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オパールの杯に乾杯を  作者: 一矢
一章 出会う者
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九話 魔物

 沿岸部から距離を取っていくように広がる平原。そこを行く姿が二つ。そしてそれを阻む姿が四つ。


 見れば犬や狼のようにも見えるが、あまりにも鋭い牙と爪。更には大型の肉食獣をも思わせるその姿に、それらと断言する者はそう多くはいないだろう。


 見据えて唸る四匹の魔物を前に、クレインは悠然と剣を引き抜くと、大地を強く蹴って自らを押し出した。一瞬で間合いが詰まり、怯む魔物達の間を縫うように駆け抜ける。魔王とすれ違った魔物達は、顔が二つに割かれたり、首より血飛沫をあげたりと一太刀でもって倒れていくのだった。


「……」


 あまりの速さと正確な太刀筋に、エルナはその光景を呆然と眺めるしかなかった。確かに海上で巨大な一撃を目撃している。それはそれで驚愕すべき光景だったが、今見たものも十分に衝撃的であるのだ。


(今更、正面から戦うつもりもないがこれは……)


 むしろ上手い事、魔王の元に辿り着いて一騎打ちや、万全でない夜襲をかけなくて良かったと思うまであった。下手をして手加減無用な環境で対峙していようものなら、自分の未来は深淵よりも深い闇へと叩きつけるられるようなものだったのだろう。


「凄いな……構えた状態で真正面から向かってこられただけで、一体何度受け止められるか……」

「目で追う事はできたのか。中々人間も侮れないな」


 感心した様子を見せるクレインは、ふっと表情を和らげる。


「あるいは、エルナの鍛錬の賜物か」

「後者だな」

「ほう、自信家だな」

「これでもそれなりに鍛えてきている。それぐらいの自覚もなしに、魔王を討つ役目を背負おうとは思わないさ」

「なるほどな」


 当たり前のように語るエルナだが、顔が僅かに緩んだように見える。敵とは言え、やはり賞賛されれば嬉しいもの。気を良くしているのであれば、水を差す必要もないだろう、とクレインはそれに気づいていない振りをする。


「それにしても……随分と野生動物に近い姿だな」

「まあ、お前の近辺は魔物いなかったもんな。あたしが今まで戦ってきたのはどれも……って、待て! なんでお前が襲われるんだ!」

「下級の者の事情など知らんよ」


 至極最もなエルナの抗議も、取り繕う様子もなくしれっとした様子で受け流す。少なくとも魔物に襲われる事はないのだろうと思っていたエルナだが、また予想を裏切られる結果となった。


 今までであれば苛立ちを覚えたりもするのだが、直前の出来事のように長たる魔王クレインが処理するのだろうし、彼女としても魔物の存在は有り難い事なのだから、これを否定する訳にはいかなかった。


 軽い溜息を一つついて、エルナは自身の荷物から手早く短剣などを取り出して、血の池を広げ続ける魔物へと近づいていく。


(とは言え、野生の直感やら何かしら気づきそうなものもあるだろうに)


 剣を振るって血を払い、鞘に収めながら魔物の事を考えるクレイン。彼としても魔物との遭遇は想定していたものの、こうも真っ直ぐに襲われるとは思っていなかったのだ。


(殺気を放っても退かなかったな……。とすると、大抵の魔物は襲い掛かってきそうだな)

「……エルナ? 何をしているのだ?」


 魔物について考えているクレインの視界に、死んだ魔物のそばで何やら作業を行うエルナの姿が目に留まる。振り返るエルナの頬には赤々とした血がついていた。


「え? 何って売れそうな部位を剥いでいるに決まっているだろ」

「なに……?」

「あのなぁ。国から無限に補助があるわけじゃないんだぞ。お前のいう稼ぎも何時になるのか分からないのに、稼げるところは稼がないでどうするんだ」


 言いながら頬を拭うエルナ。頬を染める血が更に広がる。そんな姿にクレインは顔を歪めた。嫌悪などではなく、彼女が辿った道を想像したからなのだろう。


「慣れた手つきだな……エルナはそうやって生きてきたのだな」

「まあね」


 自嘲気味に鼻で笑うと、再び魔物の解体作業に戻る。その姿にクレインは険しそうな顔をすると、大きな溜息をついてエルナに近づいていく。


「こちらを向け」

「え? ん……別に後で顔を拭くからいいのに」

「見ていて居た堪れない」

「そうか? 別にしている事は狩人と変わらないだろう」

「だが立場が違うだろ。お前は……いや、言っても仕方がないか」


 まるで何かを責めるような口ぶりだったクレインだが、ふうっと息をつくと黒く輝く美しい短剣を引き抜いた。


「私もその死体には用がある。ついでに綺麗に解体もしよう」

「そりゃ有り難いけど、何があるんだ?」

「それは当然……」


 そう言うが早く作業に取り掛かるクレインも、随分と慣れているのか滑るような手つきで進めていく。喉から股間部へと裂き、内臓を覆う膜を切りながら取り出す。魔物の皮を剥ぎ、足の骨を折って切り落とし、そうこうしている内にさっと切り分けた物を見せてきた。


