21 選び取る未来
隻物亭を出たのは夕日が町を赤く染めるころだった。いい加減昼間の騒ぎも収まったようで村はいつも通りになっている。スカーレットはブラッドには乗らず、手綱を引いて歩いていた。わざと時間をかけるようにゆっくり歩き、アクイラに想いを馳せる。
彼は前戦争の時からスカーレットを気にかけていたのだと話した。今になって考えてみれば、一人の村娘に過ぎないスカーレットのもとに、隊長直属の部下であるアクイラがよこされたのはそれが関係しているに違いない。アクイラが自ら申し出たか、あるいはアクイラの気持ちに気づいたレインドかグラディアがそう仕向けたのかもしれない。
アクイラは今頃、腕のない生活に困っているだろう。この戦争中、自分を支えてくれた男の役に立てたらいいとスカーレットは単純に思った。ただ、まだアクラのもとに行くという決心をつけるには何かが足りない、もしアクイラのもとへ行くという決断が正しければ、孤児院のみんなが背中を押してくれるはずだ。そのためにスカーレットはゆっくり歩き、考えをまとめているのだった。
町を外れて辺境地帯の古城まで来たとき、スカーレットは顔を上げた。そういえばここでアクイラと剣を交えたとき、悪ふざけをして、そのあと酒場で眠ってしまったと思い出したのだ。あの時はなんだか自分が少し幼くなったような感じがした。普段は人前で眠ったりしないのに。もう、戦争は終わったのだ。だったらまたここでふざけあったように、楽しい思い出を作っていくことができるかもしれない。
スカーレットはブラッドにまたがると、辺境の小道を一気に駆け抜けた。
高い壁に囲まれた修道院の門は、開かれていた。祭りの日、いつもそうされているようにスカーレットが来ることを想定して開けられていたようなのだ。スカーレットはブラッドを門につなぎ、そこから入り口に続く道を進んだ。
そういえば、アクイラのことばかりで考えてこなかったがアンナは怒るだろうか。スカーレットは非常に扉を開くのが嫌になった。だがそれをわかっているかのように、扉は内側から開かれたのだった。
「スカーレット……!」
開けたのは問題のアンナだった。彼女は目を大きく見開いた。
「あ、アンナ……おは、おはよー……」
「おはようじゃ……おはようじゃないわよこのバッカヤロー!」
スカーレットは思わず身構えた。だが言葉とは裏腹にアンナはスカーレットを抱きしめただけだった。アンナの大声に中の人たちもスカーレットに気づく。皆は泣きじゃくるアンナに抱き付かれたスカーレットを囲んだ。
「スカーレット! お前手紙だけで出ていきやがって!」
「ほんとよ! もぉっ、ううっずがーれっどなんがぎらいだがらぁっ」
「待ってアンナ何?」
「嫌いだってさ」
「あー、これは……まいったわねぇ」
怒鳴られるならまだしも、泣かれるなんて。スカーレットはどうしたら良いのか分からないままアンナを抱き留めていた。子供たちは別の部屋にいるようで大騒ぎは免れたもののみんなから心配したんだぞと責められ、スカーレットは苦笑いを浮かべるしかなかった。その騒ぎは一人の老人がやってきたことで収まった。孤児院の院長ニルである。ニルはマグカップに熱いお茶を入れると、まずアンナに一つを渡してなだめ、スカーレットにもう一つ渡し席につかせた。
「先生……」
「あなたは皆に心配をかけました」
ニルは灰色の目をスカーレットに向けて言った。大人になったとはいえ、今でもニルにそういわれてしまうと反省するしかない。スカーレットはうつむきながら「すみません」と謝った。老人はその様子にふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「けれど、あなたがどうして手紙にしたのかはわかります。私たちの心配する様子を受け止めるだけの余裕がなかったのですね。ですから、今回は仕方ないでしょう。アンナ、お前もわかってやりなさい」
「先生……わかってる。わかってて怒ってるの」
「なら、それもまた良しとしましょう。みんな席について。家族が帰ってきたのです、もてなしてあげましょう」
スカーレットは、ここでは戦争の詳細は話さなかった。隻物亭にいるのは元々戦士だった者ばかりだからこそ話したが、ここはそうではない。グラディアの言うように平和な時代が来たのだと信じて、あえて話さないでおくことにした。かわりにスカーレットはこの村を出ていこうと思っていることを打ち明けた。
「でもスカーレット、お金足りないんじゃない? 軍役金もどこかに引っ越して、家借りて、生活するだけのお金にはならないでしょ? 言いたくはないけれどその体じゃなかなか雇ってもらえないだろうし……」
「ええ、だから私はこの村にとどまっていたんだけど……その、なんていうか。一緒になるかも、というか……」
