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片腕の英雄  作者: ラニスタ
7/24

7 隻物亭


 指輪の内側に掘られた日付はすでに三日前のものになっていた。スカーレットは玄関に立ち家を眺めていた。旅立ちの朝が来たのだ。彼女はいつものドレスではなく、重い鎧と赤いマントを身にまとっていた。噴水広場での戦いから放っておいた髪も短く整え、その眼は軍人の持つ光を放ちつつあった。


「スカーレット、マークたちが到着した」


アクイラが外から声をかけた。スカーレットは家の中を見つめたまま返事を返した。しばらくここに返ってくることもない。だがここも村長の用意した「英雄のための家」であり、寂しさなどは微塵も感じられなかった。スカーレットは最後に忘れ物の確認のため、もう一度部屋を見回してから外に出た。外には同じように新品の鎧を身にまとった三人の少年たちと、新しく黒いマントを羽織ったアクイラが待っていた。アクイラはブラッドともう一頭白い馬を連れていた。その白い馬はブラッドよりも小柄だが彼とはうまくやっているようだ。白馬の名前はフレンダーと言い、五才の目馬だ。ブラッドはフレンダーのそばを離れスカーレットのほうへ向かおうとしてアクイラの握る手綱を引っ張った。スカーレットはそれを見て手綱を受け取り、荷物をその背中に乗せた。


「フェネックはあとで合流するはずだよ」


ウィリアムが確認するように言った。一行は酒場へ向かっていった。実は先日、この日の朝食はあの酒場が提供してくれると店主が言ってくれたからだ。まだ朝が早く村は静かだった。ブラッドとフレンダーの蹄の音が村の端から端まで響き渡っているように感じられた。路地裏に入り、スカーレットたちは酒場のある通りに入った。酒場には朝だというのに数等の馬がつながれており中は騒がしい。スカーレットはアクイラと顔を見合わせた。いくらなんでも昨晩の客がまだ残って騒いでいるとは考えにくい。スカーレットはブラッドの手綱をもったまま酒場の扉を開けた。

その瞬間、酒場はシンと静まり返り大勢の客の目はスカーレットに注がれた。彼らは良くこの酒場に入り浸る顔見知りたちだった。


「みんな……こんな早朝からいったい何事?」

「スカーレットちゃんの見送りをしようって集まったんだよ!」


スカーレットが戸惑いを隠せずそう尋ねれば、後ろのほうから若い男の得意げな声が聞こえた。それを境に皆はまたガヤガヤ騒ぎ出した。アクイラはブラッドの手綱を預かりスカーレットの背中を押した。スカーレットはその勢いで酒場に足を踏み入れた。


「これから長旅だってぇからよ、いくらか酒を持って行け。今までおごってくれた分には到底かなわねぇけどほんの気持ちだ」


前歯のかけた男が皆を代表して言うと外に出てブラッドの背中にそれを括り付けた。また狩人ガリウスが干し肉をそれに追加した。スカーレットはただ率直に嬉しかった。たしかにこの酒場はスカーレットにとって唯一息抜きのできる場でもあったし、ここに来る男たちと大騒ぎをすることも好きだ。だがこんなにも多くの人間が自分のために集まってくれるなどとは思いもしなかった。涙ぐみそうになるスカーレットの前に、店主があらわれた。彼は優しげな笑みを浮かべて騒ぐみんなをなだめるようにして静まらせた。


「今日は、この店に名前を付けることになったんですよ」

「名前? いままでつけなかったのに」

「そりゃあいままでは必要なかったからねぇ。だけどスカーレットさんが旅先この店を思い出すには名前が必要だろう?」


店主の妻が言った。

いったいどんな名前なのだろうかとスカーレットは感激しながら皆を見回した。彼らは日に焼けた顔を笑みでいっぱいにして店主に言葉を譲った。


「名を、『隻物亭せきぶつてい』と言います。あなたは隻腕で、目に見えるようなものが欠けていますけどね、ここに来る皆は何かしらがかけているのです。体の一部であったり、家族や肉親であったり、はたまた常識であったり」