「肉だ」

「食うのか……」

「食わないのか?」

「うー……だって元は犬か狼だったやつだろこれ。あ、魔物として繁殖した可能性もあるのか。……でもちょっと抵抗あるなぁ」

「それならそれで私の食費が賄われるだけだ。無駄ではない」


 そう言いながら、魔物の解体を再開するクレイン。平然と見ていたものの、今目の前で魔物を解体している魔王をがいるのだ。色々と問いただすべき点が多すぎる。


「え、待って、お前、ちょ、ええ……?」

「いきなりどうした?」

「部下、というかお前にとって戦力じゃないのか」

「襲い掛かってきたから排除をした。そして殺した以上、無駄にしてやるわけにもいかん。それだけだ」

「にしたって……それに、お前も随分と手馴れているな」

「生まれながらの魔王ではないからな」


 意味深に笑うクレインに、世襲制でもなければそういう生まれでもないのか、とエルナはやや驚きを感じた。ちょっとやそっとで身につく手捌きにも見えず、相応の生活をしていた事が窺える。


 奇しくもお互いが想像したお互いのこれまでの暮らし、魔王と勇者の今までは、そうかけ離れてはいない内容を想像していた。随分と奇妙な巡り合せなのだが、二人がそれに気づく事はないのだろう。


「……その短剣、装飾品の類じゃないんだな」


 クレイン自身の技量もあるのだろうけども、見て分かるほどに綺麗に捌いていく短剣。滑るように切れていく黒い刃は、その見た目を抜きにしてもそれなりの値がはりそうなものだ。それが柄こそ絢爛ではないものの、貴族の屋敷や城にあっても違和感のない気品のある美しい刀身なのだから、この光景を疑いたくもなるものだ。


「これはオブシディアンで作ったナイフだ」

「オブ……なんだって?」

「オブシディアン、黒曜石とも呼ばれているな」

「あ、それなら聞いた事があるな」

「石と言ってもガラスなのだが、これがまた鋭利でな。古代においても刃物として使われていたそうだ。ただし、固いものには滅法弱くてな」


 一度、血を拭ってその刀身をエルナに見せる。確かに黒く輝くその刀身は、冷たい鋭利さと、触れれば散りそうな脆さを感じさせる。


「ちょっとした魔法的処置を施して頑丈にはしているが、誤って骨にでも刃を当てようものなら、ただの一度で欠けてしまうだろうな」

「随分とデリケートなものを……」

「だが切れ味はいいぞ」


 さっと短剣を引くとまた大きな肉を取り出す。まじまじと見ると、魔法のように切れていく様子に、思わず感嘆の溜息をつきそうになる。


「こんなもんか?」

「量を考えると諦め時だな」

「というかそういう肉ってさ、切り分けるだけでいいのか? ほら、血抜きとか色々とあるだろ」

「毎回細かくやるのも面倒になってな。手早く済ませられて、それなりに味を落とさない技法に落ち着いたのだ。とは言え、ただ切り分けただけじゃないからな?」


 にやりと口角を上げて笑うクレイン。エルナにはただ解体して、肉を取り出していただけに見えるも、それなりの処理を行っていたのだというのだ。その技量を魔王という存在が持ち、実践しているというのだ。エルナもそろそろ何がきても驚く理由がなくなってきた。


「少し早いが野宿する場所を決めるか」


 日が沈むまでまだ時間はあるものの、悠長に構えていればあっという間に暮れてしまう。特に今は魔物を屠った後。血の臭いにつられて他の魔物が寄ってくるだろう。脅威でないとは言え、近辺に留まっていれば逐一相手にする事になりかねないのだ。


