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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
四章 謀る者
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九十三話 困惑

「……」


 ある男は今、窮地に陥っている。


 全身の毛穴が開き、噴き出すような汗をかき。


 どのように対処すべきかなど皆目見当もつかず立ち尽くしていた。


 クレイン・エンダー。


 かつては賊狩りとして多くの悪党をその手にかけ、暴君であった魔王ゴート・ヴァダーベンを討ち、自らが魔王となった男。その後にいたっても、なにかと騒動を生み出してきた。


 それほどの人物がこの状況である。


 彼の前には一人の女性が、はらはらと涙を流していた。クレインの手に自分の手を愛おしそうに重ね顔を歪めて。


 なにかを言われるどころか、嗚咽だけは上げまいと堪える様は、見る者に身が裂けそうな痛みを感じさせるほどであった。


 水の魔王リリア・スフェスター。


 彼女と対面直後よりこの状況となって、一体どれほど経っただろうか。


 クレインの時間感覚などとうに失われ、既に永遠を思わせる体験をしている。


 当然ながらそんなはずもなし。まだ数分の出来事だ。


 やがて、そろそろ十分ぐらいか? とカインやエルナが考える頃になって新たな動きが見られた。


 伏せ気味であった水の魔王が顔を上げ、


「本当に、貴方なのですね……」


 と儚い笑顔を作り、震える声を絞り出す。


 裂けそうな痛みなど生易しい。体は粉々に打ち砕かれて虚無へと散っていく。恐怖をも超えた先、言葉にはできない感覚に襲われた。



「恥ずかしい姿をお見せしました……」


 一度、クレイン達は別室に通され、改めての挨拶となった。


 あれからしばらく時間を空けたものの、醜態を晒したと恥じ入っているのか、水の魔王は耳まで赤く染まった姿である。


「いえ、こちらこそ先代の愚王により、その御心を振り回してしまっている事を深くお詫び申し上げます」

「……」


 平時であればクレインがなにかしら言い返しそうなものである。


 しかし今は、先ほどの事もあって完全に燃え尽きているようだ。


 よほどの罪悪感を植えつけられたのだろう。水の魔王と目も合わせられない、というより目が泳いでいる。


「クレインをここまで追い詰めた人物っていなさそうだな……」

「ええ、こんな魔王様は初めて見ますよ」

「魔王様……? もしかしてもう魔王に戻られたのですか?」

「あ……いえ、私の癖でして。今のところはまだなにも決まっていないんです」


 ばつが悪そうにカインが頭を下げる。


 声のトーンが上がったところを見ると、変に期待をさせてしまったようだ。


「いい加減、クレインもちゃんとしろ」

「いや……その……本当にごめんなさい」


 もはや人格が壊れているまである反応。冷やかすのも気が引けるほどに。


 そんなクレインの手を水の魔王が再び手を重ねる。


 先ほどとは違う、優しく包み込むような形だ。


「貴方に責められる謂れなどありません。先ほどは……その、私も取り乱してしまい申し訳ありませんでした。私は貴方が生きて下さっているのを、心から嬉しく思っているのです。ですからそのような顔をなさらないで下さい」

