九十一話 目覚め
「魔王は死んだ」
ただでさえ、やる事なす事常軌を逸し、更には二人の魔王をも討った稀代の魔王。
荒ぶる魔王クレイン・エンダー。
少なくとも後者においては生まれる時代を間違えている。遥か大昔の戦乱の世ならば英雄であったであろうものを。
疎まれ嫌われ憎まれないはずがない。そも扱いに困るから近づきたくもないし、近づかれても迷惑。
そんな鼻つまみ者。
だがそれ以上に好かれ慕われ愛されもしていた。
多くの人々、多くの重鎮、他国の魔王さえ涙を零すのを禁じえない。
彼女もまたその一人である。
エルナ・フェッセル。魔王を討つ使命をもっていた勇者。そして、彼と思いを打ち明けあった間柄でもある。
「あれから半年も過ぎた。帰る気になどなれず、どこかでその死を信じきれず……いや、もしかしたらまだ生きているかも。また会えるかも、と淡い脆い夢を見ていた。だから離れられなかった」
北の大陸。魔王達が住まう地。そこで唯一の人間である彼女は、去るという選択肢もあったのだ。
しかし、今もこうしてここに留まっている。
「けど無為に過ごすわけにもいかない。せめてクレインが目指していた未来の為にあたしも力になりたい、と魔王となったカインさんの騎士として働いた。忙しくて大変だったけども、そのほうが気が紛れて楽ではあったよ。一人になるとどうしても落ち込むし」
泡沫の夢に身を委ね、心ではその先になにもないのを分かっていて。それでも己を騙す生き方を続けて。
心に言い訳を続けて。
例え辛くても、捨てる決意など湧きはせず、大事に抱え続けて。
「どれだけ、悲しい思いをしたと思っているんだ」
そうして今、一人の男に馬乗りになってその首をギリギリと締め上げている。
真っ黒で立派な鎧を着込み、けどそんな風にはまるで見えない男。
死んだはずの先代こと荒ぶる魔王クレイン・エンダーであった。
「……よもや、恨まれるほどに悲しんでいるとは俺も、ゲホゴホ」
ようやく解放されると、咳き込みながらもなんとかそれだけを言う。
顔は少し青白く、だいぶ本気で締められていたようだ。
クレインが再び姿を現したその日。
農商国家の魔王城はかつてこれほどがあっただろうか、という大騒ぎとなった。
ゴート・ヴァダーベンが討たれた日よりも、クレインが没した日さえも霞むほど。もはや突如やってきた世界の終焉にパニック、といった光景であった。
当然である。死者が現れたのだ。それも半年の時を経て。
幽霊なのかゾンビなのか蘇ったのか。それを確かめるよりも先に上を下への大騒ぎ。
最終的に混乱は城下町まで広がり、人々が城に押しかける事態へと発展していった。
多くの者が建国以来史上最大を疑わない大騒動は、日が暮れた頃になってようやく落ち着きをみせる。
そんな事件の渦中のクレイン。
翌日には愛をささやき合った相手に締め上げられていた。
流石に少し可哀相な気がしなくもない。
「全く……こうしていられるからいいけどさぁ」
上半身を起こしているクレインへ、のしかかるように抱きつくエルナ。
今でも信じられない。
実は夢ではないかと疑いもする。
だが、今この時が偽りであっても、身を委ねられるならともう深くは考えない事にしていた。
「それはそうと仕事はいいのか? 騎士になったんだろう?」
「……」
「ふん、カインに比べればその程度の視線、痛くも痒くもないさ」
「どこにもえばれるポイントがない」
「それに言うだけならタダだし誰でもできる」
「最低だ。まあ変わりないようだし、これで安心しているあたしもあたしだなぁ……」
浮かれている気分を自覚し僅かにエルナがしょげた。
「なにに対して落ち込んでいるんだ……」
「これでもこの半年でそれなりに経験を積んで成長してきたつもりなんだよ……。はあ、アニカさんのようには中々なれないなぁ」
「随分と高レベルな比較対象だな」
多くの事で目立つアニカ・ゲフォルゲ。
容姿であったり剣であったり人柄であったり。
ある種のヒーローと言えるだろう。
そんな人物を目標にするのは向上心があっていい事だが、あまり比べすぎても届かない事に苦慮するばかり。良くも悪くもある相手だ。
「あれは……性格もあいまってのものだからなぁ。目指したところでどうしても壁がある。重荷になるようならちゃんと降ろせよ?」
「大丈夫だよ。そこまで思いつめているわけじゃない。そもそもあたしはそこまで優秀じゃないしね」
アニカを目指しているのも、どうせ辿り着けはしないという思い混じりだ。ある意味、気負いをし過ぎない健康的で不健全な目指し方である。
こうしたネガティブな側面もあるのがエルナという女性だ。
だからこそ巡り巡ってこの、魔王と勇者という不思議な巡り合わせとなっている。
「だが騎士が務まっているんだから優秀じゃないは言い過ぎだろう。兵士の中には騎士になりたくてもなれない奴もいるんだ。あまりそういうのを外では言うなよ?」
「……そうだな。でもどうしても成りたい自分を考えるとさ」
「そんな時は俺を見るといい。どうだ? 落ち着くだろう」
「確かにここまで有能な反面教師、そうはいないな……」
そう皮肉は言いながらエルナは更に身を寄せた。
確かにいたらないところだらけのクレインではあるが、目指すものの一部を構成しているのは事実。
だが、これまでの接し方を考えれば、憧れを抱いているとはあまり知られたくはない。
それが顔に出たら気恥ずかしい、とエルナの照れ隠しであった。
「因みに仕事だが半分お休みだ。いや、なったというべきか」
「カインの騎士なら基本は護衛みたいなもんだろ。それがなんでまた?」
