九十六話 騎士
「あー……」
クレインの自室兼執務室。そこの机にクレインが突っ伏して空気が抜けるような声を上げていた。
周囲には紙の束、というよりも山ができている。
非常に珍しい光景だ。この明らかな仕事という存在と、クレインがセットで居合わせているのはだ。
もっともこれを見てクレインが仕事をしている、と思う者は殆どいないだろう。
やる気をなくして放棄しているようにしか見えない。
しかし、そこへやってきたカインが驚く様からそれは違うらしい。
投げ出したのならばいつもの事であるのだから。
「凄いですね。本当にこれらを片付けたのですか」
「流石に……これは後回しにするわけにもいかないしなぁ」
なにせ、自分が再び現れた事によって発生したのだ。
他にも大勢、と言えば大袈裟であるが、これに巻き込まれて余計な仕事が増えた者は少なくない。
自分の手元で転がしておくなど、クレインでさえ申し訳なくてできないようだ。
「あたしの場合はイメージの話でしかないんですが、これって非常に珍しいのでは?」
「珍しいどころか初めてですよ。これほど頑張られたのは」
「これぐらいのレベル、もなかったんですね……」
「ええ、初めてですよ」
「おかしい。努力したのに何故この扱いなんだ」
「これまでのマイナス分を考えますとまだまだ帳消しには程遠いので。少しはエルナさんを見習ったらどうですか?」
「いやーあたしも大した事していないと思うのですが」
急に振られたエルナが苦笑いをする。
「ぶっちゃけカインさんの側に控えているだけだし、有事なんてからっきしだし……」
「ですがよく書類仕事を頼んだりしていますからね。非常に助かっています」
「いやいやいや。言われるがままに働いているだけですし、今でも分からない事ばかりですし」
「別にカインに聞けばいいだろ。折角だしこの場で教わったらどうだ? こっちの部屋に来たって事は一区切りついたとかだろ?」
「ええ、急ぎのものは粗方片付いた状況ですね。さあ、なんでも聞いて下さい」
「……じゃ、じゃあ。騎士と兵士の違いって、ただの階級?」
「……」
「……」
エルナの質問に二人が硬直する。
まさか失言だっただろうか、とエルナが顔を引きつらせる頃になると、クレインがゆっくりとカインを睨み始めた。
「随分と好き勝手な事をしていたようだな」
「……返す言葉もございません」
「しかもその様子だとエルナが騎士を希望したというより、カインが勝手にそう進めたんだな」
「そちらのほうが都合がよかったので」
「あたし、立場的にもなにかまずい、のか?」
「んー……既にアニカから勝ちを引き出せるぐらいの腕前だから、就いている仕事内容上は問題ないな」
カインがコホンと咳払いを一つして、クレインの言葉を引き継ぐ。
「だからこそエルナさんを騎士にしましたので、その辺りは心配なさらないで下さい。騎士に関しましては魔王を補佐する存在、とでも考えていただければ構いません」
「補佐……? 補佐……。でもカインさんの側に控えるのって、基本あたしだけですよね?」
「先代がこの方でしたので、そういう役目の人がいなかったんですよ」
「あー……うん? では騎士とは一体……」
「この補佐というのは国内の様々な問題に対し、迅速に実行する事で対処をする。というものです。なので騎士とは飽くまで制度上の名称でしかありません」
「んーー??」
「早い話、すぐに動かす事ができる優秀な専門家集団、みたいなものだ。兵士的な仕事もあるが、例えば土壌や水質など調査や、なにか災害があればその復旧の為の指揮を執ったり。そうした人物をあらかじめ城で抱えている、といったところだ」
「なんか分かったような、分からないような」
今一つ理解が追いつかないエルナが首を傾げる。
どう言ったら分かりやすいんだろうなぁ、とぼやくクレインを尻目に、カインが説明を付け足す。
「なにか起こった場合、対策の為の会議を行いますがそれから動くのでは遅い。あるいは一先ず動いてほしい、といった事があると思います。その時に先んじて行動する役目を持っているのが騎士です」
「あ、だいぶ分かりやすくなりました」
「なので兵士ではない方々も多く剣が扱えない騎士、というのも珍しくないんです。正直なところ、別な名称のほうが混乱を生まないとは思うのですが……それを今言っても仕方がないですね」
「兵士としての騎士の方は少ないのでしょうか?」
「それなりの数はいますよ。やはりそうした武力的な問題は、恒常的に発生しますからねぇ……」
はぁ、とカインが深い溜息を吐き出した。
よほど根が深い、というより根絶など難しいのだろう。
「以前、そうした任務は一度ありましたけども、あれって珍しい事じゃなかったんですね」
「魔物の多くは独自のコミュニティで暮らしていますからね。どうしてもそうした部分での衝突があります」
「昔は威圧的にやっていたから少なかったが、とっくに止めた今はだいぶ舐められているようだ。というかエルナも戦った事があるのか」