口に出すのはなんだかこそばゆい。当たり前だがスカーレットがこの手の話を孤児院の皆にすることは初めてだ。アンナたちも最初は何を言われているのかいまいちわからないようで首をかしげたが、ニルの一言ですべてを理解することになった。
「ようやく、あなたにも一緒にいてくれる殿方が見つかったということですね」
「へぇ……えぇえ!?」
「え、え、スカーレットちゃんそういうことなの!?」
「いつの間に!」
「まぁ、つまりそういうこと……です」
孤児院の空気は一気に明るくなった。スカーレット自身も驚くほど皆スカーレットを祝福してくれたのである。おどろくスカーレットにニルが言った。
「皆が喜ぶのも当然です。あなたにはそんな日が来ないのではないかと心配していましたからね」
「本当は少し悩んでいました。私にはこういうことの判断がなかなかつかないし。でも確かに、私は彼と一緒にいたいんだって思って。帰り道はずっと退屈でした。よくよく考えたら、私はアクイラがいないことがいったいどれだけ悲しいことなのか、何度も痛感したはずなんだから。あとはここのみんなが後押ししてくれたら、決心できると思って」
アクイラから離れようとした時もあった。けれど結局それも失敗し、アクイラが死にかけた時には本当に地獄を見たような気持だった。だったらここでアクイラのもとへ行かないのは、正解ではない。それがスカーレットの出した答えだった。
「そのアクイラ?さんってどこの村の人なんだい」
喜ぶみんなの中から、スカーレットより一つ年下の青年が訪ねた。
「アクイラはロー村の出身よ。一番北の村」
「げっ、真逆じゃないか」
「でもどうだろう、軍団勤務をするなら王都で暮らすだろうし、でも片腕がない軍人じゃあ退役するかもしれないからロー村かもしれないし、わからないわ」
「え、あっちも片腕なの? 壮絶……」
スカーレットは小さく笑った。
「きっと今頃片腕で苦労してるわ」
「スカーレットになかなか会えなくなるのは寂しいけれど、でもあなたがようやく自分の幸せを手に入れられるなら、私たち全力で背中押すわよ」
「アンナ、ありがとう」
真っ赤な目をこすりながら、アンナは嬉しそうに微笑んだ。スカーレットはようやく、今後の道が見えてた気がしたのだった。
***
「え、じゃあスカーレットさんはもうここには帰ってこないことになるの?」
帰還から十日後、スカーレットはウィリアムの家にお邪魔していた。朝起きてブラッドの世話をしているとウィリアムの母がお茶に誘いに来たのだ。今日はわざわざフェネックも来ていた。この日のスカーレットはもう以前のようなドレス姿ではなく、ワンピースを着ている村娘の格好だった。帰還してからはもっぱらこの格好で、ウィリアムとフェネックからして見覚えがあるのは葡萄酒色のブローチだけだ。
「わからないわよ? アクイラがやっぱり止めようって言えばそれまでだし」
「そりゃないよスカーレットさん」
フェネックが即答して、スカーレットは苦笑した。
「そう思うけどね。とは言えここは故郷だし孤児院も隻物亭もあるから、ときには帰ってくるつもりよ」
そういうとウィリアムが「そういえば」と声を上げた。
「僕、フェネックと一緒に別の村に行くことになったんです」
「唐突ね」
スカーレットは驚いたように言ったが内心はさほど驚かなかった。ウィリアムは村を出ていくといったし、それがスカーレットの思うより少し早まっただけのことだ。
「王都まで一直線の街道があったのを覚えていますか」
「ええ、王都に行くとき通ったところね」
「はい。そこに今度新しい検問所を作るみたいで、人が足りないから働きに来ないかって文が昨晩届いて」
「へぇ、ならそこで二人そろって働くのね」
頷いたウィリアムに続き、フェネックがテーブルに乗り出して付け加える。
「俺とウィリアムの軍資金――それから、ヴァズとマークの軍資金で当面は暮らすよ。二人で住めば家賃も半分だし」
「ヴァズとマークの?」
「軍資金っていうか、もうちょっと少ないけど家族への謝礼金が出ることになってる。ヴァズとマークの家族は、二人はまだ働いてなかったからこのお金がなくても生活に支障はないって。俺たちに使ってくれって言ってくださったんだ」
「そう……」
ウィリアムとフェネックのひきつったような、うまく笑えていない様子から、彼らは申し訳なく思っていることがスカーレットにもわかった。スカーレットのほうもなんと返せばよいのかわからず白いテーブルクロスの刺繍を意味もなくなぞったりした。
「そ、そんなわけだからさ、俺クーリフさんに村が変わるって文出すから、スカーレットさんも細かく決まったらクーリフさんに、あと俺たちにも文をだしてくれよな」