 そんな面倒を選ぶ理由もなく、二人は手早く移動する準備を始めた。



 日が沈む頃には二人は野宿の準備を粗方終わらせていた。


「そういえばあの肉ってどうするんだ? 放っておいたら腐るだろ」

「今日はまだ涼しいから何とか凌げたが、明日はあたりは駄目だろうな」

「で?」

「今日中に処理するさ。まずは夕食の支度だな」


 空けずの大袋をもったいぶる様にエルナに見せ付ける。この場で開ける事に眉をひそめるエルナをよそに、出てきたのは黒く光る平たい鍋であった。


「はああああ!?」

「なんだその叫びは」

「そうだろ! 散々勿体ぶって鍋?! 魔王が鍋?! なんで?!」

「何を言うか。旅において調理器具は重要だろう。料理の幅が一気に増える。上手い物を食らって、明日の活力とする。これぞ旅の醍醐味の一つだろうに」

「そうだけどそういう事を言って……あーくそ、もう馬鹿らしい!」


 堂々と言い放つクレイン。その揺るぎない瞳を見て、反論する気が失せるエルナ。


 それに勝ち誇った様子で、クレインは調理を始めようとするのだった。


「あ、あの肉使うのか?」

「いや、あれは焼こうと思っている。というかお前が嫌がっているのに、加えるわけにはいかないだろう」

「え……あ、ああ」

(……そういう気遣いはするんだよなぁ)


 どれほど心に鍵をかけてもクレインのこうした不意打ちには、つい動揺をさせられてしまう。ダメだなぁ、と胸中で呟いてから、エルナは顔を上げてクレインを見つめた。


「美味いのか、それ?」

「特別美味という訳でもないが、まあ普通に肉として食えるだろうな」

「じゃあ入れていいよ」

「……いいのか?」


 エルナの心変わりに目を丸くするクレイン。


「お前のそういうところは信じてみようと思う。めちゃくちゃ美味しく作れよー?」

「そうか? まあ、そういう事であるならば腕によりをかけよう。この場でできる事は限られているがな」


 穏やかでいて、自信のある笑顔で答えたクレインは、変わらぬ慣れた手つきで調理を始めるのだった。



 二人の目の前には、焚き火にかけられ湯気が上がる鍋が一つ。野菜と魔物の肉をふんだんに使った、馬車でも引かない旅ではとても目にする事はないだろう料理があるのだ。


 町を出る前に生野菜を買っていた事に、エルナは不思議がりもしたが今目の前にある光景が全ての答えだと言わんばかりであった。


「命の恵みに感謝し始まった本格的な旅を祝って、乾杯」

「乾杯」


 何となく予想していた事もあり、今度は驚かずに乾杯ができた。


「何回、旅について祝うんだよ」

「個人的には町までのは旅と言うよりも、ちょっと出かけた感覚だからな」

「海まで渡って? 何でだよ」

「食事がパワーバーであったからな」

「あれ、そういう名前なのか……」


 見た目や味と合わない名前だなぁ、と暢気な事を考える。下手したら子供が菓子として食べていても不思議でない代物だ。


「ああいったカロリーの高いバー状の携帯食はそう呼んでいるのだ。どちらかと言うと登山であったり、ハードな環境でよく用いられるな」

「あーなるほどな」


 聞いて思わず納得してしまった。エルナにとっても、今までの旅で山を越える事も珍しくなかったのだ。ああいった時にあったら、さぞ心強い事だろう。


「それにしても……今更ながら魔王の手料理を食べる事になるとはな」

「本当に今更だな。そうか嫌か。残念だなぁー悪いなー独り占めしてしまって」

「こんないい香り嗅いだら、絶対に断れるわけないのを分かってて……」


 おどける魔王に冷ややかな視線の勇者。だが、どちらも随分と表情が柔らかく見えるのは、焚き火の明かりの所為なのだろうか。


「食事の時は無礼講だ。そう邪険にしてくれるな」


 そう言いながら料理をよそるクレイン。確かにそこには魔王も勇者もなく、二人の旅人がいるだけであった。


 湯気が上がる器を受け取ったエルナは、警戒する様子もなく静かに口にすると、ゆっくりと顔を綻ばせる。薄味ではあるものの、臭み取りに使ったのであろうハーブが引き立たせてくれており、素朴であり何処かほっとするような味わいだ。


「美味しい……」

「こういう生活が長かったからな。量もあるし、遠慮をするでないぞ」


 宿敵であるものの、この緩やかな時間は悪いものではないのだろう。エルナは隔たり一つないこの時間がこれからも続く事に、何処か安心してしまう気持ちが湧き上がる。それと同時に胸中に漂う冷たい物にも触れたのだ。


(今は、今だけは……せめて)


 魔王を見つめる勇者の瞳は、焚き火の暖かな色が揺らめいてるものの、確かな鋭利さを放っているのだった。

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