19 それぞれの道
アクイラが目を覚ましてから5日の休暇を得たレシウス・プレハ軍は10日かけて北上し最初に制圧したあの要塞を目指した。その間スカーレットは隊列の中部にいる荷馬車の上を忙しく移動していた。動けない負傷兵たちが荷馬車に乗せられ、代わりに彼らの馬が荷物を運んでいるのだ。その荷物を積んだ馬たちの中にはフレンダーも居る。彼女はブラッドのおかげで闘いに出ることはなかったのでほかの馬よりも爽快な足取りだ。一方でその主人は腕や腹の痛みに苦労し、ほかの負傷兵たちと会話を交わしたりしている。アクイラだ。彼は会話が途切れるたび負傷兵たちの包帯を変えて回るスカーレットを目で追っていた。それ気づいた負傷兵の一人、メイラはにやりと笑みを浮かべて小声で言った。
「なんだあんた、スカーレットさんに気があるのかい?」
アクイラはメイラに一瞥くれてふっと笑った。
「気があるなんてもんじゃないさ」
「こりゃ大胆な発言だ。でもどうかな、負傷兵の中には彼女に気のある男も多いだろうよ? ああ、俺は違うけれど」
「なら残念だったな、スカーレットも俺に気があるなんてものじゃないから」
メイラは何度か瞬きをしてから声を上げて笑った。
「そうかそうか、あんたが、ねぇ」
「何かおかしいか」
「いんや、あんたのようなまじめ男が相手でよかったって思っただけさ。しかしそのわりに、あんたはどこか切なそうな目をしていた。恋人を眺めるにしてはすこし気難しい顔だ」
アクイラはそれを聞いて少しうなった。たしかに考え事はしていたが、顔に出ているとは思わなかった。ちらりとメイラを見れば、邪気のなさそうな顔でこちらを見ている。おそらくはメイラも、スカーレットに救われている人間の一人なのだろうとアクイラは思った。荷馬車が少し大きく揺れ、アクイラは顔をしかめながら荷馬車の囲いに背をつけた。
「まず、お前の言い方には少し語弊があるな。俺たちは恋人同士ではない」
「……え?」
メイラの目が点になり、アクイラは苦々しく口元をゆがめた。
「いや、たしかに思いが通じ合ったことは確認したが、寝てしまったのだ」
「寝るって、普通に?」
「そうだ。夜の平穏な眠りについたんだ、何事もなくな。正直翌朝になって、彼女が昨晩の話を覚えているのか不安だった。彼女は覚えていたようだが、真っ赤になり走っていってしまった」
「で、負傷中のあんたは動けず――ということか?」
逃げたものの、スカーレットはすぐに戻ってきてアクイラの包帯を巻きなおしたり朝食を食べるのを手伝ったりした。ただあまりにそれらがぎこちなくて、アクイラは自分から言ったのだ。落ち着け、俺たちは今までどおりだ、と。
「それで……思いを伝えたはいいが、恋人うんぬんの話は流れた」
「……意気地なしめが」
「俺もそう思う……」
アクイラはため息をついた。アクイラはまさか思いが通じるなどとは思っていなかったのだ。自分のような不器用な男が誰かに受け入れられるとも思わなかったし、そもそもそういった経験がほとんどない。だからいざそういう状況になってみると、どうすればよいのかまったくわからないのだった。
「要塞に着いたら軍は解散になる。俺たち負傷兵は怪我が治るまで王都で面倒を見てもらえるわけだし、軍団所属のあんたも王都にいくだろう? だから、スカーレットさんとはあと七日ほどで一度別れることになるんだ。ちゃんと話しておかないと、あとで大変だと思うがな。会いたければすぐに向かえばいいってほど近くないんだから、手紙も、あまりアテにはならんしな」
「ああ……一度距離を置いて、彼女に考えてほしいと思っている。たしか終戦を記念して王都でパーティをするだろう? 彼女はそれに出席するといっていたから、それまでの間考えるように伝えるさ」
「あんたの武運をいのるよ」
メイラはにやりとした笑みを消して、ごく真剣な顔つきでそういった。そうは言ったが、アクイラはなかなか言い出せないで居た。スカーレットが面倒を見てくれるとき、さりげなく言おうとは思っているのだが言葉がのどで詰まってそれ以上は出てこない。そもそも自分のほかにも荷馬車に負傷兵が居るというのにそんな話をするのは気が引けるし、彼女がまた赤面して行ってしまったら決まり悪いことこの上ない。アクイラはもうあきらめて、別れる直前に告げることにしたのだった。