「おい誰だ常識のかけたやつは」

「お前だろうが!」


後ろでまた誰かが野次を飛ばしあい、皆は笑った。店主は陽気な笑い声の中でこう続けた。


「失ったものは元には戻らないし、同じものが手に入ることはないでしょう。それでもここで酒を飲んで騒いだりして、すこしでもそれを埋めることはできると思います。私はあなたがまたこの店に帰ってくることを願い、隻物亭――欠けた者たちの酒場と、そう名付けます。どうか御無事で」


店主は葡萄酒色のブローチをスカーレットのマントを止めているピンの上に付けた。その赤色は後ろにある入口から差し込んでくる朝日を受けて、滲むようにマントに鮮やかな影を落とした。


「ありがとう。みんな、また必ず帰ってくるわ! それまで飲みすぎて死んじゃったりしたら承知しないわよ!」


その呼びかけに男たちは半ば雄たけびを上げるように答えた。スカーレットは手を振り、店を出た。最後まで閉まっていく扉の隙間からにぎやかなその様子を見つめていた。そして扉が完全に閉まると、待ってくれていた皆を見回した。


「お待たせ。それじゃあ、向かいましょう!」


アクイラと少年たちは頷いた。

アクイラを先頭に一同は歩き出した。村を北上していくとあたりは草木に囲まれた整備の行き届いていない道へ出た。ここからは森が続いているのである。だが足で草を倒してみればそこにはかすかに石畳の道が残っている。アクイラはフレンダーの足音を聞いて道からそれないように進んでいった。森がだいぶ深くなると辺りは薄暗くなった。葉の隙間から差し込む日の光がスカーレットたちに降り注いだ。朝露が鼻先に落ちたブラッドは、くしゃみをするように首を激しく振った。

昼を越したころ一行は短い森を抜けた。視界は急に広がりハリエニシダの黄色い花があたりの風景を明るく見せていた。そこは次の町への入り口で、その町に沿っている街道は城下まで一直線に向かうことができるのだ。そしてそこで、自分の村から一人で旧街道を上がってきたフェネックと合流した。彼は軍団の経営している駅家から4頭の馬を借りてきていた。その馬たちは城下町や街道の途中にある別の駅家に後で返しに行かなくてはならないのだが、長旅にはかかせないものだ。ブラッドとフレンダーの荷物は4頭の馬に少しずつ移された。

 馬での旅は当然ながら歩きの旅の何倍も速かった。馬に乗りなれていない少年たちは始めのうちは楽しげにわいわいやっていたが日が暮れるころには尻が痛いとわめきだした。なんとか日が沈みきるまで進んでから、アクイラは不意に足を止めて「今日はここまでだ」と後ろを振り返った。少年たちは疲労困憊し、馬から滑り落ちるように降りて大きく伸びをした。皆は大木の周りに集まり鎧を脱ぎ捨てて、馬たちから荷物を下してやった。そして別の木に手綱を結んだ。フェネックが得意なんだと言いながら火をおこし、からからの大麦パンにあぶったチーズを乗せて皆に配った。


「進軍がはじまったらあんまり食い物には期待できないからさ、今のうちに贅沢しておくんだ」


フェネックはパンをほおばりながらモガモガそういった。


「そうね、進軍が始まればみんな同じものを食べることになるわけだし。この旅は4日で済むから、それまでにそのチーズを全て食べてしまうことをお勧めするわ。はい、私のお酒もみんなで飲みましょう」


スカーレットは隻物亭の皆がくれた酒瓶の一本に口をつけてから隣のマークに回した。日が落ち切って遠くの空まで真っ暗になると別の一行がやってきた。彼らはフェネックの起こした火の光を見てやってきたようで、すぐそばで一晩明かすことになった。スカーレットたちと一晩明かすことになった5人組の男は愉快な男だった。彼らの一人は弦楽器を持っていて、スカーレットに分け与えられた葡萄酒にすっかり気をよくして歌いだした。


