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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
四章 謀る者
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百話 手探り旅

 一部の景色を抜き取れば、それはごく当たり前の風景であり、自然な平和が謳歌されているように見える。


 しかし見渡してみればどうだろうか。


 その地を旅すればどうだろうか。


 野ざらしになった屍。かつて町であったもの。


 小中規模の兵士の集団とて、そう珍しくはない。


 南の大陸。


 燃え上がるような戦火は落ち着いてきているとは言え、今も尚、くすぶる火がじりじりと周囲を焦がしている。


 完全な鎮火。その終わりの気配など感じられない。


 そんな世界を一人で旅をする女性がいる。


 農商国家では騎士の称号を持ち、荒ぶる魔王クレイン・エンダーの右腕とされる者、アニカ・ゲフォルゲだ。


 亡き主君より拝命した、彼では果たせない使命を背負い、この地に来ている。


 姿だけならば人間と変わらない上に腕は確か。


 農商国家の中では、これほどの適任者はいないと言っても過言ではないだろう。


 だが、特に彼女の戦闘能力は容易に晒していいはずもない。文字通り、人間ではない力であり、仮にもしも人間であるのならば、今まで無名であるのはもはや異常である。


 お陰で人目を忍んで、寂れた街道に山道。果ては獣道なのでは、と疑いたくなるような場所を通り、進んでいっているのだ。


 彼女を知る人々には想像もつかない、泥臭い日々である。


 もっとも、かつてゴート・ヴァダーベンが魔王であった時は、国内を延々と巡回し続ける任務に就いていたのだ。今が格別に過酷でも全くの初めての事でもない。


「ふう……」


 そんな旅路の途中であるアニカ。周囲を見渡して安全を確認すると、どかっと腰を下ろして一息をつおた。


(この辺りは人もいなさそうだし、賊に注意していればいいか)


 木深い山の中。人影など見当たらない。


 アニカにとってはありがたい環境であるが、同時に良からぬ者達が居ついている可能性がある。決して油断はできない場所だ。


 それでも人目につきやすい場所に比べれば、まだ気を緩めて休められるのも事実。


(それにしても失敗したな……)


 クレインに託されたのは彼が臥せってからである。


 本来ならば十二分に準備をして臨むべきところだが、もっとも南の大陸を知るエルナはクレインの看病でつきっきり。その次に知っているのは、その看病を受けている本人だ。


 とてもではないが、情報収集などできる状況ではない。


 だが全くの無知ではなかった。


 エルナとの雑談で南の大陸についてが話題になる事は少なくない。なんなら北の大陸ではクレインの次に現代の向こうを知っている、と自負してもいいぐらいであろう。


 むしろそう思っていたのだ。それが故に、知る限りの情報から現地で行動していれば、自ずと道も開ける、などという判断に到る。


(あぁぁ、あの時の私を殴り飛ばしてやりたい!)


 クレインが南の大陸から帰ってきて、おおまかな土産話を聞いていたのだ。当然、エルナに移住を打診した話も。


 あの時既に、クレインは南の大陸の危うさを感じるほどであったわけだが、アニカはそれを見事に見過ごした。いや、軽く見聞きした程度で、危機感を覚えろというほうが無理な話である。


(まさか今でも燻り、いつ再び火となって燃え上がってもおかしくない状況だとはっ!)


 エルナから聞いた話に比べれば、随分と鎮静したものである。


 それでもアニカからすれば、随分と行動を制限されるものである。


 なんとも歯痒い話だ。


 それでもアニカならば、この状況を切り抜ける事はそれほど難しくはない。


 そう、問題の根幹は別にあり、この現状がより悪い影響を与えているのだ。


(魔物の王の根城も、ふわっとした情報だけだったのは失敗したなぁ。まさかこっちでも全く情報がつかめないとは)


 人を寄せ付けないように魔法的な作用が張り巡らされている。


 そんな感じの事もクレインより聞いていたが、ここまで隠蔽されていたとは思いもしなかった。それも今は術者がいないのに。


 水の魔王でも無理であろうそれに、アニカは底知れない戦慄を覚えずにはいられなかった。


(もっとも攻撃能力が優秀、という事はないようだし、身の危険という点は縁がなさそうだが)