「水の魔王……」


 ようやく青ざめた顔に色が戻り始める。


 一瞬でできあがった氷山が溶けていくようだ。


 クレインに落ち着きが見られ、水の魔王が離れたところでカインが口を開く。


「水の魔王。可能であればここ魔王城に滞在させて頂きたいのですが、許可を頂けないでしょうか?」

「ええ、構いませんが……ああ、だからそのような格好だったのですね」


 水の魔王が苦笑しながら改めてローブ姿のクレインを見る。感動が先で深く疑問に思っていなかったのだろう。


 だがカインの申し出で合点がいったらしい。


「部屋はどうしますか?」

「あ、できれば二部屋であたしは個室でお願いします」


 カインよりも先にエルナが要望を伝える。


 いきなりの割り込みもだがその内容に、三人が目を丸くした。


「えっ」

「え、ええ……ですが本当にそれでよろしいのですか?」

「構いません」


 若干の困惑を見せつつも、水の魔王が部屋の手配の指示を出す。


 少し離れた隙をつくように、クレインがエルナに近づき小声で訊ねた。


「あのー、エルナさん?」

「話はあとで」

「あ、はい……」


 ピシャリと言われてクレインはどこかしょげたように肩を落とす。


 そんな会話がされているとは知りもしない水の魔王。


 だがなにかを感じ取るものがあったのか。振り返って見たその光景に僅かな苦笑を浮かべる。


「まずは旅の疲れを取って下さい。食事も城で取られますか?」

「ただでさえ無理を言っているのです。そこまでしていただくわけにはいきません」

「……分かりました」


 水の魔王がそう言いながら僅かに身を引く。


 すると、何時の間に控えていたのか、部屋の扉付近にいた侍女が近づいてきた。どうやら三人が使う部屋への案内をするようだ。


 水の魔王のにこやかな笑顔で見送られて部屋をあとにする。


 それにしても先ほどの受け答えの間はなんだったのだろうか。


 その疑問にいたったのは三人ともだったようで、お互いに顔を見合わせるも特に思いつくものはない。


 果たしてなにが……、と考えている間に道案内が終わったのだった。


「では私は失礼させていただきます。なにかご所望がありましたら私どもに仰っていただければご用意いたします」

「ええ、ありがとうございます」


 案内をした侍女が深々と礼をして去っていく。


 動作の一つ一つがピシリとしており、ただ見ているだけでも気品や美しさを感じさせる。流石は水の都市、といったところだ。


「それじゃああたしは自分の荷物を運ぶから」


 にべもなく、一人部屋へと入っていくエルナ。


 残された男二人。特にクレインは困惑した様子である。


「なあカイン君。こういう時ってさ、普通は俺とエルナが二人部屋なんじゃないのかね」

「私もそのつもりでいたので、正直反応に困っています。私の見てないところで相当な失言とかされたのですか?」

「この旅で四六時中一緒にいたのにか?」


 ここまで宿を取る時は三人一部屋であったのだ。基本的にいつも一緒である。


 なにかあればカインが気づかないはずもなし。


「……ですよね。だとしたらそもそも出発前とかでは?」


 もしもそうなら相当根深いものである。


 激昂を買ったのだろうか? しかし道中でそれほど険悪な雰囲気は見受けられなかった。


 ならば一体何故なのか。


 気になるところではあるが、通路で呆けているわけにもいかない。


 一先ずは、と二人はエルナに倣って部屋に入っていく。


 煌びやかで丁寧に作りこまれた数々の調度品。


 豪華であるのに違いはないが、下品などとは程遠く、芸術的な美しさに彩られていた。


「なに呆けているんだ?」


 相変わらず見事なものだ、とクレインが感心していると、背後から呆れたエルナの声がする。


「何時の間に……」

「別にそんな隠密をしたつもりはないんだけど。むしろあたしが外に出たら丁度扉がしまるところだったけど、あの廊下でなにしてたんだ?」

「いや、大した事じゃない」


 エルナの一人部屋についてぼやいてました。など、特にやましい事はないが、わざわざ口にするものでもなく、クレインは言葉を濁す。


 それほど気になるわけでもないのか、エルナもふーん、と納得しているのか分からない声を上げた。


「一応、さっきの説明に来たんだけども」

「……」


 その言葉にクレインの顔が険しくなり、どこか剣呑とした空気が漂いだす。


「いや別にそんな構えなくてもいいよ。正直に言うと……なんだ。クレインと一緒なのは困る」

「こ、困る……」


 クレインの顔がみるみる絶望していく。


 絶対になにか勘違いをしている。


「……お前さ、あたしがどんだけ我慢してきたと思っているんだ? そりゃお前もそうだろうけども、身体的にそういう状況でなかったから気にもならなかっただろ」

「え……? す、すまん、言っている事がよく分からないんだが」

「エルナさん、私は席を外していた方が話しやすいのでは?」

「ごめんなさい、お願いします」


 言わんとする事を察したカインが気をつかって部屋の外に出ていく。


 仮にも上司。仮にも仕える魔王。エルナから申し出るのは、例えそれで怒らないと分かっていようとも勇気がいるものだ。


 ありがたい気遣いである。


「あのさ。お前が慌てて死の島へ戻ってから、一体どれだけ時間が経っていると思っているんだ。それで二人きりの部屋だって? 隣の部屋にカインさんがいるとはいえ、抑えられるのか? というかあたしにそんな自信はない」