「今日は一日中会議室に篭りっぱなし。ずっと扉の外で待機も……て事で、時間を見て休憩や移動時に側に控える感じで頼まれている」
「問題でも発生したのか……」
「……もしかしてギャグで言ったのか?」
エルナが身を離してその顔を見つめる。
正にその中心人物であるクレイン。
まるで一体何事が、と言わんばかりの様子に、エルナが顔をしかめた。
何故こういうところの自覚はないんだろうか。
しかし流石のクレインでも、こう言われれば気まずそうに苦笑いを浮かべる。
「そりゃあそうか……俺が死んだから交代したのに蘇られてどうしよう、て話か」
「まあね。元々辞任だってまだ正式な事はやってなかったんだし、いっそ戻ったらどうだ?」
「今更仕事漬けの生活に戻るのはなー」
「どこら辺が漬かっていたんだよ」
「……踝ぐらい?」
「よく堂々と仕事漬けなんて言葉が言えたな。ああでも、渡す物があったんだった」
「この流れで渡されるのって絶対よくないものだろ」
「そんな事はないぞー」
クレインから離れたエルナが持ってきた、というよりも抱えてきたのは紙の束だった。
ドサッと重そうな音を立てて机に置かれる。そしてもう一山、二山とその数は増え続ける。
「なんだこれ……」
「町の人からクレインの魔王復帰の嘆願書。魔族にとってしてみればそんな長い期間でなかっただろうけども、それでもクレインはこの国の魔王としての象徴になっているんだよ」
「泣かせてくれるなぁ」
「これまで色んな事から守ってきた民の言葉だ。無下にはしないだろう?」
ニヤァとエルナが悪そうな笑みを浮かべる。
昨日の今日で送られた紙の山。自分を慕う者達の言葉だとしても、これを全て目を通すのは相当な根気がいりそうだ。
既に全ては無理、と諦めているクレインが少しの束を手にし、読み始めていく。
『クレイン様の悲報を聞いた時は……是非とも、再び私達を導いて……』
『我らの王の帰還を祝す!』
『私はかつて旅人であり、クレイン様の事は賊狩りの頃より……』
『我らの王の栄光を再び! 農商国家万歳! クレイン様万歳!』
『クレイン様こそこの農商国家の魔王。何卒、魔王への復帰を……』
『我らの王! 我らの王! 我らの王!』
「なんだこれは」
「嘆願書」
「いや……いや待て、流石におかしい……」
様々な思いが綴られている中で、なにか怖気が走る狂信的な文面の紙が何枚も出てくる。それも文字のクセは全部違う。
別の束を手にし、パラパラとめくってみるとそちらも同様。
半分近くはこの狂気を放つ文章が綴られていた。
「こんな祀り上げられかたをされていた記憶はないんだが」
「死して神格化された、みたいな」
「多分……今、これまで生きてきた中で一番の恐怖を感じているかもしれない」
幼少時に非捕食者として震えて過ごす日々であったクレイン。
それさえも上回るものがここにあったのだ。
勿論、命の危機を感じるような事はないとはいえ、得たいの知れなさという点では群を抜いている。
「これはクレインが魔王に戻らなかったらなにかしらありそうだな」
「冗談にならないんだが」
「ま、なんにせよ明日から出かける事になるだろうし、諸々の問題は後回しになるだろうけども」
「ん? ああ、協議でもあるのか……待て。今の言い方だと俺もか?」
「当たり前だろ。そもそもこの協議はクレインが原因だ」
「あ、はい」
どんな名目の議題かは分からないがなにについて話し合うかを察した。
しかし他国交えてどんな話になるのやら。
クレインがうーん、と首を傾げていると、エルナが大きな溜息を吐いて補足をし始める。
「協議と言っても殆ど報告会になると思う。昨日の内に伝達を走らせたし、むしろ各国が詳細を知りたがって集まる感じじゃないかな」
「それじゃあ協議自体、まだ知らないところもあるぐらいなのか」
「魔法を使っての事だから、話が届いていないところはないと思うけど。まあ寝耳に水の状態だろうな」
元々予定されていたわけではない協議。
恐らくは早急の報告として、という形になるのだろう。
急な話だけに来れたら来い、の集まり方に文句を言われそうだ。
しかし、落ち着いてからと先延ばしにして、クレインの存命が伝わればそれはそれで混乱を招く。
どう足掻いても不満は回避できない。
「というかこれ謝罪会見では」
「そりゃあ迷惑かけたからな。だからクレインも行くんだよ。それに」
「それに?」
「クレインの魔王再就任の挨拶もあるし」
決定事項のように語られた。
先ほど後回しにすると言ったのはなにに対してだったのか。
しかし今はそれを問う必要などない。
然るべき行動。
クレインにとってそれは逃げるただそれだけであった。エルナに対し少々不義理にも思えるが、クレインにとって別れはつい先日のようなもの。半年の時間を実感すらしていないのだ。
即座に避難場所を死の島に決め打つ。あそこならば誰も近づけまい。
足を前に投げ出すように床を蹴って後ろ手に扉を開ける。
も、その手は空振り背中になにかがぶつかる衝撃が走った。
「あっ」
エルナが目を丸くして驚いた声をあげる。
その視線はクレインの背後。
当然ぶつかったのだからなにかがある。
だがクレインにはそれがある、ではなくいる、なのだと実感していた。
嫌な予感、嫌な気配。それも幾度となく感じ味わってきた感覚に、じっとりとした汗が吹き出てくる。
ゆっくりと背後を確認すると、以前よりもトゲの量が増量した気がする棍棒と、それを振りかざす満面の笑みのカインの姿があったのだった。