 その代わりというべきか、こうして調査は長期化しているのであった。


 もうすぐ旅に出てから半年が経とうとしている。このお役目全てが終わるのは当分先、と覚悟はしていたが、初めの調査段階でここまでつまづくとは。


 最近の自分は弛んでいるのでは、と疑わざるを得ない。


(でもそうだよな。クレイン様の下について、伸び伸びとやれるようになったしなぁ。それまでは強迫観念、とまではいかずとも、努力をし続けなければならない、と自分を追い込んでいたところがあったし……その呪縛が解けた今、反動からか自信家になっていたな)


 この情報不十分でもなんとかなるだろうと判断し、現地での情報収集は進まず。結果、大陸の東から徐々に西へと虱潰しにするという、効率度外視の策を講じているのだ。


 それこそ彼女を知る人々には想像もつかない、スマートの対極にあるような作戦を実行している。


(……まずいな。死後にクレイン様と会えるのを夢みているのに、冗談抜きで合わす顔がない)


 なにより、日常におけるクレインのいい加減さを笑っていられる状況ではない。その事実がアニカにとって、大きな焦りを感じさせるのだ。


 どれほど信頼を寄せられていても、忠臣であっても、必ず反面教師となるあたり、クレインはある種の偉人かもしれない。


(……!)


 突如、アニカが身を翻して姿勢を低くし、辺りを警戒し始めた。


 それまでのとりとめのない思考を切り替えて、神経を研ぎ澄ませる。


 姿こそ見えないが、こちらに近づいてくる音が聞こえた。まだ遠いが急速に迫ってきている。


(嫌な位置だ)


 鎧をまとっているというのに、そんな重さも感じさせない動きで、流れるようにその場を離れていく。


 休憩していた場所よりも周囲の茂みが深いところで止まる。よほど注意深くなければ、そうはアニカに気づけまい。


(これは……追われているか)


 ようやく見えてきたのは少女とも、小柄な女性ともつかない容姿の者が一人。そのあとをいかにも柄の悪そうな男が二人。


 ここが花畑ならばもしや、という事もあるが、生憎森の中である。どのように贔屓目に見ても『追いかけっこ』ではないだろう。


 そして悲しい事に、多少落ち着いてきたとは言え、今の南の大陸ではこのような光景はそこまで珍しいものではなかった。


(……見てしまった以上、無視はできないな)


 本来ならば目立つべきではない。それもこんな時代にこんなヒーロー気取りな行動。噂になるまでそうはかかるまい。


 だがそれでも、だとしても、アニカにとってここで救わないという選択肢はなかった。


 冷静に状況を分析し、飛び出るタイミングを計る。今のまま彼女が走れば、追いつかれずにアニカの前を通り過ぎるだろう。


 ならばそのあとで追いかけてきた二人を、と柄に手をかける。


「ギャアアアアア!!」


 しかし、彼女が通り過ぎるよりも早くに、男の悲鳴が響き渡る。


 最後尾の男が後ろに崩れていくのが見えた。


 声に釣られて前を走っていた男が、何事かと少しだけ後ろを振り向く。と、今度はその男が前へと跳ねるように姿勢を崩していった。


 走っていた勢いもあり盛大に転がっていく。


(なんだ? 四人目がいたのか?)