「……あっ。あー……」


 ようやくクレインも分かったのか、非常に気まずそうな顔をする。


 身も心もとうに通わした二人だ。


 あまり性欲に頓着しないとはいえ、クレインとて立派に男である。


 潮風の国で告白しあって以降、そういう事は幾度とあったわけだ。


 慈しむ魔王による死の呪いによって、衰弱する体では性欲も湧きはしなかっただろう。


 しかし蘇った当日の騒動、その翌日の水の都市への出発の準備。そしてここまでの道中も二人の時間がなかった今、それが設けられて果たして自重できるのか。


「確かに、それは無理だな」

「で、ここでするのか? 水の都市で? それも魔王城で?」


 もしも抑えられずにいたそうものなら、死ぬまで後悔するのだろう。


 ぞっとしない話だ。


「エルナの英断に感謝するよ」

「だろ? ただでさえお前はふっといきなり昂ぶるんだから、抑えなくちゃいけない環境は保たないと」

「それ……間違っても人に言わないでくれよ?」


 普段の様子を見れば、むしろあまり異性に興味がないのではとさえ思えるクレイン。


 事実として、南の大陸では一度としてエルナにそうした面を一度と見せた事はない。


 しかし今は言われたとおりであるのだ。


 早い話、これまではただ恋人がいなかったから、というだけである。


「自分でも不思議なぐらいなんだよ……」

「だろうな。南でも手を出された事がないから、あたしが誘導しないと抱いてももらえないと思っていたぐらいだし」

「とにかくこの話題はここまでにしよう。いつカインが入ってくるかも分からないし……」

「まあ、今するべき話でもないか」


 クレインも納得したところで、カインを呼びに扉を開けるも周囲には人影すらない。


 隣の部屋にいるのだろうか、と確認するもそちらもなし。


「どこに行ったんだあいつ……」

「結構長話になってたかなぁ」

「いや、トイレにでも行ったんじゃなければ、なにか目的を持って行動していると思うが」


 探そうにも無闇やたらに城内を歩き回るわけにもいかない。


 大人しく待っているか、などと話し合っている内に、カインが何食わぬ顔で戻ってきた。


「廊下で立ち話とは、なにかあったのですか?」

「あったのはお前だよ」

「それは失礼。少し水の魔王と話をしておりました。今晩、食事をご一緒する事になりましたので」

「え? そういうのはお断りしたのでは?」

「なのでお誘いを受けました。これだと断る理由がないですからね……」

「なるほどな」


 先ほどの水の魔王の返答にあった間はそれを考えていたのだろう。


 飽くまでそういう方向でもっていこう、と。


「水の魔王も大胆な判断ができるようになってきたな。昔だったら絶対にやらないだろ」

「そうですね……誰かさんの悪影響に思えて心配です」


 カインとエルナ。二人の疑いの眼差しがクレインに向けられる。


 当の本人は本人で、顔を背けて目を合わせようとはしない。


 この場でどうのと言っても進展もなし。カインが溜息を吐いて区切りとした。


「とりあえずあとで着替えてきて下さい。城のほうで服、というか鎧を用意して下さるとの事ですので」

「え、なんかそれは申し訳ないな」

「その姿ですと違和感が酷くて落ち着かない、だそうです」

「あー、それは分かる」

「ここまでかなり時間があったのに馴れもしなかった?」

「そうなんですよね。むしろ気持ち悪いまであります」

「おい提案者」



 日も沈み、城内に明かりが灯されていく。


 警備などの交代の時刻でもあるのか、兵士達の行き交う姿が多く、城内は賑やかさがあった。


 しばらくすればそれも落ち着き、いつもの水の都市の魔王城の姿に戻っていく。


 そんな静けさの中、一室にクレイン達と水の魔王が集まっていた。


「鎧の件、すまなかったな」

「いえ、お気に召していただければ幸いです」


 白と青を基調とした鎧。それも上位の兵士のものである。


 ちゃんとした衣服も持ってきてはいるが、それとて地味で目立たないのを選んできたのだ。


 どの道、水の都市での現時調達は必要であったのだから、ありがたい話である。


「そういえば出席する国とかは分かっているのか?」

「剣の国、山岳都市、火の国、樹海の国。それと砂炎の国と闇の国の六カ国ですね」