「そういえば非常に強力な魔法を使われた、という話ですね。私も報告書で読ませていただいただけですが」
「あっ」
「そんなに魔法が得意だったのか?」
クレインが目を丸くして驚いた。
果たしてこれまでエルナが大々的に魔法を使う姿を見てきただろうか。
それぐらい馴染みのない話である。
「得意、とは言えないけど使えないわけじゃ、ない」
「なんだか釈然としない言い方だな。カインの話からすればよほどの腕に聞こえるが」
「……祖父が結構凄い魔法使いで教わってはいたんだ」
「それで得意ではないが強力な魔法を? 報告書、すぐ読めるか?」
「あー……尾ひれがついていそうだからあたしが話すよ」
あまり話したがらない様子に配慮したが、逆の不安からかエルナが自らそう申し出た。
「あれは三ヶ月前ぐらいだったかなぁ。オークが砦を占領しているって話があったんだよ……」
平原に構えるレンガ作りの砦。
と言えば凄そうなものだが、実際はぽつねんと佇んでいるだけである。
農商国家建国以前、戦乱時代に周囲の町や村が建てたものだ。
剣の国が、当時まだ国ではなかった火の国の領土を飲み込めば、次はいよいよ自分達の番となる。
もっともそのこじんまりとした砦が、本当に防衛線として生きるとはとても思えない。いざという時の時間稼ぎが目的であったのだろう。
その砦を一人の騎士の男とエルナが眺めていた。
「あちらがその砦です。しかし、本当によろしいのですか?」
「流石にカインさんについて回るだけのただ飯食らい、というわけにもいきませんからね。調査ついでに損害を与えてやりましょう」
「あ、いえ。人間の方がこちらの魔物の討伐についてです。色々と不慣れだろうと思いますが」
「敵わなさそうなら無理せず引きますので」
「分かりました。それでは参りましょう」
見晴らしのいいこの場所では隠密などさして意味をなさず。
二人は駆け出すと一気に砦に向かっていった。
少しでも敵が戦闘態勢に入りきる前に、と比較的窓が少ない場所を目指す。
だが意外な事に扉を前にしても、慌しく動く気配などなく本当に件の魔物達がいるのだろうか、と思わず疑ってしまう。
二人は目配せして扉に近づこうとした瞬間、ふっと自分達を照らす日の光が遮られる。それも一瞬の事で、その直後にドスンドスン、と周囲に地響きが立て続けに鳴った。
「え!?」
振り向いた二人の周りには大柄な人型の存在が取り囲んでいた。
持ち上がった鼻の頭に、鋭い牙が生えた口。豚や猪を彷彿とさせるが、それほど鼻が長いわけでもない。人の顔をベースにそれらが混じっている、というべきだろうか。
鍛えられた体に槍や盾を持っている。砦の上からの強襲であった。
初めから観測されていたのだ、と気づいた二人は、素早くオーク達に初撃を放って牽制する。
するとほぼ同じタイミングで扉が勢いよく開き、敵の数が更に増していく。
エルナ達の意思は通じあっており、彼らを見向きもせずにぱっと全力疾走で砦から離れていった。
深追いする様子のないオーク達はどんどん小さくなっていく。十分な距離が取れていくと次第に減速し、やがて二人はへたり込むようにその場に伏せた。
「なにあの二足歩行する豚! しかも逞しいし!」
「あれがオークという魔物です。ですが困りましたね。随分と慣れている……きっと精鋭揃いでしょうね」
「……農商国家の軍として見て、あの戦力はどういう評価ですか?」
「その視点であればある程度の人員を集めれば大した脅威ではない、といったところです。とは言え、いつ彼らが近くの町を襲うとも知れませんし、急いで戻り態勢を整える必要がありますね。調査など悠長な事を言わず、始めから編成してくるべきでした」
「あの砦って壊れると困りますか?」
エルナの言葉に男が顔を歪め、しばしの長考に入る。
やがて苦虫を噛み潰したかのような表情で顔を上げ、
「壊してもいい、とは言えません」
精一杯の回答をよこした。
が、エルナは更に追い討ちをかける。
「オーク討伐による不可抗力、であれば多少の損傷も致し方ないですよね?」
「……多少は、ですね」
「それでは今から魔法で攻撃を行います」
「木っ端微塵は多少に含まれませんからね!?」
恐ろしい未来が見えたのか、男が声を上げて止めに入る。
「そ、そこまで酷いものじゃありませんから!」
「……」
尚も難色を示すものの、やはり今すぐ対処できるというのは魅力的なのだろう。
遂には折れて、エルナの案を受け入れるのだった。
そうと決まればまごつく時間などありはしない。エルナは魔法を唱える為に、静かに瞑想をし、集中力を高めさせる。
やがて魔法の詠唱が始まった。
ただでさえ南の大陸の魔法。聞き覚えのない詠唱に、男は耳を傾け注視する。
(雰囲気、いや気配が変わった。詠唱の始めだというのに、魔力が収束して膨張するのが感じられる……。彼女は南の大陸では勇者という称号を与えられていたとは聞くが、それに由来する魔法なのだろうか?)