 今も尚、状況がつかめないアニカの前で、女性がつまづいて転倒をする。


 助けに出て行きたいところだが、四人目も彼女にとって敵であるという、もしもに備えてアニカは身を隠したままで周囲を窺う。


「ぐ、くそ! ちくしょ、おぉ!」


 前にいたほうの男がズルズルと這ってこちらに向かってくる。


 正確には少しでも逃げようと前進している、が正解なのだろう。


 その後ろですっと立ち上がったのは、二人組の片割れとも違う、少年といった見た目の男の子であった。


 薄汚れた衣服を身にまとっている。だがお陰で、というべきかこの木々の中では視認性を下げてくれるだろう。


 そんな少年は特に怒りも哀れみもなく、だが無表情でもない目で男に近づき、


「ま、待ってくれ。頼む、見のがっ!!」


 懇願する男の喉を短剣で静かに切り裂いた。一切の躊躇のない動きである。


 男が僅かに起こしていた体を、ゴトリと地面に落とすと、ゴボゴボと泡の音をさせる。そしてしばらくすると二度と動く事はなくなった。


「怪我、ありませんか?」


 二人の男を始末した少年が心配そうに女性へと近づく。


 だが、恐怖に染まった彼女には、その光景が救いには見えなかったようだ。小さな悲鳴と共に再び駆け出すと、そのまま逃げていってしまった。


「……無理もないか」


 返り血を浴びた自分の姿を見て、少年がそう独りごちる。


 賊の衣服でナイフについたそれを拭って鞘に収めると、二人の所持品を漁り始めた。彼にとっては貴重な戦利品といったところか。


(うん……?)


 そんな彼の行動、ではなく使っていた得物に目が奪われる。


 腰に差してあるそれは、輝かしい宝飾が施された鞘を持つ短剣。それも赤を基調としたもので、一等目を引く代物だ。


 正直に言ってみすぼらしい格好である少年にしては、随分と不釣合いである。


 が、この際それは抜きにしよう。アニカにとって重要なのは、それが非常に見覚えのある短剣だという事。


(……)


 しばし悩むと、静かに立ち上がって物色する少年に向けて、軽い拍手を送った。


 流石の彼も驚いたのか、ばっと飛び跳ねて音の方角、アニカから距離を取る。


「見事なものだね。この山で暮らしているのかい?」

「……」


 緊迫した様子のまま固まる少年。


 しかし、それも僅かなもので、すぐに警戒を解いてアニカに向き直った。


「貴女は何者ですか?」


 彼にとっては非常に乏しい情報しかなかったはず。それでもなにかを悟った様子である。


 聡い子だ。と、アニカはどこか嬉しくなり、自然と笑みがこぼれた。


「うん、私はアニカ・ゲフォルゲ。君に敵意がある人間じゃないよ」

「僕はクリフ・アウスターレントと言います。アニカさんはどこかの国の兵士のかたですか?」


 普段見につけている鎧を置いてきたとはいえ、それなりの質の鎧を着ているのだ。


 今時、こんな姿で出歩いているのは確かに兵士ぐらいなものだろう。


「そんなところかな。ところで申し訳ないんだけど、その短剣を見させてもらってもいいかい?」

「どうぞ」

「自分で言うのもなんだけど……あっさりとし過ぎじゃないか? 私がこれを盗んで売りさばいてしまうかもしれないよ?」

「僕の勘でしかありませんが、貴女がそういう事をするかたに見えませんので。あと、この山の中でしたら逃がさない自信もあります」

(なんか話だけで聞くクレイン様の子供時代みたいだなぁ)


 賊狩りと呼ばれていた時期。それもまだ体が小さい時は、こうした山などの鬱蒼とした地形を利用していたという。


 種族の差からして第二のクレイン、という事はありえないが、こういう感じだったのだろう、とアニカは勝手な納得をする。


「……この短剣、誰かから貰ったのかい?」

「はい。男の人からいただきました。……受け取っては駄目なものでしたでしょうか?」

「え? ああいや、君に全く非はないから気にしないでほしい」

「けれどその短剣をご存知のようですが」

「あー……君は中々良い目をしてるね。君にこれを渡した男性とは知り合いでね。散々ねだってみたら、新調する時に譲ると言ってくれていたのだが……ご覧の結果だったわけなんだ」


 クレインが南の大陸に渡り、帰ってきた時には身につけていなかったそれ。


 無理をしてでもクレインと二人きりになれる時間を作り。


 めっちゃくちゃに詰問をしたものである。


 アニカ自身、あそこまで人を怒ったのは初めての経験、というぐらいだ。それほどショックだったのか、とあとから気づいたほどに。


 いくら信頼する主君自らが作った短剣で、なにをしてでも手に入れたい思っていたとしても、冷静になった時には流石に恥ずかしさで悶死しそうであった。


「お返ししましょうか?」

「……魅力的な提案だが、流石に受け取れないよ。むしろ君がちゃんと使ってやって欲しい」

「咎めないんですか?」

「殺しに使った事を、かい? 綺麗事だけが通る環境ではないし、私は君の行動を賞賛したいぐらいなものだよ。これからも君が信じる道でそれを振るってくれる事を願っている」


