2 銀色の戦友
一言でいうならば簡単だ。そこは地獄だった。そこらに倒れた死骸は人の子の形を失っていた。脚はもげ、腕はおかしな方向を向き、茶色いはずの土は赤く染まっていた。空はどんよりと重苦しい鉛色をしている。そこから矢が降り注ぐように、雨が空を覆った。スカーレットは自分が息をしているのかそうでないのかわからなかった。手は剣を握りしめたまま石のように固まっている。その剣から滴り落ちた赤いしずくが赤い地面に波紋を呼んだ。スカーレットは叫んだ。
「フェネック!」
のどはカラカラで、まるで自分の声とは思えないような声が親友の名を呼んだ。早く生きた者と話さなくては自分も地面に転がる骸になるような気がした。不思議な話だが、戦闘中にはさして感じなかった死の恐怖がスカーレットを頭からつま先まですっぽりと覆っていた。やがて、スカーレットは自分以外に立っている人間の姿を見た。彼女は歓喜に満ち溢れてもう一度その名を呼んだ。
フェネックもスカーレットに気が付いて、兜を外してその場に放った。兜の落ちる音は死体の山に飲み込まれて聞こえなかった。銀色の鎧に打ち付けられた雨で自分の血も、敵の返り血も流れていった。ス カーレットは疲れているであろう親友に肩を貸してやるため腕を伸ばす。だがその手を取る前に、フェネックはがしゃんと膝をついた。スカーレットは目の前が真っ白になりながら、自分も半ば倒れるようにしゃがみこんだ。
「ちょっと、もう撤退よ? のんびりしてる場合じゃないわ」
何も言わないフェネックの肩をゆすり、スカーレットは訴えるように言った。フェネックは揺さぶられたひょうしに倒れこんで、そのまま骸の一つになっていた。スカーレットの叫び声は雷鳴に消された。のどが張り裂けるほど叫んでいるのに、空を破くような音には通じなかった。
「――!」
飛び起きると、まだ夜明け前だった。スカーレットは一瞬びくりと体を震わせてから息をはいて背中を寝台に戻した。汗でぬれた服が背中にへばりついて気持ちが悪い。また夢を見たのか、とスカーレットは窓に視線を向けながら思った。
腕が痛む。まるで自分の腕が肘から先を探してひとりでに動こうとしているのかのようだ。だんだん痛みは増してきた。スカーレットは痛みが完全に襲ってくる前にもう一度眠ろうとしたが、手遅れだった。せめて明かりをつけよう。暗闇は悪いものしか生まない。痛む右腕をいたわりながらスカーレットは苦労してマッチをすり、ランプに火を灯した。
ランプの灯は隙間風に揺れてスカーレットの影を躍らせた。一瞬だけ火が大きく揺れ、スカーレットの影は人の形ではなくなった。スカーレットにはだんだんその揺れる影が行進する兵士の姿に見えてきた。影の兵士が揺れる様子は、まるで暗闇を恐れる自分を嘲笑っているようだ。部屋には誰もいない。だが、人でない何かがいるかもしれない。もしかするとそれは自分の殺してきた兵士で、復讐を果たすためにこの天井にひしめき合っているかもしれない。
スカーレットは急に怖くなってランプをあわてて消した。再び暗闇と沈黙が部屋を支配した。
暗いままでも、火をつけても、腕が痛むときはすべてが恐怖につながる。ありえない妄想におびえることは嫌いなのに。部屋に響くのはスカーレットの荒い息遣いだけだ。早く朝が来て、この痛みが消えてしまえば良いのに。それから永久に夜が来なければ良いのだ。
***
十日の後、スカーレットは再び酒場を訪れていた。十日前の晩は悪夢とひどい腕の痛みに悩まされたが、この十日は何の夢も見なかった。あれから孤児院の幼なじみからもフェネックの命日に行うパーティの誘いがあったがスカーレットは断りの手紙を入れた。
フェネックは前戦争でスカーレットと共に戦い命を落とした。いまでもこうして悪夢に見るほどその記憶はおぞましいものだ。皆はフェネックのためのパーティで彼が死んだという事実をもう一度振り返り悲しみ、そして彼との思い出話に花を咲かせるだろう。それができるほど二年の間に皆はフェネックの死を受け入れていた。けれどスカーレットはそうはいかない。その死を目の前で見たスカーレットにとって、フェネックの死はただ「この世にいない」という事実ではない。自分ただ一人がフェネックの死んでいった様子を知っている。はじめて孤児院に来たその日から、兄のように自分を守り続けてくれた親友の儚かった命。それを思い出し、悲しむことしかできないだろう。