「ええ、必ず出すわ」
終戦パーティの日まで、あと5日ほどだった。アクイラには文を送っていない。自分の口で伝えようと決めているし、今その気持ちが変わって文を送ったのでは文より先に自分が到着するだろう。それにスカーレットには引っ越しにあたって特に大きな荷物はなかった。一応ウィリアムの家から帰った後は今まで住んでいた家のものを片っ端からひっくり返してみたが、ドレスはいらないし気に入ったブローチもない。大切にしたものと言えば誕生日にアンナがくれた置物や、戦争前アクイラから渡された偽物の副隊任命書、ブローチ、赤い羽程度だ。あとはパーティの招待状も持たなくてはいけないが紙一枚ではあまり荷物とは呼べない。スカーレットはそれらと金貨をかばんに詰めて背負ってみる。金貨は重いが、これくらいならたいしたことはなさそうだ。あとはもう、今身に着けているものと適当に衣服があれば十分である。
「ブラッド、どうやらあなたが一番大きい荷物みたいよ」
窓の外に呼び掛けるとブラッドの不満そうな息遣いが聞こえた。
翌朝、スカーレットは見送りに来てくれたフェネックとウィリアムを連れて孤児院にあいさつに来た。
ウィリアムとフェネックは興味深そうに門をくぐる。孤児院の皆は少し寂しそうにしながらもそれは口に出さなかった。出ていくものは引き止めない。それがここの決まりだとよく知っているからだ。
「ニル先生、この任命書。偽物だけど私の功績でもありますから、孤児院において行ってもいいですか」
スカーレットは物の少ないかばんから丸まった任命書を取り出した。ニル老人はそれを受け取り頷いた。
「ええ、受け取りましょう」
続いてアンナが歩み出てスカーレットを抱きしめた。
「いつでもいいわ、時間のある時紹介してね」
「私もアクイラに皆を紹介したいわ」
「あなたの幸せを祈ってるわ」
アンナは最後にぎゅう、と力を込めてから腕を離した。
「スカーレットさんそろそろ行かないと」
フェネックが呼びかけ、スカーレットは二人の少年とも抱擁を交わした。そしてブラッドの鞍に手をかけたところで、遠くから声が聞こえてきた。何を言っているのかいまいちわからないが、それは少し向こうの羊飼いの家の柵の中で、羊たちが驚いて走り回るほどだった。スカーレットが顔を上げると誰かがなれない様子で馬にまたがってこちらに向かってきているのが見える。スカーレットにはそれが誰だかすぐに分かった。
「おーい待ってくれぇ!」
「ガリウス早く! いっちゃうわよー!」
やはり来てくれると思ってたわ、とスカーレットはつぶやいた。一行の前に追いついたガリウスと店主は息を切らせながら馬から滑り落ちた。
「やれやれ、馬に乗るのはなかなかに大変ですな」
「店主さんまで……」
「なに、頑固な客に代わってあいさつに来ただけです。皆どうせまた会えると言いながら寂しそうに酒を飲んでいましたよ」
店主が笑いながら話しているうちにガリウスは馬から食料と酒を引き摺り下ろし、ブラッドに括り付けていた。なるほどそれで食料はもたなかったのだな、とその場の皆は思った。
「支払いは次に帰ってきた時でよろしいですよ」
「そうね、いい約束だわ」
スカーレットはもうほとんど何も入っていないかばんから赤い羽根と赤いブローチを取り出した。これは任命書と共に送られてきた副隊長の証である。
「あの酒場の人たちなら、この羽とブローチを見れば意味が分かるわ。だからこっちはあなたたちのお店に預けるわ」
「よろしいのですか、これは大切なものでしょう」
「ええ、でもいいの。どうせまた隊長がくれるだろうし、どっちかって言えばこれからの私には無用のものだもの」
「そうですか。ではこれは、お得意様からの贈り物として店に置かせていただきましょう」
店主はそれらを受け取り、二人は握手を交わした。店主の横に戻ってきたガリウスも大きな手でスカーレットと握手をした。彼の目には信頼の色がうかがえた。
「村で過ごす間、ずっと不幸だって思ってた。だけどそんなことなかったわね。私にはこんなに素敵な友達が居たんだもの」
「俺こそ、こんなガサツな猟師と友達でいてくれてありがとう。俺たちはずっと、友達だ」
「ええ!」
握手した手を何度も振って、二人は手を離した。スカーレットは今度こそ待ちくたびれた様子のブラッドにまたがった。
村のほうに視線を向ける。崩れかけの古城と羊飼いの家、辺境の草原に走る古い一本道。そして自分のすぐ目の前には支えてくれた友人たちが。
「じゃあなスカーレットさん!」
「アクイラさんによろしく!」
少年たちに手を挙げて答えると、スカーレットは馬首を翻し辺境を駆け抜けた。孤児院に集まった友人たちは、その姿が森に入って見えなくなるまで見送り続けた。




