、と問われたら間違いなくクレインを挙げるだろう。
しかし意中と言われるとそれは違う。あれだけ慕い、敬いもしていたのだが、なにかが違う。
むしろ、もうそういう間柄ではないというべきか。
一方で。
幼い頃から知っており、今となっては魔王であるカイン・エアーヴン。彼の父親が側近として職務についていた時、若かったアニカは世話になったもので、その礼も兼ねて幼少であったカインの相手をする事もあった。
弟、というよりもご近所の子供に近い感覚だっただろう。だが父親が死に、過酷な役職である父親のあとを幼くして継いだカイン。あの当時でさえ気づけば立派な姿を魅せられていたものだ。スケールは違うものの、水の魔王と肩を並べられる、とアニカは密かに思っているほどである。
才色兼備であり、その容姿により、美少年と呼べてしまう風貌。一部の侍女達などから、黄色い声を上げられているのはよく知っている。
そんな人物であるカインと長い付き合いのあるアニカ。
しかし意中と言われるとこれもまた違う。
元々、主従関係や直接仕事の繋がりはなかったが、気づけばそうした気持ちが生じていたようだ。
我が国を守る家臣として尊敬し、信頼していた。特にゴート・ヴァダーベンの時代、長く城を空けた時など彼がいてくれるからこそ、安心して城外での任務に専念できたと言っていい。
二人に対する気持ち。それは異性というくくりからは大きく外れた、敬愛という想いがまず先に来てしまうのだろう。
「あの……なにがなんでも聞きたい、というわけではありませんからね?」
よほど考え込んでいたのか。あるいはそんな顔をしていたのか。
ルーテがおずおずと告げてきた。
「いや、気を悪くしたとかではないんだ。ただ、特別親しい人達は……立場とかがあって、そういう意識がないものでね」
「ではではそれを考慮しなければ?」
今の流れで話を切れば終わりなのに、とうんざりするレオンの横で、失速しかけたルーテが勢いを取り戻す。
だが、存外にも悪い気のしないアニカは、ルーテの言葉どおりに想像する。
自分も相手も、もしも様々な意味で自由の身であったのならば。
そして描かれた光景は……やはり恋仲とは程遠く、これまでの魔王であるクレインがいて、側近であるカインがいて、魔王の右腕たる騎士の自分がいるものであった。
(ああ、そうか……)
脳裏にそんな世界を映して気づく。あの二人がいるあの時が自分にとって至福であったのだと。
だからこそどちらかと、という考えもまるで浮かばないのだろう。
(しかしそうなると、お二人を足して割った人物こそが理想、という深層意識の可能性が生まれるのか。それはそれで少し複雑だな)
我ながら随分と失礼な話だ。そう思わずにはいられない。
ただでさえ立場は上。更に自ら敬う相手である。
できれば気づきたくはなかったが、気づかなくては懺悔もできまい。決して人に話せる内容ではないが。
(まあ……それは一旦忘れても、恋仲になるというのはやはり想像できないな。これはむしろ私が原因だな)
もしも想いを告げられたとしたら嬉しく思うだろう。けれどもそれはただ単に、一人の騎士として選ばれた。と、いうような名誉あるものに近い受け止め方をしそうである。
もはや二人に対して恋愛を通り越した、あまりにも大きな信頼関係がある所為か。はたまた自分が恋心を置き忘れてきたのか。
いざそういう付き合いになれば、なにか変わるのかもしれないが、今のアニカにはまるで見えてこない世界である。
これほどまでに枯れていたのか? と、危機感を募らせられる事実を垣間見た。
だが、一つだけ。これだけははっきりとしている事がある。
「パートナーとしては良好な関係は気づけるとは思う、かな」
「なにか違う話になってませんか……?」
ビジネスライク、とまでドライには言わないが、人生を分かち合う者としては上手くやっていけそうだ。
そんなよく分からない変化球に、ルーテは困惑しつつ捕球するも、さてどう投げ返せばいいものか。
しかし、それよりも先にアニカが続けてボールを投げてきた。
「そういう君達はどうなんだい? 長く旅をしていたのだから、出会いもあったんじゃないか?」
いい加減、自分ばかりが喋るのも、と同じ質問である。
「そんな事はないですよー」
「……」
朗らかに否定するルーテに、口をつぐんでそっぽを向くレオン。随分と対照的な反応を見せた。
触れてはいけない話題だったのだろうか? むしろだからこそ、彼はこの手の話題に難色を示したのか?