軍で移動する最後の晩、予定通り要塞に到着した一行はまず外国軍に感謝の意を伝え、レシウス軍から多めに貰い受けた帰りの食料を食べて、酒を飲み大声で歌いあった。まだ食料には余裕がある。必要な分だけ残し、残りは外国軍に渡した。
プレハはこれを機に外国軍と盟友関係になり、貿易の際には外国軍を優先する約束をした。ちなみに、プレハはこれからの貿易での利益のいくらかをレディガに支払う約束もしているので、レディガからしてもプレハが外国との交友を深めるのは望ましいことだ。
スカーレットとアクイラは飲み比べをする三国の男たちを遠巻きに眺めながら、荷馬車の近くに座っていた。火を囲んで戦士たちが踊ると、長く伸びた影も躍りだす。スカーレットはうれしげにそれを眺めていた。アクイラは火の光で明るく輝いたスカーレットの髪を横目に見た。
「隻物亭の」
「ん?」
「隻物亭に戻ったら、ガリウスに鹿肉をとってきてもらって店主さんにシチューにしてもらうの」
スカーレットは相変わらず踊りを見ながら行った。唐突な物言いに、アクイラは少しだけ笑った。
「孤児院にも行かなくてはな。今頃怒っているんじゃないか、君の友達は」
そこでスカーレットはやっとアクイラに顔を向けた。
「すっかり忘れてたわ! 手紙だけ出して出てきてしまったこと!」
「っはは、たくさん怒られてくるといい」
「もう、人事だと思って……」
アンナが怒ると怖いのよ、と言いながらスカーレットは視線を戻す。アクイラにはわかった。スカーレットがあまり目をあわせようとしないことが。それはおそらく、スカーレットもあいまいになってしまった関係をどうすればいいのか、軍解散の前日になって焦っているからだ。わざとらしいくらい一心に踊りを見つめるスカーレットのひざ上の手を、アクイラはそっとつかんだ。スカーレットの瞳が揺れた。顔は火のほうを見ているくせに、もうその瞳は踊りなど映してはいない。
「スカーレット、聞いてくれ。俺のほうは見なくてもいいから」
「……いいえ、見るわ」
少し間をおいてから、スカーレットは振り向く。
「明日で、一度別れることになる。そうしたら、これからどうしたいのか考えてきてほしい。俺と来てくれるのか、そうしないのか、俺とどんな関係で居るつもりなのか。俺も考えてくる。だから君も、考えておいてほしい」
アクイラはとっくに自分がどうしたいかわかっている。ただ、それを考える代わりに本当に彼女を幸せにできるのか考え直すつもりだ。
「ひとつ……聞いておきたいことがあるわ」
「ん?」
「あなたは、いつから私のことを、その……あれよ、アレ」
いつから愛していたのだと聞きたいらしい。それを言葉で言い切らないスカーレットに少し笑うと、スカーレットはそれを見てむっとする。アクイラは文句を言われる前に、少し気恥ずかしいながらも打ち明けた。
「前戦争からだ」
「……えぇえ!」
「今回の戦争では、君を無事村に返して、君が誰かと幸せになれればいいと願って右と隣に立ってきた。俺の想いが受け入れられるなど、少しも思っていなかったから、君が同意してくれたときは天地がひっくりかえったかと」
「……大げさだわ」
「だからそのくらい、俺の存在はただ君の右腕であるだけで終わるはずだったんだ。まぁ、俺のやってきたことがすべて下心の塊だといわれれば、否定はできないのかもしれんが」
スカーレットは顔をしかめた。
「下心の塊だなんていい方しないで。あなたは下心なんかじゃできないくらい、私を救ってくれたんだから。それに、私が下心しかない男に惚れたみたいじゃない」
「っはは、それはたしかに不名誉な話だ。わかった、やめておくよ」
不名誉どうこうの問題ではないのだが……と、スカーレットはため息をつきかけて止めておいた。今のは自分の言い方が悪かった。もっと素直に言うことができればよいのだが、スカーレットにはまだ難しそうだ。
二人はそれから無言で、踊り、飲み比べ、、歌い続ける仲間たちを眺め続けた。
泣き虫ジェニー
俺はお前に恋したんだ
テライトの町の居酒屋で
君をはじめてみたときに