そんなままで今日行われている孤児院の「命日パーティ」に出たとしても、スカーレットには何の意味もなさないような気がした。きっと自分がパーティに行かないことも、フェネックは理解してくれるだろう。
それに今日は本当に約束があった。前戦争での戦友がおそらく今日到着すると手紙をくれたのだ。彼が約束通り南下できていれば今頃はこの村に到着しているはずだ。
祭りの夜ほどではないが、その晩も酒場は陽気な男たちであふれかえっていた。スカーレットは店に入ると人々の隙間から光る銀色を見つけた。酒の誘いを断り、転びかけている男に手を貸してやってから奥へ向かう。
彼は酒場にふさわしくない真新しい鎧を身に着け、カウンター席に腰かけていた。銀のよどみない髪は相変わらずきちんと整えられ、彼は無表情にカウンター席のテーブルの木目を見つめていた。店の奥は薄暗く入り口よりもひどい匂いだというのに、まるで彼の周りの空気だけが静寂しているかのように、その存在は異質だった。
「アクイラ」
声をかけると、男は顔を上げてスカーレットと目を合わせた。彼は視界にスカーレットの姿を見つけると口元をふっと緩め、体ごと向き直った。
「ああ、スカーレット。久しいな。しばらく見ないうちに女性らしくなった」
「お世辞はいわないわよ。でも久しぶりね、会えて嬉しいわ」
アクイラは隣の席に畳んで置いた自分の赤いマントを取り上げて肩にはおった。律儀にも席を取っておいてくれたようだ。スカーレットはその席に腰掛けて店主に葡萄酒を頼んだ。
「どうだ、そんなに着飾ったりして恋人でもできたのか?」
「第一声がそれ? ないわよそんなもの。私はもう大切なものは作らないって決めてるのよ」
スカーレットが自虐気味にそういうとアクイラは少し困ったように笑った。それから自分で振り出した話を取り消すように言った。
「急に来たりして悪かったな。こちらに来るのならお前に会っておこうと思って」
「いいのよ。前戦争での生存者に会えることほど生きているって実感することはないわ」
少しおどけて言うとアクイラはまたふっと小さく笑みを浮かべた。
このアクイラとは特別仲が良いわけではない。ただ前戦争でスカーレットとアクイラは同じ隊に所属しており、スカーレットにとってアクイラは命の恩人とも呼べるような男だ。最もその場で死んでもよいと思っていたスカーレットは命を救われたことに礼を言わなかったし、これからも言うつもりはないが。だがアクイラはそのことを気にしている様子はなく、二人の間に気まずい空気が流れる風もなかった。実は少しだけ会うことが怖かったスカーレットは安堵した。
「こんな方まで用事だなんて、さすが軍団所属の兵士は忙しいのね」
「いや、実はある女性を支えてほしいとグラディア様から頼まれたのだ」
久々に聞くその名前にスカーレットは目を細めた。
「グラディア将軍はお元気かしら。それに私の隊長だったレインドさんも」
「将軍はまだまだお若いから心配はいらない。レインド隊長は相変わらずの大酒飲みだが一応健康そうだ」
「そりゃよかったわ。あの人はお酒がないほうが病みそうだものね」
「その通りだ」
グラディア将軍もレインド隊長もスカーレットが前戦争で世話になった者たちだ。グラディアは弱冠三十歳にして国の軍事を一任される男で、レインドは彼から最も厚い信頼を受ける隻眼の隊長だ。
「実はグラディア様から預かりものがある」
アクイラはそう言って丸められた紙をスカーレットに渡した。スカーレットはそれがなんなのかわからずにアクイラを見た。アクイラが顎で紙を開くよう促す。スカーレットは紙を留めている紐を解いてみた。羊皮紙が開き、中には赤い羽根と小さなブローチが入っていた。そして跡がついて丸まってしまう紙をなんとか片手で開き、さっと視線を走らせた。
「……これ軍団の副隊長の任命賞じゃない、どういうこと?」
怪訝そうな声で言うとアクイラは声をあげて笑った。スカーレットはその姿にぎょっとした。彼が声をあげて笑うところは初めて見たからだ。
「あなたでもそうやって笑うのね」
「今は戦争中じゃないんだ。いくら俺だってちょっとばかし笑いたくなったりもするよ」
「それは失礼したわ。それで、これはなんなの」
「もちろん軍団にこいと言っているわけじゃない。ただグラディア様が、せっかく俺がこっちまで用事で来るならスカーレットの戦績をたたえた赤い羽根を持っていけとおっしゃって、レインド隊長が面白がって任命書をつけただけなんだ。ほら、ちゃんと下まで読んでみろ」
言われて最後に走り書きされた文字を見ると、そこにはグディアの名前と「嘘」という文字が書かれていた。
「あんまりよろしくないいたずらだわ。それに私は何もしていないし」
「王の首を取ったのは君だ。それで戦争が終わったんだ」
「私がとらなくてもあなたがとっていたかも」
「……嬉しくないのか」
その問いにスカーレットはわざと間を置いた。アクイラが片眉をぐいっとあげた。
「うれしいわよ。帰ったら喜んでたって伝えてもらえないかしら」
「ああ、もちろんだ」
そこでスカーレットの頼んだ酒が届けられた。酒は店主の計らいでコルクはすでに外されていた。この店の良いところは隻腕であるスカーレットにいろいろと優しい気遣いをしてくれるところだ。スカーレットは一つ目のグラスに鷲の血のように赤い葡萄酒をなみなみ注ぐとアクイラに差し出した。
「はい、長旅お疲れ様」
そして自分の分も注ぐと、どちらともなくグラスをあげて乾杯した。
「良い店だな。なんという名前なんだ」
ぐいと一杯目をいっきに煽ってからアクイラは尋ねた。
「無名よ」
アクイラのグラスに二杯目を継いでやりながらスカーレットが言うと、アクイラは物珍しそうに店主をちらりと見た。
「無名、とはずいぶん変わった名前だ」
「ああ、ちがうの。そうじゃなくて本当に名前がないってこと。普通の村人が間違って入ってこないように、ここには戦ったことのある人しかいないし、みんなそういう人しか誘ってこないの。知る人ぞ知るってやつね」
「なるほど。君が手紙に書いてくれた地図がなければ俺もたどりつけなかったよ」
「ここは本当に良いところだから、こっちにいる間はいりびたっていると良いわ。どのくらいいるの?」
「わからないが――もしも、その女性を支えるべき時が来れば、その時までだ」
アクイラは明確な日にちを述べなかったがスカーレットにすればずいぶん長く居座ることになりそうだと思えた。それにしてもグラディアから直々に目をかけられているだなんて、どんな女性なのだろうか。
「さっきから言ってるその女性は、いったい誰なの?」
「それは秘密事項だ」
アクイラは言いにくそうに目をそらした。
「ふぅん。おかしな話ね」
「気を悪くしないでくれ、軍団内でもこの話は上部の者しか知らんのだ」
「気を悪くしたわけじゃないの。ただあなたかグラディア様に浮いた話があったのかと思って、ちょっと期待しちゃった」
「……残念ながらそういうわけではない。――が、俺たちにとって彼女は必ず救ってやらなければならない存在なんだ」
そこまで聞いてもなんだか納得はいかなかったが、これ以上はアクイラを困らせるだけだろうと思いスカーレットは追及することをやめておいた。
「そういえば、幼なじみから戦争が起こるかもって聞いたんだけれど、あれは本当なの?まだ前戦争が終わったのは二年前なのに」
「――ああ」
アクイラの顔つきは急に軍人らしくなった。この手のことは軍団の人間に聞くのが一番である。
「まだ噂でしかないというのには理由があってな、グラディア将軍がなんとか話し合いでけりをつけようとなさっているんだ。ただ国王が我慢ならなくなって進軍指示を出せば……その時は戦になる」
「大変じゃない、それ。いつ戦になるか予想のしようがないってことでしょう? あなたここにいて大丈夫なの?」
「俺にはちゃんとした計画があるから問題はない。が、そうだな。一応念のため君には説明をしておくよ」
アクイラはそういってグラスに指を浸してテーブルに地図を描き始めた。