魔法に対する好奇心が芽生え、わくわくとその瞬間を待ち望む。
長い詠唱は続き、次第にエルナの周りに冷気が漂い始め……
「凍土!」
最後の言葉と共に弾けるように散った。
すると同時にゴン、という轟音が地面の揺れると共に伝わる。
エルナから砦へと視線を移した男は驚愕した表情でそれを眺める事になった。
砦が丸ごと、巨大な氷に呑まれたかのような姿。これぞ正に氷漬け、と言わんばかりの光景であった。
「……」
絶句する男など目に映らない様子で、エルナはころんと転がるように仰向けに寝転んだ。
「やりすぎた」
テヘ、とでも言いそうな軽い口調である。
「なんですか、これは……実は大魔道師とかなのですか?」
「いやー祖父がそれなだけで、教わってただけですよー」
「だとしても十分に素質が……いえ、今はそれよりこの状況ですね。どちらにせよ増援は必要、か」
「ゴメンネー」
「あれほどの魔力で放たれたものだ……当分、溶けたりはしないだろうし、氷を砕き、万が一生き残ったオークがいたらその対処。結構な人数を割かなくては……」
「ゴメンネー」
ほぼ独り言で状況の整理をしている男に対し、合いの手の如く謝罪の言葉を挟むエルナ。
しかもお花畑な雰囲気のエルナに男は内心ぞっとする。
(どうしよう。恐らく一瞬で魔力が空になった反動なんだろうけども、こんな様子を見てしまっては今後顔を合わせるのが気まずい)
「といった感じ。今はその人とは普通に会話できるよ」
「砦……あれか。取り壊してもいいぐらいに思っていたがダメだったのか……」
「反応するところそこなのか」
なんの為の話だったのだろうか。
エルナがそう思わずにはいられない反応である。
「いや、驚きはしているんだぞ? それほどの大魔法であり、実はあまり調整ができないとか末恐ろしい」
「そ、それはほら、そんな気軽に練習できないし」
「というか、そんなカードがあって南の大陸では切られなかった幸運を、今しみじみと感じた。普通に恐怖だな……」
「……?」
エルナとカイン、二人が眉間にしわを作ってクレインを見つめる。
なんとも不服そうな表情だ。
「なんだその顔は」
「だってなぁ……。確かにさ、あたしは魔王のイメージって魔法にも長けて、耐性もあると思っていたんだ。しかも向こうで旅をしている時、とてもじゃないが詠唱しきる隙なんかなかったし」
「使わなかった理由は分かったが、表情と内容があってなさ過ぎる」
「それは……ねえカインさん?」
「ですよね」
「お前を氷漬けにしても普通に割って出てきそうじゃん」
「むしろ中から弾けるように砕け散りそうですよね」
「できるわけないだろ」
暗に言われた殺しても死ななさそう。
これでも幼い頃は死と瀬戸際で生きてきたクレインにとっては、憤慨したくもなる言われようだ。
「話の限りじゃ範囲内にいた者は体の中まで凍っているだろ。普通に死ぬわ」
「……クレインだし」
「魔王様ですし」
「これほど嬉しくない全幅の信頼もそうはないな」
なにを言っても覆りはしなそうな様子に、クレインは溜息を吐いて流す。
「だが実際に見てはみたいな。凍土……こっちに類似する魔法もないだろ?」
「そうですね。通常の氷の魔法と比べて規模も全く違いますし。正直、私も拝見させてほしいものです」
「……」
二人の期待に満ちた目を向けられて、エルナが困った様子で目を逸らす。
あまり乗り気ではないエルナにクレインとカインが顔を見合わせる。
「ちゃんと安全な場所を確保するぞ?」
「確かにそれは必須だけど、そういう事じゃなくて……」
「こちらで解決できる問題でしたら対処しますよ」
カインにまでこう言われれば、言葉を濁して避けるわけにもいかない。
観念したエルナが複雑そうながらも二人に向き直る。
「……その、もの凄い疲れるんです」
どこか虚ろな目でそう語るエルナから、不必要に使いたくはない。というオーラが迸っていた。
「そんなに?」
「そんなに」
「……そういえば三日続きましたね」
なにが続いたのだ。と、問うまでもない。
お花畑状態。
クレインにしてみれば、そんなエルナも見てみたい気さえする。
しかし三日。絶対に不安を覚える。
そもそもにして、
(それは後遺症と言うのでは……?)
と疑問を思うものの口にはできず。
そもそもこれ以上、聞き出すのも憚れる。
見事にその場の空気も凍らせたのであった。