君はすぐに泣くけれど
そんな君はほうっておけないんだ
なぁジェニー、こっちへ来ておくれ
戦場で疲れた俺の夢の中まで遊びにおいで
テライトに帰ったら、ああジェニー
俺は君にプロポーズするよ
泣き虫ジェニー
俺はお前に恋したんだ
泣き虫ジェニー
君も俺に恋してる
***
翌朝、二日酔いに悩まされながらも兵士たちは起床時間を迎えると飛び起きた。とうとう軍が解散の日なのである。朝食を済ませるとスカーレットたちレディガ軍は西に、プレハ軍は東側に並び、外国軍を盛大に見送った。その後でそれぞれの将軍から言葉があった。スカーレットとアクイラは前のほうにいたから、グラディアの顔まできちんと見ることができた。グラディアは要塞に上り、後ろにレインドとほかの隊長たちを従えて兵士たちを見下ろした。
「みんな」
グラディアが大声で呼びかけ、腕を掲げると兵士たちもそれに同調して腕を掲げた。
「まず、この場にいるもの、そして、連れ帰れなかった死者へ。ありがとう」
レインドが「グラディア将軍に光栄あれ!」と叫び、皆もそれに続けて5回それを繰り返した。その声は、5回目を終えて皆が口を閉ざした後、そこらじゅうに響き渡り、要塞に反響した。グラディアが腕を下げ、皆も腕を下げる。
「皆の力によって得たこの勝利。犠牲はあったが、これをもって平穏が訪れることは間違いない。レシウスはプレハに進行することなく、また我々もその恩恵を受けることができる。だが決して油断をしてはいけない。敵とは、外側だけにいるものではない。平穏と言えどそれは国家間の話。われわれの周囲には常にさまざまな問題が生じるだろう」
兵士たちはささやきあったり、眉を寄せたりと、グラディアの言葉に心当たりがあるようだった。それを振り払うように将軍は「だから」と言葉を続ける。
「この闘いが終わった後も、戦友たちのことを大切にしてほしい。何かあったとき、ともに死闘を潜り抜けてきた仲間たちはきっと助けてくれる。そうだろう? 私たちはこれからも永久に剣の兄弟たちだ!」
「まさに! そうだ!」
「だから皆、何かあればいつでも軍団に申しだしてほしい。できるだけ対応して、国の平和のため尽力するつもりだ。だから皆も、私がまた困ったときには、助けてほしい」
あたりまえだ! 将軍のためならば!
兵士たちは喚起あまって叫んだ。グラディアはそれを聞いて静かな微笑を浮かべた。それはごく近くの者にしか見えなかったが、共に闘いを乗り越えてきた者達には分かる。なぜならグラディアの微笑を見た者が微笑み、またその微笑を見た者が微笑むからだ。すべてが終わったという安堵と、とうとう故郷に向けてそれぞれの道へ帰るのだという喜びは軍の一番端にまで伝染していった。
解散会が終わり、兵士たちはそれぞれ帰り道によって隊列を組んだ。クーリフたちとはしばらく一緒だが、アクイラとはここでお別れである。アクイラはフェネック、ウィリアム、そしてクーリフと固い握手を交わした。それからスカーレットにも手を差し出す。けれどふたりは握手ができないことに気が付いた。
「あら、手がちぐはぐだから握手ができないじゃない」
「随分不便になったなぁお前たちは」
アクイラは笑い声をあげるクーリフにそうでもないさ、と言った。スカーレットがその意味を確かめる前に彼はスカーレットの腕を引き、触れるだけのキスをした。
わーお、と二人を少年が声を上げ、スカーレットは思わずアクイラを突き放した。依然クーリフの笑い声があたりに響いている。
「あなたって人は……!」
「っはは、怒るなスカーレットよ。また会おう!」
アクイラは珍しくいたずらっぽい笑みを浮かべると背を向けて走って行ってしまった。いままでのアクイラからすれば、彼はかなりの勇気を要してキスをしたのだった。
スカーレットは一度は真っ赤になった顔色を元に戻しながら、その背中を見送った。ブラッドがスカーレットの脇に鼻面を突っ込んだ。
「ふふっ、ブラッドにまで慰められちゃったわ」
「また会えるんだ、しんみりすんなよ」
クーリフは年長者らしくそういってスカーレットの肩をたたいた。
一行はそれぞれの馬にまたがり、故郷へ続く道の集団に混じったのだった。