と、推測しているとルーテは少し苦笑いを浮かべた。
「彼は、まあ色々とあるので察してあげてください」
「そういうのではないっ」
「察するにはあまりにも材料がないのだが……そうか、色々とあったのだなぁ」
「変な想像はしないでもらいたいんだが」
「ではレオン、素直になって言えばいいじゃないですか。しかもアニカさんならば、進展もあるのでは?」
「黙れ!」
「え? 私?」
まさか自分が関わるとは欠片ほどにも思っていないアニカ。目をぱちくりとさせて、しばし呆然としてしまう。
「あ、私に似ている人物、とかだろうか?」
「この話題は終わりだ!」
よほど嫌なのか、レオンは半ば叫ぶように話を止めた。
本人がこの様子ならば、これ以上アニカも聞くわけにもいかない。
この手の話題そのものに興味があるわけではないが、どう自分と関わってくるのか。その辺りは聞きたいところであっただけに残念ではある。
レオンは咳払いを一つすると、それよりもだ、と別の話に変えてくる。
「一つ聞きたいのだが、とても学者の類に見えないがどんな調査をするつもりなんだ?」
「調査そのものは簡単なものかな。いくつかの項目を確認するだけだ。一番の目的は採取。これがなくてはなにも始まらないからね。だから、調査とは言ったけども、早い話ただのお使いさ」
「そうだとしても、その役目を任されるというのは、凄い事なのではないでしょうか?」
「……まあ、そうだね」
アニカがはにかんで笑って応えた。
能力的な選定もあるとはいえ、クレインが信頼しているからに他ならない。
彼から信頼されている、と自負しているとはいえ、その裏づけがされるのは素直に嬉しいものだ。
しかし、それ故に悲しくもなる。その人物はもういないのだ。いないからこそ、今こうしてアニカは南の大陸で、この時を過ごしている。
「……」
「ルーテさん? どうかしました?」
じっとこちらを見る彼女に、アニカが声をかけると困った様子をみせた。
後悔している、というよりもこれから怒られる子供のように、しゅんとした雰囲気で口を開く。
「嬉しそうにされていたので、件のかたが指名してくれたのかな、と思ったんです。でも、すぐに表情が暗くなったので、もしかしてそのかたはもう……」
ほぼ正解を言い当てられて、アニカは思わず自分の頬を揉んだ。
そこまで分かりやすい顔をしていたのか、と恥ずかしさが募る。
「確かにそのとおりだが気にしないでくれ。というよりもそれでよそよそしくされても、私もやり辛いものがあるしな」
なにより先の返答も飽くまでカインを想定してだ。
もっとも仮にクレインでも似たようなものだろう。生活の形は異なるが、上手くやっていける未来が見える。
だが、クレインのつもりで語る事は今後ともありえないだろう。さも生きている風に口にすれば、それはその死を冒涜しているようなものだ。
少なくともアニカはそう考えている。
だからといって喪に服し続けても、それこそクレインは喜びはしない。
例え辛かろうと、受け止めなければならない。
(だが平静を装っていられるのもすぐに城を出たからこそ、か。これで帰って、本当にもういないのを改めて実感した時、納得できればいいんだが)
今のところ、クレインの訃報に、毅然とした振る舞いを見せていたアニカ。
だがそれは与えられた大役と、まだその死を実感しきる前に城を離れたからに過ぎない。
城へ戻った時、変わらずその態度でいられるだろうか。
流石のアニカでもあまり自信がない話である。
(いや、今は目先の事に集中すべきだな)
考えたところでなるようにしかならない。
もしも駄目なら、その時は……隠れて一頻り泣けばいい。その程度の悼みは許されるだろう。
一度、静かに深く息をして、気持ちを切り替える。
どうやら今回は顔に出さずに済んだのか、ルーテやレオンに注視されている、という事はないようだ。
もうしばらくしたら眠りにつく事だろう。
ただそれまでは、ゆったりとした時間の中、静かに語らいが続くのであった。