「随分と珍しいところが出るな……最後に出席したのはもう十数年前じゃなかったか」


 おおまかに二つの派閥で分かれる北の大陸。


 その中でも中立、というよりも他国との交流が著しく乏しい国がある。


 それがこの二ヶ国であるのだ。


「この半年でだいぶ変わりましたからね。あまり接触がないのは変わりませんが、いくつかの協定を水の都市と結んだんですよ」

「え? あれ? あたしは知らないんですけど……」

「その時は私達も出席していませんからね」


 確かに頻度は多いのだろうが、常に共存派が集まるわけではないのだ。


 こと件の二つの国との協議は飽くまで水の都市とのもの。他の国が出てくる幕はない。


「しかし今回は俺の復活報告会みたいなものだろ。なんでそこに出てくるってなったんだ?」

「砂炎の国と闇の国は元々、近々話し合う予定があったのですが、どうにも物のついでにという事になったそうです」

「半年で二回も集まるのか……剣の国の共存派鞍替えに次ぐ大ニュースだな」


 はー、と感嘆なのか溜息なのか。クレインが深く息を吐き出す。


 会話が途切れたのを見計らいエルナが訊ねてきた。


「その二つの国はどういうところなんだ?」

「知らなくても仕方がないな。砂の炎と書いて砂炎(さえん)の国、岩場に囲まれ、内側はほぼ砂漠だ。領土としては樹海の国と同じ形式だな。他国との接点は殆どなくて、自国で争いあっているところだ」

「え、怖っ……」

「魔王はいるがその座を巡ってな。複数の集団から成り立つ国だからどうしても権力争いがあるみたいだ。お陰で、というべきか兵士達の剣の腕前は剣の国にも負けず劣らずだな。あれは相当強いぞ」

「え、待って下さい。魔王様、行った事あるんですか?」


 クレインがしまった、と顔をする。


「排他的ではないにしても、よく行かれましたね……。姿からして目立たれたのでは?」

「そこはもう変装して……」

「……」


 カインの目が険しくなった。


 こいつなにしてくれてんですかテメー。


 そんな言葉が聞こえそうである。


「姿……砂炎の国の方は有翼種みたく特徴的なんですか?」

「いや、肌が褐色で目が赤なんだ。鼻筋も通っていて美男美女の国って感じだな。まあぶっちゃけ外から来てたのはバレていたけど、別に気性が荒いわけじゃないから特に問題はなかったよ」

「変に反感を変われてなければいいんですけどねぇ……」

「で、闇の国は固い岩盤の中にある……地下帝国だな」

「だから闇、と」


 特にイメージはないものの、地底人というものだろうか。


 と、見ぬ種族を想像するエルナだが、


「住民の構成がほぼ魔物という場所だ。コウモリやムカデにクモ。まあ樹海の国のように元々暮らしていて、国と定められたからそういう種ばかりなんだ」


 それら全てを塗りつぶす話すに軽く身震いを起こす。


「……ゾッとした」

「だろうなぁ……流石の俺も行った事はない」


 その言葉にカインと水の魔王がおぉ、と小さな声を上げる。


 砂炎の国すらも行ったクレインでさえ退けた事実に驚いたようだ。


「あと、俺も会った事はないが闇の国の魔王は相当に癖が強いとか」

「……ええ、その通りですね」


 意外にも同調したのは水の魔王であった。


「クレインに癖が強いって言われるの、不名誉そのものだな」

「いや、まあ……どうせ会うんだ。楽しみにしていればいいさ」


 難色を示すクレイン。


 エルナがはっと周囲を窺うと、カインはなんとも言えない困った表情に、水の魔王は露骨に目を逸らした。


「因みにこの中で会った事があるのは水の魔王だけだ」


 エルナが再度、水の魔王に視線を向けると、顔までも逸らしているのだった。


 あの彼女がである。


 実態はどうあれ、クレインにそう言われるだけの存在なのは違いない。


 場の空気がガラリと変わった今、エルナは密かに戦慄を覚えるのであった。


 しかし今更逃げる口実もありはしない。


 いや一片の、一つの塵の可能性として、当の魔王が遅れ、本来すべき協議はあとにするから、クレインを含むものは前倒しに、という事もありえるかもしれない。


 なんとも脆い希望だが、好奇心よりも恐怖心が勝るエルナは、それが叶う事を祈るばかりであった。

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