 アニカの知るクレインならば、意味もなくそんなものを渡したりはしない。


 であれば、少なくとも正義のある使われかたをしてほしいものである。


「そうだ……そうだな。これもなにかの縁だ。私からも君にこの短剣をあげよう」

「……ありがとうございます」


 自分の身につけている短剣のうちの一本を差し出した。


 あまり表情を見せない少年だが、受け取る時に顔が僅かに歪む。


 はて? あって困るものでもないはずだが、とアニカが疑問に思うものの、すぐに思い当たる。


(あ、武器ばかりを渡してくる変人の一味、とでも思われたか……)


 もしも自分が子供の時に、そんな人達に会ったらどうだろうか。


 貰い物がある手前、あまり表に出し辛いが正直に言って引いているだろう。


 どうせ渡すならもっと気の利いた物があっただろう、とアニカに後悔を与える。


「アニカさんはどちらに向かっているのですか?」

「……あ、ああ。このまま進んでいって町でもあれば、と考えている」


 どうせ二度と会う事もないだろうし気にするな、という心の声と、だいぶクレイン様に毒されているんじゃないか? という心の声がせめぎ合う。


 その心中の狭間でアニカが葛藤していると、クリフがまるで助け舟のように話題を変えてきた。


「一応の目的地はあるのだが場所が不明確でね。情報を探しながらの旅なんだ」

「それでしたらこのまま山を降りて、しばらく進めば見えてくると思いますよ」

「君はそちらに住まないのかい?」

「元々別のところで住んでいたんですが、僕は魔物の声が聞けてしまい、町には居づらい環境だったんです。戦争の影響でここまで流れ着いたのですが、この生活にも慣れてしまい、町に居つく気にもなれないものでして」


 言葉は濁されたが、ありありと迫害を受けていたのが伝わってくる。


 ただでさえまだ少年の見た目だ。短剣を渡された当時はどうであったか。


 あまり想像をしたくないものである。


 だが、お陰で手に入れられたものがあった。


「なんとなくでしかないが、あのかたがその短剣を渡した気持ちが少し分かった気がする。そして今、誰かを助ける為にそれを振るった事を、きっと喜んでおられるだろうな」

「……形見なのでしたら、尚更お返ししたいのですが」

「え?」


 話してもいない事実に基づいた発言に、アニカが目を丸くする。


 本当に何者なんだこの子は、と恐怖すら覚えそうになるも、自分の言葉に原因があるのに気がづいた。


「君は本当に聡い子だな。だからこそ、君にはそれを持っていて欲しい。私としても、それをお願いしたいな」

「……分かりました。これからも大事に使わせてもらいます」


 それから二人は互いに礼を言い合うと、目的の為に別れていった。


 あいも変わらず獣道のようなものは続く。


 だがいつしかちゃんとした道に出て、山を降り、進んでいくとクリフの言葉どおり、遠くに町の姿を目にする事ができた。


 とは言え既に辺りは暗く、微かに見える町の明かりを羨ましく眺めながら、アニカは野営の準備へと移る。


(それにしても魔物の声、か)


 南の大陸における魔物の多くは、非常に凶暴化した動物のようなもの、とクレインより聞いている。


 ならばその言葉が分かるのなら、それは野生動物の言葉が分かるはず。だが飽くまでクリフは魔物と限定したのだ。


 違いあるとすれば、原因である魔物の王の魔力。


 例えば波長が合うなどが理由となっているのだろうか。


(もしかしたら、彼の存在が助けになるかもしれないな。クリフ・アウスターレント。あの子の事は覚えて……まあ、忘れるほうが難しいか)


 亡き敬愛する主君が託したものを持つ少年。それは単に物に留まるものではない。


 それを見つけられた事、出会えた事は本当に幸運である。


 まるで必然のようにも思えた。


 あのかたが導いてくれたのかもしれない。


 そう考えると、今日の夢見は非常に安らぎのあるものだろう。


 久々にじっくりと過去を思い返すアニカは、穏やかな顔で瞼を閉じて明日を望むのであった。

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