 プレハの黄色い酒も良い

 カースピの苦い酒も良い

 遠いフレイスの酒も良い

 だけどやっぱり一番は

 ローから流れるクレスに沿う、ブドウ畑の娘を誘い

 仲間と飲み明かしたあの酒だ


歌は続いた。スカーレットからすればなまりの酷いその歌は何を歌っているかうまく聞き取れなかったが、ほかの男たちはその歌を知っているようで一緒に合唱しはじめた。


「懐かしい歌だ。あの男はローの出身なのだろうか」


スカーレットの横で歌を聴いていたアクイラがぽつりとそう口にした。スカーレット以外は皆歌に夢中でアクイラの言葉には気が付かなかった。


「あなたの出身もロー村なの?」

「ああ。レディガの一番北にある。レノン村とは真逆だ」

「そんなところにあるのね、ずいぶんと遠いわ。それなのにわざわざレノン村まできて、いい加減自分の村が恋しいころじゃない?」

「いや。別段恋人やら妻もいないし、いるのは老いぼれた元軍団隊長の父と母だけだ。母は時々帰って来いと言うが、父は俺が軍団隊長になるまでは帰ってくるなと言う」

「厳しいお父さんなの?」

「まぁな。それより――よかったのか」


アクイラは幹に背を預けたまま顔だけスカーレットに向けてそう問うた。スカーレットには何のことだかさっぱりだった。アクイラは顔を正面に戻して「孤児院のことだ」と言った。


「挨拶をしてこなかったろう? それに村長が盛大に送り出すと言っていたのにそれも無視してきてしまった。おそらくほかに徴兵された奴らは村人に送り出され俺たちよりも遅く村を出たことだろう」

「村長のは別にいいのよ。隻物亭で送り出してもらったしね」


スカーレットも顔を正面に向けていった。楽器をもった男は少年たちのリクエストでまた別の歌を歌いだしていた。炎が揺れながら二人の顔を赤く染め上げた。


「孤児院は、いいの。わざといかなかった。せっかく自分自身落ち着いてきたのにアンナに――幼馴染よ。彼女に会ったらまた気が動転しそうだと思って、手紙だけ届くように手配してある」

「そのアンナとやらはひどく怒るんじゃないのか」

「そうね。生きて帰れれば彼女の泣きながら怒って、喜ぶ顔を見ることができるだろうと思うわ。でもたぶんニル先生はわかってくださる」

「そうか。君がそう決めたのならば異論はない」


アクイラは視線を一瞬スカーレットに向けてそう言った。それから立ち上がってその辺に転がっていた酒瓶を荷物につっこんで腰帯を緩めた。


「そろそろ眠るか? 朝は早く出るつもりだ。夜は俺が見張りをする」

「私がやるわよ」

「俺は徹夜にはなれている。明日からは皆にもやってもらおうとは思うが、今日はマークたちも疲れただろうし」


スカーレットは少し考えてからそれに賛成した。久々に1日中馬に乗っていて疲れたというのが本音だ。

「じゃあ、そうさせてもらうわね」


スカーレットはあくび交じりにそういってその場に小さく丸まった。草の先がチクチクしたがマントを巻きつけていればたいして気にならなかった。土の匂いが鼻腔をくすぐった。騒がしい歌声は逆に安堵感をもたらし、嫌なことを考える前に眠りについた。

アクイラは彼女が静かな寝息を立て始めたのを見ると自分の黒いマントを彼女の赤いマントの上にそっとかけてやった。

その時、スカーレットの目元に炎の光が映ったのをアクイラは見た。ぎょっとしてみると、それは涙だった。アクイラは手を伸ばしたが、直前でそれを止めた。

彼にはスカーレットの涙をぬぐうことがどうしてもできなかったのだ。